後宮へようこそ ㉖
ノル=シヌハークが接触してきたのは、そろそろ部屋に帰ろうか、と三人が腰を浮かせかけた時だった。多分、ずっと目の前の能力の高い二人が結界的なものを張っていたから、寄りたくても気分的に寄れなかったんだろうと思う。
「あら、ノルちゃん何か御用かしら。ワタシ達、部屋に戻ろうかと思うんだけど」
話しかけてくる、と言ったジョルトの予測通りで驚いてしまう。
改めて彼の浅黒い肌の精悍な顔を見ると、顔のあたりが若干強張っている。快活な感じのお兄ちゃん、といった様子なのに、大分いつもと違った。
「少し時間をもらえないか」
「ですって。どうお二人は?」
私とジョルトのほうを向き、確認をとる。二人して首を縦に振った。もちろん、否はない。
そして、彼が指を一振りすると志賢の側仕えがさっと消える。多分、彼の部屋に来客の準備をするのだろう。
「そう、ではノルちゃんはワタシについてきてちょうだい。あなたたちはそれぞれ一旦部屋に行ってて」
「いや、三人ともに用があるんだ」
「知ってるわ。だけど、いろいろあるの。とりあえずあなただけついてらっしゃい」
そう言って半ば強引に彼はノルを連れ去っていった。
「ジョルト、どうするの?」
「しばらくしたら志賢が空間に扉を作ってくれるだろうから、そこから行けばいいよ」
空間を捻じ曲げる結構な魔術を、なんてことない風に言われ、思わず目をむいたが、おとなしく言われた通りに部屋に帰って待つことにした。
部屋に入ってから、三人の会話を聞けていなかった条雅に事の次第を語っていると、いきなり長椅子の前に黒い球のようなものが出現した。黒曜石のような微妙なきらめきを持った球で、不思議と兄の部屋のような嫌な感じはしない。
「こ、これだよね」
「……すごいな。噂には聞いていたが」
空間を操る魔術は、本職でないと使えるものは滅多にいないという。さすがに竜の血族だけあり、彼は難なく使うようだ。あまり驚いた様子がなかったから、たぶん、ジョルトも使えるんだと思う。
「ちょっとだけ離れててね、大きくして扉を作るから」
球の中からジョルトの声がそう言うと、みよん、という感じで球が真ん中から広がっていき、扉のような形になる。真ん中の空間には、目をむくノルとそれとは対照的にゆったりと腰かけているジョルトがいた。
「すごいな…」
思わず口から言葉が漏れる。入ってらっしゃい、と言われるが思わず躊躇していると、ジョルトが立って、手を伸ばしてくれた。怖かったので、差し出した手をかなりがっちりと握る。
「大丈夫。この人のはかなりしっかりしてるから。途中で切れて寸断されたりしないよ」
穏やかな口調だが、言っている内容は怖い。つまりしっかりしていない扉が途中で切れたら体が寸断されるらしい。なんと恐ろしいことだろう。
「条雅君は留守番しててね。後でちゃんと返すわ」
かわいそうな条雅はまた一人蚊帳の外であった。
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志賢の部屋は思ったよりも落ち着いた感じであった。服装以外は意外に地味である。むしろ、壁などの装飾はわたしの皇太子としての部屋よりも地味だ。
「全部が派手だったら落ち着かないし、ワタシが目立たないじゃないの」
目立ちたいんだ……、と心の中で突っ込むと、なんとなく分かったのかジョルトがにやりという感じで笑う。ああ、昔のジョルトだと、少し安心した。
「なんか失礼なこと考えてそうね、あなたたち。ま、いいわそれで、ノルちゃんのお話って何かしら」
「昨日のことだ。まず、誤解を解かせてもらうと俺自身は関与していない。できるだけ自分が選ばれる機会をつぶしたくないからな」
一か八かの賭けになんて出られるか、と言う。てっきり、自分がやりましたとでもいうのかと思ったから意外だった。それくらい思いつめた雰囲気に見えたのだ。と、いうよりも今も緊張している。
「だが…気づいていた」
「気づいてた?」
こくり、と頷くと事の次第を話し出した。
ことの発端は凛麗が、宦官経由で粉をかけてきたことらしい。何とかして婿になりたいノルは、ここで振り落とされるネタを作ってはならじ、と相手にしなかったが、かなりしつこかったという。そして、凛麗と宦官の背景にさらに何かいることに気づく。
「俺は、鼻がいいんだ」
「鼻?」
ノルの母は元・近衛で、亜人の血を引いているといった。亜人とは、ほぼ人だが一般的な人間とは異なる特徴を持つものを指す。交配が可能なのだから彼らは人間であり、差別的だからやめようということが言われているが、いまだ差別はなくなっていない。
わたしとしては軍にも何人かいたから特に気はしていなかったのに、こちらに来たら亜人と呼ばれる彼らの数の少なさに驚いた。多分、政府の中枢に食い込んでいるものにはほとんどいない。
母も表向きは差別や偏見などを禁じている。混血化が進む西の帝国から色々言われたらしいので、ノルを婿候補にしたのもそれへの対策をしていますよ、という宣伝の一環だろう。
「色々ごまかしていたが、同じ匂いがしていた。それに、サゴンがもらった手紙にも同じ匂いがしていたんだ。まったく違う内容だったのに」
部屋が近いので、割と仲が良いのだといった。怪しいけれどどう思う、とサゴン・パルリョンが持ってきた手紙は、正体不明の宦官からの書庫への呼び出しだった。自分に便宜を図ってくれれば門外不出の河岸工事の資料を渡す、と。
婿への積極的な情熱はないが、中央に残る機会を作りたいサゴンは、迷った末に呼び出しには応じなかった。シウォンパムの大河の氾濫は有名だった。河の氾濫は豊かさをもたらすと同時に、毎年悲劇も引き起こしていた。
「……同じ香は使われてないだろうから、あなたは敵意や意図なんかっていうものを匂いで感じているのだと思う。亜人にはたまにそういう人がいるから」
軍にいた文官の一人は、文の音が聞こえると言っていた。文字を見ると音楽が鳴るのだと。それで本当かウソかを、かなりの確率で見分けていた。
「そうこうしているうちに、俺とサゴンの周りの人間にもおんなじ匂いがし始めたんだ。俺と、サゴンは経済的に豊かじゃないから、こっちで紹介された人間に世話になっている」
婿候補で経済力がない場合、身の回りのことをする者は帝国側から寄こされる。基本的には交代制で固定ではないから、入れ代わり立ち代わりやってくるのだといった。
「変なんだ。日に日に匂いが強くなる。でも、あれは呪いでも魔法でもない。もっと原始的なもんだ」
「そうでしょうね。呪いや魔法だったら、ワタシやこの人が気づかないわけないもの」
わたしは、条項に慣れ切れていないのと長兄のことがあり、他の候補者とあまり深く関わってこなかった。自分のことなのに。婿を選ぶと割り切ったはずなのに、割り切れていなかったようである。
もし、この間のことがわたしたち三人ではなく、ノルやサゴンだったら、どうなっていたかわからない。それだけのことだった。急に恐ろしくなる。
「それで、昨日だ。あんたたちの…、周りの宦官からぷんぷん匂いがしていた。俺たちの組もしていたが、それほどではなくて…伝えようかと迷っているうちに行ってしまった」
悪かった、と頭を下げてくる。本当に王族らしさがない人だ。気はちょっと小さいみたいだけれど、なんとなく好感を持ってしまった。
「まあ、そのことはもう大丈夫よ」
「ええ、あれくらいだったらどうにでもできましたから」
「そうですね、結局何もなかったし」
三者三様に答えると、少し彼の顔が緩む。年よりも少し若いくらいに見えた。
「でも、どうしていきなり今日は声をかけようとしたの?」
昨日まではためらっていたのに、と志賢は小首をかしげた。自分が犯人じゃないならば、放っておいたら競争相手が消えるのではないか、と少し意地悪く言う。
「……迷ったさ。でも」
ぎゅう、と膝の上のこぶしを握り締め、彼は口を開いた。
「ティウ王子から、その匂いが香ってくるようになったからだ。……それと、本殿からも。アンタたち三人と、その周りに人間からだけは、そんな匂いがしなかった」
―……それって、結構やばくない?




