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後宮へようこそ  作者: 九重たまこ
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後宮へようこそ ①

その日、わたしは町をぶらついていた。毛の外套に、縫い取りの一つもない上衣と細袴という上級貴族の娘らしからぬ質素な格好だが、この方が動きやすい。

 久々に父とその側近の目を盗み、ようやく出てこれた最高の休日なのだ。女性らしい窮屈な恰好などしていられない。まあ、自主的な休日だが。

 そのようなわけで、張り切ってここのところの缶詰でなまった体をほぐすべく、精力的に活動した。かわいらしい幼女からカツアゲをもくろんでいたチンピラをのし、記憶が若干怪しい老婆を背負って丘の上の病院に連れていき、道に迷った少年を薬局に送り届け、立ち始めたばかりの焼き栗の屋台で、袋いっぱいの焼き栗を買ってほおばりながら店を冷かし、ちょっとした満足に浸っていた。毎年、焼き栗が何といっても秋の楽しみなのだ。

 学士院試験に向けて毎日毎日詰め込まれる勉強にうんざりして、屋敷を抜け出してきたのだった。中等学院を卒業したはいいが、家にいると半年ほど先の学士院試験に向けて、容赦なく課題が積み上げられる。大好物の栗も買いに行けないほどに、毎日課題の山に埋もれていた。たった一人の娘であっても父は甘やかしてはくれない。

 ところが、昨夜、焼き栗の屋台が立ったと友人からの文で知り、思い切って抜け出してきたのだ。その甲斐あって、なじみの店に行くことができた。いくつも屋台は出るのだが、この店が一番おいしい。焼き加減が絶妙なのだ。ぽくぽくした触感と香ばしい香りがたまらない。

 そんなわけで、抜け出したという以外には特に変わりのない日常だった。家を抜け出すくらい、物心ついたころからやっている。自慢できることではないが。

 そう、抜け出すのにぴったりの、冬に向かいつつある空は高く、空気はきりりと澄んでいて、最高の散歩日和だった。だから、父からのちょっとしたお小言を聞いてもまあ、自業自得だし、と正々堂々と門をくぐったのだった。自分がしたことが悪いことぐらいはわかっている。

 だが、その途端、門のところに控えていた父の腹心の一人、梨艶りえんに捕まった。相当やきもきしていたらしく額に青筋が浮いている。思い切り捕まえられた腕が結構痛い。見た目はたおやかな女性だが、軍人なだけあり力は相当強い。わたしに甘い梨艶にしては珍しかった。


「い、痛いです!」

「思いっきりつかんでるんだから当たり前です!!嘉瑤かよう、どこにいたんですか?!帝都からお母上の使者がいらしてますよ!」

「え、母上の?」


 母から連絡があるのはものすごく珍しい。わたしは物心ついたときから、父と二人でこの北の地で暮らしている。母は時折早馬をよこすか、兄たちとこの地に訪ねるかくらいだ。


「早く執務室に行きなさい。朱伯しゅはくが待っておられます」

「あ、はい…」


 常にない剣幕に、慌てて焼き栗の残った袋を外套のおとしにぎゅうぎゅうと入れ込んだ。


 

 あわてて外套を脱いで梨艶に預けて執務室に行くと、難しい顔をした父が上座を降りて立っていた。そして、父がいつもいる場所には黒づくめの男性が立っている。衣装の様式は帝都のもので、上から濃い紫の帯を締めていた。

 あの格好は知っている。葬儀を告げる使者だ。何か不幸があったのかと、心臓がはねた。しかも、位置からすると、亡くなったのはかなり身分が高い人だ。


「失礼いたします、父上。あの、御呼びと伺いましたが」

「そうだ。おまえにも関係のあることだから、呼んだのだが……。部屋にはいなかったようだな」


 紺色の瞳がじろりとわたしのことを見据えた。なまじ整っている顔なので、にらまれるととても恐ろしい。生まれた時から見慣れているはずだが、いまだに恐怖を覚える。


「……も、申し訳ございません」

「まあ良い。そのことについては後だ。至急、部屋に行き、当座のものを用意しなさい」

「は、はい!あの、お葬儀ですよね。どなたが…」


 どうやら自分の関係者らしいということは分かったが、どの階級の者かにより着ていく喪服が変わる。地方に飛ばされているとはいえ、上級貴族の子弟である嘉瑶が着ていく服は結構ややこしい。


「……嘉瑶、そこの御使者殿より封書を受け取りなさい」

「わたしが受け取るのですか?」

「ああ、そちらはおまえ向けだ」


 使者の男性が黒塗りの盆にのせた封書を差し出してきた。

 例をし、そっと封を開くと、ふわりと母が愛用している香が立ち上る。そして、母の声が告げた。

『嘉瑶、落ち着いてお聞きなさい。あなたの兄の至虹しこう慶節けいせつが亡くなりました。葬儀がありますから、即日こちらにいらっしゃい』

 それが、すべての始まりだった。


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