後宮へようこそ ㉓ とある皇子の受難
その日は新月だった。よくよく考えれば、あえてそんな日を選んだのだろう。以前から、時々兄のお忍びに付き合っていたから、護衛がてら来てくれ、という言葉は疑わなかった。兄の予備でしかない自分は、盾代わりによく使われていたからだ。
それでも、兄を尊敬していたし、それも仕方がないことだと許容していた。彼はその信頼に足る人物であったのだ。容姿端麗で頭も切れる、優秀な人物だった。やや感情が通わない部分があったとしても、それは上に立つものとして教育を受けたからだと思っていた。
当日の護衛は自分を含めて5人。それに御者が一人。お忍びなので、そんなに少ない人数というわけではなかった。まあ、お忍びといっても、きちんと許可を取った公式のお忍びだ。
兄・至虹の収める領地を見に行ったのだ。彼の納める土地は都からは半日程度の距離にあり、何事もなく終わったが、存外、時間がかかり夜になってしまった。また、彼の侍従にどやされるだろうかと思うと少しばかり憂鬱になる。
そんな時だった。当然帰るだろうと思っていた馬車は、突然、音を立てて停止した。不審に思い、周りと顔を見合わせる。だが、護衛される本人はにこにこと笑っており、特に不安は感じていないようだった。
だが、何があっても困るので目で合図をしつつ、中に護衛を二人残し、魔石を使った照明を片手に外に出た。
明かりに照らしだされたそこは下町のはずれの草地だった。友人がいるために下町には少々土地勘がある。ただ、祭りの日以外、ここを通りかかるものはほぼいない。
「おい、御者。何をやっているんだ」
声をかけ、その肩に手をかけると、それは人ではなかった。木偶であった。乗った時に御者が着ていた服を着てはいるが、顔がない。一瞬ひるんだ途端、後ろから声が上がった。
「いったい何を…っ!?」
「ぐぁ…っ!!」
声の直後、金属的な匂いが鼻を突いた。これは、血だ。
「あーあ。あっけないねぇ」
彼の声が暗闇に響く。明かりを向けるが、馬車の反対側で起きているので、馬車に阻まれ、様子がよく見えない。
「護衛なんだからもうちょっと歯ごたえがあてもいいはずでしょ?」
回り込み、明かりを向けようとした途端、骨を断つような音がし、その後に水分を含んだ重たいものが落ちる音がした。
「…これ、は」
明かりを向けると、そこには足元には赤い水たまりと、つい先ほどまで一緒に仕事をしていた仲間だった者たちの一部と思われるものが転がっていた。
「つまんないよね、こんなんじゃ。お前なら、ちょっとは楽しませてくれる?」
そこにいたのは先ほどまで護衛対象だった、血にまみれながら笑う国の皇太子、そして異父兄であるその人であった。
ギィンという重い、金属同士のぶつかる音があたりに響き渡る。上から体重をかけられた攻撃を、愛刀は何とか受け止めてくれた。異様に重い斬撃は、おそらく魔力を流し込んでいるからだろう。斬撃を防ぐたびに周りに小さな稲妻が走る。
やはり魔力を帯びた愛刀で、直接的な被害は防がれていたが、重い衝撃は徐々に手足に微妙な痺れをもたらしていた。
がくん、と力が抜けて、思わず膝をつき、もう一度刀を受け止める。
その様子を見て相手の顔がにやりと不気味に歪んだ。心底うれしそうな光が目に宿っている。その表情に命の危機を覚える。
だが、止めてくれそうな仲間はすべて屠られ、あるの幾つもの無残な遺骸と壊れた馬車だけだ。今、この場に生きているのは自分と、目の前の嬉々として刀を振るう男だけだった。
「…っなぜこんなことを?!」
足にも魔力をいきわたらせて体制を立て直しつつ、相手に問う。どうやら自分を一気に楽にするつもりはないらしく、なぶり殺しにするようだった。微妙な間を与えるのがその証拠だろう。
「なぜ? 楽しいからに決まっているだろう?」
彼の秀麗だとたたえられていた顔は血に染まり、目には歓喜と狂気が宿っている。自分のほうが武術では勝っていたはずだったが、防ぐだけで手いっぱいだった。
魔力との合わせ技でも互角だったはずなのに、何かがおかしい。尋常な力ではない。まるで何かが作用しているように、いつもの彼とは異なっていた。
「お前のその顔! 堪らないな。一度、思い切りゆがめてみたかったんだよ」
「…ッこの!」
勢いよく抜いた一撃は、彼の衣服の一部のみを裂き、本体には傷ひとつ付けられなかった。だが、それが怒りを買ったようだった。
「はっ! 生意気な」
彼の手に光る七色の魔石の緑がひときわ強くが光り、突風が起こった。それが四肢を切り裂き、傷つけていく。先ほどの自分の攻撃と違い、見事に服と中身の両方に痕をつけていった。
「ぐっっ!!」
立っているだけでやっとだった。両手両足に魔力をいきわたらせても、これではほんの少しの時間稼ぎにしかならない。逃げようにも通ってきた通路は先ほどの攻撃で崩落。さらにその前には彼がいた。
「お前の無責任な賞賛と、正義感には反吐が出る…ッ。ずっとずっと目障りだったよ」
そういってもう一度突風が浴びせられた。その衝撃で愛刀である刀が手から吹き飛ばされ、全身を風でなますのように切り刻まれる。もはや、自分はどのような容貌になっているのだろうか。傷ついただろう頭から血が目に垂れてきてかすむ。
「尊敬……、して、いたんです」
― 貴方をずっと。
物心ついた時から尊敬していた。美しく頭脳明晰で、統率力にあふれていた。母や周りの者たちの愛を一身に受けていた兄は、嫉妬を通り越して尊敬の対象だった。あのようになりたい、少しでも近しく、役に立つようになりたいと思い、護衛だって自分から志願していた。
「は…ッまだ言う?!」
感情が爆発したのか、彼の手首にあった魔石が欠ける。まずい、と思った。魔力の暴走が起こってしまう。兄の魔力が暴走したら、今いるここが下町のはずれで人がいない場所でも、その範囲だけでは済まない。地域一帯を巻き込んでしまう。
もはや、この命は助からないだろうと思う。攻撃魔力では、到底彼にはかなわない。だが、防御魔法ならば自分のほうが得意だ。制御方法も。
― イチかバチか…
不幸中の幸いと言おうか、先ほどから散々殴られたり切られたりしていたために、そこら中に自分の血痕が散らばってる。これを媒介にできれば、と思い。首についていたビン状の首飾りを引きちぎった。
中には竜の血とそれに浸された竜の鱗が入っている。本当にもうだめだと思った時に飲め、と親友に渡されたものだ。お前の力になるだろう、と。
何が起きるかは知らないが、今が死の淵に立っていることは間違いない。それをあわてて口に含み飲み込む。血ではないような不思議な味がしたが、飲み込んだ途端、魔力が回復していく。
驚きつつも回復した魔力で四肢の力を強化し、兄から必死の力でやや距離をとった。そして今度は耳についていた七色の魔石がついた飾りをむしり取り、地面に突き刺した。耳朶が切れたのが分かったが、気にしている暇はない。
「今更どういうつもりだ?何を訳の分からない行動をしている。…気が変わったよ。もう少し遊んでやるつもりだったけど、これで最後にしてやる。目障りだ!」
気が高ぶっているのか、手の魔石にひびが入っていることなど気にしていないのか、彼は呪文を繰り始めた。こちらがもはや逃げられないことは分かっているのだろう。何をしても気にしていないようだった。
「愚かな第二皇子は哀れで美しい皇太子を手にかけようとして反撃される…。お前にふさわしい筋書だろう? さあ、お前の最期だ!」
風の塊が投げつけられる。まともに受けたらみじん切りにされるほどの威力だ。あの魔力の暴走状態だと、それがここいら一帯を駆け巡ってしまう。
彼の手をその緑色の塊が離れる瞬間、地面に突き刺した飾りに魔力を込める。すると、自分の血が一番遠くとんだところから土の壁が出来上がっていく。
あらかじめ仕込んでおいた防御壁だ。本来、兄や母を守るために作り上げたものだった。緑の塊と兄を包み込むように土壁が完成する。爆発するほんの一瞬前のことだった。
ドンという衝撃とともに土壁に亀裂が走っていく。だが、これだやめるわけにはいかない。ところどころ緑の光が漏れていくところに力を込めていく。漏れ聞こえてくるすさまじい風の唸りの隙間に、兄の悲鳴が混じっていた。
どれだけそうしていたのだろうか。中からうっすら見える緑の光が消えてなくなるころ、魔力がほぼ尽き、上部から土壁が崩壊していく。血が流れすぎたのか、意識がもうろうとしていた。それでも、わずかに残った魔力を注ぎ、防ぎきろうとする。
だが、もろくなった壁を突き破るように衝撃が走った。
「お前、オマエぇ…っ! よくモォォォ」
はたしてその中に彼は立っていた。だが、もはやそれは生き物としての形を成していない。動いていることに驚愕した。
いったい彼の身に何が起こったのだろうか。あれは、人ではない。もはや、物の怪とか悪鬼とか言ったたぐいだ。
背筋に冷たいものが走る。自ら死を悟った。
一瞬ののち、兄だったものの腕が、自分の体を突き破った。痛いとか、苦しいとかいうよりも熱いという感覚だった。だが、最後の最後に手に持った、たぶん刃物で彼の首をはねる。
ごとり、という重い音がして何かが転がった。
そして、目の前が真っ暗になり、脳裏に走馬灯というのだろうか、今までの人生が去来する。客観的に見ると、あまり面白くない人生だったな…と思う。
それでも物質的には恵まれていたから、いいほうなんだろう。だけれども、言われたことだけやってきた人生だった。今度生まれるときは自分のためだけに行きたい。
……最期に見るのが化け物のようになった兄だとはむなしい、と思った。




