後宮へようこそ ⑲
御者がいないと確認した途端、志賢は慌ててその小さな窓をたたき割り、身体が通れる分だけの隙間を空けると、飛び出して御者台位に移り、手綱を握った。
風圧で一緒に木片が飛び散る。普段ははんなりした様子なのに、すごい力である。
そして、手も傷ついていないようであった。頑丈だ。
「止まんなさいって!」
物音と振動に馬が驚いたが、それよりも先に志賢が御者台に踏ん張り、手綱を思い切り引っ張る。その途端、四頭の馬が後足で立って、嘶き、停止した。轡でこすれた馬たちのよだれが泡立っている。
ぎぃいという車輪がきしんだ音がして、馬車が急停止する。土埃と共に、車輪の木片が飛び散った。停止した馬車は傾いていた。
おかげでかなりの衝撃が走ったが、放りだされることもなく、全身を座布団のような柔らかなもので包まれる。隣のジョルトが、淡く発光していた。どうも、魔法を使ってくれたらしい。
「と、止まったぁ」
思わず口からそんな間抜けた言葉がついてでる。慰めるように、ジョルトの手が肩をぎゅっと握ってくれた。すんごくいいにおいがする。
昔から、ジョルトに抱っこされると落ち着いたものだ。お母さんがいたら、こんな感じかな、といつも思った。
「大丈夫?けがはなかったぁ?止めようとして少し無茶しちゃったから」
後ろを振り返り、志賢が訊いてきた。汗一つもかいていない。若干髪が乱れていたが、化粧は落ちないままだった。
「大丈夫ですよ。僕も、この子も」
ドキドキしているうちにジョルトが答えてくれる。そのまま二人して馬車の外に出ると、馬を走らせるには不向きな、込み入った森が広がっていた。
あちらこちらに小石が転がっている、荒涼とした風景だ。確か、長兄が亡くなった都の郊外がこんな風だったと思う。そして目の前には森。
「無事でよかったわ。…でも妙ね。太陽の位置と植生からすると、ここ、結構外れてるわよ」
もし、長兄が亡くなったあたりだとすると、ほぼ真反対に来たことになる。同じ時間だけ移動していると考えると、目的地からはだいぶ距離があった。
「そうですね。御者の人の気配も見えないし。変だなぁ」
周りには人っ子一人見当たらない。いるはずだった御者も消え失せている。だが、道がうねり始めたのはそう遠い頃ではないから、近くにいるはずなのだが。
「誰かが手引きしてたのね、きっと。魔法の痕跡があればそちらのジョルト様が気づいたはずだもの。ワタシもね」
そう言って、ちらりとこちらを見るまなざしは、化粧の効果もあって結構鋭い。
「そうですね。用意周到に仕組んでたんでしょう。魔力の関与はあまりないようですから、音を立てず、足の速いネコ科の騎獣でも用意してたんでしょうね。そちらの探索はあなたの得意分野ではありませんか?志賢殿」
なんだろう。心なしか、ジョルトと志賢の間に緊張が走っている気がする。さっきまで、あんなに和やかだったのに。
しかも、私、ジョルトにさりげなく後ろに庇われている。そして、急激に目に見えるほどに濃い、虹色の魔力に守られる。
「あら、気づいてらしたの。てっきり気づいてらっしゃらないと思ってたわぁ」
手を頬に添え、上品に笑っている志賢だが、目は笑っていない。その途端、急激な寒気に襲われた。例えれば、絶対的な強者に正面から睨まれている感じだ。
ジョルトの気は強いけれど暖かく包み込むような感じなのに対し、志賢の放った気は非常に圧が強かった。気を抜いたら食い殺されそうな恐ろしさがある。
「あれだけちらつかせといてよく言いますよ。ほら、今も」
「大丈夫よお。安心なさって?貴方に対抗したですもの。エサクの王兄であるあなたの意図が知りたかっただけだから。でも、ほっとしたわ、そのお姫様のこと、守る気なのね。ワタシと一緒でよかったわ」
にこり、と先ほどと違い、心からという風に笑うと、圧倒的な気を引っ込めた。なんという器用さだ。思わず強張ってしまったからだから力が抜ける。
しかし、ちょっと待ってほしい。
今、この人はわたしのことを姫と言わなかったか?
「今、志賢さん、姫って……」
「そうよぉ。ワタシ、貴方のことを守りに来たの、お姫様」
あでやかに彼は微笑んだ。
今回は短いですが、キリがいいのでこんなところで。




