後宮へようこそ ⑫
彼らが下がった後、早々に皇太子宮に戻った。化粧を落として着替え、母に会うためだ。もう一度湯あみをしなければならないほどに白粉をたっぷりと塗っていたので、湯に浸かる前に海綿と油を使って散々こすり取られた。湯につかると肌がひりひりする。
「姫様、こちらにお召し替えを」
風呂から上がり、全身を拭われた後に香油や何かを塗りたくられ、新しい服を手際よく着付けられる。魔法で髪も乾かされ、先ほどまでの私とは別人となった。
着つけられたのは、質はいいのだがごくあっさりとした服装で、女性にしては地味で男性にしては若干煌びやかだ。形式も男でも女でも共通の、庶民の第一礼装にあたるものだった。貧乏な貴族なんかも着ている。
要するに、生地以外はわたしがエサクでいつも来ていたものとほぼ同じ形式だ。いつも母と会うときにはもう少し装飾が華美なものなので、なんだか拍子抜けした。おまけに化粧もほぼなく、軽く肌と眉を整えただけであった。
「いつもの服とだいぶ違うのね」
「皇帝陛下のご命令でございますわ。この格好でいらっしゃるように、とのことです」
最後に飾り帯を結び付け、髪を高い位置で結ったらそれで仕舞いだ。これまで、やたらに女性らしい恰好を押してきた母にしては珍しい。だが、動きやすいので特に異は唱えない。久々にしっくりとくる格好だった。
「さあ、姫様。陛下の執務室に参りましょう。お約束の時間まで後、四半時ほどですから今から行けば丁度いいころ合いでしょう」
皇帝の執務室までは身体検査等もあり、結構行くのに時間がかかる。それに事前に行って待つことは臣下の常識である。わたしは子どもだが、彼女の臣下にあたるので、その礼を失してはならない。
「では、まいりましょうか。誰が案内してくれるのかしら」
「私と、皇太子付きの近衛隊長・黒で参ります。優秀な娘ですわ」
その声に導かれるように、父と同じか、ちょっと低いかぐらいの、甲冑に身を包んだ背の高い女性が現れる。わたしよりも若干目線が高い。年のころは二十四、五だろうか。
「皇太子殿下、お初にお目にかかります。黒陵星ともうします」
「これからよろしく頼みますわ」
背は高く、一見中性的だが、よく見ると顔立ちは美しく整ってる女性だった。きっと化粧をすると色っぽくなるタイプだ。手は武器を持つ手らしく結構骨ばっている。色が白く長い指は、少しマチアスの手に似ていた。
はきはきと礼をとる彼女の顔は、どこかで見たことがあるような気がした。
____________________________________________
皇帝の執務室の前には小さな部屋がある。来客が待つためと、前の客人と鉢合わせしないためである。身体検査を終えてそこに入ると、新しい護衛の凌星と蒼夫人と三人になった。奥でバタンという音がしたから、前にいた人が出ていったのだろう。
それから少しすると、皇帝付きの近衛が戸を開け、入ってきた。
「皇太子殿下。皇帝陛下が御呼びです。蒼夫人と黒隊長はこちらで待機するようにとのことです」
彼はわたしのことを一切見ない。紹介を受けていない高位の者をを、直接見るのは失礼だとされているためである。知ってはいたものの、いちいちこのような場面で確認するたび、なんだかなぁ、という気分にさせられる。
待機、という言葉に一瞬、黒隊長の戸惑いが走ったので、先にわたしの側で視線で制する。彼女は皇帝の命令ではなく、わたしの命を聞くようにと軍で教育されているはずだ。
「分かったわ。案内なさい。蒼夫人、黒隊長、こちらで控えていて頂戴ね」
「……承知いたしました」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
不承不承という感じではあったが、二人がうなづいたのを見て、先ほどの男に案内を頼む。
といっても、隣の部屋なので、大した距離ではない。戸を出て、20歩ほど歩けばもうそこは皇帝の執務室の前である。
「皇太子殿下のおなりです」
執務室の前に控えていた衛兵が大きな声でなかに向かって叫ぶ。すると、内側から重そうな音がして、戸が開かれた。
「入るがよい」
静かだが、よく通る声が響く。それは母ではなく、皇帝の声だった。今日は化粧が控えめで、普通の人っぽく見える。
中に入ると、戸を開けてくれた者も外に出てしまった。部屋の中に残されたのは、わたしと皇帝たる母のみである。
「そこにお座り」
「はい」
執務机を離れ、長椅子に向かう母に指示されたのは、その向かいにある、同じく絹がはられた一人掛け用の肘掛け椅子だった。
「いい男はいたか?」
「いえ、よくわかりません」
絵姿しか見ていないので、本当によくわからなかった。ジョルトが来ることだけが心の支えなのだが、婿というのともちょっと違う気がしている。
「ふん、まあ、とりあえず選んで、気に入らなければ新しい夫を引き入れればよい。まあ、ギレトの血筋のものだけは、政策の観点から残しておくれ」
わたしが押さずとも、ジョルトは決定事項らしい。ギレト神族とはかくも権力欲をそそるものだろうか。確かに、不思議な一族ではあったが、さほど人と変わっているとも思えなかった。
「それは、ええ。今のところはそのつもりでおります」
「そうか。それは結構。ところで、今日はそれにも関連しているのだが、別件で話があって呼んだのだ」
それまで、どこか遠くを見ていた母がこちらを見る。少し前に会った時よりも少々面窶れしたような感じであった。それは、皇帝ではなく、一人の母であった。
「お前に、後宮に入ってほしいのよ」
言葉も母のものに代わっている。
「後宮に…とは、その選びに行けというわけではないですよね」
皇太子として、後宮に入ることはこれからあるだろう。何せ、選ばなければならないのだ。彼らは正式に選ばれるまで、皇太子宮に入ることはない。
「いいえ、候補者の一人として、よ。幸いお前の立ち居振る舞いは意図しない場合、男に近いから、そのままふるまってちょうだい。そして…これが本題よ。お前の兄たちに何があったか、調べてほしいの」
そういうと、母は机の引き出しから一冊の書物を取り出した。なかなかに年季が入った代物だ。そして、なぜ母がそれを普通に持てるかわからないほど、不気味な気を発していた。わたしは、魔力はさほど強くはないが、そういうものは見えるのだ。
「これは、お前の長兄・至虹の持ち物よ。日記というか、覚書というか、そういう代物で、つい先ごろ皇太子宮で発見したの。…あの部屋でね」
父が近づくなといった部屋だった。外からでも禍々しい気が感じられる部屋。外の漏れ出てはいないから安心してはいたが、たとえ綺麗にされたってあまり使いたくなかった。
「至虹兄上と慶節兄上に一体何があったのでしょうか」
ここにきて、色々探っては見たけれど、だれもそのことについては話してくれなかった。口止めをされているというよりは、本当に誰も知らないようであった。一国の、それも帝国という大きい国の皇子であるにもかかわらず、宮中で二人の死因については知る者はいなかった。
「分からない。だから、それを探ってほしいのよ。至虹はおそらく、何者かに殺害された。そして、その前から何らかの呪詛に罹っていた可能性があるの。皇太子宮からは、これしか見つからなかった。でも、あの子がそのほかに長く入り浸っていたのが後宮なのよ。皮肉なことに、妻から逃れるためにね。さらに、慶節に関しても不審な点があるの」
長兄は皇太子宮で三人の妻と暮らしていたが、元居た後宮に入り浸っていたらしい。妻から逃れるために高級に出入りしていたならば、兄に子ができなかったのもうなづける。
「それで、わたしに探れというのですね」
「そう。候補者の人となりを探るのにもちょうどいいでしょう。わたくしの心配を晴らすにも。貴女には期待しているのよ」
こちらを試すような目で、母は見つめてきた。
つまり、増えた候補者というのはわたしであったらしい。




