後宮へようこそ ⑨
レヒネル・ギレト・ジョルトはわたしの3つ上の幼馴染だ。数年前、彼(とりあえず彼としておくが)が進学のためにエサクの離れるまで、一緒に勉強したり遊んだりと週に数回は会っていた。エサクの首都・コゼーシュに隣接するシャシュの領主の子どもとして。
その時の名前はシャシュ・ジョルト。わたしの親友・アディルの兄弟だった。エサクの王族とは知らなかったが、そこはわたし同様何らかの事情があったのだろう。
父が仕掛けたというのは、間違いなくこのことに違いない。
優しくてきれいなジョルト。常に男性でも女性でもない姿だったが、どちらかというと面倒見がよくて子供好きで、兄というよりは姉に近かった。どこか人間離れした雰囲気は、ギレト神族と言われれば納得する。
「他にもたくさんございましてよ。この方など、姫様の遠縁にあたる方ですわ」
ジョルトの後に取り出されたのは端正な顔立ちの男性だった。ほりの深さからすると、おそらく西の大陸の血が入っているだろう。着ているものは服装は平民の正装で、色は地味だが、刺繍や前立てのつくりなどは恐ろしく凝っている。どれだけの手間と暇がかかっていることか。身長百九十丈とあるから、色味がほかになくともそれだけで見栄えがするに違いない。
「庚志賢とありますね。生まれ育ちはわが国で、年は二十四歳。殿下よりは幾分年上にはなりますが、条件は最高です。身分こそ平民ですが、実母が澄国の王妹、祖母は先代皇帝の従妹にあたられます。実父はなんと羅家の当主ですよ」
羅家は我が国でも指折りの富豪だ。特に繊維業、服飾で財を成してからのち、金融業に手を出し、成功した。歴史も古く、何度も配下にするべく貴族の称号を与えようと皇帝たちがしたようだが、そのたびに自由がなくなるということで断ってきたということでも有名である。
「……すごいな」
釣り書きを見聞している最中に条雅がポツリと漏らす。めったに見られない。
「まあ、何がすごいのかしら」
「いえ…。殿下はリーニュ商会はご存知ですか」
「ええ、知っていてよ。支店があったからエサクでも見かけたもの」
リーニュ商会はここ七、八年ほどで台頭してきた会社だ。西の大陸や、極北のアテイスタなどという我が国の支配下にない国々の物品を集め売っている会社だ。小物から食料品まで非常に幅が広い。それらを各国で受け入れやすくして、最先端の流行を作り出している。
高級品に関してはわざと各国の首都にしか店を作らず、希少価値を保っていることでも有名だ。
「この方が創設者で会頭です。これだと、学生時代に立ち上げたことになりますね」
「つまり、この方を姫様がお選びになれば、持参金がたっぷりということですわ!」
絵姿をつかみながら、蒼夫人が喜色を浮かべる。
今のところ、我が国は財政的にはさほど逼迫していない。それは、宗教的な基盤と帝国の礎となるものがあるために、必然的に人が集まってくるからだ。大河による交通網が発達していることもある。
だが、この数か月で皇帝の子息たる兄達の葬儀があり、墓を作り…となると出費は少なくない。そしてお金はもちろんあったほうがいい。
「ま、まあ…。ではとっておきましょうか。条雅、そちらにとっておいてちょうだい」
「かしこまりました」
そんな感じで、作業をどんどんと進んでいった。最終的には、私はもう三人を選び、あとは母たちの人選に任せることとした。とりあえず、五人ほど選べばよいようだ。
百人近くいた中から選んだのだから、わたしだって頑張った。
すべての婿候補が決定したのは、その作業のわずか三日後だった。母の思惑にはまったのか、趣味があったのかはわからないが、わたし達が選んだ候補がほとんど却下されなかったからだ。最終的に候補者は八人となった。
「明日はいよいよお目通りの日ですわね、姫様。楽しみですわ。あれだけたくさんの殿方がそろわれることはあまりありませんもの!」
「わたくしはあまり気乗りはしないけれど、目の保養にはなるかもしれないわね」
蒼婦人がいるので、妙に丁寧な口調で従姉の凛麗が、わたしの髪を櫛ですきながら言った。凛麗は条雅の父親違いの妹だ。わたしが皇太子になったについて、侍女として宮中に上がった。
「あなた方、そんなにはしゃいで…。姫様のお相手候補で、あなた方のお相手ではないのですよ。くれぐれも押しかけたりなんだリしないようになさい」
はしゃいでいるのは凛麗だけではない。なぜならばわたしの候補から外れた人々に対して、彼女たちが誘いをかけることが認められているからだ。国にとって有益な人材を引き留めておこうという、皇帝をはじめとした上層部の判断だ。
わたしの周りの侍女たちは富豪の娘か、中級貴族以上の貴族の娘がほとんどである。そして、皇太子宮に来てしまった以上、男女の出会いは非常に少ない。
そんな彼女たちにとって、候補者たちは才色兼備なうえに、身辺をきちんと調べられているため、とても魅力的な婿候補なのだ。
「では姫様、明日は日の出とともにこちらに伺います。くれぐれも夜更かしなどなさりませぬよう。…凛麗、雪華、下がりますよ」
ちらりと婦人はわたしに視線をくれた。わたしの従妹で乳兄弟、という立場に胡坐をかいて仕事をさぼりがちな凛麗のことを、彼女は快く思っていない。わたし自身、どうかなぁとたまに思うが、知っている人がいたほうがいいのは確かだから、今のところ特に何も言っていない。
そうして、彼らは下がっていき、わたしは部屋に一人となった。部屋の外にはもちろん寝ずの番のものがいるのだが、部屋の中にはいない。
唯一の休息の時だ。そのため、最近は若干夜更かし気味になっていた。しっかりと婦人には見抜かれていたらしい。
「いい人がいるといいなぁ。どうせ選ばなきゃいけないなら、好きになれる人がいいもんねぇ…」
寝台の上で燭台の光を使って釣り書きを読む。
はっきりいって父の顔のおかげで、わたしは顔にこだわりはない。あの顔の前では、たいていの顔はかすむ。もちろん立場上、見栄えがするほうがいいが、それよりも心の安寧が大事だ。
重視するのは性格と……、外見というならば筋肉である。
筋肉はいい。それも作ったものではない、実用的な美しい筋肉がいいのだ。父にしごかれるのは嫌だったが、周りの躍動する筋肉が見られたのは楽しかった。
ここの所そういう楽しみがないのだ。
候補者も、あまりにほっそりとした体格のものは除外した。
抱きついたら骨が折れてしまいそうな相手は嫌だ。
願わくば腹筋が六つに割れてくれているといい。あまりむきむきでも嫌だが。
釣り書きはかなり詳細で、それを読むだけで意外に面白い。複雑な背景の人が多く、まるで物語を読んでいるみたいだ。想像の余地がたっぷりある。
そんな風に没頭していると、紙以外のカサカサという音が耳に届いた。
― なんだろう? 寝ずの番はもっと重い音がするし…。
釣り書きをそっと寝台のそばの机に置く。そして枕元に置いてある刀を握る。かすかに金属が触れ合う音がした。
裸足で寝台を降りる。これだと音がほとんどしないのだ。足の裏に石の冷たさを感じる。
カサカサ…とまだ物音はしている。軽くて固いものが石にこすれるような感じだ。足音を忍ばせ、音源の方向に腰をかがめて近づいていく。
そして鯉口を切り、音源にひたりと突き付けた。
そこにいたのは、鈍色の虫類だった。石と一体化したような色である。
― ………ト、トカゲ?
そこにいたのはトカゲだった。五十丈はあるだろうか。城内でヤモリは見たことはあるが、それにしてはあまりに大きかった。大きな金色の目が結構かわいい。
「お前、どこから来たの?見張りに見つかったら切られちゃうよ」
小声でこっそりと話しかけると、まるで猫のようにトカゲはゆっくりとまばたきをした。
「トカゲって大きいんだね」
そういうと、トカゲはフンっと鼻息を荒くし、三白眼でわたしを見上げてきた。まるで言葉がわかるかのようである。自分はトカゲではないといっているようにも見えた。
「トカゲじゃないの? じゃあ、ヤモリ」
ちょっと楽しくなってきて、もっと話しかけると、トカゲの目つきがますます悪くなった。尻尾がびたんびたんと床を叩いている。
「ええと、ヤモリでもないのか。おなかの色が違うからイモリでもないしなぁ…。あ、まさか竜だったりして」
思わず思いつきでいうと、先ほどのように目をゆっくりと閉じ、自称・竜は首肯した。
竜というにはあまりに小さく、そしてあまりにトカゲに近い。
だが、その時窓から劇的に一筋の光が当たり、竜の背にあたった。
そこには、確かにあったのだ。確かに、折りたたまれた、体と同じ色の羽がついていた。あまりにぴったりと体に張り付いていたので気づかなかった。
触ろうとして思わず、驚いて刀を床に置く。すると思ったよりも派手な音が立ってしまった。
外にも聞こえたのだろう。寝ずの番がためらいがちに戸をたたき、声をかけてきた。
「…皇太子殿下?何かございましたか?」
「い、いえ! 何もないわ。水を飲もうとして水差しにあたっただけよ。お下がりなさい」
そう返事をして竜がいた場所に目をやると、不思議なことに竜はそこから忽然と消え失せていた。




