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シルヴァランドの人々

おいしい和菓子は私を救う!

作者: 有喜志寿実

 今の流行りに便乗してみました。何気に私の作品では初の短編です。

「アシュリー・エルストン侯爵令嬢!シュナイダー・シルヴァランドの名において貴様との婚約を破棄し、代わりにジェシカ・エルストン侯爵令嬢との婚約をここに宣言する!」


 王立クロスシード学園の卒業パーティで、金髪碧眼の美青年が高らかに宣言するのを横に、銀髪赤目の美少女はその瞳に何の感情も写すことなく静かに佇んでいた。青年の傍にはストロベリーブロンドの髪と緑色の目を持つ愛らしい顔立ちの少女が立っていた。

 青年はこの国・シルヴァランドの第一王子、シュナイダー・シルヴァランドで、その傍らに立つのはジェシカ・エルストン侯爵令嬢だ。銀髪の少女、アシュリー・エルストン侯爵令嬢とは異母姉妹になる。

「残念ですが、この国の国母には貴女ではなくジェシカ姉上の方が相応しいのです。嫉妬に狂い、数々の嫌がらせをし続け、エルストンの名を汚したアシュリー姉上よりも、ね。」

 アシュリーと同じ髪と瞳の色を持つ少年、アシュリーの実の弟であるヴァルス・エルストン侯爵子息が汚らわしいものを見るようにアシュリーを見つめる。彼だけでなく、宰相の次男・騎士団長の長男・この国有数の商家の後取り息子などそうそうたるメンバーがヴァルスと同じ目でアシュリーを見ていた。

「…お姉さま、私はお姉さまが罪を認めて謝ってくだされば許したいのです!お願いです!どうか…!」

「ジェシカ…!」

 涙をたたえながら健気に姉を許そうとする姿にシュナイダーだけでなく、その場にいるもの全てが彼女を称賛の眼差しで見つめていた。しかし『アシュリー』はここで決して自分の罪を認めはしないのだ。ジェシカの学園生活で悪い噂を流したり、相次ぐ嫌がらせを行わせていたり、挙句の果てに彼女を亡き者にしようと刺客を放ったとしても、プライドの高い『アシュリー』は、決して妹に許しを請わない。『アシュリー』はその釣り目を吊り上げて、こう言うのだ。


「『それでも私はやましいことは何もしてはおりません。ですので、貴女に許しを請う必要などありませんわ。』」






「沙汰を言い渡す。お前はエルストン家から廃嫡の上追放する。二度とこの屋敷に、いや、このエルストンの者に近づくことは許さぬ。良いな?」

「…わかりました。失礼しますお父様、いえ、『エルストン侯爵様』。」

 鋭い眼光を持つ偉丈夫―アシュリーの父親であるエルストン侯爵はそれだけ言うとアシュリーから視線を外し、手元の書類の決裁に戻る。アシュリーもあっさりと踵を返し、後ろを振り向くことなくさっさと侯爵の書斎から出て行った。その足ですぐに部屋に戻ったアシュリーは地味な平民が着そうな服に着替え、必要最低限の荷物とお金に換えられそうな宝石のついたアクセサリーや貴金属類を持ち出して、何の未練もなくさっさとエルストン侯爵の屋敷から出て行った。




 さて、ここで『アシュリー』という人間について説明しよう。

 アシュリーはシルヴァランド王国の貴族、エルストン侯爵の長女としてその生を受けた。アシュリーの母・ソフィアは美しい上に賢く、才女と名高かった。そのため伯爵家の娘でありながら、エルストン家に請われて嫁いできたのだ。

 しかし彼女には二つの不幸があった。一つは体が弱く病弱であったこと。もう一つは夫である侯爵本人にはずっと愛している最愛の恋人がおり、決して夫に愛されなかったことだ。

 ソフィアはそういったもろもろの要素が重なり、息子・ヴァルスを生んだ後、帰らぬ人となった。アシュリーが三歳の時の話だ。


 その三年後、侯爵は後妻となる女性―とある男爵の縁者―を連れてきた。

「アシュリー、ヴァルス。この人が今日からお前の母となる。それと私と彼女の間には娘がいる。」

 そんなことを言って連れて来たのが現在の侯爵夫人とジェシカであった。


 ヴァルスは母親がおらずずっと寂しい思いをしていた為、この心優しい親子に懐いた。しかしアシュリーは違った。突然現れた母、突然できた一つ年下の妹、すべてが納得できなかった。アシュリーは自分の母親が大好きだったのだ。

 アシュリーはこの親子に冷たく当たり続けた。最初こそそれに追従していた使用人たちも、侯爵の親子をかばう行動や、何より親子のひたむきさに感化されていき二人をエルストン家の者として認めていった。むしろいつまでも冷たく当たり続けたアシュリーの方を嫌悪していった。

 アシュリーが七歳になった時、一つ年上の第一王子との婚約が決まった。色々とあった派閥等の関係による政略結婚だったが、アシュリーはこの王子のことを愛した。王子の為に厳しい王妃教育にも耐え続けていた。しかしその反動から、家では我が儘放題に過ごすようになった。


 アシュリーが十六歳になる年に貴族や有力者の子弟、または才能のあると認められた平民が三年間通うことが出来る、王立クロスシード学園に入学した。そこでアシュリーは学園の派閥のトップとなり、自分に逆らうものを追い落としていった。

 その一年後、ジェシカも学園に入学してくる。当然アシュリーはジェシカをありとあらゆる方法で追い落としてくる。しかしどんな嫌がらせを受けてもめげないジェシカのひたむきさと素直さに、学園の人間は次々と彼女に魅かれていく。そして王子・シュナイダーもその一人であった。

 アシュリーは嫉妬に狂い、ジェシカをどんどん追い詰めていく。そのことを知ったシュナイダーはアシュリーを見限り、自身が卒業する年の卒業パーティーでアシュリーとの婚約を解消し、弟のヴァルスをわざわざ立会人として呼んでジェシカと婚約、その後結婚して幸せになる。

 そしてアシュリーはエルストン家から追放され、いずこへと消えていく。


 それがアシュリー・エルストンの知っている『アシュリー・エルストン』である。




 話を戻そう。 今説明をした『アシュリー・エルストン』は『君は僕のお姫様』というべったべたの恋愛ファンタジー小説に出てくる登場人物で、主人公・ジェシカの敵役となる悪役令嬢のことだ。流行っているからという理由で母親からこの小説を読まされた時に「べったべたやないか!」と小説を投げてしまったのはいい思い出である。


 さて、もうお気づきの方も多いだろう。

 ここにいるアシュリーは、『アシュリー』であって『アシュリー』ではない。正確に言うと、アシュリーは、日本と呼ばれる国から異世界に生まれ変わった『転生者』である。前世は病弱で優しい家族に看取られて夭折した普通の女性だったが、今ではまさかの悪役令嬢だ。アシュリーは七歳の時に熱病に罹り生死の境をさまよって以来、前世の自分との記憶が混ざり人格の統合が起こった。そしてこのことにアシュリーが気付いた瞬間、


「同じファンタジーならもっと剣と魔法のあるファンタジーに生まれ変わりたかった…。」


 と呟いていた。






 アシュリーは小説を読んでいたので『アシュリー』の気持ちにも共感できたし、何より侯爵くそおやじは女の敵だ、ソフィアお母様がさすがにかわいそうすぎる。色々考えてその結果にたどり着いたアシュリーは「別に命がとられるわけでもないし、まあいいか。」という考えから『アシュリー』を演じ続けることに決めた。ついでに言うならば、学園での嫌がらせについては『アシュリー』と違ってアシュリーはノータッチだった。ジェシカを快く思わないアシュリーの取り巻きがアシュリーの名前で好き勝手にしていただけだ。結局、取り巻きがシュナイダーの怒りを買ったと知った時、全てをアシュリーの責任として押し付けたのだ。まあ知っていて止めなかったのだから同罪なのだが。


 と、いうわけでただのアシュリーとなった今、アシュリーはあるところに向かっていた。


「ルーク!ルーク・レイト!いるー?」

「アシュリー!マジで来たのか!」

 王都の表通りから一本裏道にそれたところに彼はいた。平民に多い茶髪黒目に平凡な顔立ちの青年―ルーク・レイトは、驚きつつもアシュリーを笑顔で出迎えた。

「今日よね?出発。」

「ああ。…つーか、本当にいいのか?」

 荷物をまとめながらルークはアシュリーに問いかける。

「王都の方が栄えているし暮らしやすい。わざわざ俺について行って辺境まで行く必要はないんだぞ?」

「何よ今更。」

 ルークの問いかけをアシュリーは鼻で笑うと、続けて言った。

「私はルークの夢を一緒に追うって決めたんだから、何を言っても無駄よ!何より私は…、」

 そこで言葉を一度切ってからアシュリーはまっすぐルークを見つめて言った。


「和菓子が大好きなの!!」






 前世の記憶を思い出したころのアシュリーは今までの『アシュリー』の感覚と前世の自分の考えが入り混じっており、態度がよそよそしかったりいきなり癇癪を起したりと非常に不安定な状態であった。そんな状態のアシュリーを使用人は腫物を触るように接し、家族は必要以上におびえたり興味を持たなかったりと、誰一人アシュリーを心配しなかった。だれかに相談しようにもアシュリーの話は普通に考えると到底信じられるものではないもので、結局誰にも話せずに家の中でアシュリーは一人孤立していった。


 アシュリーがルークと出会ったのはそんなころだ。






 アシュリー(七歳)は気分がすぐれないといって部屋に引きこもり、今日も前世の自分の感覚と折り合いをつけようとしていた。しかし上手くいかず、気晴らしをしようとこっそり家から抜け出して町に降りることにした。

 アシュリーは使用人の古着からこっそり拝借していた平民の着る服に身を包み、王都の町へと繰り出した。平民が暮らすエリアで自由に歩いていると町行く人々は楽しそうに笑っている。屋台を冷やかしつつのんびりと散策していたアシュリーであったが、ふと香ってきた甘い匂いに足を止めて辺りを見渡す。アシュリーが匂いのもとを辿ると、それは裏通りからしていることに気が付いた。


(なんだろう…?)


 気になったアシュリーは匂いを辿り裏通りに足を踏み入れた。







 一歩裏通りに足を踏み入れると表通り程整備がいきわたっておらず、道に敷き詰められているはずのタイルがあちこちはがれておりどことなく汚れた印象を受ける。さらに背の高い集合住宅が道の両脇に並んでいるために昼間でも道が薄暗く感じる。

 本来の『アシュリー』であればこんなところに来るのは死んでも嫌がるだろうが今のアシュリーの考えだと、少し暗いのは難点だが無駄に広い屋敷で過ごすよりこの方がのんびりできて楽しそうだと思える。そう考えているとアシュリーは急に頭を押さえる。


(ああ、また来た…。)


 頭がずきずきと痛む。もだえ苦しむようなものではないのだが、ただただ不快な感覚に陥る。そしてこの頭痛が起こるの条件というのが、

(『アシュリー』は私の考えに納得していないんだ…。)

 前の『アシュリー』と今のアシュリーの感覚の乖離が起こった時であった。アシュリーは匂いのこともすっかり忘れて、ただこの不快な感覚から逃れたいと道の端でうずくまる。


「お前、大丈夫か?」


 突然の声に驚いてアシュリーははじかれたように顔を上げると、目の前に自分と同じくらいの年の少年が立っていた。少年は身なりからそんなに裕福ではない平民だと推測される。髪は茶色で目は黒とこの国の平民に多い色で顔立ちも平凡だった。少年はアシュリーの反応に驚いたのか目を丸くしてアシュリーを見ていた。

「ええ、大丈夫よ。ありがとう。」

「…ちょっと待て!」

 知らない人間にあまりかかわる気がなかったアシュリーは、一言少年に返すとさっさと立ち去ろうとした。しかし少年は立ち去ろうとするアシュリーの腕をつかんで引き留めた。

「…何?」

 少年はアシュリーのいらだち交じりの言葉に臆することなく、アシュリーをしっかりと見つめて言った。

「顔色がよくない女の子を放置するわけにはいかない!大したもてなしはできないけど、俺の家すぐ近くだから少し休んで行けよ。」

「別に気を使わなくても結構よ。腕を離してくれるかしら?」

「休んでいくんなら離してやる。」

 少年の黒い瞳には強い意志が宿っており、少々のことではめげないというのがすぐにわかった。


(…なんか面倒なことになったわね。)


 正直アシュリーは少年に関わる気はなかったが、今の調子の悪さではこの状況を打開する方法も思いつかず黙って従うことにした。




 少年は集合住宅の一室で一人で暮らしていた。この世界では子供でも日雇い労働などで働くことが出来るため、親を亡くした子供が一人でたくましく暮らしていくというのも少なくはなかった。ただアシュリーがそういう人間を見たのは初めてであり驚いている。

(この部屋、微かだけど甘い匂いがする。窓も空いてるし、さっき匂いのもとってこれかも。)

 そんなことを考えながらアシュリーは狭い部屋(アシュリーの住んでいる屋敷の使用人の部屋よりも狭い)の比較的清潔にされたソファーにもたれて体を休めていた。けれども家のソファーに比べてやはり座り心地は良くなく、ないよりまし程度のものだと思っていた。


「なあ、お前は甘いもの好きか?」

「甘いもの?お菓子とかのことかしら?」

「まあ、そんな感じだ。で、どうだ?」


 突然少年に声をかけられたアシュリーは少し考えたのちこう答えた。

「好きよ。」

 アシュリーは『前』も『今』も女の子らしく甘いものには目がない。平民の食べるお菓子に前々から興味はあったのだ。ただ侯爵令嬢としてのプライドが邪魔をして、家で平民の食べるお菓子が食べていたいとは言い出せなかったのだ。これはチャンスだと思ったアシュリーは素直に答えることにした。

「そうか!じゃあ少し待っていてくれ!」

 その答えを聞いた少年は嬉しそうにキッチンの方に行き、冷蔵装置(冷蔵庫みたいなもの)から皿を取り出し、その上にさっと何かをかけて持ってきた。その皿の中にはアシュリーが知っているお菓子が乗っていた。


「わらびもち!」


 前世ではプリンやゼリーと言った病床の身でも食べやすい洋菓子をよく食べており、和菓子はめったに食べることが出来なかったのだ。思わすアシュリーはソファーから立ち上がり少年に近づく。驚いた表情をしている少年にアシュリーは高揚した気持ちのまま声をかける。

「これ、食べてもいいの!?」

「あ、ああ。勿論。」

「やった!いただきます!」

 答えを聞くとアシュリーは少年からひったくるようにお皿を受け取り、ソファーに戻ってわらびもちを食べ始めた。

「…美味しい!」

 冷たくプルプルな食感のわらびもちと上にかけられた黄な粉と黒蜜がマッチしている。さらにわらびもち自体がほのかに甘く、しっかり冷やされて食べやすい。気が付いた時には不快な頭痛もきれいさっぱり消えていた。


「ご馳走様でした!」

 わらびもちを食べ終えてアシュリーは満足げに微笑んでいた。平民はこんないいものを食べているのかと思うと少しうらやましく感じる。

「…なあ。」

「何かしら?あっ、わらびもちとても美味しかったわ。ありがとう。気分もよくなったし、私そろそろ帰るわね。」

 そういうとアシュリーは立ち上がり玄関に向かって歩いていく。その様子を見ながら少年はアシュリーに声をかけた。


「何でこの世界にないわらびもちを知ってんだ、お前?」


「…え?」


 玄関のドアノブに手をかけたままアシュリーは固まった。






 その後、少年―ルーク・レイトの話を聞くと、ルークも日本からの『転生者』であった。彼の前世は和菓子職人でやっとのことで師匠から独り立ちを認めてもらえ独立しようとした矢先、ひき逃げに遭いその生涯を終えたらしい。その後、娼婦の子供として転生を果たし、つい先日母親が亡くなった時に前世の記憶を思い出したのだそうだ。

 生まれ変わったこの世界では和菓子が存在しないため、自分で似たような材料を探して和菓子を作ろうとしているのだということらしい。父親も知らず天涯孤独のみでありながらもまっすぐに生きていけるのは、前世の和菓子職人としての記憶と「自分の店を持ちたい」という夢を継いだからだとルークは語る。


「そっか。別に和菓子は平民の食べ物ということではないのね。」

「…そんなことより、俺としてはアシュリーの方が気になるんだが。大丈夫なのか?アシュリーの話だと、悪役ポジションに生まれ変わった挙句に二つの人格が中途半端に喧嘩してるっていう話だろう?」

「…問題ないわ。ルークのおかげで解決したから。」

「え?」

 出された善哉もどきをすすりながらアシュリーはルークと話す(甘い匂いのもとはこの善哉だった)。今のアシュリーの状態は『和菓子』という緩衝材のおかげで、『前』と『今』の自分がうまい具合にお互いを分かり合おうとしている(我ながら存外単純だと思う)。さらに言うなら自分と同じ立場の人間のおかげで気分も楽になった。今なら何でもできそうな気がする。そしてアシュリーはこの瞬間、一つ決めたことがある。


「ルーク。私、貴族やめる。」

「は?」

 驚いたようにアシュリーを見るルークに、笑いながら言葉を続ける。

「妹に優しくすればよりよい未来が開けるとしても『アシュリー』は絶対に妹を許せないし、妹に優しい世界なんてきっとお断りだと思う。だから物語の『アシュリー』は自分だけを見てくれる可能性のあった婚約者にすがったんだろうけど、結局婚約者も『アシュリー』のことなんて見てなんかいなかった。」

「…アシュリー。」

「でも、」

 アシュリー本人より傷ついた顔をしているルークに対し、アシュリーは笑顔で続きを話す。

「私は幸せになりたいし、『アシュリー』を幸せにしたい。そのためには貴族をやめた方がいいの。勿論今すぐには無理だけど、どうせほっといても物語に沿えば私は廃嫡されるからね。そこでルーク、ものは相談なんだけど。」

「…何だよ?」

 怪訝そうな顔でルークはアシュリーを見る。そしてアシュリーはとんでもない提案をしたのだ。






 その後アシュリーが屋敷に戻った後もアシュリーとルークの交流は続き、そして今日を迎えた。まずアシュリーは王都の手ごろな店で、持ち出したアクセサリー類を半分ほど換金して旅立ち用の資金にした。残りの半分は辺境領で換金して店の資金に充てるつもりだ。なぜこんな面倒なことをしているのかというと、一度にお金にするより少しずつ換金した方が安全だろうと判断したためだ。換金後、その足で二人は辺境領行きの汽車に乗っていた。

「で、ルーク。この間の話、本当なの?辺境領なら和菓子屋を作れるかもしれないって。」

「ああ。辺境領には日本でいうところの小豆やもち米、葛粉なんかがあるみたいなんだ。だからそこで店を開けば、辺境領の土地は他のところに比べて安いし材料も簡単に手に入って一石二鳥なんだ。」

「そうなんだ…。なんか楽しみだね!」

「ああ!…でも驚いたな。マジで学園を退学して、俺と一緒に和菓子屋をやろうとするとは思わなかった。」

「何を今更。学園はエルストン家から出ていたお金で通っていたのだから、家から追い出された今、学園に通い続けることなんて不可能なのよ。それに私、十年前から決めていたの!和菓子屋をやるって!そのために私は、店の経営に必要な知識や品質管理に使えそうな科学や農業なんかも王妃教育の合間に学んでいたんだから!」

 そういって握りこぶしを作って力説するアシュリーをルークは笑いながら見ていた。






 ルークは思い出していた。ルークに対してアシュリーの出した提案を。それは、


『私もルークの夢に協力したい!私、一緒に和菓子屋になるわ!』


 ルークは驚いた。そんな賭けみたいな人生を貴族の、しかも侯爵令嬢がやりたいなんて言い出すとは思わなかった。最初こそ普通に貴族の令嬢として生きるべきではないかと言っていたが、ルークの家に来るたびに(しかも護衛なしのお忍びだ)和菓子(似たような材料で作ったあり合わせだが)に舌鼓を打っていた彼女には関係なかった。

「私、和菓子が大好きなの!」

 アシュリーは常にそう言ってルークの説得をことごとくねじ伏せた。最初に道でうずくまっていたアシュリーに善意から声をかけて、結果、彼女にひとめぼれをしてしまったルークにとって、どうあがいてもアシュリーには勝てないのだ。


(所詮は惚れた弱みなんだよな…。)


 アシュリーの笑顔が見たいと思いながら、アシュリーが来るたびに和菓子を作っていた日々を思い出す。本来なら時期王妃様と娼婦の子供なんて身分が違いすぎて出会うことはないのだが、偶然か必然かはたまた運命か。二人は出会い、いつの間にか二人でいるのが当たり前みたいになっていった。

(なんていうか、アシュリーを手放してくれた奴らには感謝しないといけないな…。)

 だから今、こうしてルークの傍に当たり前のようにアシュリーがいるのだから。






「ルーク、どうしたの?何か考え事?」

「いや、何でもない!」

「…そう?」

 ルークの考えていることなどつゆほど知らないアシュリーは、不思議に思いつつもこれからのことに思いをはせる。ルークの作る和菓子は本当に美味しい。けれども日本にいたころとは違い、和菓子に使える材料は中々手に入らない。当然だ。この世界にはまだ和菓子という文化はないのだから。

 そんな中でも和菓子を作るために試行錯誤を続けているルークをアシュリーは尊敬していた。アシュリーがルークの家に遊びに行くと、必ず和菓子が用意してあった。一体その裏でどれほどの努力をしていたのだろうか。しかしルークはそんなことを微塵も感じさせず、アシュリーに美味しい和菓子を振る舞うのだ。

 アシュリーはルークの和菓子について語るときの顔が好きだ。「こんな工夫をしてみた」「こういう風に和菓子を作りたい」…そんな話をするときのルークの顔は輝いているようにアシュリーは思えた。


 汽車が出発する。王都がだんだん小さくなっていく。今まで暮らしてきた土地を離れるのは不安だが、それでも旅立つと決めたのだ。アシュリーはルークとルークの作った和菓子に救われたその日から、ルークは前世からの夢を追い店を構えると決めたその日から、二人の決意は揺らぐことはない。

 何よりも、自分たちは一人ではない。一人だったら苦しかったかもしれないが、アシュリーとルークは二人で夢を追いかけ続けていくのだ。


「ルーク、頑張りましょうね!」

「もちろん!」


 そういって二人顔を見合わせて笑いあった。





 こうして彼らは辺境領で和菓子屋『ヤマトナデシコ』を開き、辺境領に和菓子文化を根付かせることになるルーク・レイトの名前は、のちの歴史に名を残すことになる。和菓子の発達とともにアシュリーにより行われていた研究によって緑茶の栽培にも成功し、何もないといわれていた辺境領の特産品となっていく。

 ルーク・レイトはアシュリー・レイトを妻とし、アーシャという一人娘を授かる。そしてこの娘、アーシャ・レイトもまた父と同じように和菓子職人になり、和菓子をシルヴァランドに広めることとなる。


 後の世で娘をはじめとした二人を知っている者たちは、「あの二人はいつまでたっても仲睦まじい夫婦であった」と語っている。


 読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白いな、とは思いましたが最後の部分が大変気になります。緑茶の栽培に成功とありましたがこの世界に紅茶はなかったのですかね?紅茶、緑茶、ウーロン茶は全て同じ学名のツバキ科の葉で発酵度の違いしか…
[一言] 面白かったです。 ありがとうございました!
[一言] 悪役令嬢なのにざまぁはなく、和菓子も他人が作ったので、 主人公って結局何もできない子ですよね。 冤罪をそのままにするぐらいなら、ただの貴族令嬢と転生少年の 恋の話で終わらせてた方が良かったん…
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