第六十話 黒煙の舞う森へ
「とどめだ!」
ロディが門の前に殺到していたゴブリンの、最後の一匹を大剣で真一文字に切り倒した。教会の前はロディが倒したゴブリンの亡骸が山積みになっている。
それでも、ある程度のゴブリンは森に逃げたはずだ。巣を失ったゴブリンが、森の中でどういう動きを取るかまでは予想が出来ない。
戒斗とレイムーンはそれぞれにホブゴブリンを倒したようだ。さっきまで倒れていたレイムーンは、なんとか身を起こしこちらに向かってきている。戒斗も、鏡花の助力を得て見事に敵を切り倒した。
ここまでは、作戦通りに進んでいる。
ひとまず、村を纏めなくてはいけない。
「敵は追い返した! 我々の勝利だ! 鬨の声をあげよ!!」
ロディは腹の底から大音声をあげた。
勝利宣言に、教会のバルコニーから村人たちが姿を現し、歓声をあげはじめる。多くの村人たちが駆けあがってきているようだ。
だが、アズールが戻ってきていなかった。森の奥からあがる煙が、アズールの作戦が成功したことを示している。煙のあがった時間から考えても、本来ならばもう村に戻ってきているはずだ。
ゴブリンの巣か、それとも帰り道で戦闘になっているのかもしれない。すぐにでも、援軍に向かわなくてはならない。
それに、鏡花が言っていた壊された封鎖も、念のために直しておいた方がいいだろう。騎士団に追立てられたゴブリンが、こちらに戻ってこないとも限らないのだ。バルコニーから村を見下ろしている村人たちの中に、ロンメルの姿があった。
「ロンメル殿、裏手の封鎖を急ぎ修復してください。それと、騎士団への狼煙をお願いいたします! 我々は簡単な手当てを済ませて、すぐに追撃戦に移らねばなりません」
「わかりました、仰せの通りにいたします。すぐに下にも人をやりますので、門の前でお待ちください」
ロンメルが大きな声で答えた。表情も、今までよりも明るい。ひとまず村が護られたことに胸をなでおろしているのだろう。
すぐに、騎士団への合図である白い煙があがりはじめた。
「いたたたた……。なんとか、追っ払ったね」
腹部を抑えながら、レイムーンが傍までやってきた。装備も所々壊れ、まさに満身創痍といった様相を呈している。
立っているのが苦しいのか、橋の縁に背を預けるようにして座り込んだ。
「レイムーン、さっきは助かった。私は血止めを済ませたら、すぐにゴブリンたちの追撃戦に入る。お前は負傷がひどい。ここで休んでいろ」
「冗談言わないで。もう血は止まった、あたしも行くよ」
「しかし……」
眉間にしわを寄せるロディに、レイムーンが座ったままナイフを突き出してみせる。
「たった一人でホブゴブリンを仕留めたのはあたしだけだよ。一番の戦力をここに置いていこうっていうの? それに、ゴブリンどもを引っ張ってきたのは、あたしだ。戻ってこないアズールのオッサンを放ってはおけない」
少しだけ潤んだ、意思の強い瞳がロディを見据える。
この目でじっと見つめてくると、レイムーンは自分の意見を曲げる事は無い。遊撃隊のころからそうだった。ここで無理に置いていっても、勝手に森に入ってしまうだろう。
ロディは大きなため息をついた。
「ふう……。わかった、一緒に行こう。だがな、レイムーン。せっかく誰一人欠ける事無く決戦を乗り越えたんだ。ここで無茶をして命を粗末にするなよ」
「はいはい。ったくよく言うよ。ロディこそ、岩を食らった左腕、折れてるんでしょ?」
呆れたように片眉をあげたレイムーンに苦笑して、肩をすくめた。
動かした左の腕に、確かに激痛がある。だが、無理をすれば剣は振れる。つまり、まだ戦えるという事だ。
教会の門が開き、中からアルコたちが駆け出して来た。
「ロディさん、レイムーンさん、追撃に出ると聞きましたが、一先ず中に。椅子を並べて、薬や包帯も用意してあります」
アルコがレイムーンに手を伸ばし、支えながら教会の中に入っていく。ロディも村人たちに促され、教会に足を向けた。坂道の奥に、こちらにゆっくりと歩いてくる戒斗と鏡花の姿があった。
・・・
「戒斗!」
名前を呼ばれて振り向くと、鏡花が腹部を抑えながらこちらに駆けて来た。その白い胴着の腹部が、赤く染まっていた。
「鏡花、その傷!」
「こんなのかすり傷よ。それより戒斗の方こそ……」
「俺は大丈夫、少し休めば動けるよ。さっきはありがとう。助かった」
周囲を見回す。
暴れているゴブリンの姿は見えなかった。先ほどロディが敵を追い返したと宣言した事も含め、村の中の戦いはひとまず終息したようだ。
刀を鞘に納め、顔にかかっていた血を腕でぬぐう。すでに乾いてはりついてしまっていて、なかなか綺麗に落とせなかった。
「教会のほうで手当てをするらしいわ。行きましょう」
鏡花に差し伸べられた手を取り、戒斗は鏡花と並んで歩き出した。
いざ気を抜いてみると、身体のあちこちが痛む。あれほどの戦いをして、何度も攻撃を受けたのだ、それも無理もなかった。
むしろ、この程度で済んでよかったと思うべきなのかもしれない。
身体をかばい合うように、戒斗と鏡花がゆっくりと坂道を登っていく。
鏡花の呼吸は若干苦しそうである。
「大丈夫?」
心配になって問いかけた戒斗に、鏡花は笑顔を作って見せた。
「平気、全然平気」
「でも……」
更に言葉を重ねようとした戒斗を遮るように、鏡花が右手を差し出した。その手には、矢の先端部分が握られていた。
「これは?」
「レオがね、助けてくれたの」
にっこりと微笑んで、鏡花が言う。
「戒斗があの、私の矢が刺さった相手と戦っている時にね。もうレオのお墓にしか矢がなくって、私あの場所まで走ったの。それでレオにお供えした矢をつがえて弓を引いた。その時ね、レオがすぐそばに来て、私と一緒に戦ってくれたの」
まるで風が啼くかのような激しい音と共に、ホブゴブリンの武器と腕を貫いた、物凄い威力の一矢。
あの矢がなければ、戒斗はホブゴブリンに叩き潰されていただろう。
あの矢には、レオの力が込められていたのであろうか。
「そうか、鏡花の犬が……。ありがとう」
鏡花の右手にそっと手を重ね、戒斗はその矢に籠ったレオの思いに言葉をかけた。そして、自分の刀にその手を置いた。
「俺も、助けて貰った」
「戒斗も?」
首を傾げて尋ねる鏡花に、頷き返す。
「父さんが、一緒に戦ってくれたんだ。一緒にやっつけようって言って、俺の前を走ってくれた。俺、父さんに遅れないように、その背中を必死に追いかけてさ。父さんと一緒に、あの場所で何度も練習した一撃を……。夢中だった。夢中で追いかけて、一緒に……」
「サムライさんが、来てくれていたのね」
目を潤ませた鏡花が、戒斗の刀に両手を添えた。
「ありがとう、ございました」
九年前の事なのか、それともさっきの戦いなのか。
鏡花の父に対する思いもまた、長い年月をかけて積もっている事だろう。それでもただ一言を添えて笑って見せた鏡花は、戒斗よりもずっと強いのかもしれない。
「二人とも、こっちです」
坂道を上がり切った所で、アルコが駆け寄ってきて声をかけた。
複数の村の人間が、戒斗と鏡花を支える。
「ありがとうございます、アルコさん。ロディさんとレイムーンは?」
「すぐに追撃にうつると言っておられます。父の勧めもあり、今は教会の中で手当てをしております。お二人もこっちに」
村の人間に支えられるようにして、教会の中に入った。
門を越えた入り口のすぐ横に、いくつも机や椅子が並べられていた。ロディは手前の椅子に腰かけ治療を受けている。奥の大きな机には毛布がしかれ、レイムーンが横たわっていた。レイムーンはまだ血が止まっていないのか、毛布が赤く染まっていた。
「二人とも、良く闘ってくれた。出血があるな、まずは治療を受けてくれ」
左腕に包帯を巻いたロディが言った。
「鏡花さんは、一度胴着を脱がないと手当てが出来ません。こちらへ」
村の女性に促され、鏡花が奥に下がっていく。
レイムーンが起き上がり、戒斗に声をかけた。
「お疲れー、戒斗! なかなかやるじゃん、見直したよ! う、あいたたた……」
右腕を高く掲げて戒斗にハイタッチをしようとして、レイムーンが顔をしかめた。その腹部に巻かれた包帯は赤く染まっている。これは返り血ではないだろう。
「レイムーンさん、無理はしないでください。じっとして……」
「これからアズールのオッサンとこにもいかなきゃじゃん? じっとしてられないって」
「だけど、その傷じゃあ」
「あんただって、血まみれだよ戒斗」
村の人間が、濡れた布を持って来てくれた。その布で顔を拭うと、ようやく何度も浴び続けた血が落ちてゆく。
戒斗は大きく息をついた。
「俺は大きな出血は無いですよ。全部ゴブリンのものです」
「そんな事ありません! 側頭部が大きく切れていますよ。じっとしていてください」
「ご、ごめんなさい」
横に座ったアルコに厳しい声で言われ、戒斗は椅子に座った。頭部に止血の粉をぬられ、包帯が巻かれていく。
治療の際に患者に使うと言われた村に伝わる葉を噛む。かすかな麻酔作用があり、治療に伴う痛みを軽減してくれるのだ。これのおかげで、ロディもレイムーンも、治療を受けながらも喋る事が出来るのだろう。
腕、足、腹部……。
ある場所には包帯が巻かれ、ある場所には布をあてがわれ、戒斗の身体はあっという間に白い布で覆われていった。身体を治療されるのは少々恥ずかしい気持ちもあるが、戦いで汚れた身体をふかれるのは気持が良い。
「ふう、これでひとまずは終わりです。でも出来れば少しの間は安静にしていないと……」
「戒斗、君はもうここで休んでいるといい。追撃には私が行こう」
「ロディさんも、ひどい怪我なんですよ。本当は絶対安静です!」
「む、むう」
アルコにぴしゃりと言われてしまい、ロディが言葉に詰まる。
そんな様子を見て、戒斗は微笑んだ。立ち上がり、軽く身体を動かす。痛みはあるが、どこかが動かせないという事はないようだ。
「戒斗さん……」
そんな戒斗の様子を、アルコは心配そうに見つめている。
「手当て、ありがとうございます、アルコさん。それに、ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません。でも、アズールが戻ってこない。今もまだ戦っているかもしれないんです。一刻も早く。いかなくては」
「私も行けるわ」
奥から胴着を締め直した鏡花がやってきて、戒斗の横に並んだ。
「アズールさんを、迎えに行かないとね」
微笑む鏡花に続き、ロディとレイムーンも立ち上がった。
「騎士として、行かねばなりません。それに、手配していた私の部下ももうすぐ駆けつけるでしょう。みっともないところは見せられません」
「へへ、皆が来ればゴブリンなんか敵じゃないよ。ちょっとその前に、オッサンを迎えに行かないとね」
「皆さん……」
並んだ戒斗たちに、アルコが大きく頭を下げて言った。
「彼は、十年以上この村のために戦ってくれています。彼を、アズールをどうかよろしくお願いいたします」
「任せてください」
大きく頷くと、戒斗は再び刀を手に取って、歩き出した。
戒斗と鏡花、それにロディとレイムーンが、満身創痍のまま歩み出した。森の奥、黒い煙をあげて燃え盛るゴブリンの巣を目指して。そこで待つ仲間を迎えに、四人は再び戦場へと赴くのであった。