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切先の向かう異世界  作者: 緒方あきら
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第六話 異世界の爪痕

「行ってきまーす……」


 翌朝、戒斗はいつもよりも重い足取りで家を出た。


「あんな事、言えるわけねぇよなぁ」


 右腕にグルグル巻きにした包帯を見つめ戒斗は一人でぼやく。

 昨晩、戒斗は連絡が無く帰りが遅れた事を母からこっぴどく怒られた。

 幼い記憶ではあるが、父が失踪した時から、母は連絡がつかない事をひどく嫌うようになった気がする。


(まあ、当たり前だよな)


 母に延々と激昂されながら叱られた憂鬱と寝不足の気だるさが、戒斗の心と身体をずしりと重く感じさせる。


 だが、それらもあの衝撃に比べれば、ほんの些細な事であった。

 昨晩の、あの闘いに比べれば――


(夢じゃあ無いんだよな……)


 包帯の上から傷をさする。

 泉のほとりで目を覚ました時から、何度となく繰り返した行動である。

 微かな痛みと共に、あの化け物の姿を思い出す。組合った衝撃が手のひらに蘇る。腕を掴まれた時の恐ろしい力が、身体を戦慄させる。


「ちっくしょお!」


 自らの背丈程も無い生き物に恐怖している自分に、戒斗は大きな声をあげ拳を壁に叩きつけた。

 あんな化け物を見て、戦って怯えるのは、当たり前なのかもしれない。


 それは普通の高校生ならばだ。

 戒斗は小さな頃から、ヒーローになりたかった。

 高校に入り同年代の人間に笑われるようになっても、その気持ちは今も失ってはいない。

 どんな苦難にも屈しない、正義のヒーロー。

 テレビで憧れたあの存在に、自分がなる。

 そうすることで、かつてヒーローのようだと憧れていた、父の背中を超えられるかもしれないのだ。父の失踪を完全に乗り越えるためにも、戒斗はヒーローに憧れ続けた。


(それなのに、俺は……!)


 あの時、戒斗は間違いなく恐怖を感じていた。

 恐怖さえなければ、もっと冷静に戦えていたはずだ。

 昨夜の戦いの時、もしもあの矢の助太刀が無かったら、恐らく戒斗は敗北していただろう。


 森で出会った、弓を構えた女性の凛々しい姿を思い出す。


(あの弓をもった女、あんな状況でもかなり冷静だった。袴に確かに如月高校って書いてあったよな。弓道部にあんな奴、いたか? あいつならきっと、何か知っているはずだ)


 戒斗の学校の弓道部はそれほど人数が多い訳では無い。

 卒業生でなければ、見つけるのはそれ程難しい事でもないだろう。


「行ってみるか!」


 戒斗は通学に使う自転車を勢いよくこぎ出した。


「よう戒斗、今日は遅い登校だな。まだ道場使えないのか?」


 自転車を置き校内に入り、教室のドアをくぐり席に着くと、小林が声をかけてきた。戒斗は毎朝、学校の道場で朝練をしてから教室に来るのが日課であった。


「いや、ちょっと今日は気分が優れなくってな」


 戒斗は軽く側頭部を右手で抑えて答えた。

 実際、昨日の夜からあの出来事を考え続けていたので頭が痛い。

 頭を抑えるために腕をあげた時に、わずかに学生服の袖がずれ、包帯が露になる。


「それ包帯か!? お前、腕どうしたんだよ!」

「えっ? あ、いけね! いやこれは……稽古の時にちょっとな」

「おいおい。大会までもう一か月もないんだろ。毎日稽古もいいけど、怪我には気をつけろよ」

「ああ……気をつけなきゃな」


 戒斗の優れない顔色を心配したのか、小林は戒斗の肩に手を置き「疲れてんじゃないか? また遊びに来いよ!」と一言声をかけて、自分の席に戻っていった。もうホームルームの始まる時間である。

 程なくして、学校にチャイムが鳴り響く。

 教室の窓から、戒斗に視線を投げかけていた一つの人影が髪をなびかせて離れていった。


 朝のホームルームから昼休みに入るまでの間、戒斗は教師の話しが全く頭に入ってこなかった。

 考える事は昨夜の一連の出来事であり、放課後に探す予定の弓を持った女性の事であり、あの戦いでの自分への情けなさへの苛立ちであり、そして命をかけた闘いへの恐怖であった。


(命がけの闘い……。今まで経験してきた試合とは全然違った)


 剣道では百戦錬磨の戒斗も、あの闘いの空気は今思い出すだけでも圧倒される。

 組合ったゴブリンの荒い息遣い。

 迫りくる凶器の風を切る音。

 何度打っても立ち上がり襲いかかってくる、計り知れない力。


 そのすべてが荒々しく泥臭い、幼いころからテレビで見てきたヒーローと怪人の闘いとは別次元のものであった。

 昼休みに入っても、戒斗は持たされた弁当を開く事もせずにじっと自らの手のひらを見つめていた。


(あの感触、あれが相手を倒すという事か……)


 ゴブリンの頭を叩き潰し、頭蓋骨まで陥没させた渾身の一撃。

 重く残る手応えは今でも鮮明に思い出せる。

 あの一撃ですら、化け物は再び立ち上がってみせた。

 一体あの生き物は何だったのか。

 あの戦いで矢を放った少女は、何者なのか。


 教室のドアが開かれ、冴えた足音が戒斗に近づいて来る。

 突然の来訪者に、昼休みで賑わっていたクラスは一瞬静寂に包まれたが、戒斗はそれさえ気付くことは無かった。


 足音は戒斗の席の前で止まる。

 じっと見つめていた手のひらに影が映り、戒斗はようやく顔をあげた。


 そこには、今まさに頭に思い描いていた女性が立っていた。

 制服に身を包み、闘いの時に結っていた髪は胸元まで降ろされている。

 だがその意思の強そうな瞳と小さな唇、何より研ぎ澄まされた空気は、弓を携えていた彼女のものだ。


 あの時は気付かなかったが、明るい場所で見るとその顔には高校生らしいあどけなさが残っていた。


「雨宮君ね?」

「あんたは、昨日の……」

「話があるの。ついて来て」

「お、おい! ちょっと待てよ!」


 まだ席を立ってすらいない戒斗に振り返りもせず、少女は入って来た時と同様にスタスタと教室の出口に向かってゆく。


「ああ! もう、くっそ! 待てって!」


 昨夜から、訳のわからない事ばかりである。

 戒斗は苛立ちを覚え乱暴に席を立ち上がると、足早に進んでいく少女の後を追った。


「なあ、話があるってなんだよ。どこ行くんだよ!」

「うるさい人ね。黙って着いて来て」

「お前、昨日の夜の事何か知っているのか? なあ!」


 戒斗の問いかけを無視し、少女はさっさと階段を登ってゆく。

 一階から五階まで早足に進んでいくが、呼吸は乱れていない。

 興奮している分、戒斗のほうがわずかに息が上がっているほどだ。


 やがて屋上に続く扉のあるフロアまでたどり着くと、少女がドアノブに手を掛けた。数度ノブを捻るが、どうやら鍵がかかっているらしくドアは開かなかった。


 戒斗はこんなところには滅多に足を運ばないが、周囲には紙パックのジュースのカラやパンの袋が落ちている。案外とここに集まる生徒はいるのかもしれない。


 ドアを開ける事を諦めた少女は、ドアの右側の壁に取り付けられている窓のカギを外して窓を開け、少女の胸元ほどの高さのある窓枠を身軽に跳び越えた。

 ジャンプした瞬間、制服のスカートが僅かに揺れ白い太ももが露わになる。

 階段を登り早まった戒斗の鼓動が、わずかにその高まりを加速させた。


「何をしてるの? 速く来て」

「あ、ああ」


 少女に急かされた戒斗は、意図せず太ももを覗いてしまったかすかな引け目から、素直に少女の言葉に従い窓枠を乗り越えた。

 屋上には心地よい風が吹いている。

 こんな所で食事をしたら、きっと気持ちが良いことだろう。


 戒斗は屋上からの景色を見下ろす。

 グラウンドでは沢山の生徒が、ボールを投げ合ったり、駆け回ったりと思い思いに時間を過ごしている。

 時には自分もああしてこの時間を過ごしたものだ。

 日常が、なぜかひどく遠い存在に思えた。


 窓を閉める音に、戒斗が今乗り越えてきた場所に目を遣った。

 屋上の風に髪をなびかせた少女が、静かな表情で戒斗を見つめていた。



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