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切先の向かう異世界  作者: 緒方あきら
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第五十九話 あの日の背中

 剣を躱す。

 こちらの剣は弾かれる。

 そして、再び向かい合う。


 長い膠着と対峙は、戒斗の体力を少しずつ、しかし確実に奪っていった。剣の腕は、ほぼ互角。経験と読みでは戒斗が上回っているが、腕力や瞬発力はホブゴブリンのほうがずっと上である。

 戒斗は、均衡を崩す切っ掛けが掴めないでいた。


 仲間がいる。責任がある。護りたい存在がいる。

 数日前と違う思いは、確かに戒斗に今までにない粘りを与えてくれた。

 それでも、思いはあと一歩、決定的な差に至らなかった。もっと何か、剣で向かい合う中での具体的な何かが必要なのだ。


 目の前に、武器を構える大きな身体がそびえ立つ。

 押しつぶされそうな重圧を全身に受ける。どう切りかかっても、裁かれてしまいそうな感覚。


(これは……あの時の……)


 数日前に学校の道場で感じた、あの感覚。

 剣道部の顧問であり、剣道界では伝説的な存在である斉藤に、散々に打ち破られた時の事を思い出す。

 あの時も、斉藤の身体が大きく見えた。自分の全てをぶつけても、なお届かなかった大きな存在。

 その時戒斗の面打ちは、斉藤の鋭い突きにねじ伏せられたのだ。


「突き……。あいつの動きが、かつての俺のコピーだとしたら、先生のあの突きならば……」


 斉藤との一戦が、脳裏をよぎる。

 二人の攻防。

 吹き飛ばされるまでの動き、その一つ一つを戒斗はしっかりと覚えていた。唯一の問題は、ゴブリンの生命力である。例え自分が持つ武器が真剣であるといっても、完全に攻撃が決まったとしても、果たして喉の一突きだけで、ゴブリンが息絶えるであろうか。


 やるしかなかった。

 仕留める事は出来ないかもしれない。それでも、確実に大きなダメージは与えられるはずだ。それは、村を護る事に繋がる。今のまま体力を失っていくよりも、ずっと活路の見いだせる選択なのだ。


「やるしかない。やるしかないんだ」


 大きく息を吐いた。

 目の前の敵、向かい合ったままだ。

 正眼に構えた手元の剣を、かすかに下げる。じりりと、ホブゴブリンが距離を詰めてきた。

 一歩、後ろに下がる。

 民家を背にする形で可能な限り後ろに下がった。背に、民家の壁が当たる。ホブゴブリンが距離を詰めながら迫ってくる。


 ここまでは、狙い通りだ。

 戒斗は、構えた剣を更に下げた。

 剣の先端は、地面にかする程に下がっている。

 ホブゴブリンが踏み込んで来た。歩幅は浅い。手元に振り下ろされる一撃を、腕を捻って躱す。強い風が全身を打ち付ける。目は決してつぶらなかった。


 さらに一歩、踏み込んでくる。

 面打ちの構え、来る。

 戒斗は刀を構え負けじと踏み込んだ。面打ちのために振り上げた、ゴブリンの腕の中に飛び込んでいく。曲がりそうになる背筋をしっかりと伸ばし、足の踏み込みに力を込める。刀を握った両腕を思い切り突き出した。


「おおぉぉぉ! 突きぃぃぃぃ!」


 足から背、背から腕。

 全身の力を使い、渾身の突きを繰り出す。

 寸分たがわず、ホブゴブリンの喉元に、戒斗の刀が深々と突き刺さった。呻き声をあげたホブゴブリンが、喉元を貫かれながらも武器を叩き付けようと無理やりに動く。だが振り下ろしかけた武器が、不意に止まった。


 戒斗が背にした民家の屋根に、ホブゴブリンの長い金属の武器が根本からつかえていた。懐に潜り込んだ戒斗が、刀の背に左手を乗せた。

 喉から胸元、腹部へ。

 深々と突き刺さった刀を、思い切り斬り裂いてゆく。


「ううおおおぉぉぉぉ!!」


 両腕に何度も硬い感触がぶつかる。

 それでも全身の力を込めて、少しずつ切り下げてゆく。溢れ出す熱をもった液体を振り払うように深く鋭く。少しでも多く、少しでもダメージを。

 噴水のようにあふれ出す血液に、視界を奪われる。

 世界が真っ赤に染まっても、戒斗は構う事なく刀を一身に引いた。


 側頭部に、衝撃が走った。

 身体が宙に浮き、二、三度地面を跳ねて転がった。

 喉元から腹部までを切り裂かれたホブゴブリンが、動かない武器を手離し戒斗を思い切り殴りつけたのだ。なんとか身を起こす。激しいめまいがしたが、それにも耐えて立ち上がった。

 武器は、手放していない。


「く……、くそ。なんて、しぶとい……。えっ?」


 言いかけた戒斗の視界が歪んだ。

 気がついた時には、膝を折り倒れ込んでいた。身体が、どうしようもなく重い。自分のものではなくなってしまったかのようだ。脳震盪を起こしているのだろうか。なんとか顔を持ち上げ、前を見る。

 血を流したホブゴブリンが、民家の屋根にめりこんだ武器を引抜き、こちらに歩いて来る。


 言うことを聞かない膝に手を添え、なんとか立ち上がろうとした。それでも足に力が入らず、虚しく横に数歩よろけた戒斗は再び座り込んでしまった。


「く、くっそぉ……。今戦わなきゃ。今こそ……」


 左肩が何かに当たった。

 木造の壁。

 そうか、ここは民家が並んでいる一角であった。

 あの看板は酒屋で、奥が雑貨屋か。ということは、自分が住んでいた世界なら、我が家の近くじゃないか。霧がかかったような頭の中で、ぼんやりと、そんな事を考えた。


 座り込んだ身体に、ホブゴブリンの足が発する振動が伝わってくる。向こうも呼吸をすることさえかなり苦しそうである。喉から腹部まで、深く切った。呼吸が苦しいのも当然か。

 ここまで……、それでもこれだけ弱らせれば、後は三人に任せても大丈夫かもしれない。


「ゲームオーバー、か……」


 身体に力が入らない。

 ただ、右手に握った刀だけは決して離すまいと思った。

 自分は、戦ったのだ。

 今武器を手放してしまったら、最後まで全力で戦ったという矜持まで、一緒に離れていってしまうような気がした。


「ヒーローは、決して、逃げ出さない……」


 声を絞り出し、刀をホブゴブリンに向けた。

 もう一度力を込める。

 それでも、身体は起き上がってくれそうにない。ホブゴブリンが、戒斗の前に立ち武器を振り上げた。目蓋の奥に、鏡花の顔が浮かんだ。走馬灯というものなのか。


(鏡花……無事で……)


 不意に、犬の吠え声が聞こえた。

 そう思った瞬間、ホブゴブリンが悲鳴のような鳴き声をあげた。目を凝らすと、振り上げた右腕に矢が突き刺さっていた。武器と腕を貫き通した矢をなんとかしようと、ホブゴブリンは腕を抱えてもがいている。

 矢が、まるでホブゴブリンに食らいついているようであった。


『立て、戒斗』


 戒斗の頭に、懐かしい声が響いた。

 その声に、戒斗は思わず顔をあげた。

 あと数歩の距離まで迫っていたホブゴブリン。

 そのゴブリンの前に、ひとつの影が降り立った。


『頑張ったな、戒斗。さあ、立ち上がれ』


 影が、かすかに振り返った。その横顔に、戒斗は目を見開く。


「父、さん……!」


 影が、ほんの少しだけ、微笑んだ。


「父さん! 俺、俺……!」

『戒斗、大きくなったな。それに、立派になった。あと少しだ』

「俺……! 父さんの事ずっと誤解してて……」

『そんな事はない。それより戒斗、今のお前には、やるべきことがあるだろう』


 頷き、戒斗は力を振り絞った。

 震える足を叱咤し、立ちあがる。

 かすむ視界をこすり、目を見開く。

 いつもよりずっと重く感じられる刀を構えた。


『すげぇ化け物だよなぁ、あいつら。見ろよ、もう血が止まりかけている。やるなら今しかない。出来るか? 戒斗』

「ああ、出来る! この場所を、皆を護る!」

『良く言った。よし!』


 目の前の影が……サムライが、刀を構えた。

 戒斗も、父と同じように刀を構える。全身に力がみなぎっている。


『さあ、一緒にやっつけようぜ!』


 サムライと戒斗が、同時に駆け出した。

 頭が、全身が痛む。足に力が思うように入らない。口からは血が止まることなく流れ出している。視界は、未だにもやがかかったようにかすんでいる。

 それでも、それでも戦わなければならない時がある。


 矢を引き抜いたホブゴブリンが、武器を振り上げる。怯む事無く、突っ込んでいく。サムライと戒斗が同時に武器を振りかぶる。


 あの公園で二人、何度となく繰り返し描いた軌跡。


 サムライの影と、戒斗の動きが重なった。

 一つになった刀が、その切先が、向かう。


『「ヒーローは、どんな時でも逃げ出さない!」』


 一閃。

 一つに重なった刀が、ホブゴブリンの身体を走った。

 切り裂かれた上半身が、ゆっくりと下半身をすべり、地面に崩れ落ちる。重心を失った下半身が、膝をついて倒れた。


『強くなったな、戒斗』


 父の声が、頭の中にもう一度響いた。

 さっきまで見えていた父の背中は、どこを見まわしても影も形も無くなっていた。まるで、脳震盪を起こした頭が幻を見たかのようである。だが、あの鮮やかな切先は、自分の太刀筋とは思えない。


 父が、一緒に戦ってくれた。


「……ありがとう、父さん」


 戒斗の呟きに答えるように、柔らかな風が戒斗を包んだ。


切先の向かう異世界の更新も残すところあと3話となりました。

どうぞ、最後までよろしくお願いいたします。

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