第五十八話 弓の道
レイムーンが投石を行うゴブリンを抑えに向かってから、鏡花の援護は多忙を極めた。ほとんどの罠を使い切り、そのあとはロディに向かっていくゴブリンたちの足止めに終始していた。
横にいるアルコとルシーはロケット花火を使い切り、鏡花が次々と放つ矢を取り出しやすいように手でもち渡してくれていた。
時には、手持ち花火を使いロディに向かうゴブリンに火花をかけたりもしているようだ。
しかし、軽快に動き回っていた戒斗も、もう一匹のホブゴブリンと対峙を始めると、かなり苦しい戦いを強いられているようであった。
じりじりと下がる戒斗は、おそらく自分の援護を待っているのであろう。あの夜、自分が逃がしてしまった相手でもある。
先ほどよりも、距離が近づいている。
今ならば、自分の矢も届くはずだ。鏡花もまた、あの時の決着をつけるべく迫りくるホブゴブリンに向けて弓を引き、狙いを定めた。
その時、鏡花たちがいるバルコニーの奥の方で、木が折れるような大きな音がした。振り返った先には、裏口へ続く通路のバリケードを破壊した一匹のゴブリンが、壊した扉の奥から身体をすべり込ませている所であった。
その腕には、石斧のようなものが握られている。
「いけない、封鎖が破られた!? 二人とも、下がって!」
引いていた弓を一旦戻し、侵入者に向き直る。
そのまま持っていた矢をつがえ、弓を引き絞る。そうしている間にも、封鎖を破ったゴブリンが雄叫びをあげて一直線に鏡花たちに向かってきた。
速い。
鏡花が放った矢は吸い込まれるようにゴブリンの腹部に命中した。それでも、勢いは衰えない。すでに目の前まで迫って来ていた。
鏡花はゴブリンの視線を追った。
自分ではない、その目はルシーを抱くように庇っているアルコのほうに向いている。二人は、不意の出来事にゴブリンの動きに反応しきれていない。
「アルコさん、ルシー、危ない!」
咄嗟にアルコの背中を押し、二人を突き飛ばす。
視線に入って来た鏡花に、ゴブリンは勢いそのままに襲いかかった。振り下ろされる武器。鏡花は目を離さなかった。腰に付けていた矢筒を引き上げ、襲い来る凶器をなんとか受け止めようとした。
鈍い音がして矢筒が叩き潰され、脇腹に衝撃が走る。
「う……!」
武器を振り切ったゴブリンの腕力に、鏡花は吹き飛ばされる。
数度地面を転がり、ようやく腕をついて半身を起こした。荒い呼吸を繰り返すゴブリンが武器を振り回し、周囲のものを破壊しながらこちらに迫ってくる。
アルコたちに怪我は無さそうだ。弓は手放さなかったが、矢筒が壊され手元に矢がない。いや、あったとしても立ち上がり、矢をつがえて弓を引く程の時間はないだろう。
なんとか立ち上がろうとした足の先に、何かが触れた。
火矢に着火するために用意した、篝火の台座であった。
ゴブリンは、火を嫌う。
ロディの言葉が脳裏をよぎった。
「このっ!」
倒れたまま、思い切り台座をゴブリンに向けて蹴り倒す。篝火は派手に倒れ、大量の炎が舞った。突然降りかかって来た火の粉に、ゴブリンが唸り声をあげて後ずさった。
レイムーンに渡されたナイフを握り、身体を起こし地面を蹴る。攻撃を受けた脇腹に鋭い痛みが走ったが、気にしている場合ではない。
「あんたなんかに、構ってられないのよ!」
炎に怯えているゴブリンの首に、思い切りナイフで切りつける。悲鳴をあげたゴブリンが腕を伸ばし、鏡花を突き飛ばした。鏡花は、物凄い腕力に押されて再び倒れるが、すぐに立ち上がりナイフを構える。
片方の腕で首を抑えたゴブリンが、武器を構えている。戒斗でさえ苦戦するゴブリンと、自分が接近戦で渡り合えるとは思えなかった。それでも引くわけにはいかない。
「立ち止まってる暇は無いの! さっさと倒れて!」
駆け出す。ゴブリンが、大きく見えた。
速い、ダメか。
ゴブリンに向けた視線の端に、眩い光が飛び込んで来た。数本の火を付けた手持ち花火を掲げたアルコが、ゴブリンに向かっていく。火薬に火がつき、一斉に花火が噴き出す。突如飛び込んで来た激しい光に、ゴブリンの動きが止まった。
「鏡花さん、今のうちに!」
「たあぁぁぁ!」
まだ無傷な、ゴブリンの右側の首にナイフを走らせる。
嫌な手応えがあった。
それでもひるまずに、ナイフを思い切り眉間に突き立てる。ゴブリンの両側から、噴水のように赤い液体を勢いよく迸り、ゆっくりと倒れた。
頭から血を浴びたアルコが、膝を折った。
鏡花は震えそうになる自分を叱咤し、先ほど落とした弓と矢を拾いあげ、弓を引いた。
打たれた脇腹が痛む。構わず、倒れたゴブリンに向け一矢を放つ。
矢はゴブリンの腹部を斜めに貫いた。万が一まだ動けたとしても、矢が地面と腹部を縫い付け、容易には起き上がれないだろう。
「アルコさん、怪我は!?」
「私は大丈夫です、それよりも鏡花さんが!」
アルコの目線を追って、鏡花は自分の腹部に目を遣った。
矢筒で防いだつもりであった左の脇腹部分の胴着が、赤く染まっていた。手を差し入れると鋭い痛みが走ったが、手にそれほどの血はついていない。
「大丈夫、かすり傷です」
「奥で手当てを!」
「まだ皆戦っています。私だけ休んでいられません。それよりここはもう危険です。アルコさんはルシーや村の方を連れて教会の中へ」
「でも、お姉ちゃん!」
心配する二人をよそに、痛みをこらえて矢を立て掛けてあった壺のもとに駆け寄る。
「そんな……!」
壺は、ゴブリンによって破壊されていた。石斧の一撃を受けたのであろう。壺に立ててあった矢も、根こそぎ折れ、あるいは曲がってしまっていた。
これでは、援護が出来ない。
バルコニーから身を乗り出し、村の様子を見る。
すぐ下では、何匹ものゴブリンを切り倒したロディが、今なお数匹の敵と向かい合っている。
坂道の下ではレイムーンが民家の屋根で倒れ込んでいた。
戒斗が、矢の刺さったホブゴブリンと睨み合いをしている。
今動けるのは、自分しかいない。
しかし、自分がナイフを持って戦いにいった所で、足手まといにしかならないだろう。
「どうすれば……。矢が、矢があれば戦えるのに……」
村で用意した木の矢は短すぎて鏡花の弓には合わない。
村の弓では戒斗の位置まで届かない上に、矢を放ってもホブゴブリンにはダメージにさえならないだろう。現にレイムーンの弓矢でさえ、ホブゴブリンにはほとんど通じなかったのだ。
火矢に使った矢は、もう燃えてしまっている。それ以外の矢はゴブリンの動きを止めるために放ち、いくつかはそのままロディや戒斗が切ってしまっていた。
無事な矢もあるであろうが、まだゴブリンの跋扈する場所でそんなものを探しても居られなかった。下手をすれば、矢を引き抜いた途端に攻撃されかねない。
視線の先で、戒斗がホブゴブリンに吹き飛ばされた。
なんとか身を起こしたようだが、一方的に攻められている。
このままでは危ない。
鏡花は、思い切り歯噛みした。
自分はまたあの時のように、何も出来ないのか。
愛犬のレオとサムライに助けて貰った、あのはじめてこの世界に呼ばれた九年前のように。
それだけは、絶対に嫌だ。
戦うと誓ったのだ、レオに。サムライに。
「あの丘……。十字架、お墓に……。そうだ、あそこに!」
矢。あった。
弓道を自分の戦う道と決めた時から、ずっとレオに渡そうと思っていたもの。あの十字架に、レオの眠る場所に備えた、決意の矢。まだ、出来る。まだ、戦える。
ナイフをしまい、左手でしっかりと弓を掴み駆け出した。レイムーンが飛降りた場所に立つ。自分では使う事はないだろうと思っていたロープに手を掛ける。心配そうに見ているアルコとルシーに手を振り声を掛けた。
「下で戦います。二人は急いで中に避難を。通路を封鎖して、中で待っていて下さい!」
「でも!」
「大丈夫、私はまだ戦える! ルシーを護って!」
頷いてみせる。
アルコが、少し間を置いて頷き返す。
ルシーを抱きかかえて駆け出したのを確認し、鏡花はロープを使い教会の壁を降りていく。ロープの摩擦はかなりのものだが、右手につけたカケと呼ばれる弓を引く手袋のおかげで、切り傷や火傷など負う事はなく降りていく事が出来た。
眼下ではロディが今も戦い続けている。
そのすぐ横に飛び下り、ナイフを構えた。
「ロディさん!」
「危険だぞ! どうした、鏡花!?」
すぐ目の前で数匹のゴブリンと向かい合っているロディが、振り返らずに声を発する。鏡花も大声で返す。
「バルコニーにゴブリンが来たの! 封鎖を破ったみたい。なんとかやっつけて、皆は教会の中に避難させた!」
「封鎖が!? おのれ。怪我人は?」
「大丈夫、皆無事よ」
「そうか、良かった。それで、なぜここに降りてきた!? 危険だ!」
「戦いで矢が無くなってしまったの。墓場にいけばまだ矢がある。それで、あと一本射れる!」
「たった一矢のために!?」
「戒斗がホブゴブリンに苦戦しているの。レイムーンは戦いの後に倒れてしまった。ロディさんは今も皆を護っている。私だけがじっとしている訳には行かない!」
「鏡花……。よし、私が道を開く。走れ!」
ロディが声をあげ駆け出した。
その後ろを駆ける。
大剣の一振りでゴブリンたちが後ろに飛びのく。墓場までの道が開いた。二歩三歩、ロディが押していく。ロディが剣を振るい駆ける所、道が開いてゆく。
鏡花もすれ違い一匹のゴブリンをナイフで切り倒した。しかし、ナイフの浅い傷ではゴブリンの生命力を相手には出来そうにない。視界の端で、今切り倒した相手がゆっくりと起き上がる姿を捉え、鏡花は足を速めた。
教会の門に、二匹ほどのゴブリンが武器を打ち付けはじめた。
「ロディさん! 私はもう大丈夫ですから、教会を!」
「わかった。戒斗を頼んだ!」
ロディが再びゴブリンの群の中に躍り込んだ。すぐに一匹のゴブリンが大剣で刺され、そのまま放り投げられる。
鏡花は痛む脇腹を無視し、全力で駆けた。喧騒が少しだけ遠くなる。
墓場は、戦場となった村の中で未だ静寂を保っているようだ。
墓場の門を越えて一番奥、村を見下ろす場所にある、二つの木組みの十字架。駆け寄り、そっと手を触れる。
サムライの墓。サムライさん、どうか戒斗に力を――ほんの一瞬、鏡花は願いを胸に十字架を撫でた。そして、その横のレオの墓前に立つ。十字架に立て掛けた矢は、あの時のまま輝きを放っている。
「レオ……。お姉ちゃんにこの矢と、レオの力を貸して」
矢に手を伸ばす。
石や十字架の立ち並ぶ墓地に、風が吹いた。
吹き抜ける風が、動物の唸り声のような低い音をたててゆく。
レオが、傍にいてくれる。鏡花にはそう思えた。眼下に広がる戦場では、今も戒斗が戦っている。民家のすぐ傍に追い詰められているように見えた。もう一度、風が啼く。
すぐ横に、レオが来ている。
「レオ、お姉ちゃんね、戦える力をつけてきたよ。だけど、ちょっと足りなかったのかな? それでもね、皆をこの力で護りたい」
矢をつがえ、弓を引いた。
狙いを定める。
戒斗の前に立ち塞がるホブゴブリンへ。
あの夜、はじめて戦ったゴブリン。因縁か、ただの偶然か。その身体に突き立つ二本の矢は、あの時の自分の未熟さの証明に他ならない。視界に、敵だけが映った。
「レオ……、一緒に戦って」
レオが、見える。矢の先端から、レオが駆け出す。
矢、無意識に放っていた。
風を切り裂く矢が、吠え声をあげて飛んでいく。
鏡花の思いをのせた一矢が、一陣の風と共に駆けた。