第五十七話 剣の道
突如村の門前に現れた二匹のホブゴブリンに、村の中を突き進んでいた戒斗は後ずさった。
ここでは援護を充分に受けられない。いや、ホブゴブリン二匹を相手にするのであれば、ロディと合流したほうがいいかもしれない。そう考えている間に、二匹の中では小柄な方のホブゴブリンが動いた。
戒斗を無視し屋根によじ登る。そしてそこから教会のほうへ、投石を開始した。その勢いは凄まじく、教会の方角から鈍い音が数度届いて来た。
「あの野郎、何をしている!?」
この距離では、弓も満足には届かないだろう。
あの投石を無視するわけにはいかなかった。
追いかけようとした戒斗の前に、もう一匹のホブゴブリンが立ち塞がる。右の肩と足に矢が突き立っている。頭部の中心が、歪にへこんでいた。その姿を見た戒斗は目を見開いた。
「こいつ、あの時のゴブリンか!」
目の前のホブゴブリンが、持っていた棒状の金属を構えた。
何度も見た構え。これは、剣道の――
「正眼の構え? この野郎……!」
カッとなるものを覚え、戒斗は刀を構えて駆けだした。
急いで眼前の敵を打ち倒し、屋根の上のもう一匹を追いかけなくてはいけない。だが、前に踏み出した戒斗に、ホブゴブリンの武器が反応した。戒斗の手元目掛けて、手首のスナップを利用してコンパクトに武器を打ち込んでくる。
「小手打ち!? くっ!」
なんとか身をよじって手元に襲い来る武器を回避する。
ホブゴブリンがさらに一歩踏み込んでくる。
上段から構えた武器の打ち下ろし。
小手から面打ちの連打。
どちらもあの夜、戒斗がゴブリンに見舞った攻撃である。相手の武器になんとか刀を合わせた。激しい金属音が響き、武器から文字通り火花が散った。
体制を立て直そうと下がる戒斗に、ホブゴブリンが武器を打ち合わせたまま突っ込んで来た。最初に戦った時も真似をされた、組み打ちからの体当たりである。
あの時よりも巨大化した身体と発達した筋肉が、戒斗を吹き飛ばす。
「ごほっ!」
強力な突進に、数度地面を転がりなんとか身を起こす。
相手は再び武器を構えている。
「この……」
追撃が無いのは幸運であった。
おそらくこのホブゴブリンは、あの夜の戦いで今手にしている武器の扱いを学んでいるのだろう。あの時、戒斗は倒れている相手に攻撃をするような動作を行っていない、そんな動きは見ていないはずだ。
転がった戒斗に、どう攻撃をしていいか迷ったのかもしれない。
投石の音は止んでいた。鏡花かレイムーンの弓が効いているのだろうか。兎に角、今は投石ゴブリンの事は心配せず、自分の前に立ったホブゴブリンの相手に集中するしかなかった。
向かい合う。
あの時の戦いでは、鏡花の助けがあった。今は、少しずつ後ろに下がってはいるが、一向に援護は来ない。弓は届いてもいい距離である。
花火の音も、弓の音も聞こえてこない。
教会で、何かあったのだろうか。不安と焦燥が募る。
今すぐ教会に、鏡花の所に駆け出して行きたかった。しかし、今背中を向ければ間違いなくホブゴブリンの攻撃がくるだろう。しっかりと向かい合ってもいなすことの難しい攻撃を、逃げながら避ける事が出来るであろうか。
唸り声とともに、距離を詰めてくるゴブリンは、かつての自分を真似ているのだろうか。
少し落ち着きの無い足運び、しきりに動く剣の先。
そして自分を無理やり鼓舞するかのごとく何度となく発する声。
数日前、未知の世界で訳も分からず戦った自分が今目の前に立っているかのような錯覚さえも感じた。
「ぐるる……。あああああぁぁぁあぁ!」
ホブゴブリンが掛け声と共に襲いかかってくる。声の上げ方さえも今までのゴブリンとは違っていた。
どういう習性かはわからないが、この相手は戒斗の行動を出来る限りなぞるように動いているようだ。かつての戦いを、そして日々の稽古を思い出す。
小手からの面打ち、それを外せば仕切り直して再び向かい合い、組み打ちになれば体当たりを行う。
乱暴な突き、肩を狙った振り下ろし、下がる相手に追い打ちの面を打つ。
一連の動作は全て、戒斗があの戦いで行った攻撃であった。
しかし、攻撃を行ってくる個体は、戒斗よりもずっと力強く素早いホブゴブリンである。同じ動きをなぞっているだけでは、戒斗に勝ち目はないだろう。
激しい攻撃は躱し続けるのも並大抵の苦労ではない。
それでも、下手に組み打てばすぐさま体当たりで吹き飛ばされてしまう。乱暴な連撃をなんとか掻い潜りながら、戒斗は考えていた。あの時、あの夜の戦いの自分には欠けていた物、無かった物は何か。
今、ほんの数日前の自分よりも優っているものは何か。
そこに、攻撃の糸口があるはずだった。
「何が違う? あの時の自分と、今の自分と……何が、何が……」
いつの間にか、呼吸が乱れていた。巨体から振るわれる武器の圧力は想像を絶するものだ。武器が描く軌跡は自分の動きと同じでも、その迫力は決定的に違う。
向かい合っている相手から疲れは感じない。
このまま対峙を続けては、いずれこちらが先にばててしまう。どうすればいいのか。
唇を噛んだ戒斗の耳に、森の方から地面を揺るがすような大きな音が響いた。
ホブゴブリンの動きが止まる。
戒斗はその一瞬を見逃さなかった。駆け出す。
森の爆音。考えられることは、一つだ。
アズールが、やってくれたに違いない。
今の自分にあるもの、それは――
「今の俺には、仲間がいる! 皆がいるんだ! はああぁぁぁぁぁ!」
相手の構えを潜り、渾身の力で胴を払った。
熱い血しぶきを浴びる。
胴薙ぎの一撃でとどまらずに、ホブゴブリンの横を駆け抜けた。
そのすぐ後ろを、ホブゴブリンが振るう武器が風を切る音が走った。まだ、終わっていない。右の腹部から血を流したホブゴブリンが武器を構えて迫っていた。
「絶対負けねぇ!」
あの時の戒斗には無く、今の戒斗には有るもの。
決意、経験、仲間と、仲間を思う気持ち。
父への思い。
言い尽くせない程の物を、この数日の間に見つけたはずだ。
武器を構えた戒斗とホブゴブリンが、再びはせ違う。
世界も、種族も違う二つの生き物が振るう剣の戦いは、その激しさを増していった。