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切先の向かう異世界  作者: 緒方あきら
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第四十九話 月下の白刃

 豪勢な夕食を終えた戒斗が向かったのは、アルコの家の裏庭であった。

 食事の前、アルコにここに呼び出され見せられたのは、地面から立っている五十センチ以上はあろう太い木の棒にわらが巻かれたかかしのようなものであった。


 薪に使うには太すぎるそれは、サムライと呼ばれた父が刀の手入れを終えた後に使う、試し切りのための木材だという。

 アルコは、刀の手入れとともにこの木材の作り方もよく見ていたのだと話した。刀の扱いに少しでも慣れるために、というアルコの好意によって用意されたものである。


「サムライさんも、刀を手に入れたばっかりの時は、これを沢山作って練習していましたから」


 どこか寂しげに笑いながらそう話すアルコの目は、ずっと戒斗に向けられていた。

 いや、その目は戒斗にではなく、戒斗の姿から垣間見える父の面影に向けられているのだという事が、鈍感な戒斗にもなんとなく解かってきていた。


 彼女が話すのはそのほとんどがサムライとの思い出であり、それは二人で生きた時間の記憶なのだろう。かつて月夜の晩に自分が呼び出し、十年に及ぶ戦いの日々を共に過ごし、そして失ったはずの存在。

 だが、失ったはずの思い人は、再びやってきた。

 全く同じ、月夜の晩に木で出来た剣を持ち、あの時のように。


(アルコさんは、父さんの事を……)


 五本の木材が並ぶ裏庭にたどり着くと、戒斗は月明かりを頼りに木材に向かい、間合いを取った。

 刀を抜く。呼吸を整える。

 なぜか、父の事を思い出した。

 いや、父がここでこうして、同じように刀を振るっていたというのだから、思い出すのは当たり前の事なのかもしれない。


 父の剣。

 幼い頃、テレビに出てくるどんなヒーローよりも強いと思った、あの素振り。

 実戦を経て、あの剣はどこまでの高みに達していたのか。頭の中に、何度も見た父の剣の軌跡を思い描く。

 刀を頭上に構える。呼吸、三つ数える。踏み出す。


 右足がしっかりと地面を捉えている。

 右上から左下に、袈裟切りに振り落とした。刀を握る両腕に、鈍い反動があった。刀は木材の中ほどで止まっている。

 動きは悪くなかったはずだ、なぜ切れない――切りかかった姿勢のまま思案する戒斗の背中に声が掛けられた。


「踏み込みが、深すぎるんだと思います」


 振り返った先に、アルコが立っていた。

 月明かりを受けて、長い髪が作り出す影が顔にかかり、物憂げに揺れている。


「アルコさん、どうしてここに……」

「洗い物が終わりましたので、稽古を見せて頂こうと思って」

「そうですか。あの、踏み込みっていうのは?」


 アルコが、戒斗のすぐ横まで歩いてくる。

 洗い物に何か使ったのであろうか、果実のような甘い香りが、アルコとともにやってきた。アルコの白い、月明かりによく生える腕が刀の峰をなぞっていく。

 木材に食い込んだ刀の背に達したときに、その指がとまった。


「刀で何かを切る時は、ここよりももう少し先のこの部分。先端から、人差し指と親指を伸ばして出来た距離くらいの場所で切るのが一番切れ味が良いそうです。サムライさんは、物打ちと言っておりました」

「そうか、物打ち……。切先三寸の位置」

「はい。実際は、何を切るかによっても、刃には適した場所が違うんだそうです。ですが、今戒斗さんが打ち込んだ位置では刀の根本過ぎるんだと思います」

「そうか、近すぎたのか。道場稽古とは違うんだな」


 ため息を漏らして呟いた言葉に、アルコはくすりと笑いをこぼした。


「アルコさん?」

「あ、ごめんなさい! サムライさんも、同じ事を言っていたから。もう、ずうっと前にですけど……」


 父が刀を手にしたのは、恐らく十年前であろう。

 この人は、そのころのことまではっきりと記憶しているのだろうか。理由もわからずにもやもやする気持ちを振り払うように、刀を木材から引き抜いた。


「もう一度、やってみます」


 宣言して、一つ隣の木材の前に立つ。踏み込みを深くし過ぎない事。

 位置をしっかりと間違わない事。

 

 呼吸を整える。踏み込んだ。

 先ほどと同じく、袈裟切りに切り込む。手応えは、さっきよりも深い。

 だが、まだ木材を両断するには至っていない。奥深くに食い込んだ刃が、断ち切るまでわずか数センチの所で止まっていた。


 アルコが拍手をしながら横にやってきた。


「お上手です、戒斗さん。二回目でこんなに出来るなんて」

「でも、結局切り倒す事は出来ませんでした。今のは何がダメだったのかなぁ」

「多分、ですけど。踏み込みの距離を意識し過ぎていたんじゃないでしょうか? 腕や手首は力んでしまって固く、腕の振りも身体の動きも鈍かった気がします」


 まるで師範のような口ぶりに、戒斗はマジマジとアルコを見つめた。

 アルコは、恥ずかしそうに顔を伏せる。


「ご、ごめんなさい」

「いえ、全然! 謝らないで下さい。でも、凄いですねアルコさん。刀の事にこんなに詳しいなんて思いませんでした」

「私、サムライさんが試し切りをする時は、いっつも横で見ていたんです。切るのに失敗するたびに、今のは何がいけなかったのかとかも聞いたりして、それで口だけ達者になっちゃったのかもしれません。」

「口だけなんてことないですよ、勉強になります。よし!」


 もう一度、さらに隣の木材に向かう。

 距離、身体の動き、腕の力。

 すべてをしっかりと意識し、そして意識し過ぎて身体の動きが鈍くならないようにリラックスする。


(いつものように。いつも繰り返してきた素振りのように……)


 積み重ねこそ、強さである。

 そう心で唱え、踏み込む。気負いは無い。

 月明かりを照り返した白刃が、斜めに走った。両断された木材は、袈裟切りに切られた斜めの傾斜を少し遅れてゆっくりとすべり落ちていく。


「俺にも、出来た……」

「戒斗さん、凄いです!」


 駆け寄って来たアルコが、木材の断面に手を当てる。

 なめらかな傾斜に、つっと白い指先が触れる。


「綺麗。たった三回でこんなに綺麗に切れてしまうなんて」

「刀の手入れが良かったんですよ。ありがとうございます」

「そんな事……。そうだ、戒斗さん、これを」


 小さな、丸めた布で蓋をされた容器を取り出したアルコが、その容器を両手で戒斗の方に差し出した。小さな容器は学生服のズボンであればポケットにすっぽりと収まりそうである。


「これは?」

「いつも刀のお手入れに使っている油です。明日の実戦ではどれ程続けて切る事になるかわかりませんので、携帯しやすいように工夫しました。先端につめてある布には油がしみるようになっています。それで刃を磨くだけで少しは違うと思うのですが……」

「あの油ですか! 助かります。本当に、何から何まで」

「いいえ、村のために戦ってくださるのですから」


 戒斗は容器を受け取ると、中を一通り確認してからポケットにしまった。

 布蓋はしっかりととめてあり、戦いで動き回っても問題ないだろう。


「明日か……」


 鞘に当てた左手を握りしめる。ロディの決断は、思った以上に速い物であった。


「本当に、急ですね」


 少し戸惑ったように眉をよせて、アルコがぽつりと呟いた。

 確かに花火を地面に埋め込んだ以上、少しでも早く決戦に持ち込んだ方がいい。雨でも降れば火薬はしけってしまう恐れもあるのだ。


 戦いの準備は、村の生活も一変させた。

 皆、農作業とともに教会の要塞化に駆り出されていたし、罠の設置や食料の運び込みなどにも労力をとられている。弓の練習を開始する若者まで出始めているのだ。


 そうして現状を、ロディはあまり良く思っていないようだ。

 決戦を告げた時、一刻も早く村を元の姿に戻したいと言ったロディの気持ちは、戒斗にも解かるような気がした。農具を持っていたはずの手に武器が握られている姿は、自衛のためとはいえ余り見たくはない。


「アルコさん、決戦の時にはバルコニーで鏡花やレイムーンの手伝いを立候補したと聞きましたが?」


 戒斗の問いかけに、アルコは悲しそうに微笑んでみせた。


「私に出来る事は、それくらいですから。花火の扱いも勉強しました。私には、皆さんのように直接戦う力はありません。少しだけでも、お手伝いをさせてください。決して、足手まといにはなりません」

「ですが、危険です」

「どのみち、この村にいる事そのものが危険なのです。それでも、ここで暮らしたい。今村に残っている人たちは、そういう気持ちの人たちなのです。勝利も敗北も、村と共に。戒斗さん、これを」


 アルコが、戒斗の腕を取った。ひんやりと冷たい手が、戒斗の手首に優しく触れた。アルコの指先が、戒斗の腕に小さなブレスレットを巻いた。


「これは?」

「村の名産である生糸をより合わせて作りました。この村に伝わるお守りです。アズールや鏡花さんにもお渡ししてあります。皆さんの無事をお祈りして編み上げました」

「ありがとうございます、大切にしますね」

「もう、誰にもいなくなって欲しくないから……」


 アルコの表情には、歳に不相応な悲哀の色が見える。

 風に揺られる髪を抑える仕草は余りにも弱々しい。

 今にも夜の闇に飲まれてしまいそうである。

 十年以上、ゴブリンの脅威に晒され続けた。そして、その危機に立ち向かった人々を失ってきた。この村の十年間は、あまりにも悲しみに満ちている。


「……終わらせます」

「えっ?」

「この村の悲しみは、明日、必ず終わらせます。だから、どうか無事で。無理はしないで下さい」

「終わらせて、くれますか?」

「必ず」


 涙で濡れた瞳が、まっすぐに向けられた。

 その瞳は、戒斗だけを映し出していた。

 それでも、アルコは戒斗を見ていないのであろう。その中にある、父の面影を見ているのだ。そして、戒斗はアルコが父の面影を追う事に、かすかな安堵を感じていた。

 父は死なず。

 死してもなお、人の心に生きている。そう思えたのだ。


 だから、アルコの前ではただ憧れたヒーローとして振る舞えばいい。

 それが、アルコに父を忘れさせない事にもなるのではないだろうか。

 それは若い戒斗にとって、打算というには純粋過ぎる。しかし、愛情というには冷たすぎる触れ合いであった。

 ただ、月明かりが映し出す真っ青な世界には、悲しい位よく似合っていた。


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