第四十五話 黒幕
「魔方陣があった?」
レイムーンの報告を受けたロディが眉をしかめる。
軽装のレイムーンが頷いた。
「そ、魔方陣っぽいもの。二人が消えたあの泉さ、底の方から水がかなり強い力で湧き出していたよ。それが泉全体に水流を作っているんだけどさ」
ロディに手渡された布に身をくるみながら、レイムーンが言葉を続けた。
戒斗と鏡花が世界を移動したのは昨日の夜だ。
ロディはそれから夜通しで教会の要塞化の指揮を執っている。村長とアルコという娘の家の居間は、今は半ば作戦本部のような様相を呈している。
ロディとロンメルの指示のもと、村人たちも良く動いていた。ゴブリンに対する危機意識は相当に強いのであろう。長い間危機に晒されてもなお存続しているだけあって、全体のまとまりも良かった。
多忙なロディに配慮して、アズールと二人で森に調査に入ったのは今朝の事である。
アズールはなかなか森を熟知していたし、思っていたよりも腕も立った。
長年、たった四人で村をゴブリンから護って来ただけの事はある。
アズールくらいの腕前の人間が十人もいれば、ゴブリンを森から追い出せたかもしれない。
だが、この村で戦える人間は四人しかいなかった。護り続けるだけという消極的な戦いの中で、一人、また一人と倒れ、今はアズール一人しかいない。それでも、村を護っていたのだ。
ロディはその事に甚く心をうたれていた。
レイムーンは、大した奴だと見直しはしたが、それで気持ちが動くことはなかった。
自分であっても、仲間の危機ならば一人で戦う。
戦える人間として、当たり前の事をした。
それだけの事ではないかと思うだけだ。
もっとも、世の中にはその当たり前の事すらしようとしない者も多い。
そういう意味では、アズールは背中を預けることの出来る人間なのだろうと思えた。そのアズールと二人で森の泉を調査して、戻ってきたところである。
「多分、水流が小石を運んで自然に作り上げたんだろうね。水底に大きな魔方陣っぽいものがあったよ。もう一個の世界の石で、反応するんじゃないかなぁ? 確信は無いから試せなかったけど、きっとアレが何らかの作用をしていると思うよ。見慣れない石が泉の周りに多いってのも、それのせいかもね」
「そうか。ご苦労だったな」
「後の事は、そこに書きこんだ通りだよ。質問は?」
ロディが新たに情報を書き足された地図に目を落とす。
この村についてからずっと情報を書きこんでいる一枚絵の大きな地図は、至る所が黒い文字で埋まっていた。新たに加わった赤い○の印は、つい先ほどレイムーンとアズールが発見したゴブリンたちの巣である。
近くの風向きから周囲の植物や土の状態まで、事細かに書き記している。
報告した泉の調査はおまけのような物で、ゴブリンの巣の調査が二人の本命であった。
森で見つけたゴブリンに矢を射掛け負傷させ、逃げるゴブリンを巣まで追ったのだ。茂みをかき分けて逃げていくゴブリンの速度はかなりのもので、実際におびき寄せる時は街道に出て馬を使った方がよさそうであった。
巣の近くもよく調査して、決戦の時にゴブリンたちをおびき寄せる際アズールが潜む場所も決めた。
巣からだいぶ離れた森の一角に、油壷とともにアズールが身を伏せる。万が一にも気付かれない距離をとったが、その分アズールは油壷を担いで長い距離を進むことになるだろう。
森に関する事は、レイムーンと実際に作戦に当たるアズールが決める。ロディがそうするべきであると言ったし、レイムーンとしてもその方がやりやすかった。
アズールも、口は多いがやることはやるといった感じである。地図に視線を落としていたロディが、顔をあげた。
「情報はわかった、質問も特にない。助かったよレイムーン。少し、休んでくれ」
「ロディこそ、少しは寝たら? 徹夜したんでしょ」
「村長殿も夜を徹して村人の指揮をしておられる。私だけ休めるものか」
「ああそうですか。でもね、ロディは戦いが本番なんだから休みも大事だよ」
「その戦いだがな」
ロディが地図を指し示しながら話題を変えた。
レイムーンも地図をのぞき込む。
「戒斗と鏡花が戻り次第、準備を整えてすぐに開始するぞ。グロウゴブリンに時間を与えるのは危険極まりない。今までは護るだけの戦いで被害が出ている。向こうに都合のよい戦いばかりだったからな」
「ふふん、今度はこっちが主導権握ったろうじゃん」
「その通りだ。ゴブリンの群はかなりの規模になるだろう。死闘になるぞ」
「そういうのは皆が揃っている時に話せばいいよ。ロディ、死なないでね」
「お前もな」
話をはぐらかされたロディが苦笑して答えた。
レイムーンにとってはこの男とともに戦えれば、その戦いはなんでも良かった。ロディという正義がいるのだ。それに従う戦いに誤りなどない。
少なくとも、レイムーンの中には存在しない。
絶対的な正義の中で戦って、戦い尽くして、そしていずれ死ぬ。
なんと幸せな事であろうか。
森の中でたった一人で弓を抱えて駆け回っていた頃には無かった感覚が、レイムーンの胸に満ちている。昂りと愛おしさに、そっと手を伸ばした。ロディの頬に触れる。
この聖騎士がいる限り、自分は道を踏み外す事はないのだ。
「レイムーン?」
「少し、休むね」
訝しがるロディの頬から手を離し、レイムーンは笑顔を向けて踵を返した。ゆっくり休むようにという言葉を背中に受ける。
振り返らずに手で答え、そのまま村長の家を後にした。
通りをアズールが歩いてくる。ロディと何か打ち合わせだろうか。
「死に急ぎそうな顔してんなぁ、お前。気を付けろよ」
惚けたような目でほほ笑んでいるレイムーンに、アズールがぶっきらぼうに告げた。
「あんたもね、オッサン」
すれ違い様にアズールの肩をぽんと叩いて、レイムーンが答えた。
殺気といえば大袈裟だろう。
だが、戦いたいという気持ちが出過ぎているのかもしれない。
一刻も速く戦いたかった。ロディとともに立つ戦場は、レイムーンにとってはどんな教会や遺跡よりも神聖で荘厳な場所なのだ。これほどに解かりやすい正義は、他にない。
「頭、冷やさなきゃ」
熱い闘志は秘めておくべきである。
木材や石が運び込まれ、砦のようになった教会を見上げたレイムーンが熱っぽい口調で言う。踊るような足どりで坂道を登っていく。
あの教会の上にはどんな風が吹いているのだろう。
「良い風が吹いているといいな」
教会を見上げながら一人呟く。
聖騎士団遊撃隊に居た頃は、よく城の上まで登って風に当たっていたものだ。窮屈なはずのあの場所は、遊撃隊の皆のおかげでレイムーンにとって気持ちの良い居場所になっていた。
考えてみれば、彼らと別行動で騎士団を離れたのは、初めての事であった。
「ウィンチェスターやスカサハは、元気にしてるかな?」
仲間たちを思い出しながら小さく笑い声を漏らした。
思った以上にあの場所は、自分の居場所となりえていたのかもしれない。微笑みを浮かべたレイムーンが、村人たちの行き交う教会に向けて、ゆっくりと足を進めていった。
・・・
「首尾はどうだ?」
薄暗い部屋の中に、初老の男の低い声が響いた。
夜の闇の中で、燭台の炎が生き物のように揺れている。男の腰かける重厚な机の向こうに、一人の若い男が立っていた。
「二匹ほど、それぞれ痛めつけて鍛えておきました。ご要望の通り、厄介な感じにね」
「ほう?」
若い男の答えに、初老の男は興味があるとでもいうように身を乗り出し、机の上に手を組んだ。ろうそくの灯りが初老の男の顔を映し出す。
聖騎士団団長、バロルである。
その視線の先にいる男が指を一本立てて見せた。
「まず一匹目なんですがね。部下どもを使って取っ捕まえまして。木に縛り付けてね。延々と石を投げつけて半殺しにしてやりました」
「石を?」
「ええ。特に、腕をズタズタにね。あいつはきっと思ったんじゃないですかねぇ? 石ってのは恐いもんだって。こいつは有効だ、なんてね」
「今までに無い進化をするかも知れないな。もう一匹は?」
男の報告に、バロルはさも愉快そうに一つ頷き、次の報告を促す。
男がもう一本、バロルの前で指を立てた。
「もう一匹はもう、入念にね。一つ一つあげてちゃあキリがない程ですよ。ありとあらゆる苦痛をって奴です。切る、叩く、砕く、焼く、埋める、潰す、折る、あれもこれもの生き地獄ってやつです。ありゃあすげーことになりますよ」
「良くやってくれた」
バロルが満足げに大きく頷き、机の引き出しを開ける。
中から大きな麻の袋を取り出すと、机の上に置いた。ジャリ、と金属のぶつかり合う音がする。男が手を伸ばし袋を掴みとり、中を確認すると小さく口笛を吹いた。
「わぁお! こんなに?」
「それだけの働きをしてくれた。解っているとは思うが……」
「この事は、口外いたしませんよ。聖騎士団団長様」
「それでよい。また何かあれば合図を送る」
バロルが手を払う仕草を見せると、目の前の男が仰々しく一礼をして、部屋を去って行った。ドアの開閉に合わせ、ろうそくの灯りが揺れる。
机の上にはメイルローズの村に広がる森の地図が置いてある。
男がいなくなると、バロルはその地図を見つめ低く笑った。
ロディの行動は計算外のものであったが、これでその問題も解消されるだろう。それにしても、たった一つの村が十年以上もゴブリンの侵攻に耐えるとは、予想外であった。それも、あと少しで終わる。
とある村が、異世界と繋がっている。
そんな情報を得たのはもう十年以上も前の事だ。
村が自然と騎士団の管轄になるように、様々な手を尽くした。入念にしこんだゴブリンたちの被害で、村は音を上げて騎士団の支配下におかれるはずであった。
しかし、村は自警団を組織し、抵抗をした。
いつの間にか、異世界の人間もそれに加わり、ゴブリンの被害を防いで見せたのだ。ようやくその抵抗にも終わりが見えてきた時に、ロディのあの行動である。
「一時はどうなる事かと思ったがな。ようやくだ。これでようやくあの村が手に入るぞ」
バロルは長年の悲願達成を目の前に、一人ほくそ笑んだ。
不意に、地図に落ちるろうそくの影が揺れた。バロルが顔をあげる。
ドアは閉まったままだ。窓の無いこの部屋に、風が吹き込むような事は無いはずであった。その時、チリチリとろうそくの燃える音が聞こえた。
「ろうそくが尽きるか? 交換をせねばな」
地図をしまうと席を立ち、ドアを開け従者を呼びに出る。誰もいなくなった部屋の天井、その片隅で、ずれていた一枚の岩が音もなく開いた。
その奥に潜んでいたスカサハの姿は、部屋を出たバロルにも男にも、気付かれる事はなかった。