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切先の向かう異世界  作者: 緒方あきら
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第四十話 戦いの無い未来

 もう戻ってくる事は無い。

 そう思っていた世界に、早々に戻る事になってしまった。

 その事に鏡花は自嘲的な笑みを浮かべた。矢がこんなに早く尽きるとは、思いもしなかったのだ。

 いずれ尽きた時には代替えの矢を作れるようにしておく、と考えていたのは余りに甘い見通しであった。


 時計を見ると時間は午後八時を回っていた。もう矢を扱っている行きつけの武具店の営業時間は終わっている。朝になるまでは、何もする事がなさそうである。

 横に佇む戒斗はどうなのか。


「矢を売っているお店、今日はもう閉まっちゃってる時間だわ。私は、今夜は特になんにも出来なそうだけど、戒斗はどうする?」

「そうなの? ううん、俺は、どうしようかな」

「家には帰らないの?」

「うーん……」


 戒斗は腕を組んでしきりに何か考える仕草をしている。

 今夜のうちに準備出来る事は特になく、家族のもとに帰るつもりもない鏡花には、時間はたっぷりとあった。

 戒斗が悩んでいるのを、ゆっくりと待つ。

 一頻り悩んだ後、戒斗がぽつぽつと語りだした。


「もし、このままこの世界に居続けるんなら、今すぐ母さんの所に帰りたいんだ。けど、また向こうの世界で戦うのであれば、一度帰ってまた出ていくって事はしたくない。母さんに余計な心配をかけるだけだからね。まあ、メールくらいはしようと思うけどさ。にしても、会うのは全てが終わってからにしたいんだ。そうすれば、父さんの事もきちんと話せるし、向こうの世界を、父さんが護り続けた世界を母さんに見せる事も出来るからさ。……あっ!」


 何かに気付いたように、戒斗が竹刀袋に手を突っ込んだ。取り出したスマートフォンには、何度もメールが届いているようで、ちかちかと点滅を繰り返していた。


「着信四件、メール十件かぁ。どうすっかなぁ……」


 困ったように天を仰ぐ戒斗。

 彼の家は、たった二人の家族であるという。

 なかなかに難しい事であるだろうとは、鏡花にも察する事は出来た。

 丸一日連絡がつかなかったことを考えれば、むしろ着信は少ないくらいであろう。鏡花のほうは携帯は電源を落としたまま、放っておいている。


 九年前の事件の後、鏡花は家族に異世界の存在を何度も話した。

 彼女の両親は、そんな娘の言葉を、一度として信じる事は無かった。


 挙句、事件の後遺症なのでは心配され、精神科への通院を余儀なくされていた時期が鏡花にはある。

 今でこそ、信じてもらえないのは仕方のない事だという常識的な判断も出来るようになったが、当時は起きたことを有りのままに話す自分を信じてくれない両親に、随分と失望したものであった。


 結局、今に至るまで、その頃に出来た両親と鏡花の間の溝は、埋まる事は無かった。こうして向こうの世界に実際に行ってきた今も、その溝は大きく横たわっている。


 両親を異世界に連れていき、どうだと見せる事も今となれば可能であろう。

 しかし、そんな事にはなんの意味もない。

 家族は、自分の言葉を信じなかった。

 自分の訴えに耳を傾ける事は一度も無かった。

 どんなに異世界を見せて証拠を突きつけようとも、その事実が消える事はないのだ。


 戒斗の家族への思いは温かく、時に鏡花には羨望すら感じさせた。

 だからこそ、家族の絆の機微がわからない自分は、こんな時に何も言うことが出来なかった。それが、とても口惜しかった。


(いつも肝心な所で何も出来ないのね、私は)


 自嘲めいた無力感はここ数日何度も感じていることである。

 サムライの事。

 雨の戦いの中での無力さ。

 そして、今。

 様々な感情をシャットアウトした鍛錬の日々には無かった、色とりどりの感情の渦が、モノクロになりかけていた鏡花の心を苦しめる。


「――鏡花? おい、どうした?」


 下を向いた鏡花を、いつの間にか戒斗がのぞき込んでいた。

 思考に集中していた鏡花が、慌てて顔をあげる。


「な、何でもない」

「そうか……? じっと下を見て、なんかあったか?」

「ううん、石を。石を探していたのよ」

「石? ああ。こっちの世界の石か? しかし、ここも汚れちゃったな」


 思いつきの言葉はうまく戒斗をごまかせたようだ。

 ゴミの散らばったほとりを見つめ、戒斗がため息をついた。


「俺が子供のころはさ。もうちょっと綺麗だったよ、この辺。それがいつの間にかこんなにゴミを捨てられちゃってさ。ショックだよなぁ」

「そうね。確かに九年前にはきれいなほとりだったわ。今じゃああの時みたいに、レオと一緒に歩くなんて出来ないわね」

「ほんとだよ。よっと!」


 戒斗は小さく呟くと、足元に捨てられた空き缶を思い切り蹴り飛ばした。空き缶は放物線を描いて、見事に公園に備え付けられたゴミ箱に吸い込まれていく。

 カラン、と冴えた音が静まり返った泉ノ公園にこだました。


「家には、まだ帰れない」


 離れたゴミ箱のほうに視線を向けたまま、戒斗が言った。


「こんなぐちゃぐちゃな気持ちじゃ、余計に心配させるだけだ。それに、今母さんにあったら絶対に父さんの事を話してしまう」

「話しちゃ、いけないの?」

「いけなくない。でも、話したら、母さんにも父さんの守った世界を見せたくなる。だから、メイルローズの村のゴブリンどもをやっつけてから、全部を話す。そして、母さんを連れていく。父さんが守った世界を見て貰うんだ。それで、全部が綺麗に収まってくれる。そんな気がするんだ」

「……そうね、それがいいわ。お母さんに見て貰えたら、きっとサムライさんも喜ぶ」


 鏡花の目を見て大きく頷く戒斗。

 頷き返した鏡花が、提案する。


「戒斗の気持ちが決まったのならそれでいいわ。家の事は、私が口出しする事じゃないもんね。それで、戒斗は今夜はどうするの?」


 戒斗は腕を組んで唸り声をあげる。


「そこなんだよなぁ。友達の家に転がり込むかなぁ。でも、それだと家に連絡していない事とか、何か言われそうだし。うーん、まあ、俺は最悪野宿でも」

「刀を持ったまま野宿? ここ、元の世界なのよ? 学生服のまま野宿して、補導でもされたらどうするつもり?」

「あっ! いっけねぇ! そうだった、これがあるんだ。むう……」


 竹刀袋にしまったままの刀の存在を思い出し、戒斗はもう一度低く唸る。

 こちらに視線を戻し、何かに気付いたように口を開いた。


「そういや、鏡花はどうするんだ? 服装も装備も、俺より目立つぜ、それ?」

「私は今日は自分の家の物置小屋に泊まるわ。合鍵は家族全員が持っているし、家の敷地内だからコッソリと入る事になるけれど。でも、あそこなら人目も避けられるし、高さもあるから弓も置いておける。ちょっと蒸し暑いだろうけど、それは我慢するしかないわね」


 鏡花は考えている事を戒斗に話した。

 家の物置は普段は全く使われない。家の窓からも死角になる位置にあるので、うまく入り込めれば朝まで安泰である。

 今夜から明日にかけて、家族が日常通りに動いてくれれば、物置を開ける事もないはずであった。


 家族が出払うのを確認して、服を着替えて矢を買いに行く、というのが鏡花の立てた計画である。


「なるほど、物置か。暑そうだけど、確かにそういう条件なら隠れるのにはもってこいだよな。いいな~」

「あてがないなら、戒斗も来る?」

「え? いいの!?」


 鏡花の言葉に戒斗は大きく目を開いて問い返す。

 意外そうな顔をしている。想像もしなかった事なのであろうか。

 元々一緒に行動する予定であった鏡花からすれば、逆にその事が不思議であった。


「そんなに驚く事? 元々、戒斗の予定が無ければ一緒に行動するつもりだったのだけど」

「いやだって、物置に俺と一緒とか、嫌じゃない?」

「なんで? 一緒に戦う、仲間じゃない」

「そ、そっか。……ありがとう」


 軽く頭を下げた戒斗の顔は、少し離れた街灯の明かりでもわかるくらいに赤く染まっていた。照れる事なのか、という事も鏡花には意外であった。

 自分がずれているのか、戒斗がおかしいのか。

 戦いを終えて普通の暮らしを送れば、そういう事が分かる日も来るのであろうか。


 戦う事を夢見て来た九年間を経て、鏡花は初めて戦いの無い未来に思いを巡らせている自分に気がついた。


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