第四話 邂逅
「くっ……! おおお!」
思い切り踏み込んだ面打ちは木の枝を折り、そのままゴブレットにむかっていく。
だが一瞬の遅れはゴブレットに身を守る時間を与えてしまった。
動かなくなった左腕を右腕で掴むと、そのまま左腕を頭の上にかざし木刀の一撃を受け止めた。
「こいつ、う、腕を……!?」
躊躇なく自分の腕を盾にして攻撃を防いだゴブレットは、そのままの姿勢で戒斗に向けて突進してきた。
戒斗がつい今さっきゴブレットに見舞った、防御からの当て身をそのままやり返すような攻撃だ。木刀をうちおろした姿勢の戒斗は、避ける事も出来ず、ゴブレットの体当たりを胸部に強かに受けてしまう。
「ぐはっ!」
息が詰まるような重く鋭い衝撃に、戒斗は後ろに数歩後ずさった。
両足に力を込めて、その場に崩れ落ちそうになる痛みになんとか耐える。
だがよろけた戒斗の目の前で、再び距離の開いたゴブレットの筋肉が、大きく収縮していく。今にも突撃が来るだろう。
「げっほ! こ、このやろ……」
なんとか態勢を立て直そうと身体に力を込めるが、胸に受けた突進で呼吸が大きく乱れてしまい、うまく力が入らない。
そこには恐怖によって速くなった鼓動による、息苦しさもあったのかもしれない。
ゴブレットの足が地を蹴ろうとした瞬間、冴えた風を切る音が鳴った。
続けて火薬が弾けるような音が響くと、目の前のゴブレットが大きな悲鳴をあげた。
その右肩には、細長い羽の着いた木の棒が突き立っていた。矢である。
悲鳴をあげているゴブレットに向けてもう一度、風を切る音が響く。
ゴブレットの右足を矢が貫いていた。
「今よ!」
薄暗い深い森の奥から、凛とした女性の叫び声が聞こえてきた。
木々から零れた月明かりの中に弓を構えた女が立っていた。
「速く!」
女の言葉にハッとして、戒斗は木刀を握り直す。
突撃態勢を崩されたゴブレットは前のめりに数歩よろけている。
戒斗が今立つ道の上には、木刀の軌道を遮るものは何もなかった。
「おおおぉぉぉぉ!」
雄叫びをあげ、戒斗は渾身の面打ちをゴブレットの頭部に振り下ろした。
ゴッ、という鈍い音と一緒に、手のひらに堅い何かを砕く感触がはっきりと伝わって来た。
小さな唸り声をあげ、ゴブレットが後ろに倒れ込んだ。
戒斗は肩で大きく息をして呼吸を整え、少し離れた木の幹に目を遣った。
木の根に背を預けていたあの子供は無事であろうか。戒斗が子供のもとに駆け寄ろうとした時、森の闇から、長い大きな弓を持った女性が駆け出してきた。
女性はそのまま戒斗の横をすり抜け、子供の元に走っていく。
戒斗もすぐに後に続いた。
「君、大丈夫!? どこか怪我は!?」
女性の声はかなり若い。
戒斗と同年代であろうか。目の前の子供に一生懸命に声をかけている。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ!」
横に追いつき、戒斗も木の幹に寄りかかった子供に声をかける。
「う、ううん……」
子供が声を発した。
戒斗は胸をなでおろした。見た所、出血は無い。
意識があれば命に係わる事は無いだろう。
横にいる女性も大きく息をついている。
よほど心配だったのであろう。子供の頬に優しく手を当て、声をかけ続ける。
「君、どこか怪我は無い?」
「うん、だいじょうぶ……。ゴブリンは?」
ゴブリンとは、さっきまで戦っていたあの化け物の事であろうか。
状況からしても他に思い当たる存在はいない。
戒斗も女性の右側にしゃがみこむと、子供に声を言った。
「さっきの緑色の化け物なら、この俺とこっちの人がやっつけたぜ。安心しろって」
「本当に?」
子供が目をおおきくまたたかせながら、戒斗を見る。
大きな青い目をゆっくり横の女性に移していく。
頷き返した戒斗は、子供の目線を追って横の女性を見た。
ちらりと見えた横顔は、鼻梁の通ったスッキリとした顔である。
上半身には闇に浮かび上がるような白い胴着のような前合わせの服を着ていた。
下半身は腰元に切れ込みの入ったスカートのようなものを履いている。
袴というやつであろうか。
腰の所に何か、オレンジ色の刺繍がしてあった。薄暗い森の中で影になったその部分の文字が、どうしても読むことが出来ない。
女性は子供の髪をなで、落ち着かせようと優しく声をかけ続けていた。
「ほんとに、ほんとにお兄ちゃんとお姉ちゃんが、ゴブリンをやっつけたの!?」
木に捕まりながら子供が立ち上がった。戒斗と女性もそれに合わせて立ち上がる。
「ああ、ちゃんとやっつけたって。おいおい、立って大丈夫か?」
「歩ける? 痛むところは無い? もし歩けそうなら、あなたのお家まで送っていくわよ。ここは危ないかも知れないし……。あなたも、一緒に送ってくれたら助かるわ」
周囲を見回しながら、女性が言う。戒斗はすぐに頷いた。
「ああ、わかった。俺には何がなんだか、よくわかたないけど……。でも、細かい事は後だ、任せとけ! これも乗りかかった舟ってやつだ、一緒に行くよ」
「ありがとう」
月明かりに照らされた女性の顔がほころぶ。
月下に浮かび上がるその瞳は黒目がちで大きく、すっきりした鼻筋にシャープな輪郭が引き締まった印象を与える。
こぶりで薄い唇はどこかあどけなさを感じさせた。
持っている弓と着ている服からして、弓道をやっているのであろう。
しかし、なぜこんな森の中でそんな格好をしているのかはわからなかった。
とはいえそれは落ち着ける場所に着いてから、本人に聞けばいいことであった。
今は一刻も速くここから離れるべきであろう。目の前の子供がゴブリンと呼んだあの生き物が再び現れたら危険である。
立ち上がった子供に、戒斗は手を差し伸べた。
「よし、おまえんちまで行こう」
その手を取ろうと顔をあげた子供の表情が、不意にひきつった。
戒斗が子供の視線を追う。
その先では、戒斗が打ち倒したはずのゴブリンが、口から真っ赤な血を吐き出しながらゆっくりと立ち上がっている。
「なっ! そんな、バカな……!? 確かに、頭を……」
離れた距離から見ても明らかにわかるほどに、頭部の中心は大きく落ちくぼんでいる。
それでもなお、ゴブリンはブルブルと痙攣しながらも立ち上がろうとしていた。
「ぼっとしてないで! とどめを!」
女性が叫んだ。
戒斗がそちらを振り向く。
「こっちに持ってこれた矢はさっきので最後なの! トドメを刺して! 速く!」
「矢が、無い……? くっ……、やってやる! おおお!」
戒斗は矢が尽きたという言葉を聞くと覚悟を決めて駆け出した。
向こうが完全に態勢を立て直す前に、機先を制してやっつけてしまいたかった。
それは、あれほどの重症でなおも動く未知の生物の生命力への恐怖の裏返しに他ならない。
だが、ゴブリンは立ち上がるとくるりと背を向けて駆け出した。
足を射ぬかれているとは思えない、かなりのスピードで駆け去ってゆく。
戒斗は一瞬逡巡したが、矢が尽きたという女性と子供を置いて追うのは得策ではないと判断した。
振り返ると、女性も首を左右に振った。追うな、という事であろう。
だが、子供は違った。
「やっつけなきゃ!」
叫びと共に戒斗の脇を通りぬけ、子供が脱兎の如く駆け出していった。
真っ直ぐにゴブリンが逃げ込んだ方向に森の中に走ってゆく。
「待って! 危険よ!」
「追いかけちゃダメだ! あぶねぇ、戻れ!」
戒斗と女性は口々に叫び、森の奥へ向かう子供を追って走り出した。
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すでに書き終えた作品を修正しつつ投稿しておりますので、
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