第三十七話 パートナー
自分は、一体どうしたいのか?
ロディの言葉を受けた戒斗は、思い悩んでいた。
『誰かを理由にする事は、決して、してはいけない。すべては、君の生きる道なのだ』
『色々な事を考えて、一生懸命に全力で悩みたまえ。そうして君が出した答えが、唯一の、君だけの正解になってくれるだろう』
誰かを理由にしてはいけない。全力で悩み、そして答えを出す。
それが、唯一の、自分だけの正解となり得る。
ならば、戒斗の中の正解とは、答えとは何なのか。
何度も、自問を繰り返す。
自分はどうしたいのか。
一体、何を求めているのか。
何が心配で、どのようになればその心配は消えるのか。
そうするには、自分はどうすればいいのか。
自分の頭の中を掘り返すような思考は、頭痛と共に深い悩みを戒斗に与えた。それでも、戒斗は考える事をやめたりはしなかった。
スマートフォンを取り出すと、電波の入らないそれを起動させて、メール画面を開く。そうしてそこに自分の考えをいくつも箇条書きにしていった。
頭の中だけでは溢れてしまいそうな思考の一端を、指を走らせて記す。
【何がしたいのか】
・母を心配させたくない。
・この村も護りたい。
・勿論、戦うのは恐いし死にたくはない。
・父さんが立派であったことを、母に伝えたい。
・手記も見せたい。いや、父さんが守ったこの村を見せたい。
・母、父、村、……葉山さん。全部心配だし全部大事にしたい。
思いつく限りに書き記した考えは理路整然とはしていない。
だが、その分自分の願望は正直に書き出せたのではないかと思えた。
母を大切にしたいし、村も護りたい。
父の事も話したいし、手記も見せたい。
戦うのは恐いが、戦いに赴く鏡花は心配である。
あちらをたてればこちらが立たずという思いは、だからこそ自分で決める必要があるのだろう。
ヒーローはどんな時も逃げ出さない。
憧れていた言葉は、こんな時には随分と虚しく響く。
何かを選ぶという事は、他の何かから逃げることなのではないか?
戒斗の心の問いに、答えは見つからなかった。
全てが欲しいという、取り留めのない欲望だけがずっしりと横たわっているだけである。
「自分のわがままってわけでも無いのにな」
画面を見つめて、戒斗がぽつりと零す。
苦労をしたくない。頑張りたくない。
そういう無茶を願っているつもりはない。
全力で戦う事も、いとわない。いとわないし、懸命にもなろうとしている。それでもこの思い全てをかなえる事は出来ないのだ。
父の事を思った。
きっと、彼も今の自分と似た状況なのだろう。
あの時にはロディたちはいなかったのだし、もっと村の方が切迫していたかもしれない。そんな中で、悩みぬいた末に、父はここで戦う事を選んだのだ。
その葛藤の深さの一端は、戒斗も手記の中で垣間見ている。
「俺、どうしたらいいんだろう。どうしたらいいのかな、父さん……」
目の前の十字架に、何度目になるかわからない問いかけの言葉を投げた。
物言わぬ十字架が、静かに戒斗を見守っていた。
その横には、鏡花の愛犬の十字架が立っていた。鏡花の決意を示すように、墓には矢が立て掛けられている。これほどに、揺らがない程に思い定めることが出来る鏡花を、戒斗はただただ尊敬した。
その意思は何よりも強いのだろう。
幼い頃に降りかかった不幸、そこから逃げることはせず、むしろたった一人、次の時に備えて九年の間自分を鍛え続けたのだ。
だが、そんな鏡花にもたった一つ、サムライの死という誤算があった。
精神的な支えとしていた人物の死。
それでもなお、彼女は戦うのであろう。
十字架に置かれた矢が、彼女の闘志を物語っていた。
「未来の自分に恥じない選択、か」
父は、家族に金銭を残し、働き手の役目は全うして去ったようだ。
手記にも金銭を残したという記述があったし、戒斗も金銭で苦労した記憶はない。
そうして、自身は戦場に赴いた。
父は、金銭を残す事で父親としての役目を放棄したのであろうか。それとも、父として子に道を説いたからこそ、厳しい道を自ら歩んだのであろうか。
父は、自分にも家族にも恥じない選択をしたのか。
本当に父の十年は、この村で息づいているのであろうか。見知らぬ世界で戦って死ぬ事を、自分はがえんじる事が出来るのであろうか。
母には黙って戦い、勝利して家に帰る。
母を心配させず、村も鏡花も護る方法。父の事も話せ、手記も見せることが出来、ここに母を連れてくることだって出来るかもしれない、唯一の方法。
わかっていた。だが、それは可能なのかと自分に問う。
その道を目指した、自分よりもずっと強かった父はどうなったのかと思う。その覚悟が、自分にはあるのか。
「闘わなくてはいけない時……」
幼い頃の、父の教え。
自分で背負うと決めた責任。
ルシーを護る、そう決めてここに来たのは自分自身だ。その約束は、まだ道半ばなのかもしれない。何よりも、ここで逃げれば、もう胸を張って前を見て歩くことが出来なくなりそうであった。
生きながらの死。
自分が自分で無くなった時、雨宮戒斗という人間は無くなるのではないか。
愚かな意地かもしれない。
だからこそ、自分がこだわるしかない。
自分だけは、騙すことも出来ない。自分からは、逃げることは出来ない。
刀に手を掛けた。
ずっしりとした重みのある刃を抜く。
白刃が、陽を浴びて青白く輝いた。自分の顔をその刀身に映し出す。
自分に恥じない選択。
それを選ぶ時は、間近に迫っている。いつ、再び戦いがはじまるかもわからないのだ。
刀に映る自分が、ぼやけていた。曇っているのは刀身か、自分の目か。それとも、決心か。わからないまま、戒斗は刃に映る自分を見つめ続けた。
「戒斗、くん」
不意に名前を呼ばれて、戒斗は顔をあげた。
目の前に、少し頬を赤らめた鏡花が立っていた。どれほどここで座って刀を見つめていたのだろう。すでに、かすかに陽は傾きつつあった。
「葉山さん?」
帰りが遅いので呼びに来たのであろうか。
鏡花は目を合わせようとせずに、短く要件を告げた。
「ロディさんがロンメルさんの家まで来ているわ。作戦を説明したいって。だから、戒斗くんも……」
「ロディさんが? わかった。……ん? 戒斗くん?」
戒斗は不意に感じた違和感に気がついた。
鏡花に呼ばれる名前が変わっていた事であった。鏡花の顔を見返す。
鏡花は元々逸らしていた顔を、さらにぷいとそらして歩き出した。
「じゃあ、伝えたからね」
「あ、ちょっと。葉山さん、俺も行くよ!」
刀を鞘に納めて立ち上がり、戒斗はすでに歩き出した鏡花に続いて坂道を下ってゆく。
半日前に死闘を繰り広げた道は、今は平穏である。二人で並んで、静かな村を眺めながら歩く。この村の静けさを、守り切ることが出来るだろうか。
「レイムーンが」
「レイムーンさん?」
「一緒に戦うパートナーなのに、呼び名が堅いって。だから」
「ああ、そういう事」
自分がここでロディと話している間に、鏡花もまたレイムーンと何かを話していたのかもしれない。
確かに呼び名はお互いに堅いとも言えた。
しかし、馴れ馴れしい呼び方は、鏡花が嫌いそうな雰囲気もあったのだ。その鏡花が歩み寄るようにしてくれるのであれば、戒斗には願ったりである。
「そっかぁ。じゃあ、よろしく、鏡花!」
「よ、よろしく……戒斗、く」
「んん?」
「……戒斗」
赤くなりながら目を背けた鏡花の姿が、いつもの冷静な様子と違い愛らしく、戒斗は頬を緩めた。
鏡花も、普通の女の子なのだ。そんな当たり前の事を思う。
少しでも自分に心を開こうとしてくれているのであろう。
それが、戒斗にはとても嬉しかった。
「ありがとう」
「……別に」
「嬉しいんだ。ありがとう」
「……ん」
鏡花が髪を揺らして、こくんと頷いた。
そうこうしているうちに、ロンメルの家はもう目の前まで迫っていた。戒斗は軽く自分の頬を叩いた。
「よし、いこっか」
「ええ」
気合いを入れて声をかけると、いつもの静かな声が返ってくる。
パートナー。
心強い称号じゃあないか。
戒斗はもう一度大きく頷いて、玄関のドアを開ける。