第三十六話 一人きりの九年
「よくわからないけど、レイムーンにはロディさんがいるんじゃないの?」
「それもそうね」
鏡花の反論に、レイムーンは可笑しそうに笑った。
「確かに、あたしにはロディがいるわ。聖騎士団遊撃隊の仲間もいる。もう、これ以上は持ちきれないかな」
「持ちきれない程の仲間か、羨ましい。私はずっと独りだった。もう一つ世界があるなんて、そこで戦うだなんて、誰も信じてくれなかったから」
「こんなかわいい子を信じられないなんて、つまんない奴らよねー」
「顔は、関係無いわ」
レイムーンは、仲間の事を屈託なく語り、微笑んでいる。
それが、鏡花にはとても羨ましく思えた。
仲間という、輝かしい宝石を愛でるような優しい微笑み。
そこには先ほど教会で見せた怜悧で鋭い印象は無い。とっておきの宝物を友達にこっそり見せるような、自慢げな、それでいて茶目っ気のある姿であった。
「私の事ばかり話してしまったけれど。レイムーンは、ロディさんとずっと一緒に戦っているの?」
その幸せそうな笑みにつられて、鏡花が質問をする。
「結構長いよ。かれこれ、そうね。五、六年は一緒にいるかな」
「そんなに。息も合う訳ね」
指折り数えたレイムーンが嬉しそうに頷いた。
「ええ。ロディについていけば間違いは無い。おかげで、迷うことも随分減ったわ」
「間違いが無い?」
「そう。ロディはね、正義なの。騎士、なんていうお堅い概念はあたしには理解出来ない。でも、弱きを護りどんな危機にも駆けつけ、人々のために戦い続けるロディは正義。その剣で、行動であまたの人の命を救ってきたし、これからも救っていくんだろうね。あたしの知る限り、たったの一度でさえ、あいつは自分の道を曲げたことは無い。不器用過ぎるほどに不器用で、正直過ぎるほどにバカ正直なんだ。だから、あたしは安心してロディについていける。ロディについていけば、安心して死ぬことだって出来る。ロディと歩む道の中で迎えた死なら、それは正しい最後だったって胸を張れるからね」
信じるものについていく。
レイムーンはそう決めてロディと共に戦い続けているのか。
確かにあの青年は、単身騎士団を抜け出してまでここに駆けつけてくれた。
その力で、これまでも多くの者を救ってきたのだろう。そして、彼にはレイムーンのような、彼を信じる仲間がいる。
感心していた鏡花に、レイムーンは眉を持ち上げておどけてみせた。
「それにね、あたしも迷った事はあるんだ。ただついていくだけでいいのかってね。その時にロディが言ってくれたんだ。志のある人間を信じ付いていく道もまた、立派な騎士としての生き様だってね。もっとも、あたしが相談したときは、付いていく相手が自分だなんて思いもしなかったみたいだけどね、あの鈍感は。だから、あたしはロディという人間を信じた。目を閉じて信じるわけじゃあない。ロディがもしもロディらしくない事をしようとすれば、止めるし話し合う。そのためにも、あたしはあいつの傍で戦っていたいの」
一度言葉を区切ると、レイムーンは風を読むかのようにすっと腕を中空に差し上げ、空を見上げた。
森がかすかに鳴く。
木々の音が止むと、レイムーンは鏡花の目を見て言った。
「あたしにはロディがいた。あいつがいてくれて、あたしには道が出来た。それまではあたしも、今の鏡花みたいに独りで戦って、独りで生きていた。あの時より、今はずっと生きているって気がするんだ。似ているって思ったせいかな、こんなお節介を焼くのは。でも、あんたとあの坊やもさ。そういう風に、良い関係になれたらいいねって。そう思っているよ。ようやくこれた場所なんでしょう? 素直に、なれたらいいね」
照れたように微笑んだレイムーンが、踵を返し歩き出した。
話は終わりだというように、一度だけ振られた手に、鏡花は頭を下げる。
「レイムーン、話してくれてありがとう」
独りで戦い、独りで生きる。
それは、この世界に来た時にサムライの存在で解消されるはずであった。
しかし、サムライは倒れ、この世界に来ても鏡花の孤独な、色褪せた風景には色が塗られることは無かった。
戒斗が居た。
アズールが居た。
彼らは、鏡花が求めていたサムライに似ていた。
特に戒斗は、とてもよく似ていた。彼らが親子であったなんて、一体どんな運命の悪戯なのだろうか。
けれども、どんなに似ていても、戒斗は戒斗なのだ。
サムライと重ねるような事は、自分の中で禁じていた。
九年前の記憶と、九年間の思い。
孤独に研ぎあげてしまったその気持ちの向ける先は見つからないまま、心の端っこで泣き声をあげている。レイムーンには、その声が聞こえていたのだろうか。
醒めた目と素っ気ない口ぶりは、学校に居る時の自分を思わせる。
『あたしには、ロディがいた』
レイムーンの言葉が蘇る。
渡されたナイフを握り締めて、目を閉じる。
ホブゴブリンに襲われた時、バルコニーから飛び降りて助けてくれた戒斗の背中が、まぶたに浮かんだ。サムライの背中は、なぜか思い出せない。
かすかな戸惑い。
気持ちを押し殺すことには慣れていたはずだ。
この世界が、自分の心を揺れさせるのか。
「素直な自分、か。レイムーン、そんな自分は、私でさえわからない。……雨宮君。……戒斗……私……」
小さな声で、名を呟く。
この世界の存在を唯一信じてくれた男の名前を。
強い風が、森を揺らす。
森に鳴り響く木々のざわめきが、鏡花のか細い声を包み、かき消していった。