第三十四話 ロディの覚悟
まさか……振り返った戒斗の前に、ロディが立っていた。
戦いの最中につけていた全身を覆う甲冑は無く、胸当てや小手をはめているだけの軽装である。
「すまない、祈りの邪魔をしてしまったか?」
「ロディ、さん……」
「私の事はロディでいいよ。私も君を戒斗と呼ばせてもらっていいかい?」
「それは構いませんが。でも、呼び捨てなんて出来ませんよ」
「そういう改まった口調も必要無い。共に戦った戦友ではないか」
微笑んだロディが、戒斗のすぐ横にしゃがみこみ、二つの十字架の前で手を組んだ。
「この村のために戦った者たちか。私がもっと早くに騎士団に見切りをつけて駆けつけていればな。すまない」
「俺も、ロディさんと似た事を考えていたんです。もっと早く、この世界に来ていれば……」
ロディが、戒斗をまじまじと見つめた。
その視線に気付いた戒斗が、首を傾げる。
「何か?」
「いや、ロンメル殿から話は聞いた。君たちは異世界から来たんだってね。なんとも不可思議な話しだ。しかし、君は我々と何も変わらないな、と思ってね」
「そうですね。俺は急にこっちに来て、戦いばっかりで。といっても、戦ったのは二回ですが。それでもこっちに来てからはずっと慌ただしくって、あまり不思議に思うひまも無かったです」
弱々しい笑みを浮かべる戒斗に、ロディは頭を下げた。
「大変だったな。ありがとう、戒斗。君や鏡花が戦ってくれたおかげで、この村は被害を免れた。ホブゴブリンとゴブリンたちの襲撃は、アズールという村の男だけでは防ぎきれなかっただろう。騎士として、礼を言う」
「そんな。村を救援に来てくれたロディさんにお礼を言われる事では」
「私が所属していたアルカディア聖騎士団は、本来ならば騎士として王国周辺のすべての街、村の治安を守るべき任務があるのだ。君たちがいなければ、ここは取り返しのつかないことになっていたかもしれない。感謝している」
戒斗を見つめるロディの目には、強い意思が宿っているように思えた。
その真っ直ぐな輝きは、迷い続けている戒斗にはとても眩しいものであった。
「騎士として……」
「そうだ。それこそが騎士の役目だ」
「それで、たった二人で騎士団を抜けてまでここに来たのですか?」
「ああ、その通りだ」
「どうしてですか?」
「うん? 何がだい?」
「だって、村を護るのは聖騎士団という組織の役目なんですよね? でも、ロディさんは村を救うために、その聖騎士団さえ抜けてしまったのでしょう? 聖騎士団でなくなったのなら、危険を冒して戦う理由はあるのですか?」
「そういう事か」
ロディは立ち上がると、ゆっくりと背負っていた大剣を抜き、自分の目の前にかざした。
かなり重たそうな剣だが、力負けしている様子は全くない。
細いともいえる身体のどこに、それほどの力があるのだろうか。
「私は騎士だ。それは、違う世界にいる君にはわかりにくい事かも知れない。でもね、騎士として生まれ、騎士として生きているんだ。その生き方に、誇りを持っている。騎士は日々、有事に備え自分の心身を鍛えている。私がただ己を鍛え、平和な街の治安維持だけで生きていられるのは、王国に仕える民がいて、その民たちが、国に様々なものを納めてくれているからだ」
ロディが剣を一振りして、慣れた手つきで大剣を鞘に戻す。
巨大な剣が空気を切り裂く音が、静かな墓場に低く響いた。
「そうして日々、民たちに支えられている騎士は、有事の時こそ民を守らねばならない。そうでなくては、我々騎士はなんのために存在しているのかわからなくなってしまう。騎士の家に生まれ、その道を生きて来た。自負もある。よく言われるよ、何をそこまで必死に戦うのかとね。でもね、私は当たり前の事をしているだけだ。騎士として、危機にある村を、民を護る。それすら出来ないのであれば、なんのための騎士か。私は自分に恥じたくない。自分の生き様に、そして死に様に誇りを持っていたい」
ロディが戒斗を見つめて、ふっと笑った。
まだ若いこの騎士は、一体どれだけの厳しい鍛錬を積み、どれだけの人々を救ってきたのだろうか。
風のように颯爽と駆けつけ、鋭い一撃であのホブゴブリンを一刀のもとに仕留めた手腕は、凄まじいものであった。
強い思いが、この男を強くしているのか。戒斗は束の間、そんな事を考えた。
「自分に、恥じない……。誇りですか。貴方は、ヒーローなんですね」
「ヒーロー?」
「英雄って言えば、わかりますか?」
「英雄か。そんないいものじゃあないよ。どれだけの命を救い切れなかったか。わが身の至らなさを嘆くばかりさ」
戒斗は立ち上がり、ロディをじっと見つめた。
この男の強さは、なんなのか。
自分を騎士だと思い定め、その道を進むと決めた。その覚悟が、彼をこれほどに強くさせているというのか。
「怖くは、無いんですか?」
「怖い、というと?」
「ゴブリンや、化け物を相手に戦う事です。今までも、ずっと戦ってきたのでしょう。騎士の勤めだと、そう決めてしまえば、戦いへの恐怖は無くなるのですか?」
ロディは首を横に振り、村のほうに目を向ける。
肩当てに施された紋章に、そっと手を置いた。
「怖いさ。戦いは怖い。傷つく事は痛いし苦しい。戦場に行くとき、危険な場所に駆けつける時、戦っている時。いつだって怖い。時には震えが止まらなくなる。私はきっと臆病なのだろう。でもね、それでも戦わなくてはいけない。聖騎士団に、騎士に、私に救いを求める民がいる。助けを必要としている者たちがいる。そして、私には戦う力がある。いいや、戦うことしかできない」
ロディが、顔を戒斗に戻した。厳しい表情が、不意にほころんだ。
「だから、私は私に出来る事をする。不器用なのさ、私は。これしか能が無い。それでも、戦う事だけはやめないつもりだ」
喋りすぎたかな、そう言ってロディは苦笑した。
戦う事しか出来ない。
その言葉は、戒斗の胸に刺さった。
自分には、何が出来る?
何も出来やしない。出来るとすれば、ロディと同じく戦うことだけだ。
どうすればいいのか。父は、戦った。戦って、戦い続けて、そして死んだ。
いつか家族の元へ、その思いは果たされることも無かった。
「ここに眠る人は、十年間この村のために戦い、死にました」
「ああ。ロンメル殿からも聞いた。とても強い人であったとな。共に戦うことが出来なかったのが、残念だ」
「俺も残念です。とても……。この墓標の下に眠っているのは、俺の父だったんです。たった今、それを知りました」
「この村をずっと護っていた男は、君の父親だったのか」
「父の書き記したものが、俺が世話になっているロンメルさんの家に多数残っていたのです。俺の世界の言葉で書かれていて、誰も読めなかったみたいです」
「それを読んで、君はここに来たのかい?」
「はい」
十字架をじっと見つめる。
どんなに言葉をかけても、もう父から言葉が返ってくることはないのだ。やりきれない思いと、もう答えの出ることの無い疑問の数々。
それは一人で抱えるには、余りに重い。
戒斗は、言葉を何度も途切れさせながら、ロディに問いかける。
「出来ることをする。それは、わかるんです。わかるっていったら違うのかもしれないけれど、そうした方がいいんだろうって、それは俺も思えるんです。でも父は、サムライはどうだったのでしょうか? 父の記した日記には、人の道を違えるわけにはいかない、恥じる事無い強い男であろうと書いてありました。でも、死んでしまった。母にも、俺にも会うこと無く、死んでしまった。父が、責任も誇りも捨てて、俺の世界に、我が家に帰って来てくれていたら、父も母も、俺も……。静かに、幸せに……」
「戒斗……」
「父は、ゴブリンたちを退治して、元の世界に戻る事を考えていたんです。その思いを糧に戦い続けてきた。それなのに……」
「戦う道を選んだ。相手を殺す戦いを選んだ者は、相手に殺される覚悟もしなくてはいけない。十年もの歳月戦い続けた男だ、その覚悟もあったはずだ」
「無駄死に、ですか?」
ロディは大きく首を横に振る。
「そんな事は無い。彼の十年が、今この村のこの生活の礎になっている。今も彼の戦いは、その献身は息づいている。死ねば、消えてなくなる事もある。終わってしまう事も沢山ある。それでもね、誰かのために戦い続けた彼の志と軌跡は、決して消えはしない。この村の人々の中で生き続ける。私はそう思う」
消えはしない。
生き続ける。
戒斗は襲撃の被害を受けてもなお動き始めた村を見下ろしながら、ロディの言葉を胸の中で反芻した。
綺麗事と言ってしまえば、それまでの事かもしれない。
けれど、父が戦い続けてきたからこそ、確かにこの村は傷つきながらも、存続出来ているのだ。
道で行き交う人たちが、笑顔を見せている。
作物を収穫している人が、子供に笑いかけている。
手をつないだ親子が、教会への坂道を登ってきている。
この景色は、父やアズールや、戦ってきた村の人間たちによって護られてきた風景なのか。
彼らの中で、父は生きているのであろうか。
ふと手をつないだ母子を見て、戒斗は胸が痛んだ。
「もしも……、もしも俺がここで戦う道を選んでしまったら、父を失った母は一人きりになってしまう」
「戒斗の母君が一人に」
「俺にはわからないんです。戦いたい思いと、逃げ出してしまいたい思い。色々、ぐちゃぐちゃと頭の中で葛藤しています。でも、一つだけずっと心配な事がある。母を、一人にしたくない。母はきっと、俺を待っている。どんなに卑怯者になろうと、弱虫であろうと、逃げ出そうと、母はきっと」
「戒斗」
堰を切ったように言葉を溢れさせた戒斗を、ロディが静かに、しかし強い言葉で止めた。
「母を、逃げる理由にしてはいけない」
「俺は、そんなつもりじゃ!」
「いいか、戒斗。母を思うこと、大切にして心配する事は良い。だが、戦いを避ける理由を人に押し付けてはいけない。母のために逃げた、そんな風にしてしまってはいけない。戦いを辞める事、背を向ける事の何が悪い? 君はただ巻き込まれただけではないか。巻き込まれた戦いから離れる事に、理由などいらぬ。逃げ出していいのだ。ただ、逃げ出す理由を誰かのためなどとしてはいけない」
「……逃げて、いい?」
「そうだ。さっき言ったね、私は騎士だと。騎士として生きるからこそ、私は戦うのだ。けれども、君はそうではないはずだ。異世界という所から、たまたまこの戦いに巻き込まれただけだろう。元の世界に戻る事も、戦いを辞める事も、卑怯な事でも何でもない。見捨てるような気持ちになるというのも、わからないではないけれどね。戒斗、君は自由に決めて良いのだ。その代わり、自分で決めるんだ。誰かが、ではない。自分が、自分の意思でどうするかなんだ」
「自分で、決める……」
ロディが頷いた。戒斗の肩に手を置く。
その手が、戒斗を励ますように数度、力が籠められた。
「ああ。母君を大切にするのは素晴らしい事だ。それなら、母が待っているからではなく、母が大切だからと考えるべきだ。母が待っていなければ、戦えたのに……。いつかそんな風に考えたくはないだろう。母君を、足かせにしてはならない。生きていれば、何かを悔いる事もある。戦いか、帰還か。大きな選択だ。きっと、これから生きていく上で何度も思い出す事もあるだろう。その時、未来の自分に恥じない選択をするんだ。自分と向き合い、自分自身で決めるんだ。悩んでいい。迷っていい。だが、誰かを理由にする事は、決して、してはいけない。すべては、君の生きる道なのだ」
君が決めるんだ。
戒斗の肩に置いていた手を、胸に当てトンと叩いた。
「共に、戦おう。これは私の意見だ。何でも相談にも乗る。これは、私のおせっかいかな。私は意見も言うし、必要であれば厳しい事も言おう。だから、色々な事を考えて、一生懸命に全力で悩みたまえ。そうして君が出した答えが、唯一の君だけの正解になってくれるだろう」
ロディが大きく息を吐き、笑った。
「本当に、お喋りになったものだな、私は。隊長等という物をやっていたせいかな、説教臭くなってしまった。私自身もまだまだ未熟者なのだ。これは未熟者の戯言と思って、頭の片隅に置いておいてくれ。それじゃあ、私は行くよ。もう少し、村をよく見ておきたい」
ひとしきり笑い、ロディは片手をあげて戒斗に挨拶をして、踵を返した。
その背中は、戒斗にはとても大きく見えた。
「ロディさん、ありがとうございます!」
去ってゆくロディの背に頭を下げる。
ロディは振り返る事無く、もう一度片手をあげた。
墓に向き直った戒斗は、何度もロディの言葉を思い起こした。
自分に恥じない道とは、何か。
自分だけの、自分の中の正解とは何なのか。そんなものは存在するのか。
「父さん、俺は……」
静かな墓地の片隅で、十字架をじっと見つめる。
心の中の問いかけは、虚しく胸に響くだけであった。