第二十六話 矜持と怯懦
二匹のゴブリンは執拗だった。武器を払いのけ、押し返してはまた距離を詰めて襲って来る。その上、少しずつこちらの行動を学習しているかの如く、行動にも変化が見られた。
ゴブリンの突きに対して、戒斗は出来るだけ身体から遠い場所で弾くようにしていた。
だが数度の打ち合いで、突きに対する打ち払いを見切られてしまったのかも知れない。
突きを止めたり、途中で振りかぶる動きに変わったりと、ゴブリンは多彩な動きで攻めてきていた。ここまで来ると、この化け物の学習能力はかなりのものと思わざる得ない。
疲労もかなり溜まっていた。
まだせいぜい時間にして十分程度であろうか。
しかし、化け物に刃を突きつけられる中で振るう木刀は、すでに重く、腕は柔軟さを失いかけていた。
「くっそぉ! せめて一発で決められれば……」
足場の悪い中での木刀の一撃では、ゴブリンはびくともしない。
足場の固まった場所での全力の面でも立ち上がったような相手である。
下がりながらの終わりの見えない闘いに、戒斗は眩暈さえ感じ始めていた。
(この道さえ上がり切れば、葉山さんが……)
弓矢さえあれば、この化け物どもを貫き通すことも出来る。
その一念で、戒斗は折れそうになる足と心を必死に支えた。
アズールや自分の攻撃を何度当てても活発に動き回る化け物たちに、心底辟易し、そしてなんとか心の中で抑えているものの、その根底には恐怖がある。
アズールのおちょくるような言葉も、塞ぎこみそうになる気持ちを紛らわせるには無いよりはマシだ。
そのアズールが一気に前に出た。
殴り飛ばし倒れたゴブリンに追撃を行うのだろうか。もしも一匹が片づけば、一気に決められるかも知れない。戒斗の木刀を握る腕にも希望と力がよみがえる。
農具を振りかざしたゴブリンが戒斗に迫る。
突き。
何度となく弾いた攻撃が再び戒斗に向かってくる。
アズールを待つ気になった戒斗が、木刀の先を合わせに動く。出来る限り剣先でいなしたかった。
だが真っ直ぐに進んできた突きの軌道が、戒斗の木刀の動きを見て鋭く変化する。
下から上へ。
踏み込みながら斜めに突き上げるような鋭い軌道を描く。
「なっ……!?」
相手の武器に合わせようと振り降ろした木刀の下から、胸に向かって伸びてくるような武器の動き。
迫りくる凶器を必死に身をよじってかわす。
その瞬間、左腕に熱が走った。
「う、うわあぁぁぁぁ!」
痛みは感じない。
しかし、先端が皮膚に食い込んで来る感触とともに、とんでもない熱を腕から全身に感じ、戒斗は大きく後ろに飛びずさる。
切られた傷口が熱い。
それに反して全身が急速に冷たくなってゆく。
血の気が引くとはこういう事をいうのか。
深いのか、そんなはずはない。しかし、白いシャツが急速に赤く染まっていく。
「ぐっ……この、こいつ、この、ちくしょおおおおお!」
踏み込みもなく無理やりに繰り出した一撃は、ゴブリンに届かない。
左腕が熱を発している。
熱い、痛むのか、わからない。だが、熱い。
熱い、苦しい。手が震える。
その震えを打ち消すように思い切り木刀を振り回す。
めちゃくちゃな攻撃は相手にかすりもしない。
息が切れる。
それでも、立ち止まってしまえばその場に足を折ってしまいそうだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。このぉ!」
ゴブリンは淡々と攻撃をかわし続けている。
まるで戒斗が弱っていくのを待っているようであった。不意に、強い力で襟首を引っ張られた。
「落ち着けガキ! 命に関わる怪我じゃあねぇ! 下がってろ」
アズールが前に出る。
二匹のゴブリンとアズールが戦う様を、戒斗は立ち尽くして見ていた。左腕が、熱かった。
冷たい雨が降り続けている。
動かなくては。ここは戦場だ、止まってはいけない。
「行け! お前がそこにいちゃ、いつまでも下がれねぇ!」
アズールの怒号が飛ぶ。
木刀を手放したくなる。
膝を折って、座り込みたい。手が震えていた。
どうした、怖いのか。戒斗は自分に問う。
怖い、恐ろしい、逃げたい。
頭の片隅に追いやっていた怯懦が解き放たれ、駆け回る。
「ヒーローは、どんなときでも……逃げ出さないんだ……」
うつろな声は戦いの喧騒に消えた。
一歩。続けて二歩。
気づけば戒斗はアズールに背を向けて走っていた。
坂の一番上。登り切る。
そこにはこの二日間ですっかり見慣れた顔が待ち構えていた。
「雨宮君! その怪我は!?」
「は、葉山さん、俺……」
「ゴブリンは!? アズールさんはどうしたの!?」
鏡花が弓を構える。
わかっている。これはあの化け物を攻撃するためなんだ。
自分に向けられているわけではない。
それでも、戒斗は、その矢が臆病者として逃げてきた自分に向けられた気がした。
「す、すぐにアズールも……」
舌がうまく動かない。口も回らなかった。
「……奥で血止めを。下がってて」
鏡花の冷静な声が、戒斗に冷たく刺さる。
アズールの背中が見えてきた。
その服が何か所も赤く染まっていた。
悔しさと、怒りと、恐怖が入り混じった感情を処理出来ず、戒斗は木刀を持ったまま立ち尽くしていた。
(ヒーローは……)
鼓動がどうしようもなくうるさい。
自分自身の心の声さえ、はっきりと聞こえなくなっていた。