第二十五話 戦友の面影
ゴブリンは駆け出す前の一瞬、筋肉を膨張させて硬直するような独特の動きを見せる。
最初にゴブリンと戦った夜に、戒斗が学んだ事であった。
ゆっくりと迫って来た二匹のゴブリンが、同時に動きを止めた。
後ろでは鏡花が何か叫んでいたが、戒斗には下がれと伝える以上の余裕が無かった。
二匹が、物凄い速度で駆けて来た。
もしも二匹同時に襲われればひとたまりもない。
それでも迫りくる凶器に武器を合わせる事で精一杯であった。
農具を持ったゴブリンの突きをなんとか横に弾いた。身体が、鉛のように硬く重かった。もう一匹。鏡花の方に駆けていった。
なんとか阻みたかったが、目の前のゴブリンが再び農具を打ち付けて来た。
大きく三又に分かれた先端の金属部分に木刀を合わせる。
槍と戦っているようである。押してくる力は強く、必死に武器を合わせた。
息が上がる。
手先が震える。
武器を組み合わせたまま、ゴブリンが前に進んできた。
圧力がさらに強くなる。打ち払ってしまいたくなるが、先端が大きく分かれた凶器を下手に払えば切り傷を負いそうであった。
束の間の膠着。
不意に両腕にかかっていた圧力が消えた。
ゴブリンが大きく後ろに飛びずさった。
背後から、もう一匹のゴブリンが吹き飛ばされてきた。
「昨日の威勢はどうした? 苦戦しているなぁ、ガキ!」
右手に棍棒を持ったアズールが、戒斗の横に並んだ。
「あんた……。葉山さんは!?」
「嬢ちゃんなら先に行かせた。俺たちも戦いやすい場所まで下がるぞ」
「下がるって、どこへ?」
「坂道を登り切った所に橋が架かっている。嬢ちゃんの武器はその辺でなら使えるそうだ。嬢ちゃんが言うにはそこならお前も戦いやすいだろうってよ」
「戦いやすい場所?」
一旦下がっていたゴブリンがじりじりと間合いを詰めて来ていた。
アズールに吹き飛ばされたもう一匹も戻ってきている。
「今はどうこう言っていられないか。解った」
戒斗は半身の姿勢で数歩下がると、アズールの指さす方向に駆け出した。
すぐ横にアズールも続く。ゴブリンたちが再び立ち尽くしている。いや、そう見えるだけで、力を溜めているのであろう。二匹がほぼ同時に動き始めた。
向こうが行動を開始すると、戒斗やアズールの足よりもずっと速い。
背中を見せたまま走るわけにも行かない。目指す橋はまだ坂道の先のようだ。
「くそぉ! キリがない!」
「それでもやるしかねぇぞ!」
戒斗とアズールがゴブリンに向き直る。
逃げながらの戦いなどやりにくくて仕方がなかった。ただ、身体を動かしていたほうが、立ち尽くすよりずっと恐怖感は紛れた。
ゴブリンが迫って来る。耳障りな叫びとともに、農具が繰り出された。
「はあぁ!」
一合目よりもしっかりと踏み込み、襲いかかってくる武器に渾身の力で木刀を打ち付ける。
手応えが無い。ゴブリンが、戒斗の打ち払いに合わせて自分の持つ武器を引いていた。
「こいつ、俺の動きを!」
打ち払いをかわされ、前のめりになりそうになる。
右足を踏み込みなんとかその場に留まる。
目の前、さらに打ち込んで来る。明らかにこちらの行動を読んでいた。
(どういう事だ!?)
咄嗟に右手で柄を持ち、左手で木刀の先端を持つ。
木刀が金属を止める鈍い音と手応えがあった。
すぐに攻撃には移りにくい格好だが、勢い込んで突き出されてくる凶器を真っ直ぐに止める方法としては、両手で柄を持つよりは力をいれやすい。
束の間の硬直。
両腕の力を思い切りのせて、武器を押し返す。よろけるゴブリンに踏み込もうとしたが、ぬかるんだ地面に足を取られ、思うように素早く前に進めない。
無理やり繰り出した攻撃は後ろに飛び跳ねたゴブリンにかわされ空を切る。
隣では組合ったゴブリンをアズールが思い切り蹴飛ばしていた。
「確かに、これはやりづらいな」
息が乱れている。ただでさえ苦しい化け物との闘いである。
それに加えて足元の泥濘が重くのしかかる。少しでも間をおけば忍び寄って来る恐怖を追い払うように、声をあげた。
「サムライも雨の日はやりにくいっつってたな。お前らの闘い方はつええが、お行儀良くっていけねぇや」
棍棒を大きく振り回して、アズールがごちた。
二人とも武器を構えたまま後ずさりするように後ろに下がっていった。
間合いが大きく開けない以上は、少しずつでも下がるしかないのだ。
「もう少しだ。この坂さえあがりきれば視界も晴れる。うまくすりゃ嬢ちゃんの援護も期待できるぞ」
アズールも肩で息をしていた。何か所か浅手も負っているようだ。
しかし、その表情は明るかった。
・・・
(懐かしいなぁ、おい)
息を切らせながら、アズールは心の中で笑った。
その横では、まだあどけなさの残る少年が木の剣を構えている。
その構えが、武器が、肩を並べて戦う姿が、何もかもが懐かしかった。
かつて、友であるサムライと、こうして何度となく肩を並べて戦った。
いくつもの死線を潜り抜けてきた。
闘いの日々には、こんな雨の日もあった。雨の日は、動きが悪くなるサムライを心配して、無茶をしたものである。そんなアズールこそを、友は心配していた。
(こんな日がまた来るとはなぁ)
今横に居る少年は、サムライと比べるとまだ小粒である。
度胸の座り方も違うし、剣の腕もサムライ程ではないだろう。
だが、何もかもが似ていた。その横顔を、ちらりと見つめる。
「横顔までそっくりときたもんだ。ったく」
「おっさん?」
低く笑うアズールを、前を向いて緊張した面もちの戒斗が訝しげに呼んだ。
「あーあー、なんでもねぇよ。そんな緊張すんな、ガキ。一回くらいミスってもちょいと刺されるだけだ。下手しても死ぬだけだ。負けりゃあ死ぬ。こんなん戦いじゃあ当たり前の事だぜ。だから、緊張すんな」
気がかりなのは、この少年の動きの堅さである。
アズールはサムライのいた世界の事は知らない。
ただ、命をかけるような戦いは無い場所だとサムライは言っていた。
弓を持った少女といい、この少年といい、動きが固い。持っている実力を活かせていない。おそらく、戦いそのものに慣れていないのだろう。
(ここは、俺がしっかりしねぇとな)
少しでも彼らのもてる力を引き出してやりたかった。
昨夜、武器を合わせた少年はもっといい動きが出来ていたはずなのだ。
少しでも余裕がある時は出来るだけ声をかけた。戒斗はアズールの言葉に小さく頷くばかりになっている。それでも、重苦しい沈黙よりはマシだろう。
しばらくの対峙で随分と坂を登り詰めたころ、ゴブリンたちが再度距離を詰めてきた。
今まで一方的に受けにまわっていたアズールは、一気に飛び出した。
数度の打ち合いでは無かった相手の動きに、石斧を持ったゴブリンの反応は一瞬遅れる。その顔面に思い切り棍棒を叩きつけた。
ゴブリンが吹き飛んだ。
もう一撃――
棍棒を振りかぶり駆け出そうとしたアズールの耳に、少年の悲鳴がこだました。