第二十四話 戦場の雨
(当たり前か……)
戒斗は自分の甘さに歯噛みした。
身体が重い。鼓動はさっきから早鐘を打つように鳴っている。
まだ何もしていないのに、嫌な汗がじわりと湧き出す。
心配そうな顔をした鏡花を追い越し、前に出る。
「私たちはゴブリンの迎撃に出ます。アルコさん、ロンメルさん、ルシーや村の人たちを連れて避難をしてください」
「二人とも、お気を付けて……」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん! ゴブリンをやっつけてね! 負けないでね。怪我に気をつけてね!」
「お前たち、裏から回って村の者を誘導するぞ」
ロンメルの指示で三人が駆け出していった。
戒斗は鏡花と共に家に残る。
窓の外をのぞき込んだが、ゴブリンの姿はそこからは確認出来なかった。
「雨宮君、大丈夫?」
「え、何が?」
「顔色が悪い。それに声も堅い」
「……平気だよ」
「闘えそうにないなら、アルコさんたちと一緒に」
「平気だって言ってる!」
大きな声をあげた戒斗を、鏡花が心配そうに見つめている。
その目の色は落ち着いていた。
間違い無く、鏡花は闘う覚悟を済ませていた。
一つ深呼吸をして、木刀を取り出す。
「大きな声出してごめん。大丈夫だから。行こう!」
鏡花はそれ以上何も言わずに戒斗の言葉に従った。
戒斗は右手に木刀を持ち、ドアをわずかに開けた。まだ、見えない。
アルコたちに申し訳ないとは思ったが、ドアの目の前にゴブリンが居てもいいようにドアを蹴り開ける。
構えた。
開けた視界、そこにもゴブリンの姿は無い。
「先に出る。何かあったら援護をよろしく」
早口に告げると、戒斗はドアの外に出た。門の方を向き直る。
居た――。
そこには二匹のゴブリンの姿があった。
一匹は奪った農具なのか、長柄の棒に金属の先端がある物を振り回していた。もう一匹は家畜に襲いかかっている。武器は石か何かのようだ。
「ちっくっしょお! 二匹も居やがる!」
木刀を構えたまま、戒斗は迷った。ここでどうするべきか。
恐怖に押しつぶされる位ならば、いっそ打ち掛かっていきたい。
だが相手は二匹である。
あの化け物を二匹同時に相手になど、とても出来ないだろう。
このままここで待ち構えていても、それは同じである。
弓ならば……そう思って振り返った先では、鏡花が地面を見て唇を噛みしめていた。
「これじゃ、弓が引けない」
その言葉に戒斗も目を落とした。足元は雨でひどくぬかるんでいる。
足場が悪く動きにくい。しかし、弓が引けないとは……。
「そうは言ってもやるしかない! 葉山さん、あの長い武器を持った奴をなんとか出来ない!?」
鏡花が数歩前に出て弓を引く。
しかし、その身体が沈み込むように横滑りしてゆく。
足の踏ん張りがきかず、濡れた地面を滑ってしまうのだ。
「これじゃあ、引けても威力が全然出ない。どうしたら……」
家の中から弓を引こうにも、ゴブリンを見渡せる場所が無かった。
家畜を襲っていたゴブリンたちが、ゆっくりと戒斗たちの方向に向き直った。濁った黄色い目が、戒斗を映し出す。
四つの目に見据えられた戒斗の構える木刀が小刻みに揺れる。
じりじりと近づいて来る二匹を目の前に、村での初陣の二人は身動きを取る事が出来ないでいた。
・・・
(まさか雨で弓が引けないなんて!)
外に踏み出した鏡花は、想定外の事態に焦っていた。
戒斗はゴブリンが現れた時から様子がおかしかった。無理もない、昨夜眠る前は、もう元の世界に帰った後の事しか心配していなかったのだ。
戦う覚悟も命を掛ける決意も、終わった事と過ぎ去った後であっただろう。
ゴブリンの襲撃は、彼の中では不意打ちだったという事は予想出来た。
だからこそ、自分が率先して戦うしかない。
そう思っていた矢先に、出鼻をくじかれてしまった。
近くに足場がしっかりとした場所はないだろうかと視線を走らせるが、良い場所が見当たらない。
屋根は傾斜が急すぎるし、木造りで滑る恐れがある。
農地は今立っている道よりも土が多く、足元がしっかりと安定しそうになかった。
きちんと体重を落として弓を引くのに適切な場所はないのか。
家に駆け戻り、テーブルに手を掛けた。
屋根と同じく木造りではあるが、傾斜が無く安定していそうだ。
しかし、どっしりと重いテーブルは簡単には動きそうにない。レオの墓があった教会やその周りの地面は石造りであったが、ここから少し遠い。
迷っている暇は無かった。
村人を避難させたのち、教会付近の石造りの足場で迎え撃つ。
少なくとも、弓を活かすにはそれしかない。
戒斗の木刀も、そちらの方が戦いやすいはずである。迫りくるゴブリンをいなしながら、うまく下がれるだろうか。
それでも、ここで戦えずにいるよりもずっと試す価値はある。
やるしかない。
「雨宮君!」
家を飛び出し、木刀を構える戒斗の背中に声をかける。
「村の奥に石造りの橋があるわ。私たちにこの足場は不利よ、そっちに移動しましょう!」
戒斗は木刀を構えたまま動かない。
二匹のゴブリンは、少し離れた所で立ち止まっていた。
移動するなら今がチャンスであった。
「雨宮君、速く……」
「来る! 下がれ!」
鏡花の言葉を遮り、緊張した声で戒斗が叫ぶ。
その声に弾かれたように、立ち止まっていた二匹のゴブリンが同時に駆け出した。
物凄い速さで距離を詰めてきたゴブリンの一匹が、持っていた武器を戒斗に振り下ろす。
戒斗は木刀でそれを止めた。
金属と木刀がぶつかり合う激しい音がした。
もう一匹。
組合う戒斗とゴブリンの間をすり抜けて、鏡花のほうに駆けてくる。
その目は鏡花に向いていた。
速い。あっという間に目の前に迫って来たゴブリンが、斧を振り上げる。
弓を引く時間は無かった。
腰に下げた矢筒から矢を抜き払い、真っ直ぐに構える。こんなものであの斧に立ち向かえるのか。
鏡花目掛けて、斧を振りかざしたゴブリンが跳躍した。
鏡花はゴブリンに矢を突き出すのが精一杯であった。
黄色い目と緑色の毛羽立った肌が迫ってくる。
ゴブリンの発する奇声が鼓膜を襲う。全身に震えが走った。
「くっ!」
恐怖の余り、鏡花は目を閉じてしまった。
ゴブリンの叫び声がする。
いけない、戦いの最中に目を閉じるなど……。
なんとか気持ちを奮い立たせようと自分を叱咤する。
だが、いつまで待っても攻撃が来ない。恐る恐る開いた鏡花の目の前に、アズールの逞しい背中があった。
「待たせたな、嬢ちゃん」
顔を一瞬だけ鏡花に向けたアズールが、にやりと笑った。
「ゴブリンに矢の一本で立ち向かうたぁな。立派だったぜ! 話は聞いた、村の奴らはもう避難している。さあ、嬢ちゃんは教会まで走りな!」
「で、でも」
鏡花は震える足に自らの握り拳を叩き付け、しっかりと目を開いた。
もう二度と、戦いの最中に目を逸らすものか。
弓矢を構えてアズールに尋ねた。
「アズールさんは?」
「あのガキを連れて、戦いながら教会の橋まで下がる。三人でいっぺんに背中見せちゃあ良い的になっちまうからな。嬢ちゃんは先に行って、俺たちが逃げる援護をしてくれ」
アズールの言葉に鏡花は素直に頷いた。
ここはごちゃごちゃと作戦を言い合う場面では無い。
「わかりました! アズールさん、雨宮君をお願いします。二人とも、どうか無事で。雨宮君、先に行くわ」
駆け出した。
一刻も速く橋までたどり着き、二人を援護せねばならない。
家々を駆け抜け、坂道をあがり、通りを疾駆する。
橋、見えた。
橋の奥の教会ではロンメルたちが村の人間を誘導していた。
これより先には行かせない。
「アズールさん! 雨宮君!」
振り返ると、アズールと戒斗の名を呼ぶ。
離れて見える二つの背中。その背中がこちらにゆっくりと動きはじめた。
「これ以上、やらせはしない!」
鏡花が大きく弓を引き絞った。