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切先の向かう異世界  作者: 緒方あきら
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第二十二話 十字架への祈り

 地平線の彼方より陽が上る。

 ランプの灯りが作り出していた二つの影は消え、斜めに差し込む朝日が新たな影を生み出した。

 戒斗と鏡花の寝る部屋に、わずかに開いた窓から静かな朝の空気が入り込んでいく。


 鏡花はそっと身を起こし、静かに深呼吸した。

 横のベッドでは戒斗が寝息を立てて眠っている。

 昨晩は色々と慌ただしかった。

 その上、戒斗はアズールと打ち合いもしているのだ。疲労は溜まっているだろう。起こしてしまわないように、そっとベッドを抜け出す。

 弓と矢を手に取ると、狭い部屋に弓をぶつけてしまわないように注意しながら部屋を出た。


「おはようございます」


 静かに後ろ手でドアを閉め、居間にいたロンメルとアルコに挨拶をした。


「鏡花さん、早いのですね。ゆっくり眠れましたか?」

「ええ、ありがとうございます。とても居心地のよい部屋でした」

「今、朝ごはんの準備をしていますので、少し待っていて下さいね」


 アルコが笑顔で奥の方に下がっていく。

 そちらに台所の役割を持った場所があるのだろう。

 何かを煮ているのか、コトコトという音が聞こえた。

 すでにいいにおいも居間まで漂ってきている。


 ロンメルと向かい合うように座ると、ロンメルはテーブルの上に置いてある容器からコップに飲み物を注ぎ、鏡花に差し出した。


「もう少し、横になっていては如何ですか? 朝食が出来たらお呼びしますよ」

「ちょっと、外を歩きたくって」

「外を?」


 受け取ったコップに口をつけ、鏡花が頷いた。


「村の中であれば、私がご案内いたしますが」

「私が九年前、この世界に来た時の事をロンメルさんはご存知でしょうか?」


 ロンメルは微かに首を動かした。


「サムライ殿より、少し話は伺っておりますが、詳しくは聞いておりません」

「あの、私と一緒にこっちに来て、ゴブリンに殺された犬の事は?」

「弔ったとは聞きました。私よりもアズールが詳しいでしょう」

「アズールさんの家は?」

「すぐ近くです。どれ、ご案内しましょうか」


 ロンメルが気軽に腰をあげた。

 アルコの歩いていったほうに、軽く声をかけると、鏡花を促して外に出る。

 戸を開けて感じる清涼な空気。村の朝は、自分たちが住んでいる世界の夏よりもずっと涼しかった。

 眼下に広がっている農地では、すでに村人が農作業を始めていた。


 ゴブリンの被害さえなければ、きっと静かで平和な村であったのだろう。

 所々に見える破壊の爪あとが痛ましい。

 つい十日前には、死闘が繰り広げられた場所なのだ。


 ロンメルの後について、村の中を歩いてゆく。

 木彫りの看板が、至る所に見られた。

 ロンメルに尋ねると、それぞれに扱っている物を示しているのだという。


「あのコップの形に掘られた場所は酒場、あちらの袋の形は日用品ですな」

「色々なものを取扱っているのですね」

「この村には元々農作物のほかに生産出来るものがありません。それ故、農耕に向かない時期にはそれぞれに出来る事をして、仕入れなども行商人や自分の足で各人が行っております。ゴブリンが出る前は、もっと賑やかで活気もあったのですが、ここ二十年くらいは寂しくなっていく一方ですな」


 ロンメルは遠くを見るような目をして言った。

 もう長い間、この村はゴブリンに悩まされているらしい。

 化け物が出てしまえば、村の外部の人間の出入りも減る。

 そして、少しずつ人も離れていく。そんな話をしながら歩く。


 一軒の家の前で、ロンメルが足を止めた。

 他の家に比べると、一際小さな家だ。


「アズール、お前にお客様だ。入るぞ」


 ノックをすると、ロンメルがドアに手を掛けた。

 カギなどは掛かっていないようだ。


「お邪魔します、アズールさん」


 弓を横にして、小さ目のドアをくぐる。

 鏡花の身長よりも少し高い程度のドアだ。巨漢であるアズールにはさぞ狭いドアであろう。

 中に入るとすぐにテーブルが置かれている。

 その上にはアズールの武器である棍棒が無造作に転がっていた。

 家の中は少し、酒のようなにおいを漂わせていた。


「おう、じーさんどうした? おっ、嬢ちゃんもか!」

「鏡花さんが、九年前の事で聞きたい事があるそうなのでお連れしたが……。全く、少しは部屋を片付けんか」

「九年前の事で? そうか、わかった」


 アズールはテーブルの上の物を乱暴に端にどかすと、二つしかない椅子を引き、二人に差し出す。

 しかし、ロンメルは椅子には座らずにドアのほうに戻る。


「わしはおらん方が話しやすい事もあるだろう。鏡花さん、わしはここで戻ります。帰りはアズールが家まで案内しますので」

「おいおい、じーさん」

「ロンメルさん、そんなお心遣いは……」


 二人が止めるのを無視して、鏡花に向けてにこりと微笑むとロンメルはゆっくりとドアの向こうに消えていった。

 アズールに向かい合うと、鏡花はロンメルに尋ねた事と同じ話を口にした。

 アズールは予想していたのか、何度も頷きながら鏡花の話を聞くとすぐに立ち上がり、鏡花を外に誘った。


「あいつか。ああ、じいさんの言うように弔ったよ。サムライの墓も同じところに作ってある、どうだ? 今から行かないか」

「はい、是非」

「花とか、気の利いたもんはうちにはねえけどさ」

「いいんです。私、レオに会ったらお供えするものは決めてあるので」

「そうか。よし、行こう」


 狭いドアを、アズールが腰を曲げてくぐってゆく。

 村の外れにある教会の、その横の小高い丘に墓地が作られているのだという。

 レオはサムライとアズールが弔ったらしい。

 緩やかな坂道を少し登った所に、その場所はあった。

 石造りの立派な橋を渡り、教会の横を抜けて墓地に入る。案内された墓地の片隅に、十字架が二つ並んでいた。


『少女を守った忠犬、レオ、ここに眠る』


 並んだ木組みの十字架の一つに、日本語で彫られた言葉。


「俺には読めないけどな、書いてある内容は聞いている。サムライの奴な、ずっと心配していたよ。嬢ちゃん、怪我してただろ。小さな声だったから、名前はちゃんと合っているかなってな。どうだ?」


 鏡花はアズールに一つ頷くと、文字が彫られた木組みの十字架の前に膝をついた。

 そっと十字架に両手を掛ける。


「レオ……。お姉ちゃんだよ。会いに来るのが遅くなっちゃって、ごめんね。お姉ちゃん、レオのおかげでここまで大きくなれたよ。もう、レオに乗っかったり出来ないね。良かった、化け物に食べられちゃってないかってずっとずっと心配だったんだ。レオ……ありがとう。私、強くなったよ。まだまだ未熟だけど、あの時より強くなったよ」


 涙をこらえて、何度も名前を呼びかける。

 小さな頃、鏡花が泣くといつもそばにいてくれた。

 心配そうに周りを歩いたり、頬を舐めたりして、見守ってくれていた。

 今、自分が泣いてしまったら、レオはゆっくり眠る事も出来ない。

 だから、泣く事は禁じた。


 矢筒から一本の矢を取り出し、十字に組まれた木に立て掛ける。


「これ、お姉ちゃんが戦えるようになって帰って来た証。私ね、強くなったから、レオの前で泣かないよ。レオ、私が泣いちゃったら心配してゆっくり眠れないもんね。お姉ちゃんは、大丈夫。だからレオ、ゆっくり休んでね。お姉ちゃんがレオの所に行ったら、またずっと一緒に居ようね。ずっとずっと一緒に居よう」


 後ろで、鼻をすする音がした。いつの間にかアズールが、鏡花を見つめる両目に涙を溜めていた。唇をぎゅっと噛みしめて眉間にしわを寄せている。


「ううっ、すまねぇ! 嬢ちゃん、すまねぇな。俺とサムライがもっと早くついてりゃあよ、そのレオってのも護ってやれたのによ! 嬢ちゃんだって、傷つかないで済んだのによぉ! すまねぇ!」


 溜まっていた涙をこぼしながら、アズールが大きな体を丸めておいおいと泣き始めた。


「アズールさん、そんな事言わないで。貴方やサムライさんのおかげで、今の私がいるのですから」

「俺が、俺がもっと強けりゃあ……」

「アズールさんはとっても強いじゃないですか。本当に、感謝しています」


 アズールに微笑みかけ、鏡花はレオの墓の横にある十字架の前に正座した。

 これが、サムライの墓。

 九年前の命の恩人が、この下に眠っているのか。

 両手を顔の前で組み、目を閉じた。思いは、口にはしない。

 心の中で静かに語り掛ける。


 ようやく会いに来れた事、仲間と共に子供を一人救う事が出来た事、戦えるようになった事、あの時の御礼……。

 何より、貴方の背中を守る事が出来なかった無念を……。

 多くの思いを、組んだ手のひらと、その先にある十字架にぶつけ、胸の中で語り掛けた。

 貴方が守ったこの村を、私も全力で守る。

 せめて、どんな思いを持って守っていたのか、知りたかった。

 心の中に湧き出す思いは尽きなかった。


 頬に当たる風が、冷たく感じられた。

 いつの間にか、鏡花は頬に幾筋も涙を流している。

 自分でも気付かなかった涙を袖で拭い、すっかり涙もろくなってしまった自分を嗤う。それでも、涙はとめどなく流れ落ちる。

 さっきまで泣いていたはずのアズールが、鏡花の頭に手を置いた。


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