表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
切先の向かう異世界  作者: 緒方あきら
テスト2
2/62

第二話 父の記憶

「父さ……ん……」

「戒斗。おい、戒斗! 起きろよ!」


 身体を乱暴に揺さぶられながら名前を呼ばれた少年、雨宮戒斗あまみや かいとは深いまどろみの中からゆっくりと目を覚ました。


 ひどく身体が重い。

何か夢を見ていたような気がするが、寝ぼけた頭の中にはもやがかかったようになっていて、どうにもはっきりと思い出せなかった。


「んん……。あ、あれ? 俺、寝てたのか」

「ぐっすり寝てたぞ。ったく、人んちに遊び来ておいて、爆睡する奴があるかよ」


 戒斗はのろのろと重い身体を引きずり、ベッドから這いだした。

 目の前では今さっきまで自分をゆすり起こしていたこの部屋の主である友人、小林こばやしが戒斗に背中を向けテレビを見ている。小林の手元がせわしなく動いていた。


「だってよー。お前、遊ぶって言ったってずっと一人でよくわかんねーゲームやってるだけじゃん。こっちは退屈なんだよ」

「あのなぁ、このゲーム、発売初日に並んで買った超人気作品なんだぜ? お前にもやらせてやろうと思って呼んでやった、友のやさしさがわからないのか?」


 テレビの画面の中では鎧を纏った男が、鈍器を持った敵を次々となぎ倒していた。

画面にはゴブレットと表記されている、緑の皮膚に鈍器をもった魔物であろうと思われる生き物たちが、大群で襲いかかっては友人の操作する主人公に一撃で倒されていく。


 それでもなお、ゴブレットはどこからか現れては主人公に襲いかかり倒されていく。ゲームの主人公は自分の身の丈もある大きさの剣を振り回し大暴れしていた。

 ゲームだからといってしまえば、それまでである。


 しかし、小さな頃から剣道を習っている戒斗からすれば、その光景にはどうにも矛盾を感じてしまい、集中してゲームを楽しむ事が出来ない。

 あんな大きな剣を片手で派手に振るえるものかと、鼻白んでしまうのだ。

 最も、だからといって友人と遊んでいる最中にぐっすりと眠ってしまうとは、戒斗自身も予期せぬことではあった。


「うーん。俺さ、剣道やってるだろ。どうもこう、ああいうでっかい剣を片手でぶんぶん振り回すとかあり得ないなーって思っちゃうわけ」

「おいおい、これはゲームだぜ。それにお前、ヒーローもの好きじゃなかったっけ?」

「いや、それは俺もわかってるんだけどな。なんつーの、こう、ほら……あっ!」


 ふと壁に掛かっている時計を見上げると、時刻は五時半をさしていた。


「いけね、もうこんな時間かよ!」


 今日は戒斗の学校の剣道場は雨漏りの修理で、部活が休みになっていた。

 する事も無かったので、誘われるまま学校が終わって真っ直ぐに小林の家に遊びに来ていたのだ。二時間近く眠っていた事になる。


 戒斗は大きく伸びをすると、腰かけていたベッドから立ち上がった。


「んじゃまあ、俺はそろそろ帰るよ」

「うん? なんだよまだ五時半じゃん。もう帰るのか? 夕飯うちで食ってけば?」

「いや、帰って家の近くの公園で素振りをしたい。なにしろ関東大会と全国大会が近いからな!」

「真面目だねぇ。まあ、今年が最後の大会だしな。頑張れよ、雨宮戒斗、我が校の誇りよ!」


 小林が大げさな口調でひやかした。

 戒斗はつい先日開かれた高校の剣道県大会で、見事優勝をしている。

 そして、もうすぐ県大会に続き関東大会、全国大会と試合が続くのだ。


 我が校の誇りという言葉は、今まで剣道部で目立った功績の無かった戒斗たちの通う高校の校長が、戒斗の快挙に大喜びして、興奮した口調で全校集会で発したセリフである。


 戒斗は友人の声真似が意外に似ていた事に苦笑しながら「サンキュー」と軽く返した。


「そんなわけで、全校の期待を一身に背負っちゃってるヒーローな俺は頑張るわけ! そんじゃ!」

「おう、またなー!」


 言葉を交わし小林の部屋を出る。

 玄関先で「お邪魔しました!」と声をかけ、戒斗は家の前にとめていた自転車に飛び乗った。小林の家から自宅まで、自転車なら十分かからない距離だ。


 舗装された道を、自転車をとばして走り抜ける。

 セミの鳴き声が遠くに聞こえた。

 戒斗の住んでいる街は首都圏で交通の便も良い、いわゆるベッドタウンである。


 ただ、まだ開発されていない山や自然も多く残っている場所である。

 至る所に傾斜があり、建設工事には不向きな土地だったのだ。その上、夜な夜な工事現場に置かれた機材や作業車が壊れるという事件も起き、十年前に一度誘致された開発計画は、事実上棚上げとなっていた。


 とはいえ歳月も流れ、最近はこの辺りも再び工事予定地が増え始めている。

 街の方針が変わったからなのか、建築技術の進歩からなのか、はたまた噂が忘れ去られた頃なのか、戒斗には想像もつかなかった。

 ただ、見慣れた街並みが変わっていってしまうのかと思うと少しだけ寂しかった。


 そんな事を思いながら自転車を漕いでいると、すぐに自宅についた。

 うっすらと浮かんだ額の汗を手の甲で拭い、門をあけ自転車をしまうとドアを開き玄関に入る。


「たっだいまー」


 家の奥にいるであろう母親に声を掛けると、戒斗は返事も待たずに自分の部屋に小走りで駆け込む。

 学校のカバンをベッドに放り投げ、机に立てかけてある竹刀入れの袋を手に取った。母が作ってくれたもので、袋の外側の上下を紐でくくってある。この紐を斜め掛けすれば、袋を背負っても両手を自由に使える便利なものであった。


 カバンを竹刀入れに取り替え再び部屋を出ると、母がエプロンで手を拭きながらキッチンから出てきた。


「あら、帰ってきたと思ったら、また出かけるの?」


 戒斗の出で立ちを見た母がそう言うと、戒斗が頷く。


「おう母さん! いっちょ素振りに行ってくる!」

「そう、熱心ねぇ。気をつけてね。いつもの公園?」

「ああ、やっぱり練習するのはあそこが気持ちいいから」


 母の言ういつもの公園とは、戒斗が毎日素振りをしている近所の公園である。

 公園の真ん中に大きな泉があることから、近所では泉ノ公園と呼ばれている場所だ。

 家から近く、水辺で風も涼しい場所で、泉のそばには広い空地もある。一人で稽古を行うには打ってつけの場所であった。


「本当にあなたはあそこが好きね。お父さんに似たのかしら?」

「親父に……? あー、かも、ね。行ってきます」


 母の言葉をなんとか曖昧な笑顔でやり過ごし、靴を履く。

 夕飯までには帰るようにと言う母の言葉を背に、再び自転車に乗った。

 夏の陽射しは夕方になってもなお蒸し暑く戒斗の背に降り注いだ。


 戒斗は自転車を漕ぎながら、先ほど母に言われた言葉を思い返していた。

 ……自分は父に似たのであろうか。

 かすかな嫌悪感と戸惑いが頭の中にこみ上げてきた。


 父の人となりを嫌だと思った記憶はない。

 しかし、あの男が戒斗と母にとった最後の行動が、今でも許せないのも事実であった。


 戒斗の父、雨宮隆人あまみや りゅうとは、会社に通う傍ら休日は近所の剣術道場で剣道の師範代として、子供たちに剣道を指導していた。

 温和で優しい父・隆人は道場の子供にも、保護者にも好かれる人物であった。


 そんな父は、戒斗にとっても大好きな存在であった。戒斗自身も道場に通い剣術の手解きを受け、帰りにはよくアイスを買ってもらったりしていた。


 泉ノ公園で素振りの稽古を一緒にしたり、遅くまで外で遊んで貰ったりしていた。

 夏の自由研究では、街の地図を作る為に一緒に街を駆け回ったものだ。


 その記憶は今でもはっきりと残っている。

 戒斗にとってはとても温かで幸せな思い出である。

 だが、戒斗が小学校に入学してしばらくすると、父は出張が多くなり、あまり家に帰らなくなった。

 たまに帰ってきても疲れた顔をして黙り込んでいる事が多く、時には怖い顔をして何か考え事をしていた。


 幼い戒斗には、そうした父の変わってゆく様が悲しく、恐ろしかった。

 戒斗に向ける眼差しは変わらず優しく、温かいものであったが、当時の戒斗にはその温度差も奇妙なものに思えたのだ。

 次第に、父と戒斗が接する事は無くなっていった。


 そんな折、父は失踪した。

 ちょうど今日のような初夏の頃に、出張に出たきり家に帰らなくなったのだ。ずっと待ち続けていた母がついに出した捜索願いも、なんの成果もあがらなかった。


 母の話しでは警察は熱心に探してくれたそうだが、父の行方はようとして掴めなかった。

 父が日々つけていた日記には何度か文字を消した跡はある物の、事件性を感じさせる内容は書かれていなかったらしい。会社の話でも、出張先に何か危険があるという事は無く、事件性は薄いのではないかという見解で、警察の捜査も打ち切りになった。


 もう、十年も前の事である。


 戒斗は、父の騒動で一度は剣道さえも辞めてしまった。

 しかし、道場の師範や母の勧めもあり、小学校高学年になるころには、重い腰をあげ、剣道を再開した。それでも、再び剣を手にするまでには数年の時間を要したのだ。


 父は、自分と母を捨てたのだろうか。

 戒斗が今までに何度となく考えた疑問であった。捨てられたのだという思いと、あの優しかった父がそんな事をするわけがないという気持ち。そして幼いころの楽しかった思い出が、戒斗の中では今も複雑に共存し、葛藤している。


 だから不意に母に、父に似たと言われて複雑な気持ちになってしまう。

 母は、どういう気持ちで戒斗に再び剣道を始める事を勧めたのであろうか。


 失踪した父の事を母がどう思っているのか、聞いたことは無かった。

 一時ひどく沈み込んでいた母は、戒斗よりもずっと早く持ち直し、それから十年間、女手一つで戒斗を育ててくれている。そのたくましさは今も変わらない。


 泉ノ公園に着くと駐輪場に自転車をとめ、公園の中心に向かい歩き出す。

 中心にある泉こそ大きいものの、公園自体に大した広さは無い。

 五分と歩くこと無く、いつもの泉のほとりにある空地に到着した。


 竹刀入れの中には竹刀とは別に木刀と足袋が入れられている。

 戒斗はその中から木刀と足袋を取り出すと、靴を足袋に履き替えた。高校の剣道の試合では、竹刀は3尺と8寸(117cm)以下、重さは480グラム以上と規定されている。

 戒斗は、学校の練習では規定通りの竹刀を利用しているが、公園の稽古ではそれよりも重い木刀を使用していた。


 重い木刀で素振りを繰り返し練習していると、学校の竹刀はずっと軽く感じられた。

 戒斗が得意とする素早く正確な面打ちと小手打ちは、重い木刀での練習の成果ともいえる。学校での竹刀の練習と、木刀による公園での自主練習は、戒斗にとって効果的なものであった。


 実際、戒斗は弱小といわれた自身が通う如月高校で、初めての全国大会出場を決めているのだ。その効果は疑うべくも無かった。

 もっとも、戒斗の負けず嫌いな向こうっ気と練習熱心な性格があればこそのものである。


「はあっ!」


 軽く準備運動を済ませた戒斗が、大きく振りかぶり気合いの声をあげる。

 戒斗のこの場所での稽古はもう何年も続いており、不審に思う人もいない。人通りも少なく、気兼ねなく練習も素振りも出来る場所だ。


 素早く空を切る鋭い音が辺りになり響く。


 小学校のころには重く堅かった素振りの音は、何時しか研ぎ澄まされた音に変わっていた。鍛錬とは日々の積み重ねである、という師範の言葉を胸に、戒斗はひたすら素振りを繰り返した。


 こうしている間は、余計な事を考えずに無心になれる。

 そして無心になった時に聞こえて来る声があるのだ。その声はいつも、戒斗により正しい体裁きを教え導いてくれる。


 身体のうちから聞こえてくるその声にじっと耳を済ませながら、何度も何度も木刀を振り下ろした。


 やがて陽がさらに傾きはじめ、公園の至る所に長い影をつくりはじめた。

 木刀を振る手を休め、後ろポケットからスマートフォンを取り出し、表示された時刻に目を遣ると、いつの間にか十九時に近づこうとしていた。


 母を心配させてしまう、もう少し稽古をしたら帰らねばならない。


 陽が暮れる公園。

 素振りで疲れた自分を抱き上げて連れて帰ってくれた、すぐそばに居たヒーローだった父。

 夕暮れ時にこの場所でふと気を抜くと、脳裏に父に抱かれて帰った思い出がよぎる。


 戒斗はそれを振り払うように目を閉じ集中して、黙々を木刀を振り続けた。軽く息が上がり始める。今日はこれ位にしようと目を開けると、不意に眩暈に襲われた。


「うっ……」


 短く声をあげ、片ひざをつく。前を向いていられず、首がガクリと下がる。

 視界が暗い。

 むきになって、知らず知らずのうちに呼吸が乱れていたのだろうか。今までどんなきつい稽古でもこんな眩暈は経験した事は無かった。

 だが、しばらく耐えていると、急に襲ってきた眩暈は、起きた時と同様に急速に収まっていった。


 流れてきた冷たい汗を拭いながら、一体なんだったのだろうと身体を起こし視界をあげた。ふと、さっきまで聞こえていた虫たちの鳴き声が聞こえない事に気がつき、戒斗は辺りを見渡す。


 すっかり暗くなっていたが、月明かりのおかげで自分を取り巻く風景は良く見えた。


 そこに広がる景色は今まで戒斗が見たことのある泉ノ公園のものとは大きく違っていた。

 鬱蒼としげる木々と草むら。

 異様に輝いている星々。

 鼻腔をくすぐる自然特有の濃密なにおい。


 目の前の泉こそ見慣れた様相を呈しているが、眼前に広がる見慣れた公園であるはずの景色は、全く別のものとなっていた。

 生えている木や草も、全く見たことの無いようなものもあった。


「えっ……。ここは? 俺は一体……」


 戒斗は呆然と立ち尽くした。ほんの一瞬、眩暈を起こし膝をついていた間に、自分を取り巻いていた環境が激変してしまっているのだから、それも当たり前である。


「……なんだよこれ? 俺は夢でも見てんのか?」


 あまりの出来事に、そんな思いさえ沸いてくる。

 しかし、手に持った木刀からはしっかりとした重さが伝わってくる。試しにつねってみた頬に、当たり前のように痛みが走る。


 気でも失っていたのだろうかと思いポケットにしまってあったスマートフォンを見ると、先程から数分しか経過していない。倒れてどこかに連れていかれたという事もないようだ。


 もっとも戒斗は意識を失ってなどいないのだが、このあまりの異変にそれすら疑いたくなってしまう。気付かぬうちに、全国大会のライバルが闇討ちしてきて……

 そんな誇大的な被害妄想さえ、この目の前に広がるおかしな光景の前ではまだまっとうな考えに思えた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ