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切先の向かう異世界  作者: 緒方あきら
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第十八話 戦う理由

 サムライが死んだ。


 その事実は、鏡花の心に大きな影を落とした。

 いつか、サムライの背中を守れるようにと、鏡花はずっと武術の技を磨いて来た。

 だが、その思いはほんの十日というすれ違いによって、ついには果たすことは出来なかった。

 そればかりか、たった一言の礼さえも言えなかったのだ。

 もうどんなに叫んでも、いかなる言葉も届きはしない。


(私は、何のために……)


 噛みしめた唇から、鉄の味がする。

 戒斗が何か言っていた。

 その言葉が全く頭に入ってこない。

 九年前、命を救われたあの日からずっと、鏡花は孤独に生きてきた。

 家族でさえも、異世界の存在など、信じてくれやしなかった。

 それでも、いつか恩人である『サムライ』と共に戦うため、自分を守ってくれた愛犬であるレオの仇を討つため、周囲の白い目と孤独に耐え、一人身体を鍛え、技を磨いた。


 ついに長い年月を経て、アズールに再会する事は出来た。

 だが、直接鏡花の危機に駆けつけ、レオの仇であるゴブリンを切り伏せ命を救ってくれたサムライには、ついに言葉一つ交わすことも無いまま別れたきりになってしまった。


 何のために今まで、自分は一体何のために……。


「何のために……私は……」


 握りしめた右手がじわりと湿っていた。

 強く握りしめた手のひらを、爪で切ってしまったらしい。

 構わず思い切り握りしめる。

 痛みは、まるで他人事のようにあるか無きかの信号を伝えてきた。

 ルシーが涙目で見つめている。戒斗が、何も言わずにそっと手をとって血を拭う。唇から流れた血も、ふき取ってくれた。


「……私は」


 アルコが、すぐ横までやってくると、鏡花の髪に優しく触れた。


「少し、お休みになりますか? 奥に空いている部屋があります。ゆっくりと眠る事も出来るかと思いますが」


 鏡花は首を左右に振った。

 今はまだ戦地である。気持ちをしっかりとしなくてはいけない。

 なんとか自分を奮い立たせようとする。

 それでも、乱れた心はすぐには立ち直ってくれない。

 大きな手が、肩に添えられる。アズールが、いつの間にか傍に居た。


「サムライは、戦って死んだ。あいつは最後まで立派に戦って、務めを果たしたんだ。嬢ちゃん、嬢ちゃんは嬢ちゃんなりの考えがあって、ここまで来たんだろう? サムライの事を思うならなおの事、このまま何もせずくじけちゃいけねえよ。嬢ちゃんの持ってきたのは弓だよな。って事は、ここに戦いにきたんだろう? それなら、どっかで自分の気持ちに自分でケリをつけないとな」

「でも、私が目標にしていたのは、あの人で、あの人の背中を守るために……私」

「戦う理由は、例え恩人であっても、人にゆだねちゃいけねえ。自分の理由は自分に課すべきものだ。そうだろう? あいつがいるいないじゃない。嬢ちゃんが何をするか、しないかなんだ」

「自分の理由は、自分に課す……」


 鏡花の目から、一筋の涙が溢れた。

 一度流れ出したそれはとめどなく頬をつたい、顎先から地面に流れ落ちていく。

 自分の戦う理由は何なのか。

 愛する飼い犬の仇討ちと、恩人であるサムライの背中を守れる戦士になる事であったはずだ。もう、そのサムライの背中を守る事はかなわない。


 それでも、命をかけて護ってくれた愛犬の仇を討つ事は出来る。

 ルシーのような、かつての自分を思わせる子供を助ける事も出来る。


(なぜ、戦士を目指したの?)


 自分への問いは、至極簡単な答えであった。

 突き詰めればそれは、あの化け物と戦う力を得るためのものなのだ。仇を討つ事も、背中を守る事も、戦う力があればこその事である。

 今、その力を手に入れかけている自分が、これ以上泣いているわけにはいかない。


 胴着の袖で、涙を思い切り拭う。

 ようやくあの時の場所にたどり着いたのだ。ならば、この時に出来る事をする。

 かつて自分は、化け物の脅威から守ってもらった。

 そして、自らを鍛え、戦う力を手にした。

 ならば、次は自分が誰かを守る番なのではないか。今度はそれこそが、自分の役目なのではないか。


 哀しみが消えるわけではない。

 本当は思い切り泣き喚いてしまいたかった。

 それでも、自分のむかっていく方向だけは、新たに作る事が出来るのではないかという思いが、鏡花の心に再び熱を帯びさせてゆく。

 

 泣く事は、いつでも出来る。


「大丈夫、大丈夫です。もう少しお話を聞かせて下さい」


 泣きはらした目で、それでも鏡花は歯を食いしばり堂々と前を向いた。

 心配そうな顔をしたアルコが、アズールに促されて口を開く。


「わかりました。先程お話したように、昨夜あなたたちを呼んだのはこの子のお祈りで間違いないと思います。ただ、今日こうしてこちらにやってこれた理由まではわかりかねます」

「祈りには、石を使うと聞きましたが」

「これだよ、お姉ちゃん」


 鏡花の問いに、鏡花と同じく涙を拭ったルシーがいくつかの石を差し出した。受け取ると、戒斗にも良く見えるように、二人の前のテーブルに石を置く。


「これは……、コンクリートか?」


 渡された石をつつきながら、戒斗が声をあげる。

 確かに、コンクリート片のように見える。建物の外壁にも使われるような、打ち放しの破片のような物もあるし、ブロック塀の欠片のような物も見受けられた。

 石というには歪な形のそれらは、この世界では今のところ見かけないものである。


「これが、その流れ石というものなのですか?」

「私の知る限り、この世界では見かけることの無い石です。ですが、時々泉のほとりにこの石が打ち上げられているのです。きっと、あなた方の世界から流れてきたのでしょう。そう考えて、私が付けた仮の名前に過ぎません」


 ロンメルが言って、部屋の一角を指差した。そこには大きな樽があり、その上にいくつもの石が見て取れた。アルコが言葉を続ける。


「多い時は、いくつもの流れ石が泉のほとりに並んでいます。また、違う日には全く打ち上げられていない時もあります。何かの役に立たないかと好奇心もあり、以前は私が拾い集めていました。今は森でゴブリンの活動が盛んなので、あまり泉にも足を運びません。この石がどこから来るのかは私にも見当がつきません。父の言う通り、異世界から来ているのかも。サムライさんは、ゴブリンの騒動が落ち着いたらいつか泉に潜って調べてみたいと仰っていました」

「やっぱり、あの泉に何かあるのかしら」

「さっきも言ったけど、俺はそう思う」


 鏡花の言葉に、横に居る戒斗が頷いた。

 ふと、鏡花は戒斗はどこまで付き合うつもりなのだろうと考えた。

 元々は、ルシーの安否を確認するまで、という話しであったはずだ。それならば、もう戒斗はこの世界での目的は達成したという事になる。

 これ以上の深入りは、いたずらに命を危険に晒すだけであろう。


 つまり、もう目的を同じくする仲間ではないのだ。

 勿論、これからも共に戦ってくれれば、心強い事だ。だがそれは、強制する事でも、頼み込む事でも無いという気がする。

 これ以上の関わりは即ち、かつてサムライが通ったであろう、見知らぬ世界での戦いの日々を意味しているのだ。


 村全体に、静かな鐘の音が鳴り響く。

 顔をあげた戒斗と鏡花に、アルコが説明をした。


「これは、時間を告げる物見台の鐘の音です。鐘の音にはいくつか合図がありますが、多くは時刻を告げるものとなっております。今の音は、真夜中に差し掛かったという報せですわ」


 アルコの説明は、違う世界から来た鏡花にも解かりやすいものである。

 恐らく、サムライが過ごしたこの村の人間は、異なる文化の世界が存在する事を当たり前と受け入れているのであろう。


「さあルシー、もう今日は休みなさい。お二人とも、話の途中ではありますが、今日はもう休まれてはいかがでしょうか? この村の人間はこの鐘の音と共に眠りにつきます。話しはまた朝にでも。疲れがとれるように、暖かい寝床をご用意いたしますよ」

「え? ああ、はい、でも」


 アルコの提案に、戒斗が口ごもった。

 やはり、彼もこれ以上の関わりを持つ事には戸惑いがあるのかも知れない。それとも、いきなりの提案に口ごもっただけなのだろうか。


「やはり、夜に動くのは危険でしょうか?」


 鏡花は、戒斗への助け舟のつもりで聞いてみた。アズールが難しい顔で答える。


「ゴブリンどもはいつ寝ているんだって位に朝も夜も動き回っている。厄介なのは奴らは夜目が利くってこった。こっちはろくに見えやしない夜道でも、正確に襲いかかってきやがる。夜は奴らの時間と言っていい。危険だ」

「今日はもう、帰れないか」

「ははっ、ガキはお家が恋しくなったか? まあ、一眠りすればすぐ明るくなるさ。ママのとこに帰るのは少し我慢してな」


 からかうアズールを、戒斗はきつい視線で睨み付ける。初めて見る戒斗の表情に、鏡花は微かな驚きを感じた。

 明るく無鉄砲で自信家。

 そんな、年相応の元気な少年の一面ばかり見てきた鏡花にとっては、こういった表情も悪い気はしなかった。


 そんな戒斗の表情に、アズールは肩をすくめて見せる。


「おいおい怒るなよ、ガキ。言い過ぎたよ」

「母さんはな、一人で家で待っているんだ。たった一人で!」


 厳しい口調と低い声が、戒斗の怒りを表していた。

 握りしめた拳が震えている。

 今にもアズールに殴り掛かるのではないかと、鏡花は心配になった。さりげなく二人の間に身体を割り込ませる。

 アズールも戒斗も、鏡花からすれば恩人である。

 出来れば殴り合いなどして欲しくはない。


「お前、何を言って……」

「母さんはな! 十年前に俺のどうしようもない父親が失踪してから、ずっと一人なんだ! 一人でバカ親父を待っているんだ! わかるか? もう十年も一人きりなんだ! だから俺は、俺だけは絶対に母さんを心配させまいと決めていたんだ! ただ帰れないだけ!? ふざけるなよ! その帰れない一晩、母さんがどれだけ不安に過ごすと思っているんだよ! ここはな、電波も何もありはしない。何にも連絡出来ないまま、一人きりの母さんは不安な時間を過ごすんだぞ!」

「で、電波? 訳がわかんねぇよ。落ち着けガキ。とにかく、悪かった。おめえにはおめえの事情があるんだな。すまなかったよ」


 激昂して息を荒らげている戒斗に、アズールが軽く頭を下げた。

 鏡花は今にも食って掛かりそうな戒斗の腕を、そっと抑えた。

 彼の戸惑いは、母を一人にしてしまう事への迷いや罪悪感だったのであろうか。父親が失踪していたという事は、鏡花は初めて知った。

 普段の屈託のない明るい戒斗からは、感じ取ることの出来ないものであった。


 戒斗は大きく息を吐くと、アズールを無視してアルコとロンメル、そしてルシーに頭を下げた。


「つい大きな声出してしまいました、すいません。ルシー、ごめんな。今日はもう休もうか。葉山さんも、それでいい?」

「あの、戒斗さんは、お父さんが」

「やめないか、アルコ」


 恐る恐る尋ねるアルコを、ロンメルが静かに諭した。


「戒斗さん、今日はお疲れでしょう。鏡花さん、あなたもです。お二人ともそれぞれに事情がおありのようです。ですが、まず御身あっての事情でしょう。いかなる時も健やかにある事が第一と、私はそう考えます。年寄りの繰り言ではありますが、ゆっくり身を休めてくれませんか? ルシーを救ってくれた御礼に、何か疲れのとれる朝食もご用意しましょう。さあ、アルコ、部屋の準備をしなさい」


 ロンメルはゆったりとした静かな口調で、一言一言を全員に言い聞かせるように喋っていた。その口調が熱くなっていた戒斗やアズールを鎮め、戸惑っていたアルコやルシーを落ち着かせる。

 人柄と年の功か、村を治める者の風格か。

 ロンメルの穏やかな所作に、場の空気は落ち着いたものになった。


 アルコが短く返事をして、ルシーを連れて奥に引っ込む。

 ルシーは戒斗と鏡花に手を振り奥の部屋に消えた。


 私も少し落ち着こう。大きく息を吐き出し、鏡花は自分に言い聞かせる。

 サムライの事、この世界の事、余りにも多くの刺激が、一斉に頭に飛び込んで来た夜だ。

 一晩時間を作って考えてみるのもいいだろう。アルコに出してもらった、ほのかに甘く、温かい飲み物に口をつけて、もう一度息を吐いた。


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