07
「――つまりじゃな、遙カ人たるもの、常に力を磨かねばならぬ。わらわが堕してまで付き合ってやるほど気が長いとは思わぬ事じゃ」
ナギの半歩先、どこで拾ったのか、棒きれを振りながら講釈をたれているのは、綾だった。機嫌は悪くないようで、あっちこっちに目移りしながらふらふらと歩いている。
「逆に言えば、階器に見合った力を持つからこそ遙カ人たり得るのじゃ。その為の試練でもある。あ、じゃからと言うても調子に乗るでないぞ? わらわたち階器は、遙カ人のためにあるのではない。お主らこそが、遙カ人として階器に尽くすべく腕を磨くのじゃ。思い違いはせぬように」
振り返り、ぴっと小枝を突きつけてくる。
なぜかやけに自慢げなのは気になると言えば気になったが。それは無視する。まともな答えが返ってくるとは思っていなかった。たぶん感情論か貴人論あたりが帰ってくるのだろう、と、ここ数日で学習していた。
まあつまり、数日も彼女の益体のない話を聞き続けたわけだが。荒んでるんだか茂ってるんだか分からない山中を延々歩いている状態であれば、そんなものでもないよりはマシだった。
経過した日にちは、そのまま奴隷の身分から解放されて逃走を始めた期間でもある。
奴隷から解放されてすぐ、ナギは(リッディツ、リックと協議の上)すぐに動き出した。まあ、動き出したと言っても、メレッヘ国へと移動し始めたと言うだけだ。
動きだしは鈍かったものの、一度動き始めてからは迅速だった。なにせ、騎士達が残していった馬や馬車が山ほど残っていた。物資も、潤沢とはお世辞にも言えなかったが、十分はあった。
とはいえ、国境手前の山にさしかかると、さすがに馬車ごととはいかない。探せばどこかに道もあるのだろうが(呪にはそういった事に使えるものもあるようだが、メレリーは現在も情緒不安定で頼れる状態じゃない。ナギはナギで、まだ全然階器を使いこなせていなかった。移動しているだけなので当然だが)、そこまで時間はかけられなかった。すぐ見つかったとして、近い保証はなく、山越えより早い保証もない。かなり切迫した状況ではあるのだ。
というわけで現在は、残った十数頭の馬に乗っている者以外は、徒歩で移動していた。馬には食料の荷積が最優先で、次に体の弱い者を乗せていた。それに加え、メレリーのようなまだ精神面で回復していない者(と、彼女に張り付いているイーリス)を、周囲に集めている。さらにその周りを、戦士らで固め歩いていた。
ちなみにナギは殿で、後方・来るであろう追撃への警戒をしている。
二人の会話は、基本的にとりとめのないものだ。話しているのは綾が一方的にだからそうもなる。
(聞きたいことがないわけじゃないんだけど……)
聞くには、望む答えが返ってくるよう質問を選ばなければならない、というのもあるが。
「綾さーん、ちょっといいっすか」
「戯け!」
言うと、綾はその辺に落ちていた小石を、こちらに投げてきた。
ぺしん、と額に当たる。
「わらわが話している時に何事じゃ!」
(聞くとこうなるわけだ)
痛みなどは感じなかったが、額を撫でながら思う。
「まあ良いじゃろう。貴様のような、人間失格もかくやという無能であっても、まがりなりにもわらわの遙カ人じゃ。この偉大な《錐禮異刀》の英知を分けて進ぜよう。ほれ、足を舐めて乞うがいい「綾綱様、どうか愚かで無知なわたくしに智見をお授けください。あと足を舐めさせてください」と!」
「尻蹴っ飛ばされたくなければ今すぐその足を引っ込めろ」
まあ、彼女も相当な気分屋なので、試しに問いかければ返ってくることもある。ただし、大抵は(冗談抜きに)蹴飛ばしたくなるが。
頭を掻きながら、気を取り直して、ナギ。
「じゃあありがたく聞くが……」
「足は?」
とりあえず、彼女の尻を無言で蹴飛ばして。
涙目でつかみかかってくる綾を引きはがした後、問いかけた。
「試練って何なんだ?」
が、いざ口にしてみると、案外どうでもいい事しか出てこなかった。
「試練は試練じゃろう。貴様のような者を、超無能かちっとはマシな無能か量るための。そんなことも分からぬとは阿呆か?」
「じゃなくて」
言ってから、なんとなくそんな答えが来そうとは思っていたので、即答する。
「内容とか選出基準とか。俺のは正規の試練じゃないんだろ?」
「ふむ……」
綾はわざとらしくあごに手を当てて。
「選出基準などという、わらわを振るうに相応しい腕前があるかという至極単純な理も考えられぬ脳みそすっからかんな超阿呆具合はさておき」
にやにやと笑い、ついでに横目でこちらをちらちらと見てくる。
非常にうっとうしいが、黙ってみていることにする。蹴飛ばすのはいつでもできるのだし。
「一口に試練と言うても、種類は色々じゃ」
前を向き、また棒を振りつつ歩きながら言ってくる。
どうやら今回の質問の仕方は正解だったようだ。
「単純に危険な辺境秘境、迷宮内におる横着者。わらわほどともなれば『試練の間』を作ったりするのじゃ!」
「で、お前は横着者と」
「たーわーけー!」
言うと、怒こってべしべしと叩いてくる。
「わらわをなんと心得る! 《錐禮異刀》なるぞ! かような者共と一緒にするでない!」
「じゃなんだよ」
「イーリスがおったからそれに付き合うていたまでじゃ。それで、少し……ほんっとーに、すこーし! 見込みがありそうな貴様に、すっごくおまけした試練を与えたのじゃ。寛大なわらわに感謝するが良い。どうじゃ、足を舐めたくなったか?」
「お前のその、頻繁に足を舐めさせようとするのは何だ? 病気か?」
なんだか怒りを通り越して、脳に致命的なエラーでもあるのではと思えてくる。
「ふん。わらわの優しさを解さぬ阿呆め……」
彼女は口を尖らせて、ぶつぶつと言った。そして、そのまま足を速める。よほど腹に据えかねたのか。
入れ替わるようにして下がってきたのは、リックだった。
「ちょっといいかい?」
「ああ、まあ。少しなら」
言うと、彼はほっと息を吐いた。
初めて会った時はずいぶん血色が悪く、今にも死にそうだったリック。数日の馬車移動で、だいぶマシにはなっていた。といっても、山歩きを始めてから、また顔が青くなっていたが。
「彼女、メレリーだっけ? だいぶ精神に来てるけど、君は大丈夫かい?」
様子から察するに、本題ではなく雑談から入ろうとしているらしい。
「まあな。自分でも意外なほど悪くない。思っていたより薄情らしい」
おどけて言ったつもりではあったが。リックはどう反応していいか分からず、苦笑した。
「そんな風には見えなかったよ。実際、一番最初につかみかかろうとしていたのは君だろ?」
「短期で短慮なだけさ。それに――ああ、まだ一月程度の付き合いでしかなかったしな。同じものを見てたとしても、その分ダメージが少なかったんだろう」
それが事実かどうかは、自分でも分からなかったが。そう思うより他ない。
「僕には、君はそうやって自分を追い詰めてる気がするよ。……犠牲は多かった。でもそれは、仕方がないことだ。むしろ君とあの子がいなければ、生存者はいなかったよ」
「分かってる……つもりではあるんだけどな」
もう少し上手くやれていれば、などと後から言っても無意味だ。が、分かっていたとして、思わなくて済むものでもない。
しばらく沈黙が挟まり、やがて意を決したように、リックが口を開いた。おそらく、これからが本題だ。
「多分だけど、あと数日で国境を越える」
リックは国境があるだろう方を見ながら言った。と言っても、体力の消費が手伝い、ただ俯いているようにしか見えない。
そして、一瞬言葉を濁しながらも、やがて決断するように言った。
「だから、もう少し皆に受け入れられるようにして欲しい。君は、その……嫌われすぎている。それが必要だった事は分かっているんだけど」
申し訳なさそうにこちらを見てくるリックに、ナギはため息を吐いた。
彼の言葉は、ナギが殿をつとめている理由でもあった。そして、動きだしが遅かった理由でも。
ナギとリッディツ、リックの話し合いで、すぐ逃げるべきだと結論が出た。無数のけが人を抱えているならば、なおさらだ。が、それに反対した者がいた。それも、一人二人ではない。結構な人数だ。
なんでも、亡骸をこのままにしては行けない。死者を労り大いなる流れへと送り出さねば、そのもの達は永遠に常闇を彷徨うことになる。
当然、そんな余裕があるはずなかった。いちいち儀式など挟めば、下手をすればその場で追いつかれる。それが分からない訳がない。それでも、彼らは行おうとした。それが――おそらく信仰というものだ。
彼らに対し、ナギは……ナギのみが、選択を突きつけた。「俺はこの場に残るつもりはない。次に襲われて、また助けて貰えると思うな。とっとと動け! 俺も、鎧犬どもも待ってはくれないぞ!」と。そうやって、動かない者達を無理矢理馬車に詰め込んだ。
(そりゃ嫌われるよなあ。正しいかどうかでいえば、間違ったことをしたとは思わない……。でも、それで納得できるかってのは、話が別だ)
やはりと言えばいいのか。根本的な部分で、ナギは彼らを理解できていない。考えを共有できないと言うことは、いつか致命的な齟齬を生む。そういう意味では、今回の齟齬はマシな部類だったのだろう。なにせ、言い訳をする余地があった。
恐らくは、もう二度と彼らのコミュニティには入れないだろう。それも、まあ仕方のないことだ。
「心情的には……正直に告白すれば、僕だって納得しきれないさ。でも、誰かがやらなきゃいけない事だった。君に全部押しつけたのは悪いと思ってる。それは僕だけじゃない。理解してる皆が思ってる。でも、このままじゃ君は……」
「亡命して、仮に首尾良く村を再建できたとして、村に俺の居所はない? いや、それ以前に立ち入ることも許されないかな」
「…………、分かっていたんだね」
「そりゃな」
近づけば、殺意とは言わないまでも、強い敵意を持った目で睨まれる。どんなに鈍感でも、恩人に向けるそれではない。
「ま、仕方ないさ。それに、そういう奴がいた方が、上手くまとまるってもんだろ? 後は、あんたとリッディツさんあたりが、上手く代表をすればいい」
ナギの言葉に、リックは強く眉をしかめた。
「なんでそこまでしてくれるんだ……!」
「潮時だと思っただけさ。所詮、俺は外様だからな」
それに、と続ける。
「リッディツはそこまで理解してるよ。だから俺に話しかけてこない。人を纏めるのに、そういう失点はない方がいいからな。お前も人が見てる所じゃ控えろよ。みんなのこれからを思うなら」
言い終えると、リックはこちらをじっと見てくる。が、やがて目を前に向け、深く――本当に深く――ため息をついた。そして、小さく肩をすくめる。
「薄情なんじゃなかったのかい?」
「自分でも驚いてるよ。生きてる人間には、思っていたより厚情だったらしい」
にっと、わざとらしく笑って見せた。
だが、リックは笑わなかった。その代わりに、背筋を正し、こちらをまっすぐに見てくる。
「ナギさん、あなたを尊敬します。そして、我々を代表して、感謝します」
「やめろよ、くすぐったいな。似合ってないぞ」
「そうかな? 僕っていつもこういう役回りだと思ってたんだけどね」
今度こそ二人して笑う。
と、ナギはすぐにやめて、リックの肩を押した。表情も硬くなる。
「前に行け」
「いや、そんなに急に切り替えなくても……」
「違う」
鋭く言う。
ナギは意識を後方に向けた。綾の遙カ人になったからか(それ以外に思い当たりもない)、《綾綱》を握ってないのに、感覚は鋭いままだ。
早足に、先を歩いていた綾が戻ってくる。
「気づいておるか?」
「ああ」
疑問符を浮かべているリックは無視して。
後ろから三つ、追いかけてくるものがある。まだ距離は離れているが、恐ろしく早い。何より、多分だが、空を飛んできている。
顔をリックへと向けて、逼迫さが伝わるように、ナギは言った。
「帝国の追手が来た」
「何かの間違いじゃ? 来るにしたって早すぎる。予測では、国境にさしかかるかどうかってくらいだったんだ。今くらいじゃ、まだ情報が届いたか届いてないかってタイミングだよ」
「つまり、俺みたいな奴が追撃に来たって事だろ」
言葉に、リックが顔を引きつらせた。
「敵も遙カ人だ。おそらく三人全員な」
「急がないと!」
「ちょっと待て!」
今の情報をそのまま伝えかねない勢いのリックを、肩を掴んで無理矢理止める。
「国境までまだ数日かかるなら、教えたって混乱するだけだ。急がせる必要はあるが、あくまで自然にだ」
「君は!」
「戻ってこなくても気にするな」
絶叫するリックを安心させるように、肩を叩く。
ナギは綾の手を握った。手の中に熱が広がり、次の瞬間には、良く手に馴染む感触と重さが広がった。
「頼んだぜ」
「……っ! 本当にすまない……」
「謝るなよ。俺だって嫌々やってるんじゃないんだから」
言って、ナギは飛び上がった。
空を飛ぶ、というのはよく分からない。綾曰く、階器を持てば誰でもできることらしいが。今は宙に立つ事しかできない。これは用練習だろう。
『うむうむ、来ておる、来ておるぞ。わらわの遙カ人たる者、この程度の相手に負けることは許さぬからのう』
「お前ほんとむちゃくちゃ言うよな」
刀になろうが何だろうが、綾の調子は変わらない。
リックには言わなかったが、まあ予想くらいはしていただろう。このタイミングで遙カ人を投入してくるなら、こちらに遙カ人がいる前提の追手だ。であれば、対遙カ人能力が高い、なしいは専門の処刑部隊だろう。キャリアだけでなく戦術面でも負けている。
だが。
「ま、負ける気は全くしないけどな」
『うむ。それでこそ我が遙カ人じゃ』
言葉に嘘はなく、体も、そして刀もひたすら早く。
ナギは、追手へと全力で駆けていった。