06
ザインダス帝国西方軍は、現在未曾有の忙しさに見舞われていた。
現在は、どの部署も罵声と悲鳴が飛び交っている。それと同じくらい、人・命令・物資・そして金が動いていた。
はっきり言って、焦るというのは余分な行為だ。そうザインダス帝国西方軍総司令官・ガトーは思っていた。焦るなどと言うのは、余計な手間を増やすだけの、全く意味のない行為。仮に焦らずとも、実は効率など、さほど変わらない。まあ、分かっている上でしなければならないのだから、能力が足りないという事なのだろう。それをどっしり構えて待っているのも、まあ、総司令官の領分と言えばそうだった。
それに、だからといって、無能というわけでもない。無能であれば、総司令部の、それも総司令官の目に届く位置では働けないだろう。実際、上がってくる情報は、それなりに見やすい物だ。
一つ手前に渡された書類を見終えて、ガトーはそれを、デスクの上に置いた。そして、前を見る。
「よろしい、報告を」
「はっ!」
いかにもしゃちほこばって返事をしたのは、誰だったか……。そうだ、第四迷宮攻略部隊の指揮官だった。
花形とはほど遠い、所謂無能がつとめる仕事だ。上手く騎士を率いられないから、下級騎士(騎士もどきなどとも言われる)をつれて、奴隷の尻を叩く雑な仕事しか任されない。指揮など名ばかりの突撃部隊であれば、誰でもつとまる。
(が、だからといって無能しかいない訳でもない)
それは認めた。
たとえば、目の前の第四迷宮攻略部隊指揮官は、まだマシな方だ。『押せ』と『退け』の違いを分かっている。
「第十一期発見七番迷宮の攻略に成功しました。ランクは小であり、目立った収集物も、階器もありませんでした。被害は騎士二十二、奴隷七百十一です」
「よろしい。奴隷は中央へ送り、待機せよ」
「了解しました」
きびきびとした動作で(まあそれすらできなければ、指揮官になど任命されないが)きびすを返す。あの様子であれば、残りの仕事も首尾良く終わらせるだろう。
(奴は昇進させてもいいかもな)
それだけを心の片隅に刻んでおく。
報告の内容は、取り立てて見るべきところがない。つまりは、普通のことだ。成果なし、被害だけがありました、などというのが普通の事と言うのが、如何ともしがたいが。
迷宮攻略――それは一大事業である。
誤解を恐れず言ってしまえば、迷宮とは旧魔族支配領域の事だ。その定義で言うと、現帝国領は九割が迷宮となる。一般的な(自分から迷宮に突っ込む馬鹿者の)定義だと、「よく分からないけど露出が少ないお宝たっぷりの場所」となるのだろう。
間違いではない。冒険者(などと自称しているが、実態はただの泥棒だ。というか帝国では迷宮に立ち入ること自体が犯罪である)にとっては、まさしくそうだろう。根本の理論から違う高度技術は、高く売れる――まあ、未発見であれば。優れた道具であれば、話はもっと簡単だ。当たり前に高価だし、自分で使ってもいい。個人所有は間違いなく犯罪なので、下手をしなくても騎士の粛正をもらうが。
つまり、個人が行えばハイリスクハイリターンな事業な訳だが。
これを国が攻略しようとした場合、はっきり言って、リスクしかない。
まず真っ先に上る話が、攻略の恩恵をもらえることがほぼない事だろう。新しく見つかる技術は大抵どこかで先に見つかっている。階器は迷宮にあることが多いが、それも絶対ではない。そもそも迷宮以外の場所にも結構ある。優れた道具も、ほぼ生産性がない。そして、間違いなく被害が大きい。
たまに、迷宮を民間人に攻略させ、その成果を買う方針の国があるが。ガトーに言わせれば、愚かな行為だ。
迷宮は隅から隅まで踏破し、最後に崩壊ないしは制圧しなければ意味がないのだ。
放置すれば魔物を繁殖させる。危険なものがあるかも知れない。全て漁り尽くして、初めて安全と言える。
だからこそ、国防に穴が開きかねない様な真似でも、彼はしているのだ。
ノウハウだけは無駄にあり――といっても大したものではない。奴隷を大量に押し込んで、被害を肩代わりさせるというだけだ。とにかく、大きな被害が出る事は少なくなったのだが。
(少なくなっただけで、無くなったわけではない。忘れてはいけないのが、あくまで迷宮探索部隊は、役立たずの集まりだという事だ)
それを思い出したのは。どたどたと慌ただしい、馬鹿みたいな足音のせいだ。
騎士軍の規則を破るように、ドアが開かれる――ノックもなしにだ。現れた騎士(伝令ではなく、事務方の誰かのようだ。降格対象として覚えておく)は、ドアノブを掴んだまま、息も整えず声を上げた。
「報告します! 第七迷宮攻略部隊、全滅です! 生存者は三名!」
(それが大慌てで入ってきてまで報告することかね?)
怒鳴りつけてやりたい気分ではあった。だが、それこそ無駄だ。
苛立ちは、何とか外に出さず堪える。どうせ、もう二度と会うことはないのだし。
「詳しい状況は?」
「あ……その……」
怒鳴るのだけは堪えた。が、さすがにため息までは抑えられなかった。
後から追いついてきた騎士が――こちらが本来の伝令だろう――事務の肩を叩く。興奮して飛び込んできた間抜けを帰させて、伝令が報告した。
「改めて、報告します。第七迷宮攻略部隊は壊滅。帰還した騎士の話から解析するに、反膜要塞だったようです。そこで壊滅的な打撃を受けた上に、奴隷の反乱にあったと言っています」
「解析するに、か」
ガトーは疲れを感じながら言った。
「仕方ありません。迷宮に投入される下級騎士に、まともな報告は望むべくもありません」
「たまに思うのだがな。一人くらい情報解析官を同行させた方がいいのではないかと」
「無駄です。迷宮などにまともな騎士を同行させる余裕はありません」
「分かっている」
頭が痛い話だ。
帝国には迷宮が多い。というか、迷宮だらけだ。未攻略迷宮など三桁という単位であるし、未発見のものも多いだろう。そして、迷宮が原因で壊滅的な被害に遭ったことも少なくなかった。まあ、迷宮から得た技術の恩恵で、一大帝国になったというのも事実ではある。大きくなったから邪魔だと嘆くのは、ナンセンスではあった。
膨大な数の迷宮は、帝国の軍事リソースを大幅に圧迫している。
強力な騎士軍を持ちながら、その力を十分に発揮できない理由だ。周辺国に軍を差し向ける時は、いつも捻出に苦労する。
「再探索をさせる必要があるな……。第四迷宮攻略部隊を向かわせろ。ああ、足りない奴隷は第三迷宮攻略部隊のものを統合だ」
言うと、伝令はてきぱきと指示を飛ばした。余計な事はせず、無意味な焦りもない。
「それで、反乱を起こした奴隷というのはどうなった? いや、聞くまでもないか……」
「戻ってきた騎士が、どうも要領を得ないので断定はできませんが。おそらく逃げたのでしょう。位置的に、メレッヘ国の方だと推測します」
「ちっ……とっとと死ねばいいものを」
苛立ちに、ガトーは吐き捨てる。
迷宮の他にもう一つ、軍のリソースを大幅に食う存在がある。それが、南方に巣くう蛮族の存在だ。
帝国南部の大半を占める、ザインダス大熱樹海。ここには十数万という人数の蛮族が、帝国領に我が物顔で居座っている。
数百年前、帝国 (の前身である国)は、常に蛮族に脅かされていた。幾度も侵略を受け、そのたびに跳ね返し。迷宮の超技術も得て、大国家として君臨するまで、蛮族の侵略が絶えた記録はない。
立場が逆転した今でも、帝国には潜在的な恐怖があった。あの蛮族どもには、常識が通用しない。平気で民間人から襲うし、民間人しか襲わない。こちらにも、軍が一定の睨みをきかせなければならなかった。
蛮族を奴隷にし、迷宮に投入する。恐ろしく効率的な行為だ。
厄介で邪魔な両者がつぶし合う。なにより、帝国の貴重なリソース消費が最小限なのがいい。たまにこういう失敗があるのが、業腹ではあったが。
「どの部隊を向かわせるか……探索のため、魔法使いもいなければならんな」
「それについてなのですが」
ガトーの言葉に、伝令が割り込む。
「もしかしたら、奴隷の誰かが遙カ人になったのかも知れません」
「なに?」
「騎士の一人が、奴隷がカウンターガーディアンを倒した、と言っております。信憑性はさほど高くありませんが……」
「指揮官が飛び抜けた無能だった、というのと、どちらの可能性が上かという話になるな。どっちだと思う?」
「考えたくないという意味では、どちもどっちかと」
そうだな、呟いて、ガトーは肩をすくめた。
ここで奴隷を逃がせれば、楽なのだが。これも迷宮と同じだ。実入りがないと分かっていても、無視はできない。蛮族を調子に乗せるというのは、帝国が最も避けたい事だ。将来的には、蛮族全てを奴隷として使い潰し、消滅させたいのだから。
「我々は馬鹿で味方を殺す騎士を山ほど見てきた。それと同時に、騎士を殺す蛮族も。どちらも等しく侮りはしない。我々を殺しうるものだ」
言いながら、ガトーは引き出しを開いた。
中にはケースがある。ケースは十五段あり、そのうち八段にカードが入っている。
ガトーはそこから、一枚を取り出した。抜き取ったカードは、伝令へと放る。
伝令はカードを確認して、呟いた。
「グィーズ隊ですが……」
「問題があるか?」
あからさまに顔を潜めた伝令に、聞いてみる。
「いえ、彼らは優秀です。そこに異論はありません。ただ、今回の件が国境近くだと考えると、メレッヘ国を挑発する結果になりかねませんが」
「連中に文句を言われたところでどうという事はない。どうせ、何もできやしないのだ。それに、たまには示威も必要だ。そんなことよりも、帝国は蛮族・奴隷に対し一切の妥協をしないと再認させることの方が重要だ」
そこだけは断じておく。
分かっておかなければならない。帝国最大の敵は、他国などではない。十数万と存在し、話も通じず無軌道に暴れ回る蛮族なのだ。
「それに、相手が遙カ人かも知れないというならば、グィーズ隊は非常に有効だ」
なにせ、グィーズ隊は。
隊員全員が階器持ちの、対遙カ人専門部隊なのだから。
伝令は、まだ納得しきっていない様子ではあったが。それでも飲み込んで、仕事を果たしに行った。優秀だ。任務に必要なのは疑念ではない。命令を確実に遂行することだ。考えることは、与えられた権限の範疇だけでいい。
ガトーは伝令を見送って、すぐ次の仕事に移った。
(これで、帝国に巣くう寄生虫は終わりだろう。次は……)
やることはいくらでもある。いちいち終わった話になど、構っていられない。
彼が、それをすぐ忘れる事ができたのは。つまりは、それだけグィーズ隊が信頼できる部隊だという事でもあった。