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05

 後方に大きく跳ねる……というか、転がる。

 寒気はすぐ後、正面にやってきた。爪を大きく広げ、狭い通路では逃げ場がない様に振るわれる。つまり、後ろに逃げても、完全には避けきれないのだが。


「っぐ……!」


 背中に新たな熱を感じ、カーツは再び走った。もう何度繰り返しているか分からないが、どれほど楽観視しても、あと何度も繰り返せそうではない。

 のっぺりとした顔に、金属でできた体。そして、肉の鎧。突如現れたそれは、第六十五部隊の総勢二十四名中、二十三名を瞬く間に肉塊へと変えた。残っているカーツも、すでに剣も盾も失っており、全身から血を吹き出している。


「予想してなかったと言えば嘘になるけど……」


 走りながら、悪態をつく。出血が多すぎた。あとどれくらい走っているられるか。同じ状況が続けば、あと十分生きている自信はなかった。


「まさか迷宮が、元反膜要塞だったなんてね!」


 十字路にさしかかる。思い切り体を沈めて、左通路に潜り込んだ。今度痛みが走ったのは、左肩だ。かなり深く切りつけられたはずだが、もう熱は感じなかった。肉体の感覚に異常が発生するほどの出血だ。が、終わりが予想より近いことを予感させるのは、それだけが原因でもない。

 反射的に左に駆けたが、これは、向かう先を限定されたからでもあった。悲鳴と破砕音が、至る所から反響してくる。その音は、進行方向だけ不自然に小さかった。手の空いた敵が待ち伏せしていると確信させるには十分だ。


(反膜要塞……古代魔種が要塞都市にみせかけて作った、侵攻者へのカウンター。侵攻者を深くまで誘き寄せた後、挟み込むようにカウンターガーディアンを発動させる。問題は、重要施設に見せるため、施設の巨大化を免れなかった……つまり、手間が大きい上に、確実性に乏しかった。時には一般市民を生活させて、囮にしたとも言うし。ほとんど作られず、過去の例も数えるほどしかなかったって言うけど、まさかその迷宮に当たるなんてね)


 不運を嘆くべきか、と考えて、カーツは思わず笑った。

 不運とはどれの事だ? 投入された迷宮がたまたま反膜迷宮だった事か、それとも奴隷狩りにあった事か、もしくは、今回の奴隷狩りに会う場所に村があった事か。上げればきりがない。


(とりあえず逃げる……今はそれしかない)


 伝わっている伝承によれば、カウンターガーディアンは、人間より個体能力が遙かに優れた魔の種を倒すためのものだ。最大の特徴はその強度だが、だからといって力や早さが乏しいわけでもない。人間では、囲み対処したとしても、どうにもならないだろう。まず相手にダメージを与えられないし、有効な攻撃手段があったとして、それで有効打を与えられる程の能力を持った人間がどれだけいるか。

 つまるところ、まともに相手するだけばかばかしい相手な訳だ。逃げ場のない場所で対峙していい相手ではないし、そもそも戦うべき相手ではもっとない。

 まっすぐ走る。カウンターガーディアンは、なかなか追いついてこなかった。焦る必要がないという予想を確信に変えたのは、正面からのそりと、別のカウンターガーディアンが顔を覗かせたから。

 挟まれた。逃げ場がない。


(どうする!?)


 急激なブレーキをかける。

 同時に、前後から同時に、カウンターガーディアンが駆け寄ってきた。

 通路の幅はそこそこ広いが、カウンターガーディアンはただでさえ、人間の三倍い体長だ。それの運用に合わせた幅であり、つまり、脇を抜けられるほどの隙間はない。


(こんな所で死ぬのか? 鎧犬のいいようにされて! 我々の全滅という結果だけを残して!)


 カーツは、最後の力を振り絞るようにほぞを噛む。

 帝国は、この件で騎士五百人近くの損失を被るだろう。だが、それだけだ。また新たな騎士、今度はカウンターガーディアンを何とかできる者を派遣するだけ。それに対し、自分たちは滅んで終わり。後には血すら残らない。

 そんな結果が許せるはずもなかった。精階の意も解さず、自分たちを道具にしか見ていない物達の思い通りになるなど。

 最後の悪あがきだ。死ぬのを覚悟で、前後のカウンターガーディアンを叩かせ合わせる。その隙に抜け出て……

 壁に手を突いて、体を引き絞った所で。急に、正面のカウンターガーディアンが崩れ落ちた。

 ぽかんとそれを見る。何があったのか……

 気がつくと、背後から迫る音も消えていた。振り向く。正面のそれと同じように、倒れ込んだカウンターガーディアンと。その手前に、一人の人間がいた。


「カーツさん、大丈夫ですか?」


 小さく荒い息を吐きながら言ったのは、よく知る男だった。ほんの一月ほど前に拾った、大いなるものの導きを感じた少年、ナギ。

 彼は肩で息をしながら、見たことのない武器を手に持っている。


(ああ……)


 彼は理解した。ナギは、目にもとまらない早さで、カウンターガーディアン二体を倒したのだ。

 間違いではなかった。

 大いなるものは、我らエフレェの民を見捨てなかった。

 救いが現れた。

 ただの頼りなかった少年が、今は大きな力を持って。

 偉大な戦士となって、再び前に現れた。




  ●○●○●○●○




「これこれ、急に走り出してどこへ行くつもりじゃ」


 一度降りた場所を再び駆け上るというのは、かなりクるものがあった。労力という意味では言うまでもなく、助けに行くまでの時間的な焦りや、単純に肉体的なダメージも。そして、後方横を走りながら、のんびりと声をかけてくる座敷童もだ。


「決まってるだろ、助けに行くんだよ!」

「貴様は、あの馬鹿鎧どもとは仲が悪そうに見えたんじゃが。ほっとけば全滅するぞ? そこまでして自ら手を下したいのか?」

「鎧着てない奴もいただろうが!」

「なんじゃ、あっちは知り合いじゃったのか。他人じゃと思うておった」

「あいつらはな! 上には仲間がたくさんいるんだよ!」


 実際には、一人は知り合いだったが。それはどうでもいいか。

 正直に言って、つまらない問答をしている暇も惜しかったが。だからといって無視もできない。化け物を何とかするのには、彼女たちの協力が絶対条件でもある。


「ふーむ。まあ貴様が大変だという事だけは理解した。それでは、むふふ、いよいよわらわが力を貸してやるとするかのう」

「? もう刀は持ってるが」

「この大戯けが! この単細胞! 能なし! ウジ虫!」


 なぜかひたすらになじられた。

 綾はふっと(ひたすら馬鹿にするように)ため息をついてから、言った。


「そんなものは、この程度できれば試練になるか、という程度で使わせてやった、ただの鉄の棒じゃ」

「どう考えてもそんな程度の切れ味じゃなかったが……」


 ぼやくが、彼女は無視した。


「手を出せ」

「は?」

「甚だしく脳の鈍い奴よな! 良いから言われたとおりに手を出せ!」


 答える前に、彼女に片手を引ったくられた。思わずバランスを崩して転びそうになる。


「我が遙カ人、綾綱の担い手よ、わらわと共に征き賜へ――」


 言葉と共に――手から重みが消えた。少女の手の熱と重量、もう片手に持っていた刀の確かさ、両方ともだ。そして、少女の手を握っていた手に、別の刀が現れた。


(なん……?)


 びくりとしながら、それを確認する。今まで持っていた飾り気のない刀とは、何もかもが違っていた。刀身八十五センチ程か、今までのものよりだいぶ長い。鋼はうっすら赤みがかかっている。鍔には、ほんの僅かばかり、飾り気があった。

 何より驚いたのが。握りも刃渡りも、全てが恐ろしく手に馴染んだという事だ。まるで、自分の体の延長とすら思える。そのために特別あしらったのだとすら信じられた。


『これこそわらわの真の姿、真の力よ。何をする気か知らぬしどうでも良いが、せっかくの使い所じゃ。わらわを上手く使うて見せよ』


 体に力が溢れる。気づけば、全身に負っていた傷もなくなっていた。いや、それどころか、単純に身体能力まで桁違いに上がっている。


「なにこれ……」


 言葉に振り向く。後ろを気にする余裕すらできたと、その時に気がついた。

 メレリーの手にも、ナギのそれと似たようなものがあった。先ほどの武器に、飾り気を追加したような。最も違うのは、そこから発せられる存在感だったが。

 彼女は目を鋭くした。そして、ナギの肩に触れる。


「飛ぶわよ!」


 言葉の意味は変わらなかった。

 メレリーは無視して、呪の言葉を吐く。


「――荒れる風には狂いなく等しく!」


 瞬間――彼らは上層へと戻っていた。空間転移してみせたのだ。あの一瞬で。

 それが分かり、かつ瞬時に確信できたのは、ナギもまた似たようなものを抱えていたからだ。感覚が異常に鋭くなっている。人間ではありえない超感覚。階層一つをまるまる包めそうなほどに、知覚が広がっている。


(マジかよ……こいつだって、化け物をちょっと柔らかくするのに四苦八苦してた筈だぞ? そりゃ誰だって、こんなもん躍起になって欲しがるか)


 手に持ったばかりで、まだ欠片も使いこなせていない事が分かるのに。階器から伝わる力に全能感すら覚える。しかも、それが全くの思い違いという訳でもない。

 下手をしたら、などというレベルではなく。確実に戦略兵器の域だ。


「なにしてんの! 早く行きなさいよ!」


 背後から怒鳴りつけられ、はっとした。惚けている余裕などない。


『やーい、怒られてやんの。ぷぷぷ』

「お前階器本体のおまけとかに改名したら?」

『なんじゃとー!』


 余計なことばかりを言う、というか余計な事しか言わない階器に、余計な言葉を返しながら。戯言をぬかしあっている間に、すでに十八匹もの化けもを斬っていた。

 瞬く間に、視界の先まで移動できる。五感の全て、性能が桁違いに上がっている。そもそも、生きている時間すらもが違った。はっきり言って、こんな力があれば技も何も関係がない。近づいて叩き付ける、それだけで全てが終わる。

 自分には過ぎた力に思えたが、同時にありがたくもあった。この調子ならば、一割くらいの人は救えるか……逆に言えば、トラップの発動から現時点までで、実に九割近い人が殺された、という事でもある。

 まだ人が生きている場所を中心に、とにかく斬りまくる。化け物の総数は数百だ。これだけ入り組んだ場所では、さすがに全てを一度に処理、とはいかなかった。

 いくらか処理していると、化け物に挟まれながらも孤軍奮闘している人を見つけた。処分し、次に行こうとして、立ち止まる。見知った顔だった。


「カーツさん、大丈夫ですか?」


 吹き出ていた汗をぬぐいながら、問いかける。汗は今発生したものではなく、階段を上っている内に出たものだ。

 返答がなかった。カーツは呆然と、こちらを見ている。


「カーツさん?」


 再び問うと、彼ははっとした。


「あ、ああ。私は大丈夫だ」

「後からメレリーも来ます。あいつに治療してもらって、あと気を遣ってやってください。俺だとどうも……」

「分かった。君は行くのか」

「ええ。どんだけ救えるかはわかんないっすけど」


 言ってから、反応も待たず走った。

 また、ひたすら化け物を斬る。それ自体に労力は必要ないが、今にも殺されそうな人を優先して助けるのは、神経を使う作業だ。


「逃げろ! 出口へ迎え!」


 助けるたびに、そう叫ぶのも。

 これで奥にでも行かれたら、もうどうしようもない。それは――かわいそうだが――諦める。一通り助け終わるが(予想よりは多くの人を助けられた。それでも二割には届かなかったが)、それでもやることは終わらない。

 今度は、出口に集結し、逃げだそうとする者を待ち伏せしようとする化け物退治に向かった。

 化け物の動きは、非常に組織的だった。というよりも、全てが連動して、一つの動きになっているような気がする。機械のようなものなのだろう。精密で、間違えず、そして迷わない。明らかに一つの意思で統率されている。欠点もそのままだった。やることが当たり前すぎて、非常に読みやすい。

 道をふさいだ、もしくは道をふさぐであろう化け物から優先して倒す。後は、逃げる人に追いつきそうな化け物もか。見逃しは怖くない――まずあり得ないと思っている。恐ろしいのは判断ミスだ。まだ切羽詰まった状況は続いており、一つの失敗で数十人が死にかねない。

 幾度も綱渡りを続け(もう失敗したかどうかも分からない)なんとか全員を外に出せた。最後にナギが飛び出て、唯一の入り口を斬って崩壊させる。

 外は完全に混乱状態だった。

 迷宮外で待機していた騎士は状況を把握できていないし、逃げた者達はまだ正気に戻れていない。その状態で両者が入り交じっている。ほとんど恐慌状態だ。

 数少ない正気状態を保っているメレリーに、ナギは叫んだ。


「メレリー!」

「分かってる!」


 彼女はすでに準備をしていた。迷宮を上層ごと破壊し尽くす、攻撃的な呪。正しくは理解できないが、なんとなくは感知した。

 メレリーがそれを発動しようとして――

 迷宮上部から、何かが飛び出た。一つや二つではない。数百という数だ。それが、次々に地面へと着弾する。その場にいた人間全員を囲むように。


(っ! 入った相手を皆殺しにするトラップだもんな、こういう事もあるのかよ!)


 吐き捨てる。全くの予想外だった。外に出て、後は追ってくる奴だけをなんとかすれば凌ぎきれる……いつの間にか、そんな甘いことを考えていた。

 想定外だったのはメレリーも同じで、彼女はすぐに力の構成を解いた。範囲どころか発動する呪自体を変更する――が、これは失敗だと気づいただろう。彼女は下唇を噛んだ。

 さらなる援軍の可能性まで考えるなら、そこで呪を中断する必要はなかった。

 ナギは、メレリーを見て確認する。次の呪――おそらく化け物のみを崩壊させる何か――が、いつ発動するか。階器と大規模呪、両方に不慣れなのだろう。早くても十数秒はかかりそうだ。


(こっちだって不慣れだってのに!)


 強い力を発揮している感覚はある。だが、階器の力を引き出せている感覚も、ましてや慣れた感覚は未だない。身体能力に振り回されながら戦うしかなかった。狭い室内ならば、まだごまかしもきいたのだが……

 とにかく手当たり次第に化け物を斬り、同時にそれを足場にする。化け物の死体で跳び跳ね続けられるように。

 メレリーが作る呪の完成が間近に迫る中、その声が、やけにはっきり聞こえた。


「貴様! 早く向かえと言っているだろうが!」


 ナギに実戦経験は豊富だと言いがたい。いや、それはこの場にいるほとんどの人間にとってそうだろう。

 予想外の事態はというのは、起きて然るべきだ。ましてや戦術家でもないならば、予想できなくて当然だ。

 馬鹿は存在する。しかも、状況を理解できないとんでもない馬鹿だ。

 その馬鹿は、化け物をなんとかしようとはしていなかった。上手くいかない状況に苛立ち、死の恐怖にも煽られ、その怒りを、たまたま近くにいたメレリーに向ける。

 振り上げられた長剣が、彼女の首筋に噛みつこうとしていた。

 気づくのが遅すぎた。自分も、そしてメレリーも。彼女は集中は維持しながら、しかし呆然と、背後から振り下ろされる剣を見る。

 彼女が死ねば……死ななくても、呪を使えなくなれば終わりだ。敵を一斉に排除する手段がなくなる。残るのはナギと、あとは運がいい数名程度だろう。

 最悪の未来に、頭から血の気が引く。


(なんとか……!)


 体を捻り、動かそうとする。無駄だというのは分かっていた。距離云々より、体が宙に浮いている。方向転換ができない。

 振り下ろされる刃が、少女の命を刈り取ろうとして……。

 しかしメレリーには当たらなかった。

 刃と少女の前に割り込んだ者がいた。カーツだった。

 血と、そして脳漿が弾ける。溢れたそれが、メレリーに降りかかった。

 誰も見間違えようがない。脳天を砕かれ、勢いのまま胸まで裂かれた男が、生きているわけがないだろう。彼は、ただ盾となって死ぬことを選んだ。


「メレリー!」


 絶叫する。

 彼女が正気を取り戻した、とは全く思わなかったが。それでも、やるべき事だけは、機械的に行っていた。


「――異なる影には、砂海の試練を――」


 呪文で。

 全ての化け物が――崩れた入り口を破壊し、這い出てきた化け物まで含めて――同時に割れた。そして、言葉通り、砂のように崩れ落ちていく。

 メレリーの呪いの言葉で、戦いは終わった。

 残ったのは、達成感でも何でもなく。ひたすらの後味悪さと。

 後は、新たな火種だった。

 メレリーが、もう誰の者かも分からなくなった遺体を前に、呆然としている。自分を守ってくれた……自分のせいで死んだ、家族を前に……


「き、貴様、いや、貴様ら、そ、そうか! い、い、遺産を見つけたんだな!? とっとと渡すんだ! で、でなければ殺すぞ!? そこの男みたいにな!」


 言ったのは、カーツを殺した騎士だった。剣を掲げて凄み、メレリーへと向ける。それが振り下ろされるのに、時間はかからないだろう。彼らに取っては、彼女など死んで困る相手ではない。

 騎士の男は、横合いから剣を刺されて絶命した。

 ナギが手を下したのではない。その前に動いた者がいた。

 やったのは、近くまで来ていたリッディツだった。血にまみれた全身と、そして剣を持ち。怒りに打ち震えている。


「よくもやってくれたな、帝国の犬どもよ……」


 リッディツは言いながら、持っていた剣を投げ捨てた。殺した騎士が落とした長剣に持ち替える。

 彼の言葉は、その場にいた奴隷全員の代弁でもあった。誰もが疲労も絶望も忘れた。そして、こんな目に遭わせた者達への殺意に溢れる。

 ナギも例外ではなかった。殺意を伝えるように、柄を握る。


「貴様らがここで反抗したところで、別働隊に討たれるだけだ。れ……冷静になれ」


 指揮官は、怯えながら震える声で言った。

 分からないはずもない。真っ先に自分が狙われると。

 奴隷と騎士の数は、ほぼ同数だった。騎士達が外に司令部を作るため、結構な人数を残していたと言っても、騎士が同数いるのは多すぎる。どれだけの騎士が、奴隷を囮にして逃げたか、という事の証左でもあった。中には、実際囮にされて生き延びた奴隷もいるだろう。

 普通であれば、勝負にならない人数差だ。相手はフル装備のプロで、こちらは素人集団の、しかもまともな武器もない。

 だが。

 たかが百数十人程度を虐殺するならば、ナギ一人いれば十分だった。

 彼らにも分かっているはずだ。化け物が軽々と殺された。今度は自分たちがそうなる番だと。

 緊張は長く続かなかった。

 開戦の合図は、


「あああああアアアァァァァァ!!」


 メレリーの、絶叫だった。

 ナギは思わず彼女の方を見て、ぎょっとした。

 彼女の強烈で壮絶な、呪とも言えない悪意の塊が見える。それは次の瞬間に物理的な破壊力を持ち、周囲に打ち付けられた。

 感情をそのまま物理的破壊力に変換し、敵に叩き付けるのはいい。問題は……


(あいつ、範囲の事を何も考えてない!)


 その影響範囲に、奴隷にされた者達もいたという事だ。

 ナギは、こちらに降ってきた赤い呪弾三つを切り落とす。が、それで安心する暇もなかった。


「死ね! 死ねぇ! お前達、皆殺しだ! 一人も残さない! 帝国に住まう者全てを呪ってやる! 全て――常闇の地裂に沈めてやる!」


 血を吐くような絶叫が、怨念にさらに力を与える。

 今度は十を超える呪弾が降ってくる。そして、今なおその数は増え続けていた。

 防ぎきれない(つまり奴隷に降り注ぐもの以外の)呪弾が、地面を破壊する。地を砕いて、表面にあるものをかき混ぜた。無残な肉と鉄の混合物が、宙に吹き荒れる。


「やめろメレリー! っ、リッディツさん、そいつを止めて!」

「いい加減にしろメレリー! 皆に当たるぞ!」


 彼女は、リッディツに羽交い締めにされるが。

 それでも暴風は数十秒と続き。残ったのは、数百のクレーターと、少女のすすり泣きだけだった。


「ごめんなさい……あたしのせいで……ごめんなさい……」


 攻撃の手を止めた少女は、すぐに持っていた武器を取り落とし。ふらふらと、自分を守ってくれた人の元へ向かった。

 崩れたカーツの遺体にうずくまるメレリーを前に、かける言葉が見つからない。

 ナギは、最後まで仲間を守って死んだ、偉大な男に短く黙祷し。リッディツへと近寄っていった。見た限り、生き残った知り合いは彼しかいない。

 リッディツは胸を押さえている。心の痛みと言うよりは、傷口が開いた様子だが。顔をしかめながら、声をかけてきた。


「鎧犬どもが何匹か逃げた」

「ほっとけばいい」

「いいのか? 今すぐ殺したいという気持ちはあるが、それを抜きにしても、生かすべきではないと思うが。すぐに追撃部隊を編成してくるぞ」

「どうせ定期的な連絡くらいしてるだろ。早いか遅いかの違いでしかないし、遅い場合でも、交戦は避けられない。それより、どこに行くかの方が重要だ」


 少なくとも、ここには留まれない。それは両者に共通した考えだった。

 あたりを見回す。生き残った人で無事な者は一人もいないし、へたり込んでいない者も数える程しかいない。そもそも、メレリーのように泣き崩れている者が大半だ。

 結局、ここまで生きられた者が百人と少し、という程度。騎士も含め、最初は二千人以上いたことを考えると、生存率は実に5パーセントという悲惨さだった。


「森には……帰れぬか」

「殺してくださいって言ってるようなもんだな。とすると、どんな選択肢があるかって話だが……」

「すみません、よろしいですか?」


 今後の方針に妙案も思い浮かばず、悩んでいると。

 見たことのない優男が、ふいに声をかけてきた。

 エフレェ族と同じく褐色だが、非常に線が細い。どの部族も、男は結構な体格をしていたため、珍しくはあった。と、言うかだ。こちらに来てから、明確に自分より細い人間を、初めて見た気がする。

 彼は左腕の負傷が酷いのか、右手で肩を抑えていた。それでも苦悶を吐いて座り込まないだけ、強靱な精神力だろう。


「あなたたちは、この辺の地理を?」

「いや」

「私もだ」

(綾、どうだ?)

『知るわけなかろう』


 一応綾にも聞いてみたが、答えは予想通りだった。

 彼は息を吐いて(ため息ではなく苦しがっているだけだろう)言う。


「君は確かメ・リ族の。確か神童が現れたと評判だったな。名は……リックだったか」

「知っていて貰えましたか。エフレェ族随一の戦士に知っていて貰えたとは光栄です」


 頭を下げながら、優男。言葉がただの社交辞令かそれとも本気か、顔色が悪すぎて判断が付かなかったが。まあ、そんな状況でもない。


「ぼくは頭の方だけが取り柄です。それで、この辺の地理も、一応覚えていたのですが。取り得る選択肢は一つしかないと思います」


 疲れた声色の中には、しかし確かな自信が見えた。

 ナギとリッディツは、一瞬視線を合わせる。それだけで決まった。


「言ってくれ。我々には、他に案がない」


 リックは小さく頷いた。そして、言葉の中身すら苦しげに、言って見せた。


「亡命しましょう」







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