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俗に言われる『イリー邸襲撃事件』は、前に予想されていたよりも遙かに軽い規模、少ない犠牲者で終わることになった。とりわけ、死者がメイ・カーズー側の、本人含む十数名だけというのは驚かれた。
イリー邸はお世辞に籠城に向いているとは言えず、しかしそんなところで籠城しなければならなかったのだから、グルーノ・イリーの不利を証明していたと言える。だが、蓋を開けてみればまさかの圧勝だった。
もっとも有力、かつ現実味のある推測は、累剣士(優れているという意だ)マルドゥックが、あらかじめ邸宅から脱出しておいた。いざ軍の進行を感じ取ったら、その背後から強襲、メイ・カーズーを討ち取った――というものだ。これですら、かなり荒唐無稽ではあるが。
あとは、こんなゴシップもある。遙カ人が密かにグルーノ・イリーと通じ、暗殺者となった、という話が、まことしやかに囁かれている。
(つーか、噂を流したのはこいつなんだけどな)
ちらりと横を見る。
テーブルに着き、いかにも雰囲気ありげに手を組んでいるのは、リックだった。そんな真似をしているのは、足りない威厳を補うためらしいが。そもそも雰囲気ありげにというのも本人の自己申告なだけである。実際は、なんか妙にひょろくてしょぼい人間が無理矢理肩肘張っているだけだ。
そんな(割と逆効果な)事をしているのは、正面に、些細でも取り繕わなければならない相手がいるからだ。
一言で言えば、美形の青年。金色の髪に、恐ろしく整った顔立ち。いかにも良い服を着ているが、それを着こなしている。着せられてるとか、着こなしが悪く浮いているという印象は欠片もなかった。物語の中に出てくる聡明な王子と言えば、一般的に彼のような男を連想するのではないだろうか。しかも、実際にこの国で五指に入る実力者である。王子というのは正しくないが、しかし影響力という意味では、あながち間違いでもない。
「初めまして、ウィリアム・アースノルドです。このたびあなたたちへの交渉役として来ました。あとは、話の結果次第では、もしかしたら上役になるかも知れませんね」
いきなり釘を刺された。
こちらに対し決定権を持っている相手が来たと言うことは、この話の結果次第で全てが決まるという事でもある。牽制が目的だろうが、わざわざ条件を受け入れない可能性まで突きつけて。むしろ、積極的に受け入れる気はないと言いたいのかも知れない。もしくは、思わせたいだけかも。どのみち、こちらに真意を探る術はない。
(リックもさぞやりにくいだろうな)
案の定、彼の手は震えていた。
なんとか堪え、ウィリアムから見えない親指だけを痙攣させているが。それを察知できないほど、相手も初心ではあるまい。実際、分かっているとでも言いたげにほほえんでいた。
実際リックは、そしてナギもだが、少しばかり甘く見積もっていたのだろう。
階器は、誰だって欲しくない筈などない物ではある。だが、何を対価にしてまで欲しいかは、実のところよく分かっていなかった。国にとって軍事力とは不可欠な存在だが、所詮選択肢の一つでしかないものでもある。事実、ウィリアム・アースノルドは、口先だけで国を保たせてきた者だ。階器がなくともなんとかなる、と思っているかはともかく。階器がなかったとしても、何とかしてみせると思っている人ではあるだろう。
それに、グルーノ・イリーを味方に付けたという話を知らないはずもない。結局、あまり効果はなさそうだが。まあ、この情報が一番効果を発揮するのは、自治区成立後、メレッヘの情勢が不安定になった時なので、仕方がない。
あとは、むしろ切羽詰まっているのはこちらの方だ。後がない。だからこそ少しでもいい条件を得る為にあがいていたのだが。
どのみち、このままでは相手の言いように使われるだけの存在になりそうではあった。そして、ナギは同席こそしているものの、この時点で既に両手を挙げていた。口では絶対に勝てないだろう、と思わざるをえない。
(ま、口で勝てなければ他の部分で勝てばいいだけだけどな)
幸い、こちらも相手の急所は掴んでいるのだ。というか、誰だって分かる。それを提供するための難易度が、やたらに高いだけで。
テーブルでは、既にリックとウィリアムが、ナギを放置して舌で戦っている。旗色は明確にウィリアムに傾いていた。たかだか百人程度の代表と、数十万人という人間を束ねている若き政治家(と言っても、見た目が二十台後半なだけで、実際は四十歳過ぎな筈だが)では、最初から役者が違う。まあ、このまま進めば、想定していたよりは悪い結果になるだろう。
「失礼、少々よろしいですか?」
「ええどうぞ、ミスター。何か私に聞きたいことでも?」
そう言ったウィリアムは、緩んだ笑顔を作りつつ、態度はかたくなだ。視線をこちらに向けて、明らかに気を抜いている。
これは、彼がナギを侮っている、という事でもないのだろう。多分、ナギに決定権はないと理解しているが故の態度だ。これはただの雑談以上にはなり得ず、またそうさせないという意思表示でもある。リックも同じように思っているようで、こちらはあからさまに安堵しつつ、頭を悩ませていた
。
「あー、先に言っておくと、俺には条件の善し悪しとか分からないんであしからず。そこら辺は全部リックに任せてますから」
「そうなのですか? 分からないという様子には見えなかったので、てっきり」
そう言いながらほほえむ様は、まあ、あからさまな社交辞令だった。
大げさな態度だが、嘘っぽさだけは、どういう訳かない。言われていい気にはなれるが、嫌味っぽさは感じない。上手い、そして嫌らしい技術だ。やはり政治家だという事なのだろう。
「話が上手くまとまったらそちらに……プレゼント? ちょっと違うか。とにかく友好の証として差し上げたいものがあります」
言うと、ウィリアムは眉を潜めた。もしかしたらアクションが大きいのは、わざとではなくただの癖かも知れない。
足下に置いておいた、使い古された革袋を取り出す。その中には、結構な大きさの水晶が入っていた。両手で抱えなければならないくらい大きな水晶を、テーブルの上に置く。
ウィリアムはそれを凝視しながら、さらに怪訝そうになった。
水晶は、透明感が高い方が価値が増す――というほど単純なものではないが、それは明らかに濁っている。わざわざ寄贈するほどのものではない。さらに、内側には、不純物が潜り込んでしまっていた。それもかなり大きく、周囲は濁りが一際強くて、形状も色もいまいちはっきりしない。ストレートに、大きさだけが取り柄の水晶だ。
「ええと、これは?」
本当になんだか分からない、という風に、ウィリアム。理解できないと言いたげな瞳の奥に、滲むものがある。悩みだ。こちらの行動の意味を量りかねている。普通に考えれば、本当にただのプレゼントだが。まさかそれで、遙カ人を侮る訳にもいかない。
「分かりませんか?」
「ええ、ちょっと。心当たりがありません」
ナギの言葉に、額面通りではないと推測に、さらに頭を悩ませるウィリアム。
そんなことをさせているのは、一言で言えばただの意地悪だが。それくらいは悩んでもらわなければ困る。こちらの運命がかかっているというのもあるが、一番の理由は、これを用意するのに、酷く苦労したから。
「階器」
「は?」
「だから、これは階器です」
一瞬、呆けたウィリアムだったが。顔はすぐに、政治家のそれへと変化した。
「あなたたちが……いえ、違いますね。あなたが複数の階器を持っている事は、予想していました。帝国の追撃部隊が、階器使いでない筈がありませんし」
そこで一拍おいて、ただ、と続けた。
「それをこちらに知らせ、しかも提供の意思まで見せるのは予想外でしたよ。一番安全なのは、あなたが個人で抱え続ける事ですし、そうでなくとも、全て密かに、仲間内で分け合ってしまえばいい」
「正直に言うと、全部そちらにくれてやるつもりは最初からありませんでした。弓形階器は我々が、大剣型階器は……」
「累剣士マルドゥックですね」
言葉に頷く。
このやりとりに、リックは隣で唖然としていた。当たり前だ。彼には一切の情報を与えていない。
攻撃が最大の効果を発揮するのは、不意打ちの時だ。どこからか漏れる可能性を、可能な限り避けたくて言わなかった。彼には悪いことをした、と素直に思う。防諜に期待できない時点で改める気はないが。
「これが最後の一つ、魔法タイプの階器。国で運用するならば、一番都合がいいでしょう?」
「その通りですね」
ウィリアムは息を吐く。そこに込められている感情までは窺えなかった。
「欲しければ配慮しろ、と」
「これの価値を一番分かっているのは、他ならぬあなたたちですから」
水晶に収まった階器、《盧神》の価値は、遙カ人であるナギが与するのとでは、比較にもならない。
(階器を人に渡すことの条件、どんなとんでもない事になるかと思ったけど、案外簡単でよかった)
想定していた中でも最悪のものと言えば、彼女の作る《試練》とやらをクリアしなければいけない、というものだったが。下級階器のためにそこまでしてやるつもりはなかったらしい。
では彼女の妥協案が何だったかと言えば、階器の『初期化』だった。
階器は大まかな形状しか決まっておらず、曖昧なシルエットのように茫洋としている。さらにその上から、クリスタルに封印されているらしい。そして、遙カ人に相応しい力を持つものが触れると、『最適化』が始まるのだとか。
要は、同じ階器であっても遙カ人によって形状が微妙に異なるのだ。
注意しなければいけないのは、違いは遙カ人によってでしか現れない、という事だ。つまり、遙カ人に最適化された階器を別の人間が持っても、その人間に対して最適化はされない。綾が嘆いたのもよく分かる。遙カ人の為だけに構築された武器を譲渡されては、そりゃ言語道断とも言いたくなる。
だからこそ、《盧神》に限らず残りの二つもそのままの状態ではなく、初期化された水晶体に戻された。これにより、変則的ではあるが遙カ人を再認定できる状態になった。ただし、一定以上の能力を持ったものでなければいけない、という制限もついたが。
ちなみに《禍柄》はマルドゥックが、《霰弓》はリッディツが、それぞれ遙カ人になっている。
「嘘でもこれを手に入れてしまえば、自分は用無しになる、とは考えなかったのかい?」
自分に「味方する」と言っているだけの遙カ人と、これから誰でも、自分に都合がいい遙カ人。どちらの方がいいかと言われれば、悩むまでもない。
あくまで、両者が等価の場合だが。
「これから遙カ人にする奴が、階器使い複数に囲まれてたたきのめせる奴だと思うなら、好きにすればいいでしょう」
ウィリアムは両手を挙げた。
「参ったよ。君は希有な使い手だ」
「ついでに言うと、俺はあなたたちがどんな使い手を選ぼうと、勝つ自信があります。後は、我々がそれほど忍耐強いと思わないでください。疲弊している事は認めましょう。ですが、この国に致命的なダメージを与えれば、他の国に逃げることも出来なくはありません。そんな覚悟をさせないでください」
脅迫じみた言い方だ。
いや、これを脅迫ではないと言うのも卑怯か。
「はは、困ったな。私たちには、君たちを甘やかすしか道が残されていない」
全く困った様子などなく、ウィリアムが言った。その態度は恐らく、強がりでもないだろう。
それに、どうせこの程度は、全くの想定外という程でもあるまい。ただ、そうされて困るという程でもないから、好きにやらせてやった、というだけで。
「交渉の極意を知っているかい?」
「いいえ」
「交渉が始まる前までに、盤外で進められるだけ駒を進めておく事さ。現実はフェアじゃない。やれることは全部やらなければ。そしていざ席に着いたら、相手に「卑怯だ!」と言わせるほどにやるべき事をやっておく。時には味方も騙してね。君は案外、こういう場に向いているよ」
「そして、俺が調子に乗って交渉なんて始めたら、口八丁で叩きのめし、欲しいもの全部を得ると?」
言うと、ウィリアムは初めて、色のある笑みを作った。つまりは、ひたすら人が悪い、外交官として相応しいような。
「お前、ほんと嫌な奴」
もうナギが出来ることなどなかったが。どうしてもそれだけは、言ってやりたかった。
●○●○●○●○
交渉は遊びではなく、立派な国家戦略の一つだ。というのは、今回の件に絡んだ誰もが痛感したことだろうが。とりわけリックは身にしみたようで、あの交渉一度だけで、体重が三キロ減ったと言っていた。ついでに「せめて僕にだけは知らせておいてくれ」と文句も言われた。
が、まあ。とにかく、ナギの労力とリックの苦労に見合う程度の成果は得られた。
まずは難民だが、これは南部に土地をもらい、自治区を作って再出発することになった。ただし、傭兵団としては解散。その代わりに、代表のリックとリッディツが軍権を持つという形になった。大義名分なしに外に出張れる理由をなくすためだろう。傭兵団ではないというだけで、グルーノと軍事的連携が取りづらくなった。逆に言えばそれだけなので、関係が良好な間は困らなくもある。
リックは村を纏めるのに苦労している様だった。やはり若く戦士としての名声がないともなれば、干渉も大きいようだ。逆に、戦士長となったリッディツは、戦士を問題なく纏めている。元から頭一つ抜けていた上、遙カ人になった事が大きい。彼らの信仰は、民族ごとに差があれど、基本的には階器に対するものだ。むしろリッディツが村長にという話も少なくなかった。そうならなかったのは、リッディツが村長の立場を放棄したのと、リックを立てていたからだ。
何はともあれ、彼らは既に、落ち着ける場所を手に入れた。これでもう問題はないだろう。
そして、リックは今、馬車の上にいた。今度こそ荷台にすし詰めではなく、ちゃんとした移動用の馬車である。足下には、大きな布袋があり、その中には階器が封印された水晶が入っている。
交渉で取り決められた条件の一つだ。ナギが階器を首都まで届けに行くのは。ウィリアムが持って行くのもよりも安全に運べる、という名目だ。まあ、任命を急ぐのでなければ、安価かつ安全な輸送手段だと言えた。が、彼の狙いはもう一つだろう。つまり、ナギに早く首都まで来いと言っているのだ。
(利用するからはよ来いって言われるのもなんだかなあ……)
メレッヘと上手くやると決めた以上、利用されるために出向く必要は元からあったが。遙カ人でなければ解決できない案件は山ほどあるはずだ。
とはいえ、容赦も労りもないウィリアムに、笑うしかない。
とにかく――これで肩の荷が下りた。義理を全て果たし、これから自由に気ままな日々が始まる。
などと思っていたのだが。
「あーっ! なんで食うのじゃ! それはわらわのじゃろ常識的に考えて!」
「うっさいわね、あんたさっきあたしの食べたでしょ。その変わりよ」
「全然違うじゃろ! レートが全然違うじゃろ!」
「こっちのふわふわもおいしいわよー」
それなりに大きな馬車の中だが。女三人が暴れていれば、ナギも隅っこで黄昏れるしかなかった。
「なあ、なんでお前ら付いてきたの?」
はたと、気づいたようにメレリーが顔を上げて、次に綾へ顔を向けた。
「ほらこれあげるから黙んなさいよ」
「それまずいやつじゃろ! いらんわ!」
「シカトか」
「だってあんた、答えようのない事聞いてくるんだもの。なんて言えば満足なの? 納得できんの?」
「まあ……」
言葉を詰まらせながら、その通りであるとは思ったが。
「それに、まあ。自分で言うのもなんだけど、あたしだって結構やるわよ。イーリスがいれば、直接戦闘以外でなら、力になれるし」
「そーよぉー、メーちゃん凄いんだからー。邪険にすると怒るわよー」
目を合わせようとしない(解りづらいが、気恥ずかしいのだろう)メレリーと、いつもの調子でふくれるイーリス。あとは、まだお菓子がどうのと騒いでる綾。
(まあ、気取ったところで、現実なんてこんなもんだよな)
そんな風に、諦めながら。
ナギはお荷物三つから視線を外し、窓の外を眺めた。




