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「グルーノ様、どういたしましょう」


 そう、すがるように問いかけてくる、側近であり優れた護衛でもあるマルドゥックの声は、強い疲労がにじんでいた。

 その言葉に、館の主であるグルーノ・イリーは、何も答えられなかった。ただ、諦めたように、つま先で床をこする。それだけだ。


(なぜこうなってしまったのか……)


 恐らく、自分が甘かったからだろう。グルーノはそう理解していたが、同時に認めたくなかった。自分の失策を、ではない。自分の行為が、甘いと付け入れられ、嘲られる行為であるという事がだ。

 信用と信頼。グルーノはそれを最も重視してきた。

 イグノの街を支配する、イリー家以外の三家の長。彼らより明らかに才で劣りながら同列に数えられているのは、それ故だと彼は信じている。


「マルドゥック」

「はっ」


 グルーノの問いかけに、恐らくこの国で五指に数えられる(ひいき目かもしれないが、グルーノは最強だと思っていた)剣士が短く答える。声質だけはいつものそれではあったが、覇気は欠けている。


「私は甘かったと思うかね?」


 そう聞いてしまったのは、心の弱さが故だ。間違っていないと言って欲しい、という欲望の。

 そして、


「恐れながら、グルーノ様がそういうお方であるからこそ、私も、そして今屋敷に残っている者達も、付いてきたのです」


 こういう答えが返ってくる事を分かった上での言葉だ。


(まったく、自分が卑怯に過ぎて嫌になるな……)


 己を慰める意味しかない言葉にも、それに多少は溜飲を下げている自分の浅ましさにも。無意味な事はするのに、現状を好転させる案の一つも出てこない。

 あごに手を当てる。悩むときの癖だ――と、ひげの感触があるのに気がついた。

 身だしなみには気をつけている方だ。が、もうどれだけ気を遣っている余裕がないか、グルーノには分からなかった。

 年の頃は六十歳も半ばの、年相応に整った容姿を持つ、身綺麗な男。他に取り立てて特徴もないが、あえて言うならば、喜怒哀楽の中では最も笑顔が似合う、と言ったところか。それがグルーノだった。

 彼のそばに立つマルドゥックは、対照的と言えば対照的だ。

 中肉中是のグルーノに比べて、かなり長身で筋肉質。ただし、見た目はむしろ細身にすら見えた。体が限りなく引き締まっている。顔立ちも武人という風ではなく優男風だが、なぜか厳めしい表情が似合っていた。間接部を削ったプレートアーマーを着ているが、違和感を感じてる様子ではあった。普段使う装備は、重要箇所のみを守っているかなり軽装なタイプだ。それでなく全身を鎧で包んでいるのは……これからの戦いで、それだけ攻撃を食らう事を想定しているからだろう。

 二人の様子は、決戦が近いことを伝えていた。


「メイはあとどれくらいで攻め込んでくると思うかね?」

「早くて二十分、遅くても一時間後には」

「まさに電撃だな」


 グルーノは背もたれに倒れ込むようにしながら、そう言った。彼が兵の招集をしてから、まだどれほどもたっていない。ただでさえ兵力に三倍近い差があるのに、こちらは防衛のための集兵もままならない。

 メイ・カーズー。四十がらみの、背の小さな男だ。目つきは鋭く、才覚は素晴らしいの一言。その彼を取り立てて側近にしたのは、他ならぬグルーノだ。彼ならばきっと、イリー家をもっともり立ててくれると思っていたのだが……

 メイが行ったのは、一言で言えば横領だ。イリー家に来た人材から、有能な者だけを自分のそばに置いた。いや、人だけではないか。金、物、土地……あらゆるものをできる限り、自分の懐に抱え込んでいた。

 それを追求したときの、悪びれもしなかった彼の様子は今でも忘れられない。彼を解任すると言った時の、怒りをあらわにしながらの言葉も。


『私は私の権限の中で集められるものを集めた。それのどこが悪い? 仕事はこなしているし、余った分はくれてやっているだろう』


 彼が本気でそう思っていたのか、それとも、独立――ではないか。イリー家の地位を乗っ取るという野心から出た演技かは、分からない。

 グルーノに取り得る唯一の行動は、他の家と連携し、メイに大幅に譲歩しつつ、開戦を回避してなんとか家を保つ。それだけだった。だが、彼はそれで満足できなかったのか、結局動いてきた。それは同時に、彼が何を思っているか、本音を知る機会が失われたという意味でもある。もっとも、知る事ができたところで、致命的な亀裂がより深まるだけでしかないのだろうが。


「グルーノ様」


 マルドゥックが、申し訳なさそうに言ってくる。


「今からでも、お逃げになられた方がよろしいのでは……」

「できんよ」


 グルーノは考えるまでもなく、即答した。


「カリスマだなんだと、そんなものが本当にあるかは知らないが。少なくとも私にはなかった。君たちとは、信頼関係で成り立っている。ここで逃げれば、それに嘘をつくことになるだろう。私は……再起など考えている訳ではないが、信頼関係を「効率的な統治の為にそう演じていた」という事にはしたくないのだよ」


 そして、彼はマルドゥックの方に顔を向けて、一瞬悩む。言うべき言葉かどうか。

 だが、結局言うことにした。たとえそれが相手を侮辱する言葉だろうと、言っておかなければ、選択肢にも入れてくれないと知っていたから。


「君の方こそ逃げなさい。私のエゴに付き合う必要はない。今からならば、まだ間に合うだろう――」

「お断りします」


 それ以上言わせないというように、きっぱりと割り込んでくる。


「私はグルーノ様に取り立てて頂いたことを、今でも覚えています。そして、貴方様に仕えられる事を、誇りにも。どうか私の誇りを捨てさせるような事を言わないでください」

「……そうか、誇ってくれるか」


 マルドゥックが(今回の一件以来)メイを毛嫌いしているのが無関係でないとしても、嬉しい言葉だった。

 緊迫した、死を目前とした空気が和らぐ。生を諦めたからこその空気であったとしても、和やかな空気は、悪くないものだった。

 と――


「失礼」


 不意に、声がかけられる。

 マルドゥックが弾けるようにして、剣を引き抜き構えていた。立ち位置もグルーノを庇う位置だ。


(なんだと?)


 彼の背中から伝わってくるのは、激しい闘意と、そして緊迫だ。だからこそ気がつく。マルドゥックほどの使い手ですら、声をかけられるまで気がつかなかった。

 そこにいたのは、一人の青年だった。いや、少年だろうか。顔立ちも雰囲気も、幼さが残っている。年齢も二十歳に届いていないだろう。


「何者だ?」

「敵じゃない……ええと、あんまり説得力ないけど」


 そう言う彼の手には、剣が握られている。見たことのない曲刀だ。そこそこ長い武器だが、見るからに軽く、また刃も鋭い。鎧の上から敵を叩きつぶすことまで考慮されている、普通の剣とは違う。明らかに肉のみを切ることに特化した兵器。つまりは、暗殺に向いている。

 だが――グルーノは、緊張を解くように、息を吐いた。信頼をするには、まず信じるところから始めなければならない。


「マルドゥック、構わない。下がってくれ」

「グルーノ様!」

「君がその気なら、私たちは既に死んでいる。そうだね?」

「正直に言うと、今ここにいる人間全員、誰にも気づかれず殺せました」

「本当に正直なものだ」


 グルーノは笑った――笑うしかなかったからだが。逆に、マルドゥックは緊張を高める。それに対峙している少年が申し訳なさげなのが、笑いを誘った。

 マルドゥックを下げさせるのは諦めて、脇腹を軽く叩いた。構えたままで、脇に退かせたのだ。これで、相手の顔を見るために、わざわざ体を傾けなくて済む。


「それで、君は落ち目の私に会いに来て、何の用かね?」

「助けてください」


 これまた端的で、そしてストレートに本音だ。ついに笑いを堪えきれなくなり、少しばかり吹いた。


「とても交渉をしに来たとは思えんな」

「そんなことできると思っちゃいませんよ。だからストレートに頼んでるんです。それに、時間がないでしょう?」

「その通りだな」


 外が少々騒がしくなってきた。どうやらメイは、予想していた最短の時間で、こちらに来たらしい。


「ならばこちらもはっきりと聞こうか。君はどこの誰だ? 私に何をして欲しい?」

「それは……まあ、見てもらった方が早いか」


 言って、少年が剣を掲げた。マルドゥックが即座に反応する。

 グルーノは僅かに震えたが、それは少年に対してではなく、マルドゥックの殺気に当てられたからだ。恐ろしく頼りになる男ではあるのだが、近くでそれを発揮されると、恐ろしく精神力を必要とする。それを直接向けられているのであれば、一際な筈だが……

 少年は全く堪えていなかった。それどころか、次の瞬間には、マルドゥックの方が凍り付く。

 彼の持つ剣から、ぶわりと何かが吹き出した。武に疎いグルーノですら分かるほど、危険な力の奔流。


「階器か!」


 それを見て、マルドゥックが叫んだ。


「本当か?」


 グルーノは信じられないと、聞いてみる。


「はっ。一度だけ見たことがあります。間違いないかと」


 言いながら、彼はじりじりと下がっていた。交戦、とりわけ相手を倒すと言うことは既に諦めている様だ。視線を激しく周囲に向けている。これからいかにして、足手まといをつれながら逃げるか。そんなことを考えているのだろう。

 無理だ。そうグルーノは断じた。階器に伝説の通りの力が宿っているのであれば、何をしたところで、悪あがきにしかならない。

 だからこそ好機でもある。階器の使い手が、こちらを頼っているのだから。


「君は難民の人か」

「知っていましたか」

「知らないはずもないな。帝国の奴隷狩りから逃れてやってきた難民の中に、遙カ人がいる――信憑性はどうあれ、結構な噂になっている。当然、本気にしている人は少ない。私も含めてね。こうして直に見てみると、巷談も案外馬鹿に出来ないものだと思うよ」

「なら、こちらの望みも分かりますよね」

「予想だけはできるが、生憎と私は、君が思っているほど有能ではないよ」


 肩をすくめながら言ってから、少しばかり後悔した。これだと、相手を侮っているようにも聞こえる。

 幸いにも気にした様子はなく、少年は言った。


「近々、我々は自治組織として認められると思います。そうなったら、後ろで睨みをきかせて欲しいんです」


 そんなところだろう。

 安全を国だけに依存するのと、その他にもあるのとでは違う。緊急時に、ほんの僅かに天秤の傾きが変わる……かもしれない。それを実質的には変わらないと言うこともできる。が、そんなもので得られる精神の安らぎは計り知れない。

 彼らに限った話ではない。何かに追われて逃げた者が求めるのは、本当の安全ではない。安全だと思い込むことができるかどうかだ。そしてイリー家には、そうなれるだけの影響力があった。


「メレッヘの政治家は、それほど無能ではないよ。私に頼らずとも、上手くやってくれるだろう」


 好機なのは分かっていたが、これもまた、言わずにはいられなかった。

 まず必要なのは信頼関係であり、最後に頼れるのも信頼だ。側近に裏切られたとしても、その思いは変わらない。ここで彼を騙すのは簡単だが、そうしてしまえば、もう信頼は存在しない。

 つまらない矜持だが、今更捨てるならば、座して滅びる。

 少年とて、慈善事業で来たのではない。このまま帰られる事も覚悟していたが、しかし彼は、苦笑して言った。


「それを聞いて、やはりあなたに頼むべきだと思いましたよ。外の……皆殺しにするわけにはいきませんね。指揮官だけ始末します。そしたら後は、うちの頭脳代表と会談をしてください」


 頭を下げて、彼は部屋から出て行こうとする。


「待ってくれ!」


 グルーノはとっさに呼び止めた。

 少年は、少し驚きながら振り向く。グルーノも同じ心境だった。なぜ自分は、声を大きくしてまで呼び止めたのか。

 じっと、心の底に重たいものを感じる。無意味な事だ。自分の心に折り合いを付ける以外の意味はない。あるいは、明確に叩きつぶすか。どちらであれ、これから自分のために戦ってくれる相手を呼び止めてまで聞くことではない。

 だが。それでもグルーノは口にした。


「君たちはなぜ、私を選んだんだ。確かに一番高く売れる相手は私だっただろう。だが、それを考慮しても、対価が大きい者は他にもいた筈だ。例えば……私と敵対しているメイなどであれば。彼は有能だ。本当に……有能だ」


 自分を突き刺すように言う。

 少年は、下らない事を聞いたという風に、肩を竦めていた。


「有能だけど「時と場合」と悪びれもなく言える人と、無能でも際の際まで信じて助けてくれる人、どちらを選ぶかと言えば後者。イリー家に頼ることを決断した人の言葉です。俺も全面的に賛成です」


 言って、少年はとっとと部屋を出て行った。

 それを見ながらグルーノと、殆ど置物だったマルドゥックは体から力を抜く。

 脱力して、彼は理解した。自分が助かったことと、少年の言葉――自分は間違っていなかった事を。二つの幸運を噛みしめながら、彼は年甲斐もなく、目頭を熱くした。


「グルーノ様、貴方様は間違っていませんでした、いなかったんです……」

「ああ、ああ。そうだな」


 遠くから届く声、雄叫びから悲鳴に変わったのを聞きながら、しみじみと呟く。

 それは、生き残れた事よりも、遙かに嬉しかった。






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