11
二型魔獣なる蜘蛛犬の首を役所に投げ込んで(すごく悲鳴が上がった)、一仕事終えたと肩を回しながら。ナギはその建物から出た。
小さな街だけあって、こんなものまでというような事まで、全部役所で済ませられた。小さな街の、数少ない利点だろう。権威を分離しようにも、それに見合った利益が出るだけの規模を作れない。
全ての用事が一カ所で済むというのは、楽なことではあった。
「ねえ、ちょっと」
役所の人間との会話は、さすがに肩が凝る。それを揉みほぐしていると、後ろからメレリーが、突っかかるように言ってきた。
顔こそ見ていないが、彼女の眉がつり上がっているだろうというのは分かった。
「説明しなさいよ」
「何を」
とは言うものの、だいたい予想は付いている。
「とぼけんじゃないわよ……! なんで私たちが傭兵扱いなの!」
静かに声を荒らげながら、背中を殴るように押してくる。
ナギは内心だけでため息をつきながら、周囲を見回した。近くにはまばらに町人と、後は少し離れて綾とイーリスが座っている。
階器の二人は役所での会話になど興味を示さず、とっとと出て行ってしまった。討伐報酬という事でもらった金一封を奪い取りながら。
ナイフを勝手に買わないようという意味もあったのだろう。何かもそもそとしているのは、多分買い食いでもしたのだろう。金を自由に使わせない事が目的だろうから、全て使うことはない……と信じたい。
まあ、もらった金銭の額から見て、おいそれと使い切れる程ではなかった。まだ物価も把握していないため、当て推量だが。
とにかく、探し人――メレリーを抑えられそうなリッディツや、上手く説得してくれそうなリック――はいなかった。
「説明するとだな」
仕方なく振り返って、人通りの邪魔にならないよう脇に退きつつ。ナギは、ひっそり頭を悩ませた。
(俺の考えでもないんだがなあ)
全く自分の考えがないとも言わないが。だいたいはリックの発案だ。
「まず俺たちがやらなきゃいけないのは、俺たちを一つの団体として公的に認識させる事だ。だから傭兵団として登録した」
「そこは分かるわよ。なんで傭兵団なんだって聞いてるの!」
がっと、詰め寄りながら叫んでくる。
「武器の所持を認めさせるためだ」
「はぁ?」
「というか、団体として防衛力を持つ、っていうことを認めさせるため。仕事を受ける受けないっていうのは、こっちに一任させる。なおかつ相手の武装解除なんかに、一応は抵抗できる体制をって理由で傭兵団になったんだ」
だったよな、確か。などと思い出しながら言う。
メレリーは明らかに勢いを萎ませながら、しかし小さく呟いた。
「ほんとに傭兵として活動するとかじゃないのよね」
「逆に聞くが、傭兵家業やるって言ってどれだけの人間が賛成すると思う?」
これは問うまでもない事だ。誰も賛成しない。仮にナギがそれをさせようとしたら、今度の亀裂は致命的なものになるだろう。
「同じ理由で、この国で市民権を得るのもだ。誰も民族の誇りを捨てない。お前もな。だろ?」
「……まあ、そうだけど」
さらにバツが悪そうに、メレリー。
言葉にはしなかったが、これはメレッヘも認めないだろう、とはナギとリックに共通する考えだった。
百人規模の、しかも我が強く文化も全く違う難民を受け入れろと言っても、無理がある。外敵に対抗するため、馬鹿でかい内紛の種を抱えるのでは意味がない。受け入れろと迫らなかったのは、こちらの配慮でもあった。
わざわざナギが傭兵登録をしたのも、その辺に意味がある。
いくら国から半ば独立し、防衛力を得たと言っても。いつでも相手をいいようにできる、では意味がない。単純な戦力以外の抑止力を持たなければ、帝国で起こった悲劇が、もう一度起こらないとも限らない。比喩や冗談ではなく、組織ごと帝国に売られる可能性があった。
だから、ナギが遙カ人、ないしはそれに準ずる力を持ったと発覚した、つまりは一番力が高く売れるタイミングで傭兵申請したわけだが。
喉から手が出るほど欲しい相手が執着しているもの、それにも配慮せざるをえない。
「あんま深く考えるなよ。上手くいけば、すぐ自治区を得られる」
「本当に?」
疑わしげに、メレリーが言う。
難しくはあるものの、嘘ではない。南部の山岳部手前や――危険だが北部の暗黒領域近くの森もか。以前村があった場所に条件が近く、開発のめどもたっていない。何十年か、もしくは何百年か先までは、貸与した所で反感の少ない場所だ。
「これ以上聞きたいなら、リックに直接聞いてくれよ。そっちの方が確実なんだ」
「う……あいつに?」
どうもメレリーはリックが苦手なようで、あまり接触したがらなかった。嫌いと言うよりは、賢しげなのが苦手なように感じる。
まあ、そもそも彼女が得意な相手はどういう奴か、という気はする。年上の人間はそこそこに付き合っているが、それは相手が上手いだけだろう。得意な相手として数えていいかは疑問だ。
……メレリーの人間関係はどうでもいいか。
とにかくこれで、最大の(そしてクリアが簡単な方の)問題はなんとかなった。
(どっちかっつーと、こっちの方が難しいんだよなあ)
とりあえず町外れ、難民キャンプがある方へと歩き始める。やることもないメレリーは普通に付いてきたし、近くで買い食いしていた二人も、手に持ったものをぼろぼろこぼしながら小走りに追ってくる。
ある程度メレッヘの承認を得て、自治区を立ち上げる。それ自体は、この国の上層部がどう判断するかにもよるが、まず間違いなく可能だろう。リックも知らない切り札である、所有者のいない三つの階器は、それだけの力を持っている。
だが、同時に危うい綱渡りである事は変わらなかった。こればかりは、階器だけではどうにもならない。
(この国の豪族の後ろ盾か……)
国が無視できない力を持った者の後押しが欲しい。言うのは簡単だ。問題は、どうやって恩を売るかだ。
(イリー家だったっけ?)
確か、リックが調べてきた名前は、そんな風だった。情勢が不安定を通り越して、緊迫しているのは。
一番新しい話だと、すでに殺し合い一歩手前だとか。まあ、それもただの噂話で、真に受けていいかはかなり怪しい。
いや、問題はそこではないか。仮に情勢が動くとして、それがこちらに都合がいいタイミングか。それに尽きる。
まず二週間も先では意味がない。メレッヘの上層部は、結構焦っている。話を早めに取り決めたいはずだ。さらに、ナギの判断で動かなければならない可能性が高いというのもある。悠長にリックと相談をしていたら、その間に終わってしまう可能性も低くない。前提として、そもそも事が起きるかも未知数だ。内輪の冷戦など、そのまま萎んでしまう例の方が多いのだし。
賭の要素が多いと言うよりは、まごうことなく全てにおいて確実性のない賭だ。当然、過大な期待も出来ない。難民キャンプの危うい立場を考えれば、そんなものにも頼らなければならない。
「なあ、この国の偉い人……名前なんだったけか。忘れたけど、それが交渉に来るのって何日後だっけ?」
となりでふらふら(後方にいる綾とイーリスをしきりに気にしているせいだが)歩いていたいメレリーに聞いてみる。
「知らないわよ。そもそもあたしは、その偉い人が来るって言うのすら初めて聞いたわ。なんであたしが知ってると思ったの」
「まあそうだよな」
期待はしていなかったので、相づちだけ打っておく。
彼女はこの手の話に全く参加していない。これは、リックと距離があるから、というだけではなかった。不安定なメンタルがどれほど回復したか、また、もう一度揺らぐのではないかという危惧も確かにあったのだが。一番の決め手は、一番付き合いの長いリッディツが、「あいつはこの手の話に全く役に立たない」と言ったからだ。
どのみち、大多数で共有はできない謀りではある。一番近くにいる人間が相談相手たり得ないのは、少々ストレスでは……
と。
ナギは急に、足を伸ばした。
「きゃっ!」
メレリーが悲鳴を上げたのは、彼女の進行を妨げるように足を伸ばしたからだ。正確に言えば、その向こう側、彼女を追い抜いていこうとした子供の足を引っかけるように。
「っでえ!」
ナギの目論見通りに、その少年は、思い切り地面に倒れ込んだ。ろくに体の動かし方も知らないのだろう、受け身もとれずに叩き付けられる。
地面に突っ伏した少年を、ナギは容赦なく踏みつけた。と言っても、上から抑える風にだが。
「ちょっと、あんた何やってんの!?」
「なんか盗られてんぞ」
「え?」
「ちっ!」
メレリーの呆けたた言葉に、少年の舌打ちが重なる。
彼女は腰のあたりを手探って、あっと声を上げた。
「お守り袋がない」
「くそっ、お守りかよ! テメェ、いい加減に足をどけろ!」
とりあえず、反省の色が全くない少年の脇腹を蹴り上げる。その少年は、短い呻きと共に唾液を吐き出し、目を白黒させた。
「あんまり乱暴は……」
「泥棒を甘やかすな。甘やかしたいなら俺の見てない所でだけにしろ」
彼女の言葉を切り上げて、少年に手を伸ばした。腰の後ろにある布袋に手を突っ込んで、盗まれたであろうものを探り出し、メレリーへと投げた。
それを受け取った彼女は、まだ納得していないような顔だったが。それでもお守りは、大事そうにしまい込んだ。
足を止めていると、のろのろとしていた綾とイーリスが追いつく。彼女らはナギとメレリーと、そして少年を一瞥すると、とたんに興味を失う。事情を理解しているのではなく、本当に限りなくどうでもいいと思っているのだろう。人間の姿をしているが、その感性は、かなり武器の擬人化に傾いている。
その点については、ナギが人のことをとやかく言えた義理でもないか。
少年をこのまま解放するつもりはない。私刑にもできないが、常習犯のようではあるし、然るべき所に突き出せば適切な刑罰を下すだろう。
と、そこまで考えて、ナギはふと気がついた。
「メレリーさ、ナイフ持ってたよな?」
「持ってたよなも何も、見れば分かるじゃない」
まあ、その通りだが。
彼女の腰には、ナイフが差し込んである。エフレェ族の戦士が使う大型なものではないが、それでも護身用と言うには物騒な大きさだ。イーリスなナイフを持っていようが頓着しないため、装備したままだった。
当たり前だが、メレリーの姿は、この街で浮いている。
原因は分かりきっている。民族衣装……ではなく、危険なものをぷらぷらこれ見よがしに持って歩いているからだ。当たり前だが、ナイフを持ち歩いている町人などいない。武器を持って歩いているのは、傭兵や冒険者のような、イグノの人間ではない者だけだ。誰でもそんな奴らと接触するのは危険だと思うし、ましてや盗みなど働けば、ただでは済まないと考えるだろう。
なのに、この少年は実行した。
「お前、なんで盗みを働いた?」
「うるせえ! お前なんかに誰が言うか!」
この後に及んで虚勢を張れるのは、まあ、評価しない事もないが。これもまた、相手を選んでやるべき事ではあった。
背中を押さえていた足を、肩の上に動かす。
「答えるか肩を踏みつぶされるか、好きな方を選べ」
言葉が本気であるのは伝わったろう、靴ごしに、少年の体が震えたのが分かった。
「そ、そうしなきゃ生きていけないからだよ」
「誰がお前の身の上話なんか聞いた。なんでこれ見よがしに刃物をぷらぷらさせてる危険人物を狙ったのか、って聞いてんだ」
「危険人物……」
ナギの物言いに、メレリーがこっそりへこんでいた。
「今までの縄張りが使えなくなったんだ……。だからこっちの方に逃げてきたんだけど、街の人間を相手にしたら、この辺を管理してる奴に殺される。そしたら、後はもう、危ないって分かっててもよそ者を狙うしかないだろ」
「逃げてきた?」
言い訳がましい言葉の大半は聞き流し、そこだけ拾う。
「イールト通りの方、イリー家の屋敷は兵隊がやたら出入りしてるし、その近くでも人を集めてるし……」
そこまで聞いて、ナギは足をどけた。
少年が何か言うより早く、つま先であごを叩く。それだけで、少年の体は完全に脱力した。
「綾!」
叫ぶと、イーリスとくっちゃべっていた少女が、ちょこちょこと近づいてくる。
「なんじゃ」
「仕事」
それだけ言って、歩きだそうとするが。その前に、メレリーに呼び止められた。
「ちょっと、この子どうするつもり?」
「警察……警察? まあなんでもいいか。突き出しといて。面倒だったら放置してもいいや」
それだけ言い残して、ナギは綾と共に走り出した。
来ないと思っていた絶好の好機が転がってきたのだから。




