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メレッヘ国第73攻略迷宮、それがこの迷宮の名称らしい。とはいえ、ここで最近やってきた二型魔獣によって、このまま何もなければ、再度迷宮指定されるらしいが。
いちど攻略された迷宮を占拠され、再度迷宮化させるなどばからしい。そうナギは、素直に思うのだが。
実際の所、メレッヘ国程度の国力では、大型の攻略迷宮を全て完全封鎖するというのは不可能らしい。
聞いてしまえば、それもそうか、とも思う。確かに大きな迷宮を完全に閉鎖しようとすれば、大量の火薬なりが必要になるだろう。入り口を塞いだだけでは、掘り出す方法などいくらでもある。第一、他に入り口がないとも限らないのだし。それでもやらないよりはマシだと、一応は塞ぐのだが。
大型迷宮を攻略後に完全封鎖できるのは、ザインダス帝国を代表とした、限られた国のみ。
それ以外の攻略迷宮の再迷宮化は、どの国にとっても痛い話らしい。なにより、一回目に期待できる成果が、今度は全く期待できなくなるのだから。
そこでよく使われる手が、傭兵や冒険者(迷宮や暗黒領域の探索を生業としたはぐれ者。基本的に準犯罪者の集まり)の利用だ。彼らに迷宮情報を与えて、中に潜り込ませるのだ。そして、いい品があれば、国で高く買うとして。
まあ、これはリスクも高い行動だが。
なにせ、必ず国に売るとは限らない。そのまま闇に流れたり、最悪なのは敵国に売られる事だ。こればかりは、買い取りに手厚く対処するしかない。あとは、まあ、当たり前に最寄りの街の治安が悪くなる。下手すると冒険者が統制を組み、その街で犯罪結社になるなどざらだ。
また、迷宮の攻略情報を売るのは問答無用に死罪である。国としては、未攻略迷宮に混ぜて、馬鹿な冒険者を利用し攻略済み迷宮の駆除をさせたいのだ。それでも売ろうとする者はいるが、取り締まりは厳しいなんてものじゃない。国家反逆罪扱いで、一族郎党皆殺しだ。こればかりは、犯罪組織の抵抗も意に介さない。
もっともリスクが少なく、確実な方法と言えば。信頼できる少数の兵で短期決戦、だった。
たとえば、今ナギがそうしているように。
食い破られた入り口を跨ぎ、中に入る。そうしたのは、恐らく二型魔獣とは別の魔獣(だか何だか)だろう。恐れられているにしては、ずいぶんと慎ましやかな崩れ後だったし、第一結構な時間が経っている。
迷宮の中は、意外なほど居心地がよかった。
以前入った迷宮は、かび臭くてかなわなかった。しかしこちらは変な臭いもなく、気温・湿度も低い。外がかなり暑いので、入った当初はかなり心地よかった。ついでに、敵も適度に出てくる。見た目もちょっと足場を作られた洞窟といった風なので、前の迷宮よりも迷宮らしくはあった。
「よっ」
小さな呟きと共に、綾綱を振る。地面から出てきた大きなミミズを、斜めに斬った。
「これで何体目だ?」
「んなことどうでもいいからさっさと進みなさいよ」
本当にどうでも良さそうに後ろからせっついてくるのは、メレリーだ。
個人で本当に迷宮を攻略しようと思ったら、潜るのは複数人数なのが当然だ。というか、個人だからと言って本当に一人で行くのはただの馬鹿だ。
通常は戦闘員数人に、荷物運びが二人か三人ほど必要になる。これは食料等を管理するという意味でもそうだし、迷宮内で手に入れたものを管理させておくため、という意味でもそうだ。
とはいえ、攻略済みの迷宮を、日帰りで二型魔獣だけ倒してくる、と言うのに荷物運びなど必要ない。ついでに言うと、現在光源を作っているのはナギだ。自分の前方に、光の他玉を作っている。なので、実は彼女は、本当に無意味に付いてきているだけだった。
ああいや、とナギは否定した。一応、役割はある。放置してはおけなかった階器三点の管理、という意味で。亜空間(だか何だか)に格納しているので、手ぶらなのは変わらないのだが。
本人曰く「暇だから」だが。単純に居づらいというのもあるのだろう。
付いてこられて困ることがあるわけでもないので、放置している。
「しかし……」
懐紙、はないので、布で綾綱を拭く。
血や油がついたからといって、切れ味が悪くなるほど柔な刀ではないが。汚したままというのは、いかにも気分が悪いし。それに、ついたまま放置しておくと、綾がうるさくなるので拭いていた。
「迷宮って、本当にめちゃくちゃ化け物が出てくるもんなんだな」
「当たり前でしょ」
メレリーが呆れて言う。
「魔獣やら魔人やらが、自分たちの眷属が住んだり軍事拠点にするのに都合がいいよう作ってるんだから。そりゃほっとけば似た種類の別な魔物が入ってくるわよ」
「へー」
軽く相づちを打つ。
それで彼女が怒らなかったのは、声色に、本当に感心した響きがあったからだろう。
「前から思ってたんだけど、あんた本当にどっから来たの? 何も知らなさすぎるんだけど」
「言っても信じやしないさ」
そう言うより他なく。
メレリーは全く納得していなかった。が、こちらが言うつもりがないというのも分かっていただろう。それ以上は、追求してこなかった。
しばらく道を進むと、広間に抜ける。おなじみのモンスターハウスだ。
「ちょっと下がってろ」
メレリーに一言断り、綾綱を構える。
はっきり言って、構えるまでもない相手ではある。向上した身体能力に任せて、いい加減に刀を振っているだけで、半分くらいに減った後、散り散りに逃げるだろう。が、今はそれだと困る。
刃を水平に寝かせて、力を――なんだかよく分からないが、綾綱のそこから引っ張り出す感覚で――溢れさせ、それを技に乗せる。
「綾波」
ひゅッ! 短い風切り音。刃から波動が溢れて、波紋すら立たない水面のように走る。部屋の中にいた化け物は、たったそれだけで全滅した。
いい加減に刀を振りながら、ナギはため息をついた。
「だめだこりゃ」
「なんで? 凄いじゃない」
本当によく分からないといった風に、メレリー。
彼女の困惑に、ナギは肩をすくめた。
「こんなもん雑魚狩りにしか使えんわ。遙カ人……じゃなくても、接近戦型階器を持った相手には全く通じないだろうな」
「そうなの?」
これは、ナギへの質問ではない。手元にある楕円形の武器――イーリスに聞いたのだ。
「ふーん」
なにかしら答えが返ってきたのだろう。納得したような、そうでないような。微妙な表情で斜めに頷いている。
さらに奥へ進んでいく。またも化け物が出てくるが、今度は結構な大きさだ。前の迷宮で戦った奴、とまでは行かずとも、四メートルくらいはありそうだ。
今度は八相に構えて、また微妙につかみ所がないく理解も出来ない力を、今度は刀に纏わせて。
「蒼穹――」
化け物が一歩踏み出すより早く踏み込み、真っ二つにしてやった。
相手の裏に抜け出て(切れた体が前に倒れ込んで来たからだ)、顔を抱えて項垂れた。
「ぜんっぜんダメだー……」
『貴様、センスないのう』
「うるせ」
買い言葉に勢いがないのは、全く持ってその通りだと認めていたからだが。
今の技(未満)など、酷いどころの話ではない。ただの袈裟切りに変なオーラを纏わせただけ。はっきり言って、百パーセント綾綱の性能である。披露したのが恥ずかしいレベルの駄技だ。
とまれ、これで事前に考えていた技案は全滅だった。
「戻れ」
柄尻を指で叩きながら言う。
手の中から重みがなくなったかと思うと、少女はもう、隣に立っていた。もう光源を出している感覚はなかったが、しかし光球は維持されていた。綾が気を利かせてくれたのか、それともあえて消そうとしなければ消えないくらい簡単な事なのか。
「まだ終わっとらんぞ?」
首をかしげ、口元に指を置きながら、綾。彼女の仕草は、自覚のない時だとひたすら幼い。
「お前の力と剣技を合わせた新技開発は全然上手くいかないし、お前が強すぎて鍛錬にもならんしでもういらん。刀だけ出してくれ。とりあえず技だけ鍛え直すから」
「むむむ……まあ仕方ないのう。サボるでないぞ」
「サボらんために解除させたんだ」
言うと、さらに綾は悩み始めた。どんな状況だろうと、自分を振って貰えないのには思うところがあるようだ。
悩み続けるが、とりあえず刀は出してくれた。
とりあえず、何の力もない刀を振いながら、進行を再開した。力がないと言っても、大抵のものは切れる刀だ。相手がただの獣、ないしは獣程度の知能しかない、恵まれた身体能力を振り回すだけの相手なら、これで十分すぎる。それでも、相手の攻撃を食らえば簡単に死ぬ。最低限の緊張感だけは維持できた。
進行速度は下がったが、許容範囲内ではある。程なくして、地図に書いてある最奥部手前まで来た。その奥から響いてくるのは、低いうなり声だ。
「ちょっと思ったんだが」
「ぬ?」
「なんでこういう奴らって一番奥が好きなんだ?」
「……さあのう」
「なんかそれっぽい理由ないのか。親玉は常に一番奥に自分の部屋を作ってるから、一番居心地がいい、とか」
「わらわであれば不便でない程度に出入り口近くに作る。というかみんなそうするのじゃ」
「だよなあ。なんでだろ」
答えの出ない疑問などを口にしつつ。綾の手を握った。
手の中の重さが変化する。手持ち武器を綾綱に変えて、部屋の中に入っていった。
そこは……元は何だろう。ナギには宝物庫か武器庫あたり(他の場所よりはまともというだけで、ちゃんとした部屋になっているわけではない)に思えたが。昔はさぞやたくさん詰められていただろう、というのは、部屋の大きさから分かる。
一番奥の壁にもたれかかるようにして、二型魔獣はいた。魔獣とはどんなものかは知らないが、少なくともナギには、それがまともな獣には思えなかった。蜘蛛と犬を掛け合わせたら、こんな化け物ができあがるかも知れない。大きさはさほどではない。とはいえ、人間に倍する大きさが普通に出てくる基準の話であって、それの大きさは、軽く人間以上はありそうだ。
とりあえず綾綱を構えもせず、無造作に突っ込んだ。蜘蛛犬が飛びかかってくる。
爪や牙で攻撃、というよりはただの体当たりのような様子で。それを避けて、ナギはため息をついた。振り返ると、蜘蛛犬は壁に張り付いていた。体重も結構ありそうなのだが、それをものともせず壁を走り、ついでにかさかさと音を立てていた。
「うわ、なにこいつ。きもっ!」
追いついてきたメレリーが、蜘蛛犬を見ながら悲鳴を上げる。
ナギは再度、綾綱の柄尻を叩いた。
『なんじゃ、戦中に。集中せい』
「いや、お前はもういい。刀だけくれ」
『そりゃさすがに……大丈夫なのかのう?』
「大丈夫か大丈夫じゃないかで言うと、肩の力が抜けるくらい大丈夫」
「それはある意味大丈夫ではない気がするが」
呟きながらも、綾は人型に戻っていた。
肩を押して下がらせると、彼女は素直に従った。
「出入り口だけ塞いどいてくれ」
「と言うわけじゃ。早う塞げ。貴様のような鈍くて阿呆で頭の巡りが悪い癖に手だけは早いじゃんぴんぐ馬鹿でもそれくらいはできるであろう」
「悪態付くなら頭を守る手を下げないと格好付かないぞ」
びくびくしながら脳天を抱える綾に、そう忠告する。もっとも、メレリーは全く聞いていない様だったが。
「え? え? あいつ持ってるの普通の剣なんでしょ? ちょっ……放置していいの?」
「うーむ、気持ちはよく分かる。が、遙カ人が良いと言うとるのだから良いのじゃろう。多分……信じられぬが……」
なんだかよく分からないことを言っているが。
彼らの入ってきた場所以外にも、通れそうな穴があと七カ所。全てが道という訳ではなさそうだが、それでも半分くらいは逃げ道になるだろう。
出入り口に、というか、部屋全体に光の網がかかる。綾とメレリー、どちらがやったかは分からないが、頼んだとおりにはしてくれた。
「おし、じゃあ……来いよ」
言葉など分かるはずもないが。
蜘蛛犬は飛びかかっていた。ナギの予想通りに、ではなく呼び込んだ通りに。体を傾けながら、刃を合わせた。それで決まるかとも思ったが、強靱な体毛と皮膚に阻まれ、刃が深く潜らない。表面を削っただけで、刀が弾かれた。
「おおう」
少しだけ体が浮く。片足で立ているような状態になり、その背後から、蜘蛛犬が折り返して突撃してきた。
横に倒れつつ体を捻りながら、逆手に持った刀で肩(らしき場所)に突きを放った。これも刺さらない。切っ先がちょっと潜った時点で、刃が弾かれた。
「硬えなあ」
まあ、攻撃が通らないというのでなければ問題はない。
蜘蛛犬の速度は、はっきり言って恐ろしく速い。目で見てからでは対処できないだろう。それが敵最大の強みなのだろうが、同時に弱点は、獣でしかないことだ。
技とは何か。という話をすれば、結局の所『虚実』に尽きる。
要はどれだけ相手に嘘を突きつけるか。逆に相手の嘘から本当を見抜くか。これが実践の為の、「上手く剣を振るう」の先にある、本当の意味での技だ。
蜘蛛犬はこちらの押しつける嘘に、全く気がついていない。動きを予測した気になり、思い通りに動いてくれる。嘘を振りまく必要もなかった。同様に、全てこちらの思い通りなのだから、見抜く本当が最初から存在しない。
後は、蜘蛛犬が消耗しすぎて死ぬか、それとも彼が集中力を斬らして殺されるかだったが。
ナギはあくびをした。
所詮は獣。こんな奴を嵌めるなど、労力にもならない。
(ねえ)
メレリーはそう、心の中で語りかけた。
誰が聞き届けている筈もない言葉は、しかし独り言ではない。階器を持っている今であれば、心の声はそれに届く。
(前から思ってたけど、あいつ絶対おかしいわよね)
『ちょっとー、ナギちゃんは異常に強いよねぇー。人間がただの武器で結構強い魔獣を圧倒するなんて、初めて見たわー。いくら得意武器持ってると言ってもねー。遙カ人は大なり小なりそういう所があるけど、こんなに凄いのわたし初めてー』
びっくりー、と。全くびっくりしている様子のない、間延びした声が帰ってくる。
イーリスが万事この調子なのは知っている。だからこそ、彼女が本当に驚いているのも、メレリーには分かっていた。
(あいつ全くやる気なさそうよ。本気でたいしたことない相手だと思ってるんだわ……)
『綾ちゃんたのしそー。自分の遙カ人が強くて、よっぽど嬉しいのねー』
横では、きゃっきゃと騒ぎながら、無責任な指示を飛ばしている子供が一人。やや不安そうだった様子はどこへやら、今は大興奮だ。
(こいつって、あの地下にいた……でっかいのよりは強いのよね)
『一概には言えないけどー。でも、速度と耐久力は間違いなく上かしらー』
そうだろう、とはメレリーも思っていた。
地下のあれは、まだ動きが目で追えた。しかし今回は、動き出すと、全く見えなかった。着地して動かずにいてくれないと、どっちの方向に飛んだのかも分からない。そんな相手を、のたくたとした動きで捌ききっているのだ、あの男は。
ナギは立っている場所から、殆ど動いていなかった。どんな手品か、獣の頭付き蜘蛛もどきが動き出す頃には、すでに進路上にいないように見える。さらに刃を振って――これは相手の防御力が高すぎて、都度弾かれているが。
獣の頭付き蜘蛛もどきも無策ではない。あの手この手で、なんとかナギの裏をかこうと努力しているのも分かる。時には立ち止まって、無意味に上下左右に跳ねて、予想外だと思われる方向から襲いかかったり。その上で彼は全てを把握しきり、全く問題にしていない。
(本物って……こういうものなの?)
それはイーリスに届かせず、密かに呻いた。
イーリスと綾綱は、同格の階器らしい。つまり、ナギとメレリーも、遙カ人の格は同じなのだ。
(仮にあいつと戦う事があったとして……勝てる気は全くしないけど)
そう思わずにはいられなかった。
遠距離戦特化と接近戦特化、対軍特化と対個特化、それらを考慮しても、全く及ぶ気がしない……
ナギの振るう剣が、静かに翻った。つまり、弾かれてない。念入りに防御をそぎ落とし、最後の一撃で、首を切り落とした。
首を切っても、勢いが無くなるわけではない。胴と首が、壁に叩き付けられた。その様子を無感動に見るナギは、無傷だった。というか、疲れた様子もない。
彼を見ながら、今まで感じた威圧感と恐怖を全て吐き出すように、吐息を漏らした。
「おっそいわよ。いつまで待たすの」
「勝手について来た上に勝手な事ぬかすのかよ……」
とぼけたような男に、いつも通りに声をかけた。
争うことはない。そして、自分が斬られる事もない。
いけ好かない奴だが、その程度には信用していた。




