09
敵の襲撃を受けてから、十日ほどが経過した。国境を越えるのに五日(予定より二日も多くかかった)ほど必要とし、さらに最寄りの都市にたどり着くまで五日。それだけの時間を消費して、やっと彼ら一団は、休むことが出来た。
現在ナギは、テントの中にいた。騎士から奪ったものは、山にさしかかった時点で捨てている。今使用しているものは、メレッヘ国の都市イグノから、好意で借してもらえたものである。
(まあつまり、こっちの素性も何があったかも、そんで階器を手に入れただろうって事も分かってる上での好意なんだろうけどな)
なにしろ、街に着くなり行政官らしき人間が待ち構えており、しかも歓迎された。臭いことこの上ない。そのおかげで全員が食事と雨風防げる場所を手に入れているので、悪いことばかりでもないが。
疲れ切った体を、転がして休めながら。疲れに反して頭が妙に冴えてしまっているため、考え込んでいる。
あとは、ナギが遙カ人だというのも分かっているだろう。街から派遣された人間が、慰安という名目でそこらの人間に、親身に話しかけていた。予測は難しくない。メレリーは……どうだろうか。混乱が酷かった。リッディツは分かっているだろうが、そのほかの人間まで気づいているかは分からない。
寝返りをうつと、視界に大きな布の包みが見えた。
(さすがに、階器をあと三つ持ってる事までは分からんよな)
封印、というには杜撰だが。他にやりようもなかったから仕方ない。とにかくそれを見て、苦笑した。
交渉に利用してもいいし、一つくらいならくれてやっても構わない。その場合は、三つ全部が一カ所に集まらないように、という注意だけはする必要がある。
最低でも一つはこちらで確保しておかないと、何かあったときに安全を確保できない。が、三つ全部持っていれば、相手の恐怖を煽るだけだ。面倒くさい話ではあったが、無視もできない事ではあった。
階器を人に任せられない以上、そこら辺のバランスを自分で考えなければいけなかった。
(面倒だな……)
そう思わずにはいられない。
そもそも自分は脳筋なのに、と情けない事を認めながら。こういうのはもっと頭のいい人間が考えることだと思わずにはいられなかった。
仰向けに転がり直すと、いきなりその腹の上に、どすんと重みが加わった。
「うぶっ」
思わず声に出る。
何事かと自分の腹を見るが、それを確認して、考えるまでもなかったと思い直す。腹に乗っているのは、綾の頭だった。涎を垂らしながら、幸せそうに寝ている。
この小娘は妙に悪態をつくが、どうもナギとあまり離れたがらない。寝床も、必ず一緒にしようとした。起きていると、頻繁にちょろちょろとどこかへ行くくせにだ。気まぐれな部分は、猫にも思える。いや、完全に子供か。
と、かつかつと、外で音がする。つま先で地面を蹴る音だ。テントにはドアなどないため、それで代用しているのだろう。
「どうぞ」
言うと、入ってきたのは、予想通りリックだった。
「よかった、起きてたんだ」
「どうしても目が冴えてね」
体を起こす。腹に乗っている綾の頭は、手で払い落として。
ごつん、と小さいが鈍い音がする。次にはうんうんと悪夢に魘される少女の寝息が聞こえた。いつものことなので無視する。
「で、どうだった?」
「好感触だよ。よすぎるほどにね」
リックは皮肉げに笑った。
彼はイグノの好意を受けた後、彼らとの交渉に向かっていた。いきなり百人以上の難民で押しかけたのだ、少しでも好条件を得なければならない。
イグノ側の人間と話している時は、それこそ悪態の一つでもつきたい気持ちだっただろう。
「分かってはいたけど、向こうの興味は一つだ。こちらに階器があるかどうか。それはもう、かなりストレートに遙カ人の協力が欲しいって言われた」
「あっちはあまり交渉が上手くないとか?」
「というよりも、隠す理由がないって感じだったかな。この国の状況も、階器がない事も、周辺国にはよく伝わっちゃってるし」
「俺はそこらから分からないんだ。知ってる限りでいいから教えてくれ」
「ああそっか。えっと……」
呟いて、彼は不意打ちされたようにして、悩み始めた。
しばらく――と言っても、本当に何秒かでしかないが。たってから、ぽつぽつと話し始めた。
「メレッヘは、所謂詰んでる国なんだ。東に帝国、北に魔族の支配する暗黒領域、南は森のち山岳地帯かな。こっちも獣が跋扈してるって話だけど。一番危険度の低い西方の国にだって、対帝国の盾としか思われていない。元々国力が三倍は違う」
「そりゃあ……詰んでるなあ」
「正直言って、何かの拍子でいつ滅亡してもおかしくない。今まで倒れなかったのだって奇跡だよ」
で、と自信なさげに、彼は続けた。
「一番致命的なのは、階器を所持していないこと……らしい」
「らしいってのは?」
「そこら辺の事情は、ついさっき知ったばかりなんだ。小国の場合、軍事力は階器にほぼ依存する。階器がないのは軍事力を持ってないのと一緒だ。兵をどれだけそろえようが意味がない。だから、無理をしてでも階器ないしは階器使いが欲しい、という主張だ」
「問題は、そいつがどこまで本当の事か、だな」
全てが本当である可能性も、ないわけではないだろう。だが、都合の悪いことまで開かす理由もない。
こっちが向こうを信用していないように、向こうもこっちを信用していないだろうし。
「少なくとも向こうが階器を欲しているのは本当だし、だからこそナイーブでもある。一番気にしているのは……」
「本当に階器を持っているのか、だろ?」
「そこまでは言わないよ。でも、それがあちらの本音だろうね」
言って、彼はため息を吐いた。
階器があると思っているのと同時に、ない方がいいと疑る気持ちもあるのだろう。
こちらには頼りたいが、そこまで依存するわけにもいかない。そんな様子だ。遠慮やらという感情を抜きにしても、自分たちの安全を保証するのが一個人というのは、いかにも綱渡りだ。メレリーにはもっと頼れまい。精神はかなり落ち着いてきたが、それでも不安定さは残っている。いつ爆発するか分からない奴に頼るリスクは、前者よりもさらに大きいだろう。
「さて、僕はこれからリッディツさんと相談するよ。邪魔して悪かったね」
「俺も情報が欲しかったから気にするな」
「それじゃあ」
リックが出て行くのを確認して、もう一度転がる。すると、また綾が頭を乗せてきた。こいつはいったい何なのか。
(話はシンプルになった。そして面倒くさくなった)
寄りかかってくる綾をなんとかするのは諦め、やけに撫で心地がいい頭を摩ってやりながら。なんとなしに考える。
(これで、単純に階器をくれてやればいいって話じゃなくなった。最低でもその前に、こっちを庇護する組織なり何なりを見つけないと。それも、かなり信頼できる。多重の意味で、国だけに運命を任せられない)
綾のつむじを押し込んだ。心地よさそうな寝息が、一転苦悶に変わる。
(その前に、俺のことか。最低限、階器を持ってると思わせられる戦果が必要だな。この辺何かあるのか?)
後で街に出向いて探すしかあるまい。
まあ、それについては、あまり心配していない。迷宮でも思ったが、この世界には、かなり洒落にならない存在がいる。探せばいくらでも、適度な相手がいるだろう。
(ああそれよりもっと前に、探さにゃならんもんがあった)
思いながら、彼は自分の左腰を手繰った。そこには当然、何もない。
まずはそここの空白を埋められるものが必要だった。
●○●○●○●○
「絶対! ぜぇっったい! 許さぬのじゃー!」
天下の往来で、腰にべったり張り付かれながら、ぎゃんぎゃんと泣きわめかれる。
腰にべったりと張り付かれ、前後左右に規則性なく引かれる。まあ、つまりだだっ子がやるような行動なのだが。そんな人間を押さえつけながらだと、店主に対しても、苦笑くらいかすることがない。
ほんの十分ほど前までは、平和だった……
街に着いてから一日、一晩ゆっくり寝たら、調子はかなり回復した。最初は階器の恩恵かとも思ったが、メレリーは相変わらずダウンしている。単純に調子がよかっただけなのだろう。
久方ぶりに刀の素振りを軽くして(こんな時だけは素直に協力してくれる)、イグノの街に出た。
この世界に来て初めて見る街の活気は、まあまあという所か。ただし、規模はさほどでもないと思えたが。比較対象がないので、この世界基準でどれほどだかは分からない。
まず調べたのは、この国の、当たり前の事だった。書籍から調べるのは、文字が読めなかったので、そうそうに諦める。ふらふらと散歩しながら、立ち聞きしたり、時には会話に混ざったりして情報を集める。
まず分かったこと。メレッヘ国とは、小都市七つ、大都市一つからなる小規模国家である。情勢は……まあ、リックに聞いた通りの八方塞がりであり、国民もそれを理解している。常に不安を抱いているし、帝国のちょとした動向でいちいち怯えるのに嫌気をさしている。そして、そんな状況を許している国にも。
つまりこの国も、帝国南部の村々と同じ程度には、切羽詰まっていると言うわけだ。しかも、危険度も大差ないというあたり救われない。危険と知りながらも、来ないと思っていた危険は来るものだと、先日の奴隷狩りで思い知らされたばかりなのだ。
一人で逃げ直せれば楽だったが、そんなつもりはさらさらない。第一、ここで見捨てられるなら、グィーズに勧誘されたとき、すでに裏切っている。
情報集めに歩いてみたものの、当たり前の情報以外は手に入れられない。そんな能力もないのだし。
と言うわけで、ナギは情報収集を早々に切り上げ、別の目的に向かっていた。
目指したのは武器屋だ(存在しない可能性もあったが、あってよかった。それだけ物騒な世界だと言うことだから、一概に喜べもしないが)。
ここで、付いてきていた綾がしきりに何をしに行くのかと聞き始めた。ナギは無視して入っていったが。
中に入って、細身の片刃剣を物色し始めると、綾はおそるおそる聞いてきた。何をどうするつもりで選んでいるのかと。
ナギは答えた。腰に吊すつもりだと。
そして、綾はキレた。
「なぜこの《錐禮異刀》を持ちながら他の武器を持とうとする! ありえんじゃろ! というかありえんのじゃー!」
「いやもうほんとうるさいから静かにしてください。他の人に迷惑だろ?」
「貴様という存在がこの世で一番迷惑じゃ!」
ぎゃんぎゃん叫ぶ娘を、とりあえず引きはがそうとするのだが。彼女の力はナギの想定より遙かに強く、全く引きはがせる気がしない。
「ねえ、ちょっと」
と、不意に声をかけられる。
とりあえずうるさい綾の口を塞ぎながら。振り向くと、そこにはメレリーがいた。隣には、当たり前のようにイーリスがいる。
「あんた何やってんのこんなところで」
「いや……」
「とりあえず外出るわよ。こんな所で暴れるのも恥ずかしいし」
腕を掴まれ、半ば引きずられるように(なったのは、綾が張り付いたままだからだが)外につれられる。
振り向き、店主に手振りですまなかったと伝える。恐ろしく嫌そうな顔をされた。この店にはもう来られそうもない。
メレリーは周囲を見回して、すぐ人がいない建物の隙間を見つけた。商業区の中央近い場所なので、全く人目に付かないというほど都合がいい場所もない。まあ、叫び声を聞かれても、一瞥されるだけで、すぐショッピングにでも戻ってくれる程度に辺鄙な場所でさえあればいいか。
その路地は、当たり前に狭かった。四人で潜って狭くない路地裏など、もう路地裏でもなんでもないが。
「で、綾ちゃんどうしたの?」
メレリーが、体をかがめて視線を合わせながら言う。その彼女を、ナギは胡乱げな目で睨んだ。
「なぜそっちに聞く」
「だってだいたいあんたが間違えてる……って事はないけど、うん。でも気に入らないし」
「お前もう帰っていいぞ」
「あんたが帰れ。というか死ね」
いつも通りのやりとりなどしていると。
イーリスが綾に話を聞きにいっていた。少女の頭を撫でながら問う様は、完全に子供と保護者だ。
「ねーねー綾ちゃーん、どーしたのー?」
「ぐすっ……あの今世紀最大の大馬鹿者めが……あろうことか……わらわがおるのに……別の武器を買うなどと……」
「えー!? ひどーい!」
よく分からないが。
彼女らにとっては本当に酷いことらしく、いつもより大きな声で批難された。というか、たれた視線を目一杯つり上げて、こちらを睨んでくる。
「ひどーい! ……?」
「分からないなら無理に乗るな」
とりあえずこちらを批難できれば何でも良さそうなメレリーには、それだけ告げて。
ぷりぷりと、頬をお膨らませながら詰め寄ってくるイーリスに言った。
「仕方ないだろ。そいつその状態のまま、しょっちゅうふらっとどこかにいなくなるんだから。せめて、そいつが戻ってくるまでの時間稼ぎは必要だろ」
「あほ! わらわが遙カ人なのだから、それくらい無手でなんとかせい!」
「今から徒手格闘を使い物になるまで鍛えろってか? どんだけかかるかも分からないのに」
「まぬけ! そんな暇があったら刀の鍛錬をせんか!」
「いやまあ、お前のむちゃくちゃな物言いにも、最近慣れてきたけどさぁ……」
深くため息をつきながら、背後を確認する。
目論見通りに、人だかりが出来ているなどという事はなかった。たまにこちらをのぞき見ては、すぐいなくなるというのが大半だ。とりあえず、警察(いるかは知らないが)を呼ばれる心配はなさそうだ。むしろ来てくれた方がありがたいと思わなくもなかったが。
ちなみに、メレリーはいなくなっていた。遠くまで行った、という事はないとは思う。そうであれば、イーリスもついて行っただろうし。どうせその辺で、我関せずとのんびりしているのだろう。
つまり、助けはない。ナギが何とかしなければどうにもならないわけだ。
再度(かなり嫌々)振り返る。癇癪が爆発する寸前の、人のような人でない娘二人。
感性を共有できないのにどうしろと言うのか。どうにかしないと終わらないのは分かっているが、思わずにはいられない。
ナギは粘り強く、言い聞かせるように言葉をかける。
「いいか? お前が常に俺の腰にいるつもりがない以上、小太刀……はなさそうだな。まあナイフの一本も必要なんだよ。分かるな?」
「わからんわぼけぇ!」
「じゃあどうしろってんだ!」
「それを考えるのが貴様じゃろうが!」
「そうか。じゃあ折を見てナイフ買うわ」
「そのような真似させるわけなかろうが!」
「もー! なんで綾ちゃんいじめるのー!」
「うっぜええぇぇぇぇ! こいつらマジうっぜええぇぇぇぇええぇぇ!!」
ついに張り付いてきた二人に、思わず絶叫する。
結局、言い合いは長く続かなかった。ナギが折れるしかなかっただけだが。
この件に関しては、綾は全く折れなかった。いや、いつもは折れているという訳ではない。だが、遙かに「こればかりは譲れん」という様子だけは伝わった。
(無意味な時間を山ほど使った……)
ため息を吐きながら、街中を歩く。
すでにメレリーとイーリスはどこかに行っており、近くにいるのは綾だけだ。あれが欲しいこれが欲しいと目移りしているが、何も与えていない。というか、無一文だからない袖は振れない。
(結局、今日の成果はこれだけか)
頭を掻きながら、二つの事柄を並べる。
一つは、仕事について。二型魔獣とやらが、暗黒領域からメレッヘ国に紛れ込んできたらしい。どうにもならないと言うほどの相手ではない様だが、通常戦力で何とかしようとすれば、甚大な被害が出るのだとか。いるのであれば、遙カ人が討伐するのが普通らしい。つまりはナギだ。逆に言うと、これを単騎で討伐できれば、遙カ人であるという証明にもなるだろう。下手に派手な事をするよりは、わかりやすい成果かも知れない。どちらにしろ、それが相手側の希望ではある。この話がナギに届いたのがいい証拠だ。
二つ目、これは直接は関係ないのだが。
イグノという街には、四士と呼ばれる街の有力豪族が存在する。イリー家、メギュー家、クルセラー家、オリュエー家。イグノの軍事力は、この各家が約千五百ずつ出すようになっている。この内、イリー家が側近に裏切られ、内乱(と言うのが正しいかは分からないが)中らしい。イリー家が勝つにしても、裏切った側近が成り代わるにしても、そう大きな問題にはならないだろう、と言うのが大方の予測だ。多分だ正しいだろう、とナギも思っている。側近とやらも、他の三家を敵に回してまでイグノの支配には走らないだろうし。であれば、お家騒動の範疇だろう。
だが、これに上手く介入できれば、大きなメリットになる。そうナギは考えていた。
こんなものが使えるかは分からない。やるにしてもリック、リッディツと要相談だろうし。だが、覚えておいて損はない。
(文字が読めない俺には、これくらいが限界だな)
さしあたって、すぐ対処しなければ行けないのは、二型魔獣だ。明日にでも出立する必要がある。
メレッヘ国からの信頼云々の話がなくても、金がない。好意などいつまでも続かないだろう。放置すると、あと数日もすれば難民キャンプが飢える。
二型魔獣が現在寝床にしているのは。
奇縁なのだろう。迷宮の中だった。




