プロローグ
「いいかぁ!」
台に上った、全身鎧の男――ザインダス帝国の指揮官が叫んでいるのは、威圧の為ではない。この場にいる千数百人の奴隷全てに声を届けるためには、それくらい出さなければならなかった。
「貴様たちがやることは簡単だ! 剣を持ち、盾を持ち、迷宮を進む! それだけだ! 後退は許されない! 中には入ったら騎士の指示に従え! そして、迷宮の中にあるものは我らに渡せ! 持ち運べなければ担当の隷主騎士に報告だ! 言われた全てをこなせ! 一つでも破った場合、即死刑である!」
声には、嬲るような響きがある……という事もない。ただひたすらに事務的だ。こういう事に慣れきっているのであろう。
(ま、それは奴隷狩りにあった時から、分かってた事だけどな)
ナギは思いながら、自分の手を見た。
手は肩幅ほども開かない。手首には分厚い金属の輪が嵌められており、それを鎖で繋いでいる。手錠な訳だが。最初の頃は色々試してみたが、もうそんな気も起きない。どう考えても、人間に破壊可能なものではなかった。
「今から武器を配る! 手錠が外されるのは迷宮に入ってからだ! 下手なまねはするなよ!」
奴隷狩り――ザインダス帝国の一般的な騎士部隊には、一糸の乱れもない。つまりは正規部隊な訳だ。
そんな風に扱われて、腹が立たない訳もないのだが。それでも彼が落ち着いているのは。
「くっ……! ふざけんじゃないわよ……! 絶対に……絶対に殺してやる……っ!」
すぐ隣に、全力で怒っている人がいるからだろう。
「メレリー、お前……」
「うるさいわね、分かってるわよ!」
落ち着かせようとすると、今にも噛みつかれそうな勢いで絶叫される。
ナギは反射的に、周囲を見回した。奴隷の群れの中心あたりだった事もあって、騎士には聞かれなかったらしい。ただ、周りの奴隷の反応は変わった。反骨心をむき出しにする者、怯える者……
声を潜めて、言い募る。
「いいや、分かってないね。お前がここで下手なまねをすれば、誰が殺されるか分かったもんじゃない」
「っ――――!」
騎士に向いていた殺意の視線は、そのままこちらに向いてきた。
ナギはため息をつく。良く思われていないのは分かっていたが、何もこんな時に、それを発揮しなくてもいいじゃないか。
武器を乗せた台車が、目の前まで来た。
渡された剣と盾は、はっきり言って粗末なものだ。盾は木に皮を張ったもので、しかも古い。簡単に壊れてしまいそうだ。剣はもっと酷かった。鋳造しただけであり、重心はめちゃくちゃで、その辺の岩に叩き付けただけで折れそうな気さえしてくる。
(これ持って死ねってか?)
思わず口を衝きそうになったが、なんとか堪えた。
実際そうなのだろうが、聞かれればたぶん殺される。そうじゃなくても、問題になれば、世話をしてくれた人――つまり自分以外――が殺される。そう思っているのは、隣にいるメレリーも同じだろう。
「中に入って、奥に進んでいけば、そのうち逃げる機会も出てくる。それまで堪えろ」
「…………」
メレリーにだけ届く声で、ひっそりと言う。
気休め程度だ。奴隷使いになれている者が、そんな失敗をするものかと思う。逆に、慣れているからこそ、少しくらいいなくなっても気にしないかも知れない。
とりあえず、声をかけた意味はあった。彼女は答えこそ返してこなかったが、うつむき、機をうかがっている。
「第七部隊、進め」
騎士の一部隊が言う。彼らが隷主騎士なる者なのだろう。四人一組で、二十人一組の奴隷を従える。
指示の通りに、ナギも進んだ。
正面には扉がある。その外見は、迷宮と言うより、むしろ要塞といった方が相応しい。
(まったく、なんでこんな事になったんだが……)
拘束されているうえ、武器も持っているため、頭も抱えられず独りごちる。
ほんの数日前までは、村で静かに暮らしていたのに。
さらに少し前は、日本で普通の学生をしていたのに。
今から、監視されながら訳の分からない化け物と殺し合いだ。
本当に、なんでこんな事になったのか。
始まりは、一ヶ月前に遡り。
そして、数時間後。彼は伝説に遭遇した――