24 夜
「沼? ……それが私のイメージか?」
夕食を終えた杏子は、冬凪と共に日の暮れた薄闇の中を歩いていた。
「そうじゃなくてですね。えーと、その、池でもいいんです……泉とか?」
「池? 泉? 水辺に連れて行けということか?」
「はい。あの、川とかみたいに流れていないところがいいので……」
尻すぼみに杏子の声が消える。
相変わらず不機嫌な冬凪の、大きなため息を聞いたからだ。
「つまり、お前の私に対するイメージは、さしずめ暗く澱んだ水辺というところか」
そう言われて、とっさに違うとは言いきれずに口ごもった杏子を見て冬凪は眉を寄せた。
空はすっかり藍色に染まり、薄い三日月が浮かんでいる。
杏子は先を行く冬凪の背中を足早に追いかけた。
冬凪が手に下げた洋灯に灯りを入れると、夜の闇は深くなる。洋灯の作る光の輪から外れないように、杏子は冬凪との距離を詰めた。
黙々と沈黙と歩き続ける。屋敷を出てからもう半刻は経っていた。
前を足早に進む冬凪は沈黙のまま進み、後にいる自分のことなど忘れてしまわれている様な気がしてきて杏子は口を開いた。
「あの……。秋がいないのは、どうしてですか?」
それは、しばらく前に気にかかったことだった。
春潮、夏墨、冬凪。
四季を頭文字にした彼らの名前を知ったとき、秋の不在に自然と気がついた。
取り立てて聞くほどのことでもないと思ってはいたが、長すぎる沈黙をきっかけにして杏子は尋ねてみた。
問いかけた背中は、杏子の声は届いているはずなのに長い沈黙だけを返して進む。
杏子が再び口を開こうとしたとき、低い声がようやく返ってきた。
「秋は、いた」
冬凪は立ち止まりも、振り向きもせずに淡々と答えた。
過去形で語られるその存在に、杏子は自室の向かいの空室を思い出す。
夏墨はそこを、杏子にただ空室とだけ告げていた。
「おまえの四人目の術者は、桜子と一緒に消えた」
「わたしに、四人目の術者がいたんですか?」
「あいつは勝手にあの日、桜子の後を追った。そして、桜子とその術者たちと共に消えた」
静かな冬凪の声が、怒りを孕んでいるのに杏子は気がつく。
それは杏子に向けられたものではなった。ここにはいない桜子に、そしてあの時の冬凪自身に向けられた怒りだった。
あの日、戻らない桜子と術者たちを探した冬凪たちはあの場所で見つけた。
塞がれた大きな隙間と、辺りの荒らされた景色がそこで何かが起きたことを物語っていた。
そしてその場所に残されていた折れた杖を見つけた時、冬凪は全てを悟ったのだ。
桜子という魔女と、彼女を守った術者たちは失われたということを。
「お前が望むなら、新しい術者を迎えることもできるが……」
「今は、そうは思いません」
会うことが叶わなかったもう一人の術者。彼も自分を待ってくれていたのだろうか。
心なしか歩調が緩められた静かな背中を、杏子は黙って見つめた。
その背中から、不機嫌そうな気配は消えている。かわりに纏うのは深い悲しみの様だった。
屋敷から一番近い動かない水辺は、大きな池だった。
池は静かに水を湛え、三日月を白磁のように群青色の水面に浮かべている。
暗い水の上にいる三日月は、空にいる時よりも少しだけ柔らかそうに見えた。
フラスコにゆっくりと吸い込まれていく、藍や群青、紺色の波紋と月。
蒼銀の三日月と静かで重い水の気配。
真剣な面持ちでフラスコを見つめる杏子を冬凪は見る。
月を受けて光る橙色の瞳を、冬凪は静かに見つめていた。




