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23 朝靄


 いつもよりも幾分早く、杏子はベッドから起き上がった。

 身支度をしていつもなら窓から庭へ下りて朝の散策に出るかわりに、杏子は真っ直ぐに食堂に向かう。

 約束通り、夏墨はそこにいた。


「杏子さん。おはようございます」

「おはようございます。朝早くにすみません……」

「いいえ、杏子さんの頼みですからね。早朝だろうと深夜だろうと、いつでもお受けしますよ。ではまずは、……今日は編みましょうか?」


 きらりと銀縁の眼鏡を光らせ、ブラシを手にして夏墨は微笑んだ。

 どこで覚えたのか器用に髪を結う夏墨のおかげで、杏子は日替わりで様々な髪型を施される。

 そして今朝も綺麗に編まれた髪を揺らして、杏子は夏墨と外へ出た。

 日課の散策より早い時間帯の外は、朝靄が濃くまだ仄暗さが残る。

 屋敷を背に丘をしばらく降りた斜面に、杏子の目的の物がある。

 靄に視界を阻まれながら慎重に斜面を降りると、空が白んできた。


「ここですか?」

「はい」


 杏子は斜面の岩肌を指差す。

 そこには石英の塊が岩肌から覗いていた。そこだけではなく、辺りの岩肌からも同じように白く半透明な石英が姿を見せる。

 杏子は朝の散策時にここを見つけて、夏墨のイメージに合う素だと思いついていた。


「よく見つけましたね」


 感心したように夏墨が辺りを見回した。

 靄をかき分ける様に、朝陽の線が斜面に落ちてくる。

 それが石英にぶつかり鋭角の光が反射し、朝の冷えた空気を切りとる様に散らばった。

 夏墨に見守られながら、杏子は球体フラスコを取り出した。


 霧に散らばる白い光りと冷えた石英が、冷たい炎のように瞬く。


 その光の強さと鋭さが、なぜか杏子には夏墨を思わせた。

 フラスコに向かって、白い石だけで作った万華鏡のような冷たい空気と鋭角の光の線が一緒くたになり吸い込まれる。

 栓をしたフラスコの中は強く白い光と霧が立ち込め、フラスコはひんやりと冷たい。

 杏子はきちんと素を取り込めたことに安堵した。


 斜面を上がると、風向きが変わったからか朝靄が濃さを増していた。

 足元も、隣にいるはずの夏墨の姿も白い靄に飲み込まれている。

  

「手を繋ぎませんか?」


 唐突に、ふわりと白い靄から夏墨の手が杏子に差し出される。


「足もとが危ないでしょう?」


 その手を取りかねて戸惑う杏子の返事を持たずに、夏墨は杏子の手を引いて歩きだした。

 頬を撫でる空気は冷たく、繋がれた手の温かさが杏子にはくすぐったく落ち着かない。


 白い靄の向こうから穏やかな声がする。


「一度だけ、帝都にいる杏子さんを見に行ったことがあるんです」

「え?」

「少し前のことです。僕だけ薔子さんに伴って、帝都に行きました。そこで街で暮らす杏子さんに会いました。もちろん声はかけられませんでしたので、こっそり見つめるだけでしたけどね」


 杏子はその声がする方の白を見上げる。

 目には見えなくても、空色の優しい眼差しがこちらを向いていることが杏子には分かった。

 姿を靄に隠したまま、夏墨はゆっくりと言葉を続ける。

 

「あなたはいつも一人でいました」


 杏子は帝都に一人佇む自分を思い出す。

 いつも足早に俯いて街を歩き、屋敷にばかりいた自分。


「杏子さんがこちらに来て最初の朝。一人で丘を歩く杏子さんを見たとき、僕は杏子さんをここへ連れてこない方が良かったのかと思いました。帝都にいる時と変わらないように見えた……」


 知られていないと思っていた杏子の朝の日課を、夏墨は当然のように知っていた。

 優しい声に鼻の奥がツンとして、杏子は慌ててたくさんの空気を吸い込む。

 何故か突然に、込み上げてきたものを飲みこむために。


「でも今は違う。そうですよね?」


 杏子は何も言わなかった。夏墨はその返事を待ってはいなかった。

 もしかしたら勘のいい彼のことだから、知っているのかもしれない。

 杏子が、誰かとこうして歩くのが初めてだということを。

 朝の散策を、今は楽しんでいることを。

 ここでの暮らしを、すっかり受け入れていることを。


 返事の代わりに、杏子は繋がれた手を微かに握り返す。

 優しくつないだ手の行く先が、あの屋敷であることが嬉しかった。






 白く冷えたフラスコを工房の春潮に渡すと、彼はそれをみて静かに頷き微笑んだ。

 杏子は、自分の素の選びが間違っていないと思えて安心した。


「次は冬凪と?」


 空の球体フラスコが杏子に渡される。それは、冬凪のイメージの素を詰める分だ。


「今夜、行こうと思っているんですけど……」


 素は一人でも集めることができるが、杏子は傍らに彼らにいてもらい、イメージを揺るがないものにしたかった。

 だから、今朝は夏墨と一緒に出かけたのだ。

 封をされて並んだ緑と白のフラスコを見ながら、杏子は今夜のことを思いため息をつく。

 慣れてきたとは言え、冬凪と行動を共にするのは緊張を伴う。


「場所は冬凪が知っているからな。頑張ってこい」


 そう朗らかに笑う春潮の肩越しに、棚に置かれた空の球体フラスコ一つ、杏子の目に留まる。

 フラスコは四つで一組だった。杖の芯となる素は四つまで入れることが出来るからだ。

 それは魔女に許された術者の数と同じだった。



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