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18 茉莉花茶

 

 それは、奇妙な年だった。

 そして、始まりの年だった。


 ヒトの世界の厄災の日々が終結して幾年月。

 恐ろしい日々は褪せた歴史に変わり、「こちら」の世界は穏やかに流れた。

 鍵魔女の日常は、稀に生じる細やかな隙間を塞ぎ、あとは移り変わるこちらの昼夜と四季を楽しみ暮らす半隠居生活。

 護る場所によっては、何年も隙間が生じることがないのも珍しくはなかった。

 そんな安穏とした鍵魔女たちの暮らしが唐突に一変する。

 なんの前触れもなく、無数の隙間が無尽蔵に生じるようになり、鍵魔女たちは隙間を塞ぐことに奔走させられた。

 生じた隙間はかつてないほど大きく、禍が零れ落ちる。隙間を塞ぎ損ね、傷を負う魔女と術者も多くいた。

 

 その混乱の年の最中で、桜子が失われた。

 

 鍵魔女の役割が、危険を伴う重責なものへとたちまち変化した。

 そうなると、「あちら」から新たに鍵魔女になろうとする者は現れず、「こちら」にいた鍵魔女の中にも契約を破棄し、館を捨て、「あちら」へと戻る魔女も少なくなかった。


 一つの館に主は一人。

 一人の主に館は一つ。


 本来であれば魔女から魔女へと受け継がれていく鍵魔女の役割とその館は、結果多くが遺棄されることになる。

 桔梗の館が主の桜子を失った時、薔子はすでに伽羅の館の主だった。彼女が、桔梗の館の主になることは出来なかったのだ。



「桜子はここをとても大切にしていたわ。だから、鍵を残したのね。ここをなるべく永く護り続けるために……」


 テーブルの上に、見覚えのある黄金色の鍵が二本並べられる。

 鈍く光るそれは、杏子が受け取り無くしてしまったあの鍵とまったく同じものだった。


「桜子はとても魔力の強い魔女だった」


 鍵を見つめて語る薔子の声が、杏子には震えたように聞こえた。


「……桜子は鍵を掛けていったのよ。ここが壊れないようにね。この鍵を持つもの以外、ここへの出入りは許されない。小鳥一羽、虫一匹もね。そうして閉ざされたここには、隙間も生じはしなかった。桜子の術は成功したわ。けれど、この鍵はね、一度きりしか使うことが出来ないの。入るたびに、出るたびに、鍵は一つずつ失われていく」


 桔梗の館を真中に、見渡せる景色の全てを桜子は閉じ込めたのだ。

 許された者の出入りしか叶わず、ここは閉ざされた地となる。

 杏子は確かに自分が持っていたあの鍵が、あの日忽然と消えてしまった理由をようやく知った。


「鍵が無くなれば、ここへ入ることも出ることも叶わなくなるわ。桜子の術は強力だけど、永遠ではない。術が消えてしまえば鍵は必要なくなる。けれど、それがいつなのかはわからない。数年か、数十年先か……。でもね、先に鍵が尽きようとしているの。ここにあるのが、私が持っている最後の鍵よ」


 テーブルにぽつんと置かれた二本の鍵が頼りなげに鈍く光る。

 杏子の手元から消えた様に、この鍵も直に消えてしまうのだ。


「最後のって……。もう、この二本だけなの?」

「正確には全部で三本ね。夏墨たちがもう一本持っているから」


 薔子の言葉に、夏墨が穏やかに頷くのを見て杏子は困惑した。

 鍵は残り三本しかない。


「鍵が尽きる前にここを継ぐ鍵魔女が見つかれば、杏子に桜子の手紙は渡さない約束だったわ。ヒトとして育てた杏子にあの手紙を残すことを、桜子はきっと最後まで躊躇していたんでしょうね」


 杏子は何も言えずにそこに座っていた。

 唐突に与えられる情報は、杏子は混乱させるばかりだった。

 文字の一つも記されていなかった手紙。

 片道の鍵。

 揃えられていた自分の術者たち。


 主を失った館は、やがて館自身が持っていた護りの術を使い果たし朽ちていく。

 そうやって館と鍵魔女の守りを失った地は荒れるままになる。

 桜子と桔梗の館が護ったこの地も、遅かれ早かれ禍に染まる地になるはずだった。が、桜子の魔力はその源の実体を失ってもなお強大にこの地を取り巻き続け、館とその地を護ってきたのだ。


「もしも……。もしも……わたしが鍵魔女になれなかったら? ううん……魔女になりたくないって言ったら?」


 杏子は消えそうな声でそう呟いていた。

 冬凪が言ったとおり、杏子には何の覚悟も自覚も自信もない。

 ただ、言われるままここへ来て。言われるままにここで過ごしていた。


「これは杏子に」


 机に並べられた鍵が一本、杏子の前に置かれた。


「帝都に戻りヒトとして、今まで通りに暮らすことを選んでも構わない。その時、ここを出るのに鍵が必要になるわ。――入る為の鍵を桜子は用意した。だから私は、杏子がここから出る為の鍵をあなたに……」

「帝都に、戻ることも出来るの?」

 

 鍵と同時に差し出された選択肢に、杏子は動揺した。

 そしてすぐに、静かにそこに居る彼らを見る。


「でも、みんなは? 夏墨たちはどうするの?」


 杏子が魔女にならなければ、彼らとの契約は継続されない。

 それに答えたのは冬凪だった。


「どうにでも。こちらでヒトに紛れ生きていくか、どこかの魔女に頼んで「あちら」へ戻してもらうか……」

「あちらに戻ったら、新しい主を見つけるの?」

 

 杏子の言葉に意外な人物が口を開いた。

 なにかを耐えるような苦しげな表情で、黒蜜は杏子を見る。


「あちらでは皆、幼いころに契約を交わすのです。魔女が十を過ぎる頃には、すでに己の術者を揃えているのが常。一度主に付いた術者が、次の主を見つけ契約を交わすのは容易では――」

「黒蜜」


 静かな、けれど凛とした薔子の声に黒蜜は口を閉じた。


「主のいた術者は、二人目の主を持てないの?」


 黒蜜を気にしながら、杏子は薔子に尋ねる。


「二人目だろうと、三人目だろうと契約は出来るわ。でもね、黒蜜が言ったように魔女は幼いうちに術者と契約を交わすの。術者は四人まで。それ以上の術者を持つことはできないわ。幼いころに契約を済ませるのは、魔女と術者がともに成長していけるようにする為と、まだ力の成熟していない魔女を守るためでもあるの。そうやって魔女と術者は長い時を共に過ごすことになるから、魔女自身が術者の二人目の主になることを厭う傾向があるわ」


 杏子は彼らを見る。

 夏墨たちは何も言わなかった。


「杏子がまだ小さなころに、桜子は杏子と術者の契約を施したの。離れて暮らすことになったから、契約は不完全なものだったけれど」

「魔女になれるかどうかもわからないわたしにどうして術者を?そんなの……」


 言葉は途中でつかえ、杏子はそのまま黙り込んだ。

 あの日、夏墨が言った言葉が甦る。「契約再開」そう彼は言った。

 それは、彼らを苦しめていたのではないかと杏子は思う。

 彼らはここで待ち続けていた。いつ来るとも知れない主を。

 桜子の娘がここへ来るのを。


 もう一つの鍵を取り、薔子は静かに席を立った。


「もし街に戻るのなら、境界に迎えをやるわ。私は、もうここへは入れなくなるから」


 手の中の鍵を見つめ、俯いたままの杏子を見つめてから薔子は黒蜜を伴い屋敷を出た。

 杏子はその姿を見ることなく、ただ目の前に置かれた小さな鍵に視線を固定し続ける。


 やがて静まり返った部屋に杏子を残し、三人が各々の自室へと戻っていく。

 一人になり、ようやく杏子は身体に入った力を少しづつ抜くことができた。


 三人の術者のことを考えれば、魔女になるべきなのは明らかだった。

 街に戻ればきっと後悔する日々を過ごすだろう。

 けれど、与えられた役割をすんなりと受け入れる勇気と決意に自信が無いままなのも真実だった。

 無理やりにでも決め付けてくれていれば楽だったのかもしれない。

 決められたことだけをこなすことには慣れていたのだから。そうやって、杏子は今までを過ごしてきていた。

 

 帝都に戻り、静寂と過ごす。


 それだけで日々を過不足なく送っていた。

 なのに、今あの場所へ戻って同じように暮らすことができるのだろうか。きっとできないだろう。

 杏子は知ってしまったのだから。

 それなら……。

 詰めていた息を吐き出すと、杏子はテーブルの上の鍵を手に取った。

 あの時、封筒から転がり落ちたものと寸分違わぬ鍵を手に握り、もう片手で冬凪の淹れた茶を一息に飲み干した。


 すっかり冷えていた茶は、それでもはっきりとジャスミンが香った。



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