15 カラルイ
花は無秩序に咲きこぼれ 銀の雨が降る
常春の黄昏と夜の国
「朝と昼が無いなんて、不思議な世界……」
「夜が終われば黄昏になり、黄昏が終われば夜になる。それだけのことだ」
紺紫の瞳の素っ気なさすぎる返答に、杏子はだいぶ免疫ができてきた。
それは「あちら」の世界のことだった。
杏子が書物から知るもうひとつの世界は、不思議な事と美しいもので溢れている。
「こちらと同じ植物があるんですね」
杏子が示したのは、今日これから読もうと書棚から取り出した書物の表紙だった。
白色の表紙に鮮やかな緑で草花が描かれている。それは、横庭で春潮が育てる薬草たちによく似ていた。
相変わらず食事の席を空席にしたままで、杏子に対する威圧的な態度も変わらなかったが、冬凪は書庫へ杏子を送り届けた後の僅かな間だけ会話を交わした。
「……その類の草花は「あちら」から魔女が持ち込み根付いたものが多い。だが、「こちら」で育つものには魔力は宿らない。まったく同じものにはならない。――俺は上に戻る」
冬凪は杏子が抱えた書物を一瞥し、淡々と答えると踵を返す。
決して振り向かず、暗闇に溶けていく背中を見送ると、杏子は椅子に座り書物を開いた。
白い書物から、青々とした草の香りが湧き立ち、杏子はその中へと沈んでいく。
書物に入ると、薬草の草原が広がった。
黄昏の中、強い緑に地平線まで埋め尽くされたクロエの草原を進む。蜜蜂と蝶が飛び交い、風が吹き抜ける。
生き生きと香る草をかき分けて次の頁に入ると、地表を覆い尽くす青が現れた。
鼻孔を刺激していた薬草の香りが消え、風も虫も消えた夜の荒野。
荒れた地を覆う青はアンヴィの花の色だ。灰青の茎と葉、青い花弁。凍りついたように硬く咲く花の群れに月光が落ちる。
椀形の花はその白い光を受けとめ、青く光った。
青い荒野を通り抜けると、頁は再び夜だった。
杏子は息を呑んだ。
大きな満月の下に広がる風景には見覚えがあった。
桜の……。
桔梗の館に向かう道中に、くぐり抜けたあの桜のトンネル。
黒い幹に薄緋色の花。遠目には満開の桜によく似ていたが、違う。
そこは不変の木カラルイが造る、回廊の森だった。
近づいて見るカラルイの幹は磨かれた鋼のようで、仰ぎ見た満開の花に柔らかさはなく薄く鋭い金属を思わせる。
木々の間を縫う黒い小道を進む。
幹は風景の影を鈍く映し出し、鋭利な花弁は枝先に幾重にも重なり夜空を隠した。
道は幾筋にも枝分かれしていく。
これほど満開の花の下に、花片一枚落ちていないのが奇妙だった。
強い風が森を吹き抜ける。
立ち止まり見回すと、鋼のように見えた木が風にしなり、満開の花も大きく揺れた。
木は花を散らす代わりに音を降らせる。
決して散らない花は互いに擦れ合い、高く冷えた音を奏でた。
その音色は悲しくて、杏子は森が泣いているように思えた。