2-32 ゴー・ホーム
進む道はどんどん辛く、険しいものであったが戻る道というのはその逆だ。1度歩いてきた道は未知のエリアと異なり随分と気が楽になる。出てくるモンスターも辺境ほど弱くなるのだから増してのことだ。もっとも世界の中心で自分がまだ弱者であると思い知らされた以上適度に気を抜くことはあっても警戒は怠らない。イレギュラーはいつくるか分からないのだ。
通ってきた島々には歩んできた道のりを示すような目印を作ってある。さらに宿泊するためのシェルターも利用できる。一部のシェルターには食料を保管していることもありますます来た道を戻るのは容易だった。何倍も速度が違う。島と島の距離も分かっているため集めるべき食糧や水の量も計算できる。
初めて通ったときに比べれば自分でも信じられないくらい強化された体、今ならオリンピックのメダルでオセロができそうなくらいだ。左腕は銃ではないが魔法なら放てる。これも最初に通ったときにはできなかった事だ。
以前島を通るごとに白玉や黄花の種を植えながら進んでいたこともあって帰り道ではある程度その恩恵に預かる事ができた。1年半程度でよく収穫できるまで成長したものだ。それはこの土地が肥沃なのかそもそもがそういったものなのか。兎に角有り難い事に変わりは無い。
666の夜を越え、懐かしき我が家へと到着した。大岩の島だ。この数字は偶然のものだが文明も宗教も及ばないこの地で獣に混ざり生きる自分にとっては不吉な数字ではないだろう。
ドアがわりの岩を動かしてマイホームへと入る。窓の部分には石がはめ込まれており中はほぼ真っ暗だ。だが砂漠は仄かに光を放つ、ある意味で暗闇というのはこの世界では得がたいものなのかもしれない。目を閉じて得る闇と目を見開いての闇では全然違う、暗いというのも随分と心が落ち着くものだ。この日は随分と熟睡してしまった。
目を覚ましても暗い、そのことが大岩の島に帰ってきたことを思い出させる。暫く過ごしてきただけあり居住性は砂漠に掘ったシェルターなどとは段違いだ。窓にはめていた石をはずし日の光を浴び換気を行う。
この空間も名残惜しいが世界の果てを目指し一晩の宿に抑えることにする。
装備を整える、目いっぱいの水と食料を担ぎ進むこととなる。辺境に行くにつれて、世界の中心から離れるにつれ島は小さく、疎らになる。その意味ではやや辺境に属しギリギリ生きていけたこの付近がスタート地点であったことは不幸続きの人生の中では転機ともなる幸運だったかもしれない。中心に近すぎれば凶悪なモンスターに出会い死亡、遠すぎれば安全だが餓死するしかないだろう。
世界の果て、それがある保障は無い。水や食料が尽きれば戻ってくるしかない。もしかすれば辺境にも凶悪なモンスターや自然災害が牙を研いで待っているかもしれぬ。
それでも進もう。何故ならそれは、ただ気になるからだ。
大層な理由いらない、最初に感じたどうでもいい感情こそが本物なのかもしれない。後付の理由、理論武装、大儀、これらは自分を理性的に納得させようとする加工されたものに過ぎない。
先に進む、未知の先へ―――これこそが生物の本能なのかもしれない。