序章 敗北のシャベル
この小説は男がシャベルを時には道具、時には武器として冒険する物語です。結構現実主義なので自分の主義に反しない時は基本苦戦などは無く、危険なら隠れて逃げます。結構淡々と綴っていくので御気軽に読んでいって下さると嬉しいです。
男が穴を掘っていた。
シャベルを手に黙々と。
年の頃は30に届くかどうか―――細身だが大柄な体は傍から見れば力を感じさせる。だがやつれた顔と生気のない目は実際の年齢以上に男を老けて見せていた。
カッという金属音、男は石を穴の外に投げ捨てると手を休め憎いほどに青々と晴れた空を仰ぐ。人気のない深い、深い山の奥。男の掘った穴はそろそろ3メートルの深さまで達しようとしていた。
男は敗北者であった。大昔に比べると直接の命の危険がずいぶんと少ない―――もとい死ぬことを極度に恐れた現代社会。その中においても、幾ばくの不幸と裏切りは、失業と借金、離別という形において男の心を殺す刃となった。
男は中々に真面目で、努力家で、人が良く、少々不器用で、そして小心者であった。故に理不尽な不幸と裏切りに男の心はずたずたに引き裂かれた。世の人に聞けば皆男を擁護しようとするだろう―――男に非があるとすればそれは生きるという本能を見失っていたことであろうか。
スキットルに詰めた安酒を煽ると再び手を動かし始めた。シャベルを地面に1刺しするたびに怒りと嘆きを大地へと叩きつける。双眸から滴り落ちる涙もぬぐわずに霞む視界のなか男は穴を掘り続ける。
目標の深さまであともう少し、男は掘った穴の上から垂れるロープの目印を見て深さを知る。背負っているリュックを下ろし中身を確認する。
練炭と着火剤、安いライター、ブッシュナイフにコンパス付の16徳ツール、スキットルと飲みかけのペットボトル、その他小物少々―――これが男の所有する全財産であった。僅かに小銭の残った財布はコンビニにあった緑化事業の募金箱にすべてを投げ入れゴミ箱に捨てた。その時何か買わないととペットボトルを買うあたり男はどうしようもなく現代人であった。ブッシュナイフを取出し腰のポーチに括り付けるとまた穴を掘る作業へと没頭した。
後もう一振りで目標深度に達する。男は奇妙な達成感を感じていた、それは破れかぶれの自棄に近い感情ではあったが、久しくなかった心の平穏を感じることができた。この後の行動を脳裏に描きシミュレートする。
ロープは堀った土を盛ったシートに繋がっており勢いよく引っ張れば穴を埋めてくれる筈だ、穴底で練炭を炊き意識を失う直前でロープを引けば全てを隠してくれるだろう。穴だらけの計画だしそう上手くいくかはわからない。どうしようもなく苦しいときは腰のブッシュナイフで首を掻っ切ることになるかもしれない。それに―――仮に死後の世界というものがあれば、即座に自刃して消滅してやろうとも思っていた。
男が自ら命を絶つことを決めたのは中々早かったが、方法については随分と悩むものであった。電車やトラックの前に飛び出すのもひどく迷惑なものだと思ったし、入水や首つり等で惨めな自分を誰かに晒すのは何か嫌だったし無縁仏としてどこぞの誰かと共に墓に押し込められるのも勘弁であった。男は理不尽な今に対し憎悪を募らせていたが同時にその感情は己にも向いており自分というものを消し去りたかったのだ。山奥ならば誰にも見つからずに朽ちることができ、仮に野生動物に掘り起こされ貪られたとしても、それはそれで人間でないのであらば、まあいいかと思うところもあった―――ロープ、シート諸々に麻などの土へ還る自然素材を選ぶあたりどうしようもなく男は人が良く小心者であった。
かくして男は山へ入り、自らの墓穴を掘る。シャベルを持って。
最後の一振り、足で踏みつけた渾身のそれは、感じるはずの抵抗が無く―――落下する体、咄嗟にロープを掴み。
―――穴は埋まり、男は消えた。
興味を持っていただいたり楽しんでいただけたら幸いです、これからももし良ければよろしくお願いします。