【SS】小さき者の動揺
人にとって信じられないようなこと、噂されるそれは大体この世に存在している。赤ちゃんが生まれる前の記憶を持っていることや、首なしライダーが山道を行くこと、宇宙人が地球で活動していること……などなど。意見は様々だが、結局人にとってこれらは愛すべき隣人であり、同じ世界に生きる仲間なのではないだろうか。
二人の少年少女が言い争っている。
「だから、ふざけてないでさっさと報告しなさいよ!」
「俺はふざけてなんていない。これは本当のことだ」
少年は憤る少女に向かってフンと鼻を鳴らした。彼は今どき珍しい和服姿だった。長身に茶髪の彼に似合わなくもないのだが、和服の楚々としたイメージとは裏腹に、彼はひとたび口を開けば少女に憎まれ口を叩く。それもいたずら小僧のような不敵な笑みを浮かべて。その少年らしさばかりは和服にミスマッチ。そんな彼にはお下がりの野球帽あたりが似合いそうだ。
「本当のことですって? 前例がないわ」
「なくても本当だ」
「本当に本当なんでしょうね?」
少年と相対する少女が言う。少年の言が真実でなければ噛みつくぞと言わんばかりの勢いだ。不敵の笑顔の少年に対して、こちらは今にも破裂しそうな怒りの表情。整えられた眉を吊り上げ少年に不満をぶつけている。同じく和装。こちらは巫女然とした凛と鳴る印象のある少女に似合っている。
二人の和服が言い争っている理由は一つ。
少年が、少女に「桜の花が咲きだした」と言ったのだ。
現在九月の終盤。桜の花が咲くのとは真逆の季節だ。
「だから近頃、異常が続いてるんだよ」
少年は、今度は真剣に言った。少女はいつもふざけてばかりの少年が珍しく真面目な表情で言うので、気圧され開きかけた口をつぐんだ。
近年は異常が続いている。それは紛れもない事実だった。世界各地でかつてない集中豪雨や竜巻など、見渡せばいくらでも事案は転がっていた。
その事案に悩まされているのは人間だけではない。こと、月を司る神もまた困惑していた。
「なあ十月」
少年は少女の名を呼んで、腕を組む。
「そんなに九月のことが信用できないなら実際に見に行ってみるってのはどうだい」
「言われなくてもそうするわ」
少女こと十月は、少年九月から顔をそむけるとスタスタと歩き始めた。
「どこに見に行くんだい?」
少年が少女の後を付いて来る。
「昭和記念公園よ。別にあなたは来なくていいけど」
少女がそう告げると少年はこっそり悲しげな表情を浮かべるが、すぐに振り払う。
「他にも報告があるんだい」
「あっそ」
少女は少年より頭一つ分背が低いが、少女の歩く速さは木枯らしのようだ。少年は早歩きの少女に追いつこうと歩みを速める。
「なあ」
「何よ」
「ガキの頃もこうして一緒に歩いたよな。俺らがまだ月神見習いの頃さ」
「そうだったかしら」
「そうだよ。途中、川辺の露店でみたらし団子買って食べたのを先生に怒られたじゃないか」
「そうね。修行をおろそかにして日和っていたら叱られるのは当たり前だわ」
少女は斜め後ろの少年を振り返らずに歩く。彼らがいた場所から昭和記念公園はさほど離れていない。(と言っても人間にとってはとてつもない距離だ)
彼らは大地に足をつけずに北からの速い風に乗って移動する。周囲の風景が飛ぶように背後に流れて行く。猫の速度も鳥の速度も越え、瞬く間に昭和記念公園へと着いた。
この時昭和記念公園では強い台風に備えて皇帝ダリアの保護を開始していた。公園を管理する職員が花の枝、一つ一つをよく観察し添え木で支え、土を盛った後、養生シートで覆う。その職員の側を一陣の風が吹き抜けた。
「何か今の風は違ったな……」
「もう台風の影響か?」
口々に話合う。台風は現在、沖縄離島を通過中のはずで本州にはまださほどの影響も与えないはずだが。
でも先程の風は、台風の舌のような少し温かく特別な、その場に似合わぬ風だった。台風にしては優し過ぎるところもあったが。
「作業を急ごう」
職員の一人が言うと、他の者も頷いて作業に戻った。
「どこに桜が咲いているって?」
少女は今度こそ完全に怒ったようだ。眉間にしわが深く刻まれ、顔は心なしか紅潮している。
「あっれー?」
少年はわざとらしく声を上げた。
昭和記念公園にも桜並木があるが、それの木々は差し込む温風に葉を萎えさせ気だるげに佇んでいる。
「どこにも花なんて咲いてないじゃない」
「あっれー?」
「あっれーじゃないわよ」
少女は少年を睨みつけると、くるりと踵を返した。ふわりと風が舞った。
「あなたの話を真に受けた私が馬鹿だったわ」
「そこまで言わなくても」
「桜なんて咲くわけがないわ」
「今の気候なら桜が勘違いしてもおかしくないと思わないか?」
少女は少年を無視して行こうとしている。
「桜が咲いたら、いいと思わないか!?」
少年はすがるように少女の背に言葉をかける。行こうとする少女の動きがピタリと止まった。
「……あなたってば本当に馬鹿なこと考え付くものね」
少女がゆっくりと振り返る。
「いいと思うとか悪いと思うとか、私達の意見は関係無いわ。季節は昔からのしきたり通りに巡る。それが一番素晴らしい――」
少女はどうやらかなり苛立っているらしい。
「なのに桜が咲いたらいいだなんて。あなたは春だけでは満足できないの?」
少女の強い瞳が少年の視線に被さる。射られた少年は同じ強い意志を以って射返す。でも次の言葉を言うには少し勇気が要ったらしい。一呼吸置く。
「ああ。満足できないね」
それに少女は目を開く。少年が予想外のことを言ったのもあるが、呆れてしまった所もあるようだ。
「最近、おかしなことばかり続いている。大雨洪水に干ばつ、土砂災害。昔はどれもここまで規模がでかくなかった」
少年は強い目で少女を見つめる。その視線に曇りは一点も無い。
「認めろよ。俺達がいくら四季を巡らせようとしたってもうどうしようもないんだってさ」
「どうしようもない? それで私達が職責を放棄してもいいわけ?」
「でもな」
少年は続ける。
「お前が苛立っているのも、まともに季節が流れないからだろ? でもそんなこと俺ら小神が悩んだって動かしようがないんだって」
「だから……何だって言うのよ!」
少女は、少年の言に真実があるのに顔を歪ませた。少女だって信じたくない真実がある。
「桜が咲いたら俺ら暇になるだろ? そしたらゆっくりできるじゃないか」
「……」
「落ち着いたらまた一緒に遊ぼうぜ。何も花見じゃなくてもいい」
少年は少女に手を差し出した。一緒に。そう言う意味で。
「あなたってどうしてそう言う発想をするの?」
手を差し出された少女は今度は怒りを通り越してため息を吐いた。疲れたように肩を落とし、眉間を揉んで何気なく少年に質問を投げた。
「俺は、お前が好きだ」
同じく何気なく返されて少女は動きを止める。
「え?」
「だから平穏でいて欲しいし、ずっと一緒にもいたい。俺らこの季節はすれ違ってばかりだから、寂しいなと思って……」
少年は言っていて途中で照れてしまったらしい。顔を赤らめてそっぽを向いた。
「それで、桜が咲いたなんて言ったの?」
少女がまじまじとこちらを見たのでばつが悪く少年は少女をまともに見ることが出来ない。
「悪いかよ」
「わ、悪いわよ」
少女の返しに少年は一瞬思わず唸ったが、めげずに続ける。
「十月、どうせ異常気象なんだ。俺らが一緒にいてもそれで季節が混ざり合って変わったとしても何の問題も無い。そう思わないか?」
そう言うと、少年はエイっと腕を伸ばす。少女の肩をつかんだ。
少女は少年がそう来ると思っていなかったようでつんのめるようにして少年の胸に飛びこまされた。少女の白髪を少年が優しくすいた。
「世界の終わりが近い。仕事なんか辞めてどうせなら楽しもうぜ」
少女は少年の胸に抱かれて息が苦しかった。でも不思議と嫌ではない。
「……バカじゃないの」
少女は今度こそ呆れたようだが、邪見に少年の腕を払うことはしなかった。
――――世界が静かに壊れて行く足音がここにも、した。