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(六)

「つべこべ言わずに、サインすりゃいーんだよ!」

「三橋! お前を見損なった……!」

 ふっと、二人の上に、大きな人影が落ちた。

「……待てよ。そっちで勝手に熱くなるな」

 松茂のゴツイ手が、三橋と騎道を左右に引き分ける。

 しゃべり過ぎて息の上がった三橋を、浜実が引き受けた。

「俺たちはさ、騎道の在学のために面倒を背負い込むことにしたわけじゃないんだぜ」

 胸を叩き三橋に言い含める浜実に、友田も習った。

 騎道の肩に腕を回し、友田は言った。

「悪くないぜ、お前。おとなしくサブのフリしてるけど、騎道にはリーダーの素質がある」

 当の騎道に反抗されて、三橋はむくれている。

 友田は、それに顎をしゃくって騎道に見せた。

「三橋だって、ちゃんと考えてるんだぜ。

 この学園で、藤井安摘に張り合えるのは、三橋か騎道のどちらかだ。誰かじゃ、太刀打ちできないよな?」

 同意するのは和沢だった。

「さすがにな。直接対決する会長には、多少の格がどうしても不可欠だ。騎道なら、あの子相手でもへらへら笑って受け流せるだろう?」

 妙なところを見込まれた騎道である。

 三橋は、自分で選んだ人間たちの優秀さを見せつけられて、苛立ちの気が逸れた。結局、彼も『選ばれ』、試されていたわけだ。これで、気兼ねが無くなる。対等だ。

「……安摘とまともにぶつかったら、長女の沙織の頃どころじゃない。懐柔されて迎合するか、のらりくらりとかわすかのどちらかでしか、安泰に納める方法はない。

 だがこの学園で、好き勝手されるのは気に食わん。

 あいつにも、我が儘がきけないのはいい薬になるはずだしな」

「……しかし。ぼくには、何のビジョンも政策もない。

 会長に立候補することはできても、支持を集める根拠がない。当選するかどうかは」

 浜実を突き放して、三橋は騎道を自分に向き直らせた。

「それがあるんだよ……! お前が学園に残ることで、学園長代行、凄雀遼然の独裁を阻止できる。

 学生の権利を、全学園生徒に認識させるんだよ。

 ご機嫌取りのへたな公約や政策より、はるかにましだ」

 三橋は、拒絶ではなく、迷っている騎道の視線に気付いた。両肩を掴む。覗き込んで、揺れる瞳を捕まえる。

「負けやしねーよ。

 ここに居ろ。お前の居場所はここなんだよ!」

 肩に乗った三橋の手を丁寧に避けて、騎道は床に落ちた三橋のシャープペンを拾い上げた。

 無言で署名をすませ、騎道は選挙管理委員へ差し出した。

「よろしく、お願いします!」

 騎道の真後ろで、三橋の景気のいい声が響く。意表を付かれた選挙委員は、二人揃って肩を縮めた。

 苦笑しながら、騎道は三橋を振り返る。十二分に満足した三橋は、目を細くして笑い、息をついて呟いた。

「心配かけさせやがって……」

「はい、どいてどいて。次は、こっちの番だ」

 友田が三橋と騎道を押し退けると、和沢が前に出た。

「副会長に、立候補します」

 宣言して、用意の届け出用紙をデスクに置いた。

 受け取った選挙管理委員は、時計を確認した。

「時間ですので、全立候補受付けを終了いたします」

 立ち上がった秋津に一礼して、届け出用紙を抱え彼等は出ていった。

「秋津会長。

 噂では、会長推薦者がすでに内定されているそうですが」

 切り出すのは、和沢だった。

「事実でしょうか?」

「事実だ」

 澱みなく、秋津は肯定する。すでに誰の眼中にもなかった大家が、その言葉にほっと表情を崩した。

「お願いがあります。

 その件は発表を保留にしていただきたいのですが」

 チラリと報道担当者を眺め、和沢は続けた。

「強力な対抗馬が登場したと自負しています。ここで影響力の強い会長推薦が彼を無視するようでは、全学園生徒は、会長に不審を抱くことになりかねません」

 あんぐりと口を開けたのは大屋だった。内心では、そんな理屈があるか? だったが、言えるわけはない。

「保留にしよう。私もこの情勢の変化には、大いに期待し、楽しみでもある。より多くの生徒たちの声を聞くために、自重させてもらうよ」

 楽しみだと豪語する通り、秋津は信頼する笑みを、大屋と騎道に向けた。

「双方とも、全力を尽くしてもらいたい」

 三橋が、ゆっくりと拍手を始める。5人もそれに加わった。バラバラだが意味は深い拍手の中、秋津は部屋を出ていった。青木、椎野ともども、後を追う気はなかった。

「大屋君と騎道君。もう少し寄って下さい」

 カメラマンの要求に、不慣れな為に騎道はぎこちなく、大屋は血の気の引いた顔をなんとか繕って応える。

 一週間という短い選挙戦が、この瞬間から開始された。



「三橋が出馬するかとビビったが……」

 生徒会室から引き上げる道々、大屋はブツブツと一人、やり場のない不満を呟いていた。

「だが大丈夫だ。こちらには白楼会もついている。

 秋津会長があんなことを考えているとは知らなかったが、白楼会の数なら騎道だろうと勝て……」

 見計らったようなタイミングの良さで、廊下を、一人の女子生徒が歩いてくる。その表情の、相変わらずな冷徹さに、大屋は呆然として足を止めた。

「お前の背信は、会長に筒抜けだったらしいが」

「松川……さん。……なんの、ことでしょう……」

 松川蛍子は、白楼会会頭藤井香瑠の側近中の側近である。

 どうやら、先に部屋を出た選挙管理委員の中に、白楼会の息のかかった者が居たらしい。大屋に対する、あの秋津の冷ややかさを読めば、見捨てられたと読まれても当然か。

「二重三重の用心を謀るとは。さすがに、並の者には欺くに難しい方」

 並の者とは……、自分のことか? 大屋は、一度きり正面から見据えられて、その意味が語るすべてを悟った。

「騎道が対抗として出馬したとか。

 その上、秋津会長のお墨付きも失った」

「い、いいえ……! 失ったわけでは、保留と……」

 松川は顔を逸らしたまま、足を止めてやった。

「あざみ様は、騎道とは縁がなくもない。一度は無礼を働いた男ではあるが、いまだお気に止めていられるご様子だ。

 この度は、相手が悪かったと、あきらめるがいい」

 行き過ぎる松川。顔を真っ赤にした大屋に、慰めにもならない言葉を残した。

「心配するな。白楼会一致で、騎道を支援などせぬ。

 ……己一人の力で、乗り切ることだ」



 届出締切りを見届け、秋津はその足で学園長室へ出向いた。先客の水野に一礼して、たった今受理された騎道の立候補届出の件を、凄雀に報告した。

「騎道の推薦者は三橋翔だな? 奴の計略か」

「力に勝るものは数、だそうです」

 三橋の言葉通りを伝える秋津に、凄雀は顎を引いた。

「極めて民主的で、烏合の衆の考えそうなことだな」

 つぶやいて、そっけなく断を下した。

「退学勧告は延期する。執行は、選挙結果次第だ」

 わかりましたと、秋津は事務的に受け止めた。

「三橋は、まだ居るのか?」

 凄雀の問いに、秋津はためらいながら答えた。問い掛けの意味が、彼にも掴めないでいた。

「おそらく。明日の立会い演説会に備えて打ち合わせているはずです」

「では、ここに呼んでくれ。

 この画策が奴の置き土産か、確かめたい」

 水野は不思議な顔をした。

「どういう意味ですの?」

「長期留学についての打診がきています。学園の規定に触れることがないかどうか、確かめるために。

 三橋の保護者の代理という、彼のコーチだそうですが」

 表情一つ変えずに、秋津は部屋を辞した。

 出てゆく秋津を見送って、凄雀は水野に断った。

「生徒の意思確認も、私の義務でしょう。怠っては、また誹謗中傷に会うことになりますので」



 御輿は決まった。ターゲットも定まった。

 細かなプランを叩き上げ、明日の午後に行われる、立会い演説会に、幹部7人は備えなければならない。

 その前に、彼等は教室に立ち寄った。

 根回しよく、クラス全員がその場で7人を待っていた。

 2年B組始動。

 選挙戦への殴り込みを宣言したのは三橋。

 その他大勢を実働させる指揮者は、浜実の役目だった。

 美術部員である何人かに、すでに用意の図面を渡し指示を出す。別の誰かに、不足の備品を買いに走らせ、男子生徒の数名を、今朝のうちに校舎脇に運んでおいた資材を取りに行かせた。

 彼等が同時に動くと、教室がやけに狭く感じられる。

「立て看板が選挙用二種類。こっちは騎道と和沢の分ね。

 ライブ用に、メイン看板1つ、PR用が何枚か。材料がある分、作っていいから。ポスターもガンガン作ってよ。

 三橋! 選挙用のキャッチ・コピー、これから決めるんだろ?」

「おう。作戦会議を開くから、お前、早めに抜けてこいよ」

 三橋は三橋で、パソコンを前にした女子生徒たち数人に、用紙の束を渡している。募集を締め切ったバンドの申し込み用紙だった。彼女たちには、ライブ・コンテストの庶務をやってもらうことになっている。

 浜実はまだまだ忙しい。看板作りの大仕事は男子に振り分けて、女子生徒たちにはライブで使う垂れ幕造り諸々の、被服的作業を割り振った。佐倉千秋がミシンの確保するため、小走りで出ていった。

「さすがに、手馴れてるな」

 今のところ、机を避けて教室を広くする、という作業以外仕事のない松茂が漏らす。

 自宅が看板屋である浜実は、街のあちこちで行われるイベントの類いによく顔を出し、前作業の段取りなんかには精通している。東海や三橋が頭脳なら、浜実は欠くわけにいかない手足であり、重要な裏方である。

 ぴょんびょんと背中で跳ねる、浜実の束ねた髪が、水を得た魚のごとく2Bの現状を、如実に語っている。

「おーい。ビラ造りしたい人、この指止まれっ!」

 ……大騒ぎになる、乗りやすい気質だった。

「……なんなのよ、この豹変振りは……?」

 教室のドアを開けた彩子は、目を疑えるだけ疑った。

 何しろ、学園祭は今月の半ばだというのに、せっせと準備を進める他クラスを尻目に……、彼等全員が放課後、涼しい顔でこの教室を出ていったはずなのに!

「驚くでしょ? 完璧なチームワークよ」

 物事に動じるタイプではない小夜も、困惑していた。

「呆れるわよ。教師集団泣かせの問題児クラスの実態は、各中学のエリート揃いだったなんて」

 一々上げていてはきりがない。浜実が割り振ったグループの中で、自然とリーダーシップを取る顔は、よーく聞けば中学時代の生徒会役員だったとか、部長クラスだったとか……。新聞部の部長であるため、一応傍観者の椎野は。

「粒が揃っていただけよ。実際には動きたくても方向がわからなくて、結局もつれて足踏み状態が続いてた。

 このクラスで欠けていたのは、中心に立つ人間ね」

 今なんてもう、全員の目が生き生きしている……。

「三橋君が一番適任だったのに、彼は察知していて距離を置いてたわね。

 お互いどこかで、切っ掛けをまっていた。そこに騎道君がわけもわからず飛び込んできてくれた」

 まったくもって冷静に椎野は分析するが、彼女も待ちモードの一人、だったはずだ。

「……騎道だけじゃないね。核になってるのは」

「わかる?」

 小夜が彩子を見た。

「騎道が三橋を動かしてるの。動き出した三橋に、他の人間が引きずられる。みんなにつられて騎道がもう一歩前に出る。そうして三橋が、何も考えてない騎道を追い掛ける」

 卵が先か、にわとりが先かは、この場合誰も考えない。

 螺旋を描きながら走ることを、彼等は気に入っていて、それが真実の姿だと認識している。それで、いい。

「時間がないのは事実だけど、三橋君はちゃんとプランをもってるみたいだから、むこうは任せるしかないわね。

 一応、あいてる女子だけで、模擬店でもだそっか? むこうが失敗した時の為に」

「助かる。出店場所と備品設備は押さえるわ。あたしは、もう全然こっちの方の手伝いはできなくなっちゃったから」

 彩子は小夜に手を合わせた。

「彩子はすっかり、生徒会の役員扱いされてるわよね」

「仕方ないわ。執行部から二人も抜けているのに、立て続けに選挙、学園祭だものね」

 本来なら、学園祭の後に選挙が続くのだ。凄雀の英断により学園祭が繰り下がったおかげで、すべてがブッキングすることになった。おかげで、学園祭は新会長の初舞台、現会長と協力して行う最初で最後の行事になるという、稜学史上初の試みも含まれている。

「おしつけて逃げ出したくても、みんな忙しいのよ」

 一番重要な立場にいながら、実は一番手持ち無沙汰な一人。騎道は、姿を見せた彩子に気付いて、駆け寄ってきた。

「彩子さん。今日も遅いんですか?」

「そうだけど、何?」

「一緒に帰りません? 時間は合わせるから」

 いきなり、教室内がシンと静まり返った。全員の聞き耳を素早く察して、騎道はしどろもどろに言い継いだ。

「……あ、三橋も一緒に。例の、アレもあるし……。

 それに、一人じゃ、夜道は危ないから」

 どばばばばっ、と男子生徒の爆笑が湧く。

「騎道、知らないの? 飛鷹って腕っぷしが強いぜ?

 何しろ、暗い夜道でOLに痴漢行為を働こうとした野郎を、警察に引き渡したことだってあるんだからな。ま、どうやって捕まえたかと、俺の口では言えないが」

「……散々、その軽い口で、言い触らしてくれたわよね……」

 彩子に睨まれる友田であった。

「いいぜ。二人揃って、送ってやるよ」

 三橋は軽く請け負った。しょうがないなと、目が笑っている。全員に向かって、彼は言った。

「一段落つけて、こっちの女子も早く返してやろうぜ。

 アブナイからさ」

 ここでも、男子たちから含み笑いが漏れる。全然心配してないと表明されて、当然、女子生徒たちはムクれた。

「まあまあ。本心は心配してるんだからさ……」

 調子よくなだめるのは、浜実の出番だった。


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