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(五)

 生徒会室では、いつにない緊張感が漂っていた。

 選挙公示締め切りまで、30分を切っている。

 姿を現し、選挙管理委員長と言葉を交わした秋津静磨は、静かに彼のために用意された窓際の椅子に腰掛けた。

 生徒会の要請を受けて、立会い人となった新聞部部長椎野鈴子は、同じ新聞部の男子生徒に耳打ちした。

「……まだ一人も来ていないのは、会長立候補者だけね?」

 男子生徒はうなずいた。彼は手にカメラを握っている。

 もう一組の報道担当者も、記者とカメラマンの二人。

 こちらは、2年D組の学内誌デイリー・フォーカスであり、記者は編集責任者の青木園子本人だった。

「……2Aの大屋が立候補するんじゃなかったんですか?」

 青木に、カメラマンの滝田がひっそりと囁いた。

「……勝ったも同然と思ってるんでしょ? 秋津会長の推薦を取り付けたって噂だし……」

 噂とはいえ、青木の掴む情報は『ほぼ確実』なデータばかりだ。なので、予定内調和的な会長選挙に興味はない。

 青木と椎野の最大の目的は、秋津会長にある。

 執行部役員選挙に関してのインタビューにかこつけて、現在、学生たちにとっての最大の注目点、騎道若伴の処遇について確かめるつもりだった。

 今朝以降、はっきりした動向は伝わってはいない。唯一派手に耳に入るのは、三橋翔の慌しい動きだけだった。

 その三橋が、ふらりと開け放したドアから入ってきた。

「……何……?」

 青木も椎野も、目を見張った。すぐに二人は、同じく呆然としたカメラマンを急き立てた。ん? とカメラに気付いた三橋は、「よぉ」などと、青木と椎野に手を上げる。

 三橋が、二人の選挙管理委員が座るスチールデスクに向かい合った瞬間。フラッシュが二度、光った。

 追うようにして部屋へ入ってきたのは、噂の大屋だった。

「……三橋、立候補する気か……?」

「ふん。トロい奴だと思ってたが、よく見りゃ大屋か。

 お前、新会長に立候補するんだって? さっさとやれよ。

 あと20分で受付終わっちまうぜ」

 差し出された立候補届出用紙を受け取り、三橋は胸ポケットからシャープペンを取り出した。

「それとも、俺が相手じゃ、負けが見えて降りる気になるかよ?」

 慌てるのは、その場で大屋ただ一人だった。

「ど、どういう風の吹き回しだよ。お前、こういう……、こういった面倒なことに担がれるの嫌だって言ってたじゃないか……!? 本気で……!」

 大屋は見苦しいくらい動揺している。

 シャープペンを走らせる三橋に、秋津は声はかけた。

「力に勝るのは数、という意味は、そういうことか?」

 はっと、大屋は口を噤んだ。慌てて、すでに書き込んである届け出用紙を選挙管理委員の一人に手渡した。

「時間かせぎにしか、ならないかもしれないよ」

 手を止め、三橋は秋津を一度見た。

「んなこと、俺がさせっかよ。

 文句無しに、全学園生徒の声を聞かせてやるよ。エセ学園長代行にな」

 その言葉の意味を考えて、一同はしんと静まり返った。

 廊下から、何人かの、やけにリラックスしたざわめきが聞こえてくる。バラバラの足音が近付いていた。

 姿を最初に現したのは、友田だった。室内一同の注目を浴びても、友田はケロリとしている。友田はもう一人の男子生徒の制服を掴んで、室内へ押し込んだ。

「おう、来たな。騎道。ここに署名しろ。

 お前が学園を残る手段は、これしかない」

「三橋……」

 息を潜め見守る学生たちを、騎道は一度見渡した。

 思案していた顔が、その顔ぶれにすっと強張る。歩み寄り、三橋の指し示す用紙の内容を確かめた。

「僕が言うことじゃないだろうけど、はっきり言わせてもらうぞ。

 負ける賭かもしれない。二人きりで、どこまでやれるか」

「後ろを見ろよ。二人じゃないぜ」

 三橋は場違いなくらい砕けた調子で、騎道の背後を指した。振り返るまでもない。浜実、和沢、東海、松茂、友田。騎道は彼等5人に、ここまで連れてこられた。

「お前は知らないだろうけどな、こいつら5人は、敏腕で有能な秋津会長が、来年度のシャドウ・キャビネットに極秘でリストアップしている、全員なんだよ」

 大屋が秋津を仰いだ。

「ど、どういうことですか、会長……?」

 情けないくらい、耳を疑っている。

 黙る秋津に代わって、三橋が丁寧な解説をしてやった。

「もしもの場合の、保険みたいなもんさ。

 表の生徒会が、前会長の意向を無視した場合、こいつらが制裁を加えるか政権を奪取する。もっと具体的に言えば。お前が裏切った時、少しでもはむかう素振りを見せた時。シャドウ・キャビネットがお前を引き摺り下ろす。

 どう転ぼうと、秋津家の支配は安泰ってわけ」

 大屋はぎょっとした。

「お前だって同じようなものだろ? 会長推薦を受けて、ひきかえに秋津の思惑通り、数磨を次の会長に据えるんだ。違うか?」

「会長。心外です……僕は」

 椅子に掛けたまま、秋津は沈黙を守った。

 和沢がなだめるように、三橋へ話しかけた。

「三橋。それは言い過ぎだ。秋津会長の意向は利己的なものだけではないよ。学園の安泰を願ってのことだ。

 来年度入学予定の藤井安摘嬢は、苛烈な性格らしいからね。我々は、会長の意義に半ば賛同する部分もあったんだ。

 しかし。全員揃って、面倒なことは苦手でね」

 ふっと、秋津は頬を緩めた。

「なかなか、いい返事は聞かせてもらえなかったね」

 間接的な秋津の肯定に、何も知らなかった側の一同は、目を丸くした。当然、青木と椎野はメモを取る。

「誰かの指示を待つくらいなら、自分で動いた方が面白い。

 そんなふうに考える人間ばかりなんですよ」

 押さえきれない笑みを浮かべて、和沢は言い訳をした。

「こういうことですので、全員辞退とさせていただきます」

「つーことだ、騎道。秋津会長も見込んだ人間がバックにつくぜ。どうする? やるよな」

 三橋が用紙を突き出した。

「会長になる資格も、希望もなかった僕を選べるのか?

 この学園はどうなってもいいと? それこそ利己的な考えだ。そんなことに、君達をまきこめない。

 生徒会長の地位は飾りじゃない。学生の自治の象徴で、一人の生徒のための道具じゃないはずだ」

「生徒一人を助けられないで、何が学生の自治だ!」

 空いている拳をデスクに叩き付け、三橋は声を荒げた。

「いいか。奴は俺たちの権利を踏み躙ろうとしてるんだ。

 お前の在校する権利を、一方的に正当な理由もなく否定したんだ。そんな前例を野放しにできるか!?

 お前がいいと言っても、俺は撤回させる。あいつ日しりの思うとおりになるわけにはいかない。

 俺たちは、あいつらに飼われる家畜じゃないんだぜ?」

 騎道は、はっきりと首を横に振った。

「それとこれとは、問題の意味が違う。……原因は、僕と代行との確執にある、だから」

「バカ野郎! いつまでも、あいつに顎で使われてんじゃねーって言ってるんだよ!?」

 まだ言い募ろうとする騎道の襟首を、三橋は鷲掴みした。

 騎道の弱腰は、吐き気がするほど三橋をイラつかせる。

 ……物分りのいい振りされたって、誰も喜ばないんだよ……!



 場違いな騒音が、学園長室の開け放しの窓から飛び込んでくる。陽射しは明るいが、肌寒い秋風がふきすさんでいるというのに。逐一、凄雀は、彼に対する評価を聞き漏らさないつもりだろうか?

「2年B組騎道若伴への退学勧告を、絶対に認めないぞ!」

「学園町代行の横暴に、我々学生は屈しなーい」

 合いの手で、突き上げるような連呼と拍手が起きる。

 耳にしたところでは、ざっと百人前後だろうと水野は判断した。シュプレヒコールの見本のような完璧さだった。

「……乗りやすいうちの気質ですわ」

 擁護教諭の水野は、コーヒー・カップをソーサーに戻し、向かい合う凄雀を見やった。水野が持参した、彼女特製のブレンド・コーヒーだった。

「素早い団結力のある学生たちのようで、安心しました」

 カップに口をつけ、凄雀はブラック・コーヒーを味わっている。しごく満足した表情を眺め、水野は切り出した。

「このままでは、彼等は『反乱』を起こしますよ」

「学生の反乱は、同じ学生が鎮圧、収拾するでしょう」

 水野は、眉を微かに吊り上げた。

「秋津会長に、手を汚させるおつもりですの?」

「いいえ。私は何も命令はしません。

 だが、彼も会長の地位にある人間です。トップにある以上、一部の暴乱者を制圧することは、他多数に対する義務の一つと承知していることでしょう。

 私は、その良識に期待するだけです」

 なるほどと、丁寧にうなずいて、水野は立ち上がった。

 端から準に窓を締めて、最後に外を見下し言い放った。

「うるさいわよ。三年生は受験を控えてるんだから、少しは気を使いなさい!」

 しゅんと、階下の一団は静まり返った。顔ぶれを見て、水野は納得する。扇動者が数人いるらしい。2Bの男子生徒たちの何人かが、どうするかと顔を見合わせている。

 直接指示を下した人間は、ここにはいないようだ。

「今、私が、代行と穏便に意見の交換をしているの。あなたたちの気持ちはよくわかったから、もう引き上げなさい」

 最後の窓をぴしゃりと閉めて、水野はソファに戻った。

「反乱、というと、具体的に何がおきるんでしょうか?」

 とぼけている凄雀に、水野は大した猫被りだと呆れた。

「まず、授業のボイコット。学園を封鎖し教師陣を締め出す。学園長室と放送室、職員室を占拠する。

 まだまだ手段はあるますが、私が一々上げる必要はありませんでしょう?」

「? どうしてでしょう?」

「……お忘れになったんですか?」

 懐疑的に、水野は顔をしかめた。あからさまな当て付けの表情も、彼女の気性に似合って、決して卑しくはない。

「これはすべて、過去の在学中に、あなたがほんの一週間で行ったことの一部ですよ?」

 凄雀は、らしくなく、カップを握ったまま硬直した。

「は…………。

 私が在学中に、水野先生もこの学園においででしたか?」

 ソーサーに戻し、凄雀は冷や汗を気にしながら、手を組んだ。

「ご自分のことをよくお分かりになっていないようですわね。学園の職員の間では有名です。その首謀者が、学園長代行に就任なさって、教師たちはびくびくしていましたわ」

 凄雀は低く、笑い出した。

「それで、彼等の評価は上がったでしょう?

 大きな猫を被って、凄雀は大人しいと」

「……それについては、ご想像にお任せします」

「もう一つ、お聞きしたいのですが。私の反乱の中で『概婚だが若くて美しい保健教諭を一晩、人質にして二人きりで立て籠もる』という計画は、なかったんですか?」

「あの当時は、お年を召した方だったようです」

 極めて魅惑的に、凄雀は苦く笑ってみせた。

「それは残念」

 まったく他人事のように、凄雀は付け加えた。

「これから、何が起きるか楽しみですね」

 少し頭を傾ける凄雀を、学生時代とたいして成長していないのだと、水野は冷静に判断した。立場を変えても、この男は嵐を呼ぶ。……いや、嵐そのものか。


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