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(十一)

 旧校舎であるこちらの棟は、主に教師たちが使用し、二階には学園長室と資料室などがあった。古めかしい造りで、木材と白い漆喰の壁がふんだんに使われている。月日を感じさせる、飴色に変色した柱や梁、壁の羽目板。

 歩きながらそれを眺めていると、彩子の中にある渇き切った感情が、少しずつなだめられていくのがわかる。

 微かに、体育館でのスピーカーの音が、ここにも聞こえてくる。演説会はエスケープ。誰であろうと、今は何も言われたくない。口をききたくはない。

 ……だからといって、こんな場所に来るべきではないのだろうが。彩子は、学園長室のドアを叩いていた。

「あら、どうしましょう。どうぞ、お入りになって?」

 聞こえたのは、おっとりとした女性の声だった。

「まあ、よかったわ。私、凄雀藤江。覚えていらっしゃるかしら? 私ね、彩子さんにお願いがあって、今日はここに来たのよ。尋ねて下さるなんて、奇遇だわ」

 部屋に居たのは、学園長代行の母、凄雀学園長夫人であった。彩子は面を食らったが、同時に内心嬉しくなってもいた。

 やさしく明るい彼女は、彩子の母親を思い出させて、懐かしさで心を満たしてくれる女性の一人になっていた。

「もうじき、遼さんが戻ってくるから、一緒に車で出掛けましょうか? ねぇ、そうしましょ?」

 彩子は同じことを考えていた。一人で行動することが、怖い。だから凄雀に頼るというのも、筋が違う上に、彩子自身に抵抗もあるが。

 凄雀が、二日続けて迎えにきていた意味が、彩子はわかりかけていた。



 一通り目を通し、騎道は手渡された原稿用紙を、和沢に返した。ステージに開いたドアから、体育館内のざわめきが聞こえる。ステージ袖にある、控え室に彼等は居た。

「もう、いいのか?」

「要点は覚えましたから。演説原稿まで作ってもらったし。

 せめて僕は、みんなの目を見て話したいんです」

 和沢は細い目を更に細くしてみせた。

「そうだな。騎道君自身の言葉で話すことが、一番嘘がなくていい。君にならできるよ」

 そう言って、自分の分の演説原稿に和沢は目を戻した。

「三橋は、どこに行ったんですか?」

 他4人の顔ぶれはある。演説会の直前準備だと彼等に追いたてられて、あの騒ぎで別れてから、三橋とは会えずじまいだった。顔を合わせたなら、気まずいことは事実だ。逃げ出すことはできないと、騎道は心を決めようとしていた。

「会場に居るよ。演説会を有権者の立場で採点してやるって」

 参るというふうに、和沢は顔をしかめた。

「三橋と、何があったのかは知らんが……」

 切り出され、騎道はどきりとした。さすがに勘のいい男たちだ。遠巻きにして無駄口を叩く4人も、実は察知しているからこそ、平静を保とうとしているのだ。

「騎道君も承知の通り、俺たちは三橋に担がれたようなものだ。だがそれは、ほんのきっかけにすぎないんだ。

 俺たちは待っていた。理想的な神輿を見つけた。だから、君をアシストする気になった。

 ……三橋は、いわばコーディネーターだ。君達二人が決裂しても、俺たちの意向に変更は無い」

 騎道は理解した。三橋も同じように、苦しんでいるのだ。

「君はこの学園に残ってほしい。その為には、ただ勝つだけじゃ意味がない。君が学園にとってどんなに重要か、君がどんなに学園が好きかを、みんなに教えてやるんだ。

 一人でも多くの共感を、君のすべてで引き付けろ」

 和沢は、騎道を招いて、ステージの袖からある人物を指した。

「あの秋津会長でさえも、得票率は歴代二位だった。

 君は幸運なんだよ。歴代一、二の生徒会長の目前で、その記録を塗り替えるチャンスを与えられたんだ」

 特別にあつらえた貴賓席には、やや青ざめた凄雀が居る。

「……歴代ナンバー1の得票率を得た男は、現学園長代行、凄雀遼然。96パーセントという、化け物のような記録だよ」

 視線を滑らせると、2Bの群の中に三橋を見出した。

 腕を組み、彼は強張った人を寄せ付けない顔で、開幕を待っている。



 演説会が始まる直前に、秋津は控え室に姿を現した。

 何をするわけでもない。彼も傍観者なので、黙って室内を見回している。そこに騎道が近付いた。

「あなたからの推薦は辞退します」

 秋津の側近の一人から、騎道たちに打診があったのだ。

「自信があるんだな」

「あなたが正気に返るまで、僕はあなたを敵とみなします。

 手加減はしません。あなたはもう、獣と同じだ……」

 声を潜めて、騎道は言い切った。

「君を、あの時殺せなかったことが残念だよ」

 怪訝顔の騎道に、ひんやりと秋津は微笑んだ。

「胸部に2発もライフルの弾を食らって、君は生きている。

 異常だよ。僕よりも、君の方が尋常じゃない」

「……まさか……。あれは、あなたが……?」

「勘のいい君のことだから、とうに察していると思っていたんだが。僕もまだ、見込まれていたものだな」

「! どうして、実の兄を……!」

 咄嗟に声を荒げた騎道から、秋津は身を引いた。周囲の学生の注意を引く訳には、いかないのだ。

「秋津家の現当主の命令だった。そうすることが一番家にとっては都合がいいんだ。……彼は、愚かだったからね」

 一度館内が静まり、司会の放送が流れた。

「数磨は君に言わなかったのか。いや。自分に都合のいい所だけ、たやすく記憶を手放したということかな」

 秋津が、開会の挨拶をと、誰かに声を掛けられる。

「君の宣戦布告を受けるよ。正々堂々と、と言いたいところだが。

 ……このゲームで、負けるつもりはないね」

 二人の学生が擦れ違う。

 闘いはすでに、始まっていた。



『シャドウ・キャビネット 完』

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