霞(かすみ)のように消え去りぬ
同窓会会場で奴の姿を見た瞬間、それまで抱いていた感情が消滅した。
というか瞬時に吹っ飛んで完全に無くなってしまった。
四字熟語でいうところの『雲散霧消』の意味そのままである。
長年、心の隅に巣喰っていた奴への『怨み』の念がなくなっていた。
それは、もう呆気ないほど見事に。
奴とは嘗てのクラスメイト、山根。
ウン十年前、私を虐めた悪餓鬼だった。
当時、私は小学校二年生、八歳だった。
イジメに遭っていた。
その頃の私はコロコロと子豚のように太っていた。
おまけに高圧的な性格の母の影響で自信のない内気な子供だった。
気弱な肥満児、格好のイジメの対象だった。
幼少時の記憶はピンポイントで、ある特定の部分のみが鮮やかに残っている。
当時、通っていた小学校の校庭には小山があってトンネルが掘られていた。
もう今では、どうしてそうなったのかも思い出せない。
山根ともう一人の悪餓鬼工藤、この二人に私は虐められ追いかけられトンネルの中を転げるように走っていた。
怖くて必死に逃げ回っていた記憶だけが残っている。
アイツらにしてみれば楽しく狩りでもしている気分だったのだろう。
だけど、獲物のように追い回された私は怖くて堪らなかった。
小学校時代、私は図書館にばかり通っていた。
一般受けする外遊びが好きな明るい性格の子供とはお世辞にもいえなかった。
太り気味の容姿、本好きという気質は集団から弾かれる要素だったのだろう。
子供は天使なんて大嘘である。
実際の子供は天使よりも悪餓鬼の方が遙かに多い。
精神的に未熟な子供は相手に対する配慮がない。
容赦なく他人の弱点を攻撃してくる。
お蔭で、しょっちゅう、私は『デブ、デブ』と揶揄された。
田舎だったせいもあるのだろう。
中学生の頃など通りすがりの見も知らぬ男子にまで『デブ』と言われたことがあった。
今、改めて思い返してみても本当に失礼な奴らだ。
私が太っていようが痩せていようが、貴様らに何の関係があるんだ!
いちいち、他人さまのことを論ってんじゃねえ、馬鹿野郎!
んっ? チョッと脱線しました。
きっと虐めた側は私を虐めたことなどコロッと都合よく忘れてしまっただろうと思う。
それはもう、アッサリと自省もなく忘却の淵へと押し流してしまったに違いない。
だけど虐められた側は、そうそう簡単に忘れたりはしない。
私の心の片隅に『怨み』の念は執念深く居座り、時折チロチロと燻り続けた。
そして、ウン十年後に出席した同窓会で私は嘗ての同級生の山根を見た。
奴は・・・太っていた!
八歳の頃の私以上に、いや、デブデブといっても構わないほどに肥満したダサイ中年親父になっていた。
子供の頃のスラッとした面影など何処にも見当たらなかった。
みっともないほどブクブクと肥え太っていた。
そんなアイツを見た瞬間、私の長年の怨恨は完璧に粉砕された。
まるで殺生丸さまが、愛刀、爆砕牙を振るったかのように。
凝り固まった『怨み』の念は木っ端微塵に砕け散り霞のように消え失せていた。
完全に、跡形もなく、綺麗サッパリ消滅していた。
実に爽快な気分だった。
心の中で私は(かいさい)を叫んでいた。