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陽だまりのキミ  作者: トマトクン
第一章
8/12

8 エイプリルフール




 僕と上沢が会う都立公園にはオレンジのタイルが点在している遊歩道がある。


「きまぐれな踏み方だね」


「オレンジロードです」


「緑は?」


「踏まないつもりですよ」


 上沢は笑顔でそう言った。

 花のコサージュがついたニット帽を右手に持ちながら、オレンジのタイルしか踏んでいない。まるで楽譜に音符をつけるような歩き方だ。


「先輩、今日はみどりいですね」


「はやらないね、それ。どういう意味?」


「優しそうという意味です」


 なんだかよくわからなかった。

 ただ、わからないのは仕方がない。


「先輩? どうしましたか?」


「いや、きまぐれだと思ってね」


「春休みもなんかきまぐれですよね」


「それはイメージ的に?」


「はい。あ、先輩。ここの桜の花、満開ですよ」


「最近、暖かくなってきたからだ」


「帽子もいらなくなってきました」


「だから手に持っている」


「そうです」


 返事をした後、僕の前を歩いていた上沢が急にくるりと振り返った。

 あまりにも突然すぎて、僕は驚いた。


「どうしたの?」


「先輩、見てください」


 と言って、上沢はそのニット帽を指差した。

 左手をかぶせて数秒後、なんとその中からすみれの造花がでてきた。


「どうですか」


「すごいね」


「シルクハットだったら風情がありましたけど」


「それにしても、どうやって――おっと、手品のタネをきくのは御法度だった」


「はい。一応はそういうことになっています」


「あるがままを受け入れる」


「そうですよ」


「うん」


「私、手品に対しては、超能力や魔法の残滓のようなイメージを抱いていますので。だから見破られますと、そのかけがえのない欠片の結晶が消滅してしまうみたいに思っちゃうんですよ」


「へぇー。それって、目に見えるマジックポイントみたいなもの?」


「あ、いいですね、その表現」


 上沢は嬉しそうにほほ笑んだ。


「ところで、先輩」


「ん?」


「大切な話があるってメールでいってましたけど、なんですか?」


「あ、うん。今から話すよ」


「それは私の心の中に、超能力や魔法をかけるようなたぐいの話ですか?」


「えっと、そんなのではないけど、僕にとっては重要な話かな」


 そして僕は『読書同好会』のことを語りだした。




   ◇◇◇




 それから三日後。

 朝日と椎名さんが家にやってきた。


 春休み真っ只中でエイプリルフール。

 朝日は話のタネ、椎名さんは飯のタネを大量に持ってきた。椎名さんのへんなアジアン雑貨も健在だった。おかげで僕の家にはその手のまがいものがたくさん増えていった。


 もちろん僕たちは鍋をした。

 今日で二十一回目だった。


「今日は四月一日だ」


「それがどうしたんですか、椎名さん」


「どうしたのもないだろ、朝日。だから、はらわた抜きのカニ鍋なんだぜ」


 鍋奉行の椎名さんはいつもどおり自慢げに言った。料理好きの朝日も手を出そうとしていた。それはいつもやり取りだった。

 僕たちは鍋を食べて、どうでもいいことを話し合った。猥雑なこともたくさんした。


 とくに二人の出会いや『サイトシーイング』の会の話は、何度聞いても痛快だった。これほどまでにばからしいことは、世の中広しといえどもそう多くはなかった。

 

 さらには四月一日にちなんで、真実にすこしだけ虚構を混ぜる話をした。それはダウトみたいに盛り上がった。

 朝日はこの前の顛末を話してくれた。


「ストーカー?」


 話半分という名目だった。今日はエイプリルフールだからだ。


「どうやって解決したのさ」


 僕は質問してみた。

 だが朝日はこう言った。


「三木。それについてだけは黙秘権を行使させてくれ。俺のなけなしのプライドがかかっているんだ。ゆりかごから墓場まで持っていく、というフレーズにぴったしすぎるんだよ。なあ、頼むぜ」


 それだけは朝日が譲らなかった。しかも若干血走った目をしていたので、それ以上の追究をやめた。

 そしてこの時に、僕は上沢のことを朝日に話した。

 あえて虚構を混ぜなかった。


 案の定、朝日は、


「うそつけ」


 と言ってくれた。


 ――このやろう。

 

 やがて二人は酒をかっぱらい、よいつぶれてしまった。僕もいつのまにか、まどろみに身を任せていた。




   ◇◇◇




 そうして春休みはあっという間に過ぎていった。

 しかし、進級してからの二週間はもっと早く過ぎた気がした。

 もしかしたら消費エネルギーと時間速度の体感は比例しているのかもしれない、と絵を描いたり本を読んだりしながら思った。



 

   ◇◇◇




 いよいよ上沢に『読書同好会』を紹介する日がやってきた。

 三十分も遅れて僕が屋上に行った時、上沢は青いベンチにハンカチを敷いて体育座りの構えをしていた。近くまでいくと、どうやら眠っているようだった。


「……」


 しかも春風のいたずらのせいか、スカートのすそがめくれていた。見えてはいけないところが少しだけ見えかけていた。


「上沢」


 僕は上沢の名前を呼んで、肩をゆすった。

 ふわりとした栗色の髪が僕の手をくすぐってきた。


「ふ、ふわぁ?」


「上沢ってば」


 僕はもう一度呼びかけてみた。

 すると、サファイアの瞳がぼんやりとこちらを見つめた。


「三木、先輩?」


「そうだよ」


 その言葉を境に、上沢はすこしずつ覚醒していく。

 最初は自分が寝たことをほんのすこし恥じていただけだが、めくれているスカートを確認して真っ赤になってしまう。それから慌ててトランプを取り出そうとしていたが、うまくいかない。かわいい体育座りで困惑している。


「あ、う」


「まずは、そのスカートを直すために立つことが先決だと思う」


 僕がそう言うと、上沢は瞬時に直立した。

 おかげでスカートは元通りになった。


「うん」


「先輩、ひどいです」


 上沢が頬を膨らまして抗議した。頬骨にエサを詰めた小さなリスみたいだ。小動物的なかわいさ全開であった。


「スカート」


 さらには小声でつぶやいてもいた。


「じゃあさ、僕が寝ている上沢のスカートを勝手に直せばよかった?」


「いいいいえいえいえっ」


 上沢はぶんぶんと首を降った。


「その、たとえそれが優しさからくる思いやりだとしても、知らないでいることが本当の幸せとは限りません」


「うん」


「うぅ、でもですね、もとはいえば時間通りにこない先輩がいけないんです」


「そうだよね、ごめん」


 元凶はどちらかといえば僕だった。

 前日、僕と上沢は『読書同好会』の部室に向かう前の待ち合わせ場所を決めていた。当初は文化棟の入り口だったが、話の流れで屋上へ変更になった。

 そのことをすっかり忘れていたのだ。


「携帯に電話してもダメでしたし」


「授業中のままオフモードでした」


「もうすこしだけ待ってから文化棟に行こうと思っていたら、眠くなってしまって」


「それはさ、僕のせいじゃないと思う」


「先輩っ」


 上沢がジト目で訴えてきた。


「はい。いろいろと忘れっぽいこちらがいけませんでした」


 僕は反省するふりをした。

 が、なぜか上沢はまた顔を真っ赤にしはじめた。


「あの、その、や、やっぱり私は、パンツを見られましたか?」


 そして後半は、


「かわいいのだったら、まだ」

 

 なんて言葉が漏れ聞こえてきた。

 ごにょごにょとしていたので、定かではない。

 

 とにかく上沢があまりにもへこんでいるので言葉を濁そうとも考えた。しかし先ほどの言葉を思い出し、真実を告げていた。


「ごめん。ばっちりと見たよ」


 そう告げたが、僕の態度があまりにもあっけらかんとしすぎていたらしい。

 上沢の目がすわりだした。


「私、少しだけ怒りますよ」


「ごめんなさい」


「やっぱりいいです」


「でも、少しだけなら見てみたいけど」


「それ、パンツの話ではないですよね」


「違います。怒っているほうなので」


「そうですか。でも先輩、一つ聞いてもいいですか?」


「どうぞ」


「私が、女の子で初めてのスーパーサイヤ人になったらどうします?」


「その怒りって、少しじゃないよね」




   ◇◇◇




 パンツ云々。

 それはともかく。


「ところでさ、どうして文化棟の正面じゃなくて屋上で待ち合わせにしたの?」


 文化棟へつながる唯一通路。

 そこに差し掛かったあたりで僕は聞いてみた。


「それは、まだ屋上の景色を見ていなかったので見てみたかったんです。後、先輩と一緒に長く歩いてですね、気持ちを固める心構えを作りたかったので」


「そんなに緊張することはないよ」


「うっ、それはとても難しいです」


 上沢は眉根を寄せて言った。

 そしてその時、僕はこう思った。

 上沢はけっこう下準備に余念がないタイプだと。


 もしかしたら偏見かもしれないが、女子は男子と比べて、基本的にそういうタイプのような気がする。それで上沢の場合だが、ドラマツルギーのような役割を求めた邂逅の出会いだったり、綿密な下準備が必要な手品の趣味だったりと、そんな状況をより多く好んでいたりする。


 さらにはこうも思った。

 上沢はイレギュラーな事態に弱いのではないか。


 さっきもそうだったし、思い返してみれば、遠心力の気持ちに近づこうとしていたときにもハイで混乱していた。ただ、僕はその瞬間に心を奪われたのだけど。


 もし仮に、今ここで上沢に向かって、わっ、と驚かしてみたら、彼女は必要以上の反応を示すような気がした。


「どうしましたか?」


「なんでもないよ」


「そうですか」


「えーっと、屋上の景色はどうだった?」


「はい。都庁、富士山、六都科学館がよく見えました。大きいですしね。でも、ちょっと変なことを考えていました」


「なに?」


「自由と孤独についてです」


「自由と孤独?」


「はい。あの、自由と孤独って、似ているものだと思いませんか?」


 僕はすこし考えてから、上沢に言った。


「似て非なるものかな」


「似ているけど、本質的には異なっているっていうことですか」


「そうだね」


 僕はうなずいたが、上沢は押し黙ってしまった。どうやら思考をめぐらせているらしかった。そしてしばらくしてから、上沢は口を開いた。


「そ、その、ちょっと考え込んでしまいました。ごめんなさい」


「謝らなくていいって」


「でも、こういうふうにフリーズしてしまうのは、よくなかったです。あまり考えすぎるのもあれですね」


「そんなことないって、上沢」


「そうですか? どうでもいいことだったかもしれません」


「僕はそう思わないから」


「先輩?」


「あのさ、僕はね、他の人が考えなくていいことを考えられるのはとても幸せなことだと思うんだ。そう思わない? だって、上沢には違う景色が見えているんだから。もう卒業してしまった『読書同好会』の先輩も、みんなそんな人たちだったんだ。それでさっきパンツのときに、知らない方が幸せとは限らないっていったよね。これは考えない方が幸せとは限らないにも当てはまる気がするんだ。まるで必要のないことだけど、どうでもいいなんてことはないんじゃないかな」


 めずらしく長広舌だった。


「だからさ、上沢は素敵だと思う」


「わ、私が?」


「そう、上沢」


「うっ、」


 僕がそう言うと、なんか上沢は目を白黒させていた。どうやら僕の方が変なことを言ってしまったみたいだった。


「あー先輩、もうパンツの話を蒸し返さないでくださいですねっ」


「えっ?」


「それに、今の私は、照れているのではなくて怒っているですからっ」


「上沢? 日本語変じゃない?」


「そんなことありませんっ!」


 それからも上沢はすこし混乱していた。


「平常心」


 とか言いながら、指先を回したりトランプを切ったりした。そしてようやく落ち着きを取り戻し、上沢はおずおずと言いだした。


「あの、先輩の思っている好きと素敵の違いはなんでしょうか?」


「前に上沢が言っていたのと同じだと思うよ」


「ん、それは、好きが邂逅で、素敵が病葉というやつですか?」


 上沢がそんなことを聞いてきた。


「さあ、どうだろう」


「いじわるですね」


「ところで、クラスの友達はできたの?」


「先輩、露骨に話を反らしました。それと私のことを、へんな子だから浮いているんではないかとも思いましたね」


「うん、すこしだけ思った。で、どうなの?」


「大丈夫ですよ。これでも、なけなしの社交性を駆使してがんばっていますので」


 上沢がおどけた調子で言った。


「ところがですね、一番仲良くなりそうな友達が、あまりにもコマイヌが好きすぎてちょっと困っていたりします」


「ん? コマイヌ?」


 僕は首をかしげた。






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