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陽だまりのキミ  作者: トマトクン
第一章
7/12

7 水平思考






 由佳先輩がエキセントリックな格好をしているという事実は、大抵の場合において奇妙な拘泥をかかえている割合が多かった。


「いつもと違った格好をするのは、意識レベルにおける集中力の重要な引き上げ儀式なの」


 ただ、本人はこんなことを宣っていた。

 だが、それに効果的があるのかは定かでない。むしろ、その意味を理解することが危うい。


 ともあれ、いつもの由佳先輩はこうである。

 わりと長めでボリュームのあるその髪を、フロントは少しだけ額を見えるかんじで分け、バックはバリエーション豊かに、三つ編み、ツーサイドアップ、ワンテールなんかを使いこなしている。


 しかしへんな格好をするときは、あの髪型と相場が決まっていた。彼女は、必ずカチューシャ風の三つ編みをしてくるのだ。

 そして、今はどんな格好かといえばいいのだろうか。


 普段は、華奢で、すみれの花がよく似合うお嬢様風の着こなしである。なのに今は、なんだか表現できない改造が施されたクリームレモンのTシャツを着て、こちらもまた不思議に変形してしまったグレーのジャージを履いている。


「――」


 一応、こう思うことにした。部内だし、特に心配はない。それに、前は『春の雪』に出てくるような長襦袢を着ていた。そのときよりかは、はるかに驚きが少ない。だから、問題ないことにした。

 でも、とりあえず聞いてみた。


「由佳先輩、寒くないんですか?」


 まだ三月である。今は春で、夏ではない。


「そでのこと?」


「いえ、そうじゃなくって」


「じゃあ、ふともも?」


「ふとももは露出していませんよ」


「あー」


「それと、そんなピンポイントじゃなく」


「あー、ん?」


「あの、全体的にです」


「全体的?」


「はい」


「だいじょうぶ」


「えっ?」


「私は今、熱マシーンだから大丈夫なの」


「ね、熱マシーンってなんですか?」


 由佳先輩独特の言葉は、やはりわかりにくい。


「ていうか、和人くん。今の私に話しかけないで」


 それっきり、由佳先輩はテレビに集中してしまった。今の由佳先輩の拘泥は、サスペンスの犯人を当てること。

 

 やっている番組は再放送で、いつも見てるやつらしかった。しかし前回、途中でなんらかの障害が入ってしまい、そのまま忘れてしまったらしい。


「こいつはmaybe. ……ううん、must be! Must be!!」




   ◇◇◇




 日坂が来たときには、サスペンスはクライマックスを迎えていた。

 日坂は、その展開に一喜一憂している由佳先輩をその涼しげな顔で一瞥して、指定の席に座った。


「やあ」


「ん」


 僕があいさつすると、日坂は軽くうなずいた。

 緩やかな内曲線をえがく黒髪のボブが、ほんの少しだけゆれる。


 日坂は静かで、感情を表に出さない。

 はたから見れば、無表情に見えなくもない。


 だから僕みたいに、うっかりものじゃなく感情の機微にうとくない人であっても、表面上だけで日坂を判断するのは難しい。きっと日坂の変化は、幼馴染の朝日ぐらいしか見分けがつかない。そうに違いない。


「朝日がこないこと、知ってる?」


 僕は、いきなり日坂にたずねてみた。


「知ってる。でも」


 どうしてそんなこと聞くの、と日坂は真剣な瞳を向けてきた。


「んと、幼馴染だから?」


「私と優介?」


「うん」


 僕が返事をすると、日坂は不思議な視線で見つめてきた。が、すぐにカバンから本を取り出して読みはじめた。

 そこで会話は打ち切りになった。




   ◇◇◇




 やがてサスペンスが終わり、由佳先輩が騒ぎ立てていた。


「はあっ、私の見立てが外れるなんて」


 僕はそれを見やり、日坂の様子を見た。

 すると日坂は、そのコーヒースプーンの精霊(この比喩はどこからでてきたのか)のように超然とした面持ちで、こっちを見ていた。


「なに?」


「コーヒー」


「あっ」


「忘れてる」


「そうだった」


 考えごとをしていて、すっかり中途になっていた。今、ここに二人がいることだし、本題をどうやって切りだそうかを考えていたせいだ。


「日坂は?」


「私はいい」


「わかった」


 やはり、サイフォン式にしてなくてよかった。そんなふうに胸をなで下ろしながら、僕はシンクに向かった。


「で、由佳先輩はどうしますか?」


「んん?」


「コーヒーです」


「あっ、寒いからちょうだい。ひっくしゅっ! くしゅっ! くちっ!」


「あの、まずはその格好」


「ひゃあっ、そうだったっ。 私、こんなはずかしい格好でいつまでもっ! 早く着替えないと」


「あの、ここで着替えたらアレですから」


「はっ?!」


「僕が外に出ます。だから、それまで待ってください」


「うわわっ、ごめんね和人くん。光の速さで私が退出しますっ」




   ◇◇◇




 数分後。

 由佳先輩は、華奢で、すみれの花が似合う清楚なお嬢様に変身して戻ってきた。


 そういえば、と僕は思う。

 上沢の名前はすみれだった。


「はい、コーヒーです」


「ありがと、和人くん」


 由佳先輩は幸せそうな笑顔を浮かべて、コーヒーを口にした。


「あちちっ」


 だが、こうなってしまった。


「すいません。熱かったですか?」


「ううん、いいの。私、猫舌だったの忘れてた」


 それから由佳先輩は、ふーふーとがんばってコーヒーを冷まし、ようやく一息つけたところでこう切り出した。


「で、和人くん」


「なんですか?」


「私に、いや、私たちになにか話したいことがありそーな顔してる」


 言いながら、ぐいっと顔をよせてきた。


「よかったら、話して」


「――」


 そうだった。

 由佳先輩は、おっせかいで困った人をほうっておけない。困ったことがあれば相談してほしい、といつも言っている。信じられないほど親身になって心配してくれる。


「で、優介くんのこと?」


「朝日?」


「そうよ」


 そして、由佳先輩は語りはじめた。


「事情を聞くとね、彼は『すべて終わったらくわしく話します。それと、ここはよりどころだから、距離を置かないといけないので』なんて言っていたわ。それと女の子関係だとも。とりあえずね、その、私は恋愛方面にはうとくて適切なアドバイスはだめだから、ワイルドカードを使用したの」


 ワイルドカード。


「あー、工藤さんですか」


「そう、工藤先輩」


 工藤さんは由佳先輩の一つ上で、すでに卒業してしまった。

 彼女は、なんというか水平思考の持ち主で、独自の視点から物事を解決してしまう便宜な人だった。むしろ、そういうふうに置かれた状況を楽しんでいた。既存の枠を超えたパズルで遊んでいるようにも思えた。


 僕たちにとっては、伝説の清水女史よりもずっと親しい存在で、彼女自身、去年の夏に『読書同好会』を引退したにもかかわらず、だいぶ頼らせてもらった。

 たとえば、昨年の夏合宿、冬のアイススケート。そして先月、由佳先輩がいい出したラジオ計画。


「だから、優介くんのことはね、心配いらないと思う」


「由佳先輩。朝日のことは、気にしているけど心配はしていないんです」


「えっ、そうなの?」


「はい。それとべつのことで」


「優介くんのことではない?」


「はい」


「じゃあ、他のこと?」


「そうです」


 僕がそう言うと、由佳先輩が不思議そうな顔をした。

 日坂の表情は、あまり変わっていない。


「そのですね、ほんとはみんなそろったときに、話そうと思ったんですけど」


 そうして僕は、話を切り出した。

 上沢にまつわる由無し事、『読書同好会』を紹介したいという想い、ただし、上沢にはそのことを話していない、など。

 話そうと思っていたことは、すべて話した。


「か、和人くんが、私の知らないところで後輩の女の子と仲良く……ってそうじゃなくてっ。和人くんのばかっ! じゃなくてっ、くっしゅっ! くちっ! その、和人くんがこんなに成長するなんて、先輩冥利につきるでもなく――うん、きっと『読書同好会』に新しい一年生が入る可能性は少ないのだから、いいことだと思うよね」


 由佳先輩は、すこし混乱しているようだった。

 それもそうだ。僕自身でさえ、いきなり突拍子もない話をした自覚があった。


「落ち着いてください」


「綾さん、落ち着くこと」


 久方ぶりに日坂がしゃべたかと思えば、まるで由佳先輩の手綱をひっぱるかのようなあいづちを挟んでくれた。


「和人くん。私は応援する」


「ありがとうございます」


「でも、なんかよくわかんないけど、巣立っていく? うん。今、なんだかよくわかんない気持ちだ」


 最後に、由佳先輩は真面目くさった口調でそう言った。その姿は、なぜだかよくわからないけど印象に残った。






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