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陽だまりのキミ  作者: トマトクン
第一章
6/12

6 スプリングラフィ






 春休み直前。

 放課後で、僕は文化棟に向かって歩いていた。

 ここまでくると、隣の小さな教会の尖塔もかろうじて目に入った。

 

 文化棟は本校舎から少し離れた場所に位置していて、構造的には母屋と離れの関係に似ている造りだ。

 この文化棟へと続いている唯一通路を歩く途中で、意外にも朝日と会った。


「お、三木じゃん」


「あ、久しぶり」


「ああ、一週間ぶりぐらいだな」


 彼とはクラスが違った。部室で会わないから、一週間ぶりだった。


「朝日、顔ださないのか?」


 僕が聞くと、朝日は困ったように笑った。


「顔はだしてきたぜ」


「ああ、そっか」


 彼は逆方向から歩いてきた。つまりは、帰りなのだろう。


「でも、それだけさ。ちとやっかいごとに巻き込まれてしまってな。今は、アレなんだ」


 朝日は、端正な顔を皮肉げに歪めた。

 どうやらいつもの二枚目半的な大らかさが消えている。ジョークを交えた、ひょうきんな言葉使いも影をひそめている。


「まあ、身から出たさびなんだけどさ」


「……女の子か」


 僕がそう言うと、彼はにへらと笑って首肯した。


 さて、どうするべきか。

 僕は、すこしだけ考えてみる。


『読書同好会』は基本的に自由である。暇なときに顔をだすというスタンスをとっている。だから、明確な活動日などは決めていない。活動日を決めなくても、皆、ほとんどの日に集まっている。


 そこで、最近の朝日。

 彼は顔をだしていない。それも、一週間近くだ。


 実を言うと、さきほどまではさして気にしてもいなかった。だが、状況があまりよくなさそうなので、気になってしまった。


 だけど、それは彼自身の問題。もちろん、僕が迂闊に介入することではない。

 手助けを求められるまでは必要ないのだ。


 ただ、僕が話そうと決めていたことについては、現状ためらった方がいいと思った。

 僕は、由佳先輩、朝日、日坂の全員が集まっているところで、上沢のことを話してみようと考えていた。ひょんなことから知り合った後輩の女の子に、『読書同好会』を紹介して入部させたいと告げたかった。


 しかし、今の朝日の状態だと、この話をするのは野暮な気がした。


「言っとくけど、三木がどうこう考えることじゃないからな。ただ、俺の問題なだけだぜ」


「うん、わかってるよ」


「まあな」


「ん?」


「まあ、いつもどおりだ」


「いつもどおりか」


「おい、三木。いつもどおりでの言葉だけで納得しすぎじゃね? いや、ほんとはそんな、いつもどおりでもないけどな」


「どっちなんだよ」


「まあ、とにかく、終わらせるよ」


「じゃあ、がんばれ」


「それで、終わったら三木ん家で鍋だな。月一の恒例のやつ。椎名さんがまた、大量の食糧をひっさげてやってくるぜ。後、へんなアジアン雑貨持ってきて大暴れするだろうな。そして俺たちが頭をかかえて暴走をとめるんだ」


「そうだね」


 いつものことで、よく浮かぶ光景であった。

 月に一度の鍋は、限りなく日常に近い非日常だった。


 それは、朝日と椎名さんが一昨年の夏に知り合って以来、ずっと恒例の行事になっていた。回数も、とうとう二十回に到達した。

 もしかしたら、僕が一人きりで暮らさざるをえない家庭事情を慮っての行動なのかもしれない。


 そんなことを考えていたら、朝日がこう言った。


「おい、またいつものセリフいうけどさ。べつに、オマエのためってわけじゃないんだぜ。ただ、オマエが一人暮らしでよろしくやっているからいけないんだ。つまり、俺たちはその場所にあやかろうとしているだけだ。俺は、俺だけが楽しくやれればそれでいいと思っている。だから、へんなこと考えてんじゃねぇぞ」


「わかった、わかったよ」


「三木。俺のいうこと信じてねぇだろ」




   ◇◇◇




 朝日と別れて、唯一通路を抜けた。文化棟に入り、幾多の文化系クラブを通った。文化棟の端に位置する部室までの距離は、意外とある。


 三分ほど歩いて、目的地にたどり着いた。

 目の前のプレートを確認する。



『読書同好会』



 部室である。

 プレートに変わりはない。

 そして、僕は扉をあける。


 誰もいない。

 しかし、テレビはついている。音量は高い。


 僕は改めて部屋を見渡すことにする。

 部屋の中は亜空間とまではいかないけれど、グラフッィクアートを施された窓枠の壁がだいぶ大きな主張をしている。そこに飾ってあるスプリングラフィも妙にマッチしているのだから、なんとも不思議な気分にさせられてしまう。


 で、さらに、清水女史を中心として隆盛を誇っていたときのなごりが、今でも数多く残っている。コロポックル、マリモ、ラベンダー、五稜郭、音響道路に関連する五大グッズはいわずもがなで、そのほかにも、奇々怪々なものがざっくばらんに置いてあったりする。


 もちろん、本もたくさんある。

 四角い机が中央にあって、すみの方にも机がある。

 棚もある。腰かけもある。


 そしてそのいたるところに、ジェンガーやりかけみたいな形の本たちが積み重ねられていて、凄いことになっている。

 もしかしたら、ここにはピブリオマニアの妖精が住んでいる。そんなふうに思ってしまう人がいるのかもしれない。


 それほど、である。

 それほど、本がある。

 数量にしたら、五の位ぐらいか。


 ほかにも、コーヒーセットなどといった日用品も常備してある。

 変なものでいえば、交通標識のミニチュア版、あかずの踏切模型、誰も着たためしのないシロクマのかぶりもの、誰かが着たためしのあるメイド服、大正時代風の古書店売り子服、かなり凝った図書委員の腕章、不思議な形をしたホワイトボード、剣に見立てた傘、ハンドアーキーなどがある。


 今、目についたものでも、これだけだ。

 これらのものたちは、ここから先どこへいくのだろう、なんて迂遠なことを考えていたら、


「ふんふん、ふふふーん」


 と、かなり機嫌のよいハミングが聞こえていた。まるで風の歌のようだ。

 やはり、由佳先輩だった。


「うわわわわぁー」


 そして由佳先輩は、こっちを見て驚く。

 さらには、エクトプラズムまで出しかけていた。


「かかか和人くん、なんでこのタイミングでいるのっ」


「えっと、そんなこと言われても」


「なんで、なんでなんでよー。私のへたくそなアレ、聞いてたっていうの?」


「あ、はい。聞こえました」


「あうぅー」


 僕の返事を聞いて、由佳先輩は涙目になった。


「私、全力で気を抜いていたのに」


「由佳先輩?」


「私、ものすごい全力で気を抜いていたのにっ」


「あー、でも、あのですね、由佳先輩。僕は和みましたから。その、さっきの調子っぱずれのハミングは、由佳先輩によくあることで聞き慣れていて」


「えぇぇぇえっ!」


「も、もしかして自覚なかったんですか?」


 とりあえずフォローしたはずだった。

 しかし、まずいことになってしまった。


「ね、うそ、うそ、うそだよね。ちょっと威厳のある先輩をからかってみよう、と思っただけだよねっ、和人くん」


「あ、はぁ」


 威厳のある先輩、というセリフの反駁は心に留めておいた。

 しかし、そんなことを思っていれば、


「和人くんっ!」


 と、由佳先輩がかわいい顔して怒鳴ってきた。柳眉をひそめて、僕に迫ってくる。

 僕は、おもわず身を引いた。さらに、視線もそらした。


 だが、そのおかげで、積まれていた本のタイトルに一筋の光明を見出した。それは、まさしく僥倖だった。


「由佳先輩っ」


「なっ! あによー」


「あ、兄?」


「ハセヨー!」


「?」


 アニハセヨ?


「か、噛んだだけ、そしてすべっただけなのっ」


 由佳先輩は、さらに涙目になってしまった。


「……」


 なんだかなあ、と僕は思った。

 今日は困ったことになっている。


 僕も大概にしてそうだけど、じつは由佳先輩も相当なうっかりものである。しかし、僕と由佳先輩における二者の関係性では、相対的に先輩の方がしっかりものということになる。

 それは、由佳先輩が年上というスタンスを所持しているからである。


 きっと正確には、もちつもたれつに違いない。

 表現的には、どっこいどっこいでもいい。

 

 根拠は、このぼくが由佳先輩と話しているときに限り、確実につっこみ役として徹しなければままならない場面が数多く存在することだろう。これはものの見事に、先輩の方がしっかりものという矛盾を示唆している。


 しかしこのように、比類なきうっかりもの同士による泥沼仕様のデコボコ状態になっても、立場を流動的に変化させればなんとか補完しあっていけたりする。

 

 それを、僕は知っていた。

 ただ、うまくはいかない。圧倒的に、向いていない。

 だけど、嘆くことでもない。


「――」


 これ以上黙っていても仕方がないので、僕はその本を由佳先輩の前に掲げて言った。


「あの、この本のタイトルを見てくれませんか?」


 僕は、由佳先輩に本を渡した。


「『調子っぱずれのデュエット』」


 由佳先輩は、幼い子供みたいに、抑揚のない調子でタイトルを読んだ。 


「そうです。だから、今度、由佳先輩が知らないうちにハミングをしていたら、ぼくも一緒に歌いますよ。調子っぱずれのデュエットです。僕は音楽について素養がないばかりか、実技のほうもからっきしだめなので」


「そんなこと、なかったくせに」


「えっ? あ、それとですね、えーっと、鼻歌っていうのは無意識のうちに出てくるもの……ほらっ、由佳先輩も全力で気を抜いていた、っていってましたよね。けっきょく、えっと、生理現象みたいことなんで」


「和人くん、的外れだよ」


「えっ?」


「的外れ」


「的外れ、ですか?」


「けど、いい」


「?」


 なぜか由佳先輩は、遠い昔に想いを馳せているような顔をしていた。


「でもっ、私はそんなおためごかしに騙されたわけじゃないんだから」


 そして眉根を寄せながら、こうつけ加えた。

 しかし、一応は機嫌が直ってくれたみたいだった。


 ただ、僕はそれを見て、肝心なことを忘れていたのに気がついた。

 上沢のことはもちろん、その前の段階だった。


「あの、由佳先輩」


「ん?」


「聞きたいことがあるんですけど」


「えっ?」


 と、由佳先輩はいちどかわいく首をかしげたのだが、


「じゃなくて、今日だけ挙手制」


 などと、腕を組んで言いだした。

 僕は注文通りに手を挙げてから、由佳先輩に告げた。


「ところで、なぜそんな格好しているんですか?」


「う、はいっ?」


 僕がきくと、由佳先輩はすっとんきょうな声をあげて、自分の格好を見た。付いていたテレビにも目を向け、机の上に置いてあったメモ用紙を手に取った。

 そして何秒かのあいだ、あわあわした後、


「わ、わわ、忘れてたぁ――――っ!」


 と、絶叫した。






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