2 形而上的
結局そういうふうにして、僕はその女の子と邂逅した。あの日から一か月が経過し、そのあいだ、三度都立公園の穴場スポットでたわいもない話をしてきた。
便宜的に二度目と位置づけて会ったときには、すべきことがたくさんあった。なにせ初めて言葉を交わしたときには、お互いの名前を名乗ることを忘れていたほどだった。まずは自分の名前を名乗り、女の子も自分の名前を名乗った。
それから僕たちは、少しずつパーソナル情報を教え合った。
彼女、もとい上沢すみれは、ハンガリー人の祖母を持つクオーターだった。そのサファイアのように澄んだ瞳のルーツは、そこにあるといえた。
僕は、上沢が青い空やエンジのレンガでできた中欧、中東欧の美しい街並みにいるのをイメージしてみた。しかしふわふわとした柔らかさや透明感のある彼女の雰囲気は、どちらかといえば北欧のテイストにマッチしているようだった。
森に住んでいる女の子。
そんなイメージであった。
◇◇◇
他にも、僕は上沢についてたくさんのことを知った。
一つ年下。中三、十五歳。独特の世界感、感性がある。読書や手品(する方)が趣味。
好きな食べ物は、日替わり。そのうち週三日はお米で、二日は小さなお菓子、後は日々の生活でアトランダムに変化するらしい。
好きな色は、緑全般。正確には、モス、エメラルドなどとといった形容詞がつくグリーンである。緑の思い入れについては、上沢とこんな話をした。
「あの、先輩」
「ん?」
「一つ聞いてもいいですか?」
話をしてきてわかったことだが、上沢はこういう前置きを頻繁にしてきた。
「いいよ」
僕がそう言うと、上沢は堰を切ったように話しはじめた。
「私、思うんです。どうして緑には形容詞がないんだろうって」
「緑に形容詞?」
「はい。たとえば、他の色は白い、黒い、青い、赤い、黄色い、そんな感じで言葉の表現ができますよね」
「うん。たしかに」
「主要のカラーは、どれもそういうふうな使い方ができるんです。でも、私の好きな緑色には、そういう表現ができないんですよ」
「いや、にぎりこぶしまでしていうところじゃない気がするけど?」
「そんなことありません」
「えっ?」
「先輩は緑の重要さをわかっていないんです」
上沢は、やけに強く力説した。
「どういうところが重要なの」
「それは、ですね。緑色の半分は優しさでできているところです」
「えっと、製薬会社の文句じゃないんだから」
上沢は、うっ、と唸った。そして小動物じみた動作をとりながらも、さらに話を続けてきた。
「せ、製薬会社の文句もなにも、先輩、見てくださいよ。ここの都立公園の周りは緑でいっぱいじゃないですか。憩いの場であるのは緑のおかげなんです。緑は癒されますよね」
「でも、それは緑というより自然ともいえるけど」
「あっ、そうともいえますよね」
「だよね」
「だけど、緑色なのは間違いないんです」
上沢は、胸をはって主張した。
「だからわたしは、主要カラーである緑が除籍されているかのごとく形容詞扱いされないのが不満なんです」
「でも、みどりい、とか、みどりいろい、っていうのは締まらないな」
「み、みどりい。みどりいろい」
なぜか上沢は、感銘を受けていた。
「強引に使うという手がありましたか」
「強引に使うって」
「やりますね、先輩」
上沢は聞く耳を持たなかった。
「私、決めましたよ」
「ん?」
「私はその名称を勝手に使います。みどりい、みどりいろい」
「え?」
「ぜったいに、はやらせます」
「はやるといいよね」
僕は、おざなりにいうにとどまった。
◇◇◇
それから、あるときにはこんな話もした。
「私、表層にとらわれない自由を標榜したいんです」
「表層?」
「はい。かたどられた自由というか、そうであるべき自由の束縛さえも解き放つ自由といった感じなんです」
「かたどられた自由? そうであるべき自由?」
「本当の自由とはなにか、ということです」
その後も上沢は、この説明にしにくい表現を、めいっぱいの言葉を使って語ってくれた。
しかし、僕にはなんだかわからない。いや、わからなかったというのは正しい表現でない。おぼろげで、薄いもやがかかったようにぼんやりとした理解までは到達している。でも、それは曖昧で不確かなものに違いない。
言葉にしにくいし、言葉にできない。
そんなもやもやが残っていた。
僕は上沢のことをわかりたいとは思っている。けど、わからなくてもよいとも思っている。つまり、完璧に理解する必要などどこにもないということ。ただ、上沢の突飛な発想や独特な言語センスを触れているだけでよかったともいえる。
抽象的。哲学的。概念的。形而上的。
そんななにかで、良かった。
心地よい波長を感じられれば。
そして僕は、上沢と言葉を交わす前からその雰囲気をなんとなく感じとっていた。それはシックスセンスに近い感覚だった。
彼女と会話をしたら、きっとこんなふうになる。
心の奥底ではそう思っていた。
それはフィーリングとか空気感とかみたいのでわかったことであって、そのような曖昧な揺らぎで確立されたなにかがいかに正しいかを実感してしまうほどだった。
だから僕は、その上沢のフィーリングを好んでいた。