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陽だまりのキミ  作者: トマトクン
第一章
11/12

11 聖痕




 由佳先輩の引っ越しの手伝いに馳せ参じた次の日。

 僕と上沢のこと、あるいは朝日のストーカー問題などで四月から頓挫していたあのラジオ計画が、五月も終わりになってようやく持ち上がった。それはまるで、熟成される機会をひっそりと待っていたかのようだ。


「やっぱり、ラジオのパーソナリティーは五人。男の子二人で、女の子三人。これがあるべき理想よね」


 ウェブでラジオ。これがコンセプトだった。


「まずは、私がたくさん本を紹介する」


 不思議な形のしたホワイトボードに、由佳先輩が差し棒を当てた。

 ちなみに今日は、由佳先輩のお得意な『意識レベルの引き上げ』はしていない。けど、部屋がラベンダーの香りで満ちていた。これはいつもと明らかに違う。


 僕は、宇宙人みたいな名前の紅茶を一口にふくんだ。

 すると由佳先輩が、それぞれの役割を発表しはじめていた。


「和人くんが全体を把握するまとめ。それと本を紹介する私のフォロー。ううん、全体的な忘れっぽいけど落ち着いているからね。瞬間での対処は一番適切だと思う。それと、個々のアイデア本みたいなのを渡しとくから構成を考えといて」


「これですか、台本」 


「そうよ」


 僕は台本みたいなのを取り上げた。


「で、優介くんはにぎやかし。後、つっこみ役。ボケ役は不本意ながら私がやるわ。その、しょうがないけど、実生活で私が一番それっぽいし。きっと和人くんもそうだけど、それじゃあ男同士になっちゃうから」


「じゃあ俺は、とくに考えないで、いつも通りしゃべれと」


「うん。後、適当な恋愛相談枠をもうけるから一人二役でがんばって。ほら、どんな媒体にでもラブは含んでいるじゃない。そういうこと」


「あの、由佳先輩。これから制作するラジオ計画は、主に、北海道で旅をしている清水女史に届けるのが目的じゃなかったんですか?」


「それは正しい。でもね、和人くん。できる限り全力を尽くしたいじゃない。他になんらかの手違いで聞いてくれる人がいるかもしれないんだから」


 とても気持ちの良い笑顔だった。生命力にあふれていて、見るだけでポジティブな気分になった。


「で、綾ちゃんはナレーターね。凛として、とても落ち着いた声だから。司会的な進行をさせる橋渡し役。それと綾ちゃんには、小説の書き方を指南するコーナーをもうけるから。うちで一番本を読んでいるでしょ。いい?」


「ん」


 日坂はこくりとうなずいた。


「そしてすみれちゃん。貴方は電波役」


「あ、あの、私はまだ」


 上沢は困惑していた。


「すみれちゃん、電波枠は一人いなくてはいけないの。大丈夫。おさまらなくてはならない最後のピースに当てはまるのが、後輩ちゃんの特権だから」


「上沢はまだ、この同好会に入るか決めてなくて」


「ううん、大丈夫」


「っていうより、後輩の特権ではなくて、先輩の権限を使っていますよね」


「和人くんは黙ってて」


 フォローできなかった。


「すみれちゃん。そんなに心配しなくていいから。匂わす程度が大切なの。輪郭だけ浮かび上がるぐらいの曖昧な不透明さが大事なのよ」


「……」


「それにね、この役はアドリブはいらないから」


「いらない?」


「自分が電波じゃなければ、一番計画的にできるじゃない。それと、今の私、二重の意味でいっているのよ。期待しているんだから」


「あっ……」


 上沢にとって、それは魔法の言葉のようだった。

 事実、上沢にもそのような効果があった。

 どうやら、二人だけに通じるやりとりがあったようだった。




   ◇◇◇




 後日、僕は思った。

 上沢は、そのときに決断をしたのかもしれない、と。




   ◇◇◇




 翌日、具体的な大枠を決めて、ネタ出しの作業がはじまった。

 とはいっても、のんびりとした緩やかなペース。いつもどおりの緩い活動と並行して、ラジオ計画の方はすこしずつ進ませる予定だ。


 完成は七月で、まだ一カ月以上ある。夏休み前が目処だった。

 だから由佳先輩は気合の入らない調子でサスペンスを見ていたし、朝日も恒例行事の『サイトシーイング』の会に出かけていた。日坂だって変わらずに、僕と同じく本を読んでいた。


 しかし、上沢にとってはある記念日だった。

 それは、上沢があの十六冊の本を読破したからだ。そしてその日こそが、上沢が指定した決断の日に違いなかった。


「はやっ! もう読み終わったの?」


「はい、最高傑作でした」 


「ていうか、二人が出会ってすぐラブラブするぐらいはやっ。ただし、最少メモリー単位ですぐ満タンになるラブラブ具合だけどっ」


「ゆ、由佳先輩っ」


 由佳先輩がすこしからかっただけで、真っ赤になった。

 上沢は、胸元からトランプを取り出して、すぐに手品をしようする。わたわたと慌てている上沢を見て、ごめん、と思いながらも和んでしまう。


「ごめんね。すみれちゃんのこれが見たかったの。私、今のすみれちゃんみたいに幸せな読後感を味わえないから、ほんのちょっとだけいじわるした」


「もう、由佳先輩っ」


 と言った後で、上沢、はっ、となにかに気づいた顔をした。


「でもですね、だからといって、三木先輩とのことでからかわれるのは、あまりその……」


「だめよ。いい加減慣れないと。税金みたいなもんだから。それに私は、和人くんなんて一言もいってないしね」


「はっ、ううっ」


 上沢はサファイアの瞳を向けて、助けを求めた。


「その、三木先輩とはまだ、その……、それに三木先輩もそんなことを思っていないですし」 




 ――ごめん、少しだけ思っていたりする。

 ――だから、一緒になって照れたりしない。




 僕は、心の中でそう思っていた。

 あの三カ月前の邂逅のときとは逆に、今度はこっちから合図を送っていた。




   ◇◇◇




 けど、ほんとはそこまでの発展は必要なかったのかもしれない。

 ぼくたちはわりと自覚的で、着実に進んでいくであろうことをお互いに感じていた。そしてそういうニュアンスの表現を、お互いに好んで使って楽しんでいた。


 しかし、このスタンスは、他人から見たら臆病なのかもしれなかった。

 トリガーが入った瞬間は決定的だったけど、あえて取り立てて行動したいとは考えていなかった。


 いや、二律背反だ。

 そう思っていたり。思ってなかったり。


 ただ、シーソーに乗る気はなかった。

 ドラマツルギーも、もう必要なかった。


 すくなくとも今の段階では、遠心力のときの距離感のように一定でありつづけてもよかった。それは存在するかしないかぐらいの、あの奇妙な浮遊感が心地よいともいえた。


 さて、どうすればよかったのか。

 いや、どうなるのだろうか。




   ◇◇◇




 そして、その日の別れ際。


「ごめんね、すみれちゃん」


「あの、そんなことないです」


「まあ、とにかく。ここのことは決めたんだね?」


「あ、はい」


「うん、わかった」


 やはり、二人は目で通じあっているみたいだった。昨日、ラジオ計画を発表したときの一幕と同じような雰囲気が流れていた。

 だけど僕も、上沢の意思を感じることができていた。


 


   ◇◇◇




 同好会の活動が終わって、僕と上沢は一緒に文化棟をでた。

 上沢は忘れ物を取りに行くといって、教室に向かった。


 僕は、敷地の中央に位置するプールを四階の廊下の窓から眺めながら、しばらくといえるほどの時間を待っていた。

 そして感覚を忘れるくらいに暮れなずんでいると、ようやく上沢がやってきた。


「その、遅れてごめんなさい」


「いいよ」


「私、へたっぴで」


「へたっぴ?」 


「まだ、その言えなくて」


「そうなんだ」


「で、あの……先輩はなにをしていましたか?」


 上沢はくりくりとした視線を向けて、こちらに質問を投げかけた。


「プールを見てた。なんで全方位で見える位置にあるんだろうって」


「あ、そうですね」


「最初は驚いたなあ」


「はい。私も驚きました」


「たとえばさ、ここは四階だから実際には無理なんだろうけど、飛び込もうと思ったら飛び込めそうな気がするよね」


「あっ、それも思いました」


 それから、少しだけプールの思い出話をした。

 まだ、上沢からの本題はこないようだった。


 やがて長くもない廊下を歩き終え、階段を下っていた。上沢は僕の前を歩いていて、どうしようか考え込んでいるようにも思えた。


 だから、僕から声をかけてみた。

 しかし、そのときだった。




「あのさ、上沢」

「あ、あのっ!」




 声がかぶってしまった。


「どうしたの?」


「えっと、先輩からお願いします」


「じゃあ、聞くよ?」


「はい」


 上沢は、こちらを見上げて返事をした。

 見上げてなのは、僕の身長がすこし高いせいだけではなかった。今の上沢より、僕の方が三段も上にいたからだ。


「『読書同好会』どうする?」


 そう聞くと、上沢の緊張が少しずつ解けていった。

 上沢がなにか話しはじめようと、口を動かした。

 もちろん僕は、あの返事を待っていた。

 

 それは、上沢と由佳先輩の隠れたやり取りからも感じたことだった。おそらく、そうなるであろう未来を待っていた。 


「そのことですよね」


「うん」


 と、僕が返事をすると、上沢はゆっくりと切り出した。


「……あの、ですね」


「うん」


「私があそこまで悩んでいたのは、同好会に入ることによって、全てのものが好きから素敵に変わってしまうのが怖かったからなんです。あそこに入ることで、完結できなくなってしまうと考えてしまいました。けっしてそんなことはないのに。でも、私は視野狭窄で周りが見えていませんでした。……先輩、今まで言えなくってごめんなさい」


「そっか」


 上沢が何を言いたいのか。

 それは分かるようで分かりにくかった。


「でも、私は入ることに決めたんです」


 そう言いながら、上沢は、一段、また一段と階段を上ってきた。


「上沢、顔赤い」


「ス、スルーしてください」


「ごめん、上沢」


「その、確信犯ですね」


 違う。照れ隠しだった。


 上沢は、僕より一段だけ高い位置まで登り、


「えーっと」


 と、微妙な擬音を発した。

 今の僕の位置からは、上沢の表情が見えなかった。


「あっ、あんまり大きな声でいうのははずかしいので」


 でも、この張り詰めた空気の中で、上沢の顔がまだ真っ赤であることは容易に想像できてしまった。


「このタイミングで、顔を真っ赤にして手品なんかするなよ」


「せ、先輩だって真っ赤ですっ」


 で、その逆もまた真なりだった。

 さらに上沢は、言葉を続けて、


「かしてください、あの、お耳」


 と言ってきた。

 いうやいなや、超速のスピードで内緒話の形を作った。


 そして聞こえたのがよっぽど奇跡だと思えるぐらいの――まるで蝶の羽音のように小さな――声だったが、それでも信じられないほど艶のある響きが聞こえた。




「ほ、ほんとに、先輩のことが、好きになりそうで――えっ、好きって……えっ? えっ? 私言っちゃった!?」




 そこで言葉がぶつりと途切れた。


「ひっ、ひゃあっ」


 そして、甘い残響のような悲鳴が届いた。

 かすかに背中を撫でるような感触もあった。

 ここで僕は、振り向こうか迷った。


 しかし、今の自分の表情が想像できなかった。どんな顔をしているのかわからなかった。だから、ためらってしまった。でも、上沢自身も同じことだった。さらに上沢は、自分の容量をはるかに超えた行動をとってしまっていた。


 僕は上沢の表情が見えて、それに気がついた。


「わわわ、忘れないでくださいっ! じゃなくて忘れてくださいっっ!」


「上沢、待って」


 僕が言葉をかけても、上沢は世界で一番速いスタートダッシュを切っていた。

 途中、階段の踊り場で足をもつれさせて、


「ひゃうっ」


 なんて言っていたが、それでも信じられないほどの速さで逃げてしまった。

 やがて僕は取り残され、その場で呆然と立ち尽くした。

 でも、なんでもない大切ななにかを感じていた。




   ◇◇◇

 



 結局、上沢が『読書同好会』に入ることは確定事項となったのだが、あのときに残した言葉の聖痕はとても強力だった。


 僕と上沢は、小さなミッションを少しずつクリアしていくように互いの関係性をたぐりよせてきた。それは自覚的に結末を先延ばしするストーリーみたいで、ものすごく遅々とした歩みであった。

 しかしあの瞬間で、どうやら一足飛びともいえるぐらいに変容してしまった。


「……」


「……」 


 そうして週末が来るまでの三日間、ずっとこんなかんじだった。

 きっと他人が見たら、さぞかし滑稽であったに違いなかった。






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